留守
山水がブロワ、レインと共に学園を離れても、それが一々国中へ伝えられたわけではなく、山水を倒して名を上げようという面々がいなくなるというわけではなかった。
とはいえ、数カ月したら帰ってくるという言葉を受けて、そのまま帰るほど物分かりのいい連中ばかりではない。
そもそも交通機関が発達しているわけでもないので、また出直してくるというわけにもいかなかった。
よって……。
「サンスイ殿は留守なので、我らが相手をします」
「面白い! 蹴散らしてくれるわ」
となり、
「ぎゃああああああ!」
となる。
「最近ケガ人が本当に多いわねえ」
学園長がそうぼやくほどに、学園の前が血なまぐさくなっていた。
無理もない話である。今までは山水が穏便に倒していたからこそケガ人が少なかったのであって、山水に指導を受けていた面々がそれを代行しても同じような結果にはならないのだ。
というか、見学している生徒たちも、改めて山水がどれだけ無茶苦茶だったのかを理解せざるを得なかった。
「でもまあ、別にこれぐらいどうってことないわよねえ、お父様」
「ああ、まったくだな……だが、そのなんだ、ドゥーウェ。お前は……その……どうなんだ?」
ふかふかの長椅子の上でくつろぐ娘に、父は何とも言えない表情をしていた。
何故なら、彼女の周囲を護衛が固めていたからである。
それ自体は普通の事なのだが、その護衛が山水が普段指導している相手であり、それ以上に『近衛兵』と思われている面々だった。
一応身分は隠しているので問題ないし、そもそも本職だから任せて安心ではある。
とはいえ、その理屈が通じることはほぼないのだが。少なくとも近衛兵っぽい人たちは物凄く神妙な顔をしている。
「あらあら、お父様。この程度じゃあ足りないこともご存知でしょう?」
と、以前に半壊させたことも持ち出す。実際、彼らがどう頑張ったところで、山水には遠く及ばない。そんなことはわかり切っているが、だからこそ言われると腹が立つ。
とはいえ、ドゥーウェは自分の護衛がそばを離れた逆境を活かしていた。明らかに駄目な方向で。
「まあ……余り顎で使うな。今のお前には、サンスイもブロワもいないのだからな」
「わかっていますわ、その点に関しては嫌というほどに」
ため息をつく娘は、確かに気弱そうだった。
実際のところ、山水の傍というこの世で最も安全な場所から、彼女は遠ざかっている。
そうした実力の面だけではなく、幼いころから一緒にいた面々がごっそりといなくなることは、彼女なりに寂しいのかもしれない。
「それにしても……見苦しいとは思いません? トオンはともかく、他の剣士にさえあっさりと負けて、醜態をさらすだなんて」
「そう言うな、ある意味普通だ」
何十人も相手にして、その全員をケガさせずに倒す、という離れ業も日常的に行えるようになっていた山水に見慣れた面々からすれば、ケガをして苦しむ相手というのは見苦しく見える。
しかし、そもそも怪我をするということは辛く苦しい事であり、障害が残るかもしれないことである。他人からすればどうでもいい事だろうが、当人からすれば一大事なのだ。
「サンスイが、改めて異常だったというだけでな」
例えば、足の速いことが自慢の人間や腕力自慢の人間は沢山いる。
これに関しては呆れるほど簡単で、実際に走らせてみたり重いものを持たせてみればいい。どちらが優れているかを比べるのも簡単で、実際に同じ距離を走らせてみたり、重いものを交互に持たせてみればいい。
これが、弓の技でも同じだ。なにせ遠くの的に当てさせたり、兎でも鹿でも飛ぶ鳥でもなんでも射させればいい。
だがこれが剣や槍の技となると一気に難しくなる。
もちろん、戦わせればいいというのは当然なのだが、それで双方がケガをしたり死んでしまえば取り返しがつかない。
そういう意味でも、山水は便利だった。なにせ狂戦士を相手取ってさえ、殺さず傷つけずに抑え込むことができたのだから。
「そんな凄い剣士を護衛にしていた私は、大したものですね」
「……ああ、まったくだ」
親の欲目を抜きにしても、その点は全面的に同意する。
五百年生きている仙人が偶々俗世に出たところを、抜け目なく狙いすませて配下にしたのだ。その点に関しては幸運どころの騒ぎではあるまい。
「お前は本当に、欠けた物が一切ないな」
「あらあら、お父様ったら娘の事が好きすぎません?」
とはいえ、だからこそ使い潰したくないし厚遇するべきだと思っている。
ブロワに関しても同様で、いい加減職務を完遂という段階にするべきだと思っていた。
ブロワの代わりとなると中々見つからないが、それでもどうにかするつもりであるし、ドゥーウェもその辺りは気を使うようだから問題ではあるまい。
「それにしても、割と真面目に驚いたのですけど。お父様もお兄様も、よく私とトオンの事を認めましたわね?」
「……それなりに熟慮した結果だ。寂しいが納得はしている」
結局のところ、何時までも同じ関係であり続けることなどできはしない。
人間には寿命があるからこそ、その中で関係性を変化させていくしかないのだ。
蝶よ花よと愛でていた娘も、既に子をなす年齢である。いくらソペードに権力があっても、この花が枯れることを止めることはできない。
その辺りが例外なのはこの国が興る前から生きている山水とスイボクぐらいであって、どんなに可愛い娘もその内手元から離れてしまうものなのだ。
「お前も、追い詰められればサンスイに我らを殺させるつもりだったであろう」
「あら、何のことでしょうか?」
「流石に洒落にならん」
周囲が硬直する、武門の名家ジョーク。
しかし、相変わらず和やかに会話は進んでいく。
「とっくに孫もいる身だ、何時死んでも悔いはない。とはいえ息子の方もまとめて始末されては大問題だ。我らにも危機感はある」
「……それなら、毎度の様に騎兵突撃を仕掛けるのは控えていただけませんか?」
ドゥーウェも真剣に恥ずかしそうだった。
不届き者の首を並べるぐらいはかまわないが、事あるごとに騎兵隊を率いて自分の屋敷へ突撃するのはいい加減にして欲しい。
一度や二度ならまだいいのだが、最近では王都でも笑い話になっているとか。
そういう噂は彼女としても面白くないのだ。
「控えているであろう、実際に。サンスイなら我らを殺さずにあしらえるが、トオンはそこまでではないだろう」
「……サンスイがいたから突撃していたのですか、お父様もお兄様も」
それはそれで、もっと駄目だと思ってしまう。父親も兄も、大概山水に甘え過ぎであった。
「とにかくだ、色々と厳しいお前が選んだほどの男だ。サンスイも目にかけているし、出自も良く立ち振る舞いも素晴らしいと言ってよい。王位継承権がないことも含めて、元当主としても当主としても、問題ではない。父としては寂しいが……」
「いい加減娘離れしてくださいな。姪も甥も、ソペードの領地で不安そうにしていますのよ?」
非常に今更だが、現ソペードの当主にも息子や娘、妻はいる。
妹に対しての態度が異常という点を除けば、普通に家族仲も良好である。
まあ、妹が好きすぎることに対して、不満がないわけではないのだが。
「お母さまもあの調子ですし……お義理姉様が可愛そうですわ」
「……サンスイが戻ってきたら、その時はソペードに戻るとするか」
一つの事実として、ソペードの前当主と現当主はお互いをスペアの様に考えている。
もしもの事が起きれば、お互いに役割を補い合う関係だった。
少なくとも、隠居した前当主は暇であり、息子の仕事を肩代わりすることもしばしばだった。
その時間を、更に次の世代である孫たちに使うこともやぶさかではない。
「そうですわね……そうなったら、私もトオンと一緒にマジャンへ赴きますわ」
「それは別に構わん。しかし一つだけ忠告しておくぞ」
「あら、それは前当主としてですか?」
「そうだ、余り他所の国の王家に関わりすぎるな。最悪でも、バトラブに押し付けろ」
世界は広く、世間は狭い。最近、ソペードの前当主はそう思うようになっていた。
自分が知っていたこと、信じていたことが山水の登場以降大分入れ替わっている。
それでも、自分が引き継いだ既存の世界を守らなければならない身としては、これ以上迂闊に世間を広げたくなかった。
「遠い親戚には、あくまでも遠い親戚でいてもらうのだ。挨拶を欠かさぬ程度の関係であれば、それでよい。それ以上を望めば……深入りすれば……敵だとか味方だとかになってしまう。ただでさえドミノを引き入れたアルカナだ、これ以上迂闊に関係を広げれば、処理が追い付かなくなることもある」
一度利害関係が生じると、親密な関係になると、その彼らの事も軽くは扱えなくなってしまう。しかし、全員を重く扱うなど、どう考えても不可能なのだ。
「敵も味方も、少なければ少ないほどいい。サンスイも言っているだろう、必要な時必要な分だけ力があればよいのだと。それ以外は邪魔だとな」
「そうですわね……確かに、既に敵も味方も多いですもの」
向こうでケンカを売るな、と言われれば頷くしかない。
その辺りはドゥーウェもわかっていた。この国では自分は最高権力者に限りなく近いが、向こうの国ではただの小娘なのだ。
そのあたり、彼女は自分の能力を見誤らない。
「その辺りに関しましては、全面的にトオンに任せますわ。その辺りの事も、トオンには任せられますもの」
対人的なコミュニケーション能力に限定すれば、トオンほどの男はドゥーウェでさえ見たことがない。
顔が良く体も程よく鍛えられており、立ち姿も実に美しい。
そうした外見的な面だけではなく、内面も文句の付け所がない。気前よく器量も良く、剛毅であり真面目であり、口も達者で頭も回る。
それこそ、劣等感を抱かれてしまう点を除けば、嫌われることはないだろう。
これで希少魔法の達人でもあるのだから、天はトオンを甘やかしすぎである。
王気を宿していないということは彼の国では問題らしいが、そんなことはこの国では些細だった。
「……やはり殺すか」
「やっぱり殺させましょうか、お父様」
今も、トオンは同志に混じって剣を振るう。
山水の剣にほれ込み、機を得つつある剣士たちは、彼が帰ってきたときに驚かせようと必死で剣を振っていた。
もちろん、山水からすれば普段通りに修行することに意義があると言われそうではあるが、彼らの熱意は決してとがめることはあるまい。
童顔の剣聖不在でも、この場所で鍛えられた者たちは決して負けはしないのだと、内外に示すように彼らは魂を燃やしていた。