黒雲
領主に才能など必要ない、というのはある意味至言だった。
そりゃそうだ、領主など地方公務員である。確かに特別な地位であり頂点ではあるのだろうが、国中に沢山いるうちの一人でしかない。戦国時代じゃないんだから、お役所の仕事をしていればいいだけの事である。
言い方は悪いが、地球でも血統で代々受け継ぐことができたのだから、全員が全員天才でなければならなかったというわけではあるまい。それなりに教養があればよかったのだから、本人が真面目に勉強して仕事をしていればよかった話である。
ブロワのお父さんから見れば、向上心あふれるヒータお兄さんが真面目に領主をやるつもりがなかったと思われても仕方がないだろう。
それを、本人も認めているところであるし。
考えてみれば、俺もブロワも戦闘職以外で天才を見たことがない。例えば政治に関わる方々が、才気にあふれているところを見たことがない。見たことがないが、それでも俺達があった政治家の方々は、誰であれ節度と覚悟をしっかりと持っていた。
所謂無能な帝国貴族の方々も、才能がないというのとはちょっと違った。あれを見て才能がないとは言うまい、もっとそれ以前の問題だ。
結局、俺もブロワもレインも、ブロワのお父さんを信じていればよかっただけなのだ。
「ごめんなさいね、ブロワ」
「すまない、ブロワ」
昼食の時になって、ようやく起床したシェットお姉さんと一緒に、ヒータお兄さんも謝っていた。一重に、ブロワへの謝罪である。
「せっかく貴方が良い人を連れてきたのに、私ときたら自分の事ばかりで……」
「いえ、良いのですお姉さま。社交界で過ごされるお姉様は、気苦労も多かったのでしょう」
ブロワも嬉しそうに受け止めていた。
というか、さっきまでがひどすぎたので、改善されただけで天にも昇る気持ちだろう。
「サンスイさんにも、ご無礼を……。妹の夫になる方に、失礼極まりない事ばかり。お恥ずかしいどころか、罪深い気持ちです」
「そう気になさらないでください」
それは俺も、レインも同じだった。
というかさっさとご両親に『お宅の娘は正気じゃない』と言っておけばよかった。
昔話じゃないんだから、正直に言えば全部解決するとは思っていなかった。
「私の事はどう思っても構いません。ですので、どうか妹の事は、ブロワの事はお嫌いにならないでください」
「ええ、分かりました」
結局、人間とは多面的な物だ。
美に執着する、それもまたシェットお姉さんの一面ではあるのだろう。
しかし、永く家を空けていた妹が帰ってきて、婚約者を連れてきたことを素直に喜ぶ一面だってあるのだ。
「最近中々寝付けなかった物ですから……もう母になっているというのに、お恥ずかしい」
「母親でも、母親だからこそ気が滅入ることもあるでしょう」
「寛大なお心に感謝を……」
とにかく、問題が解決して何よりである。
「ですが、もしも貴方のお師匠様から、若返りの術を授かったときは、是非ご連絡を」
「……ええ、お会いすることがあれば」
「お願いします」
ちょっと目に狂気が戻ったが、すぐに鎮静化する。
もしかして、お嬢様もその内俺に対してあんな目を向けるのだろうか?
そう思うと、中々割り切れない。
「ブロワ……俺はお前になんと詫びればいいのかわからない」
「いいえ、そんな……」
「俺はお前に感謝するべきだと思っていた。思っていたが、感謝よりも嫉妬が前に出ていた。頭では分かっていても、内心ではお前の事を羨んでいた」
確かに、妹だけが名を売ればそう思うこともあるだろう。
才能という者を絶対視している、自分の矜持としているヒータお兄さんの気持ちも理解できる。
しかし、ヒータお兄さん自身は理解が足りない。ブロワの仕事が危険で、命を落としてもおかしくないとは考えていなかった。分かっていても、深刻には受け止めていなかったのだ。
「お前には剣の才能も魔法の才能もある。本来空を飛ぶことは一流の証だが、お前は初めて魔法を習った次の日には空を飛んでいた。その上、ソペードの御本家へ取り立てられ、そのままお前の噂も聞こえてきた……。それが羨ましかったのだ」
ブロワは知っている。
自分と同等の才能を持ち、厳しい訓練を受けた集団である近衛兵のことを。
トオンやランの様な、自分と同等以上の才気の持ち主を。俺を含めた、切り札の存在を。
ブロワは俺と一緒にずっと仕事をしていた。
だからこそ、自分の仕事を主観視するばかりで客観視できなかった。
実際にはお嬢様の我儘に振り回されているだけだったのだが、ヒータお兄さんにはなんかカッコいいことをしているとしか思われていなかったのだろう。
「お前には戦闘の才能があるからと、お前は日々栄光の道を歩いているのだと思っていた。父や母の様に、お前が命を晒していたとは思っていなかったのだ……」
「お役目です、ヒータお兄様。私はただ、成すべきことを成していただけです」
「それを言うのであれば、私はなすべきことどころか何も成していない。感謝さえしていなかった。許してくれ」
ヒータお兄さんは、その辺りの事をまったく理解していなかった。
才能を絶対視していたからこそ、危険性だとか覚悟だとか、そういうものがわかっていなかったのだ。
才能があるから大丈夫と信じて疑わず、思考放棄していたのだ。
「なあライヤ……シェットは何時から追い詰められていたのだ?」
「そうね……私もセンプも、全然気づかなかったわ」
「お父様、お母様……シェットお姉さまの心中が荒れ狂っていたのは、お二人がサンスイ様のお話をした直ぐ後です」
「「なんと?!」」
「それからずっとああでした」
「「なんで誰も言ってくれなかった?!」」
言わなきゃわからない人に、誰も期待していなかったからです。
改めて、一同はご両親に呆れていた。
一体どれだけ浮かれていたのだろうか。正直、読み切れないほどである。
「ライヤ、頼むからこういう時はきちんと父に言ってくれ」
「そうよ、お母さんもわからないことが沢山あるんだから」
「そうはいっても、細かいところを言い出したらキリがないと思うわ」
なにやらライヤちゃんの方はヒータお兄さんと違って、それなりに信頼されているようである。
なんか物凄く悲しそうにしているぞ、ヒータお兄さん。人生に節度が必要というのは、結局どの場面でも重要なのだなあ。
「でもまあこれで良かったじゃない、重要な問題は全部解決したと思うわ。ヒータお兄様のことは正直諦めていたけど、お父様がすっぱり解決してくれたもの」
とはいえ、ライヤちゃんが『重要な問題は全て片付いた』というと、それなりに安心感がある。
そりゃそうだ、この土地に来てから心配だったことなど、シェットお姉さんの執着ぐらいだったし。
考えてみれば本当に解決の余地がない重要な問題があれば、休暇としてソペードの方が送り出すわけがない。
この家の問題は、お父さんとお母さんで解決できる範囲だったのだ。それができるとは、ちゃんとしたご両親である。
「ライヤ……お前は……」
「あらあら、普通の事じゃない。だってお兄様、今までお父様の言葉に反発してばかりだったもの。妹の私が心配するのも当然じゃないかしら?」
「ぐ……」
「今ならわかるでしょう? お父様の方が正しいって。だってお兄様、この地方の領主になるのが到達地点であるはずなのに、あるかどうかもはっきりしていない『妹よりすごい名声を得られる地位』に至りたいって思ってたんだもの。そりゃあお父様でもこりゃ任せられないって気付くわよ」
乱世ならまだしも治世だから、はっきり言って害悪にしかならない向上心だったらしい。
ヒータお兄さんが本当に妹の名声を越えたいのなら、跡取りを放棄して中央に出るべきだったのだな。
まあそれで芽が出るかは怪しいが。
「その点、ブロワお姉さまもサンスイお兄さまも流石よねえ。ソペード本家から全面的な信頼を受けているだけの事はあるわ。節度というものを弁えているもの、本当に大事よね、節度って」
俺もブロワもレインも全面的に頷いていた。
余計なことを考えるなとも思うなとも言わないが、口にするべきではないし行動に移すべきでもない。
少なくともソペードは職務以上の事を任せてこなかったし、仮に任せてもちゃんと謝罪をしてくれたり対価も用意してくれる。
ソペードを含めたこの国のトップは、ちゃんと国の頂点として仕事をしてくれている。レインの事も誠意をもって、危険を極力避けて解決してくれたしな。
「お兄様になかったものよ、節度」
「しつこいぞ……」
「あら、妹が節度を弁えた範囲で苦言を言っても、何も伝わらなかった才気あふれる跡取り息子様にはいい薬じゃないかしら」
今ならいくら言っても許されると判断して、いくらでもぐいぐい押していく。
これはこれで、家族同士のじゃれ合いなのだろう。実に微笑ましい、少しお嬢様を思い出すが。
「節度がない人間は信頼できない、今の自分の分を弁えない人間は信用できない。そんなこともわからなかったヒータお兄様には、本当にいい薬よね」
「うう……」
「大体、お兄様が大好きな『新皇帝』フウシ・ウキョウと、同列の扱いを受けている四人の切り札の一人と張り合うなんて無謀もいい所よ。全員外国人なのに、この国が太鼓判を押すほどの傑物よ? 五百年生きている仙人と張り合うなんて馬鹿じゃないの?」
ブロワが大きく頷いている。
そりゃそうだ、ブロワは昔から俺と一緒に戦ってきたからな。
その辺りの事は、とても身近に感じるだろう。
「その通りです、ヒータお兄様。私はお嬢様の護衛である関係上、『切り札』や隣国の議長とも顔を合わせましたが……私程度の才能の持ち主など、珍しくもありませんでした」
ブロワが長く重用されているのは、顔がいいとか剣と魔法の才能があるとか、そういう『最低限』の水準を満たしたうえで信頼できるからなのだろう。
ソペードにしてみれば、ブロワ程度の才能がある人間を探すこと自体は簡単なのだ。その上で、護衛から上を目指すとかそういう節度のない連中を排除していった結果が今なのだろう。
そりゃそうだ。地方領主以上に、護衛には護衛として命を奉げる覚悟が求められるのだから。そういう意味でも、ブロワのお父さんが葬式気分で娘を送り出したことは正しい。
「ああ、もうやめようではないか! 血なまぐさい話などうんざりだ!」
「ええ、まったくよ! 折角家族が揃ったのに、こんな話をしてどうするの!」
ブロワのご両親が話を打ち切った。娘が危険な任務を完遂して、ようやく家も娘も安泰となったのに、この上面倒な話など食事の席ではしたくないだろう。
もちろん、今後俺が死ぬということはあり得るし、ブロワが未亡人になることもご両親の頭の中には残り続ける。
しかし、ブロワに関してはもう『あがった』話なのだ。血の匂いのする話なんてしたくないだろう。
「いやまったくですね! それでは……!」
俺は仙人としての感覚で気配を感じる術に長けている。
だからこそ、俺はその『事実』に驚愕していた。
おそらく、人生で一番の危機を感じ取っていた。
「……おい、どうしたサンスイ?!」
「パパ?!」
俺が驚愕の表情で固まったことに、ブロワとレインがとても慌てていた。
そう、俺がここまで緊張した顔をしたところを、見たことがないのだろう。
「……そのですね義理父さん、義理母さん。私は仙人なので天気を予知することもできるのですが……どうやら嵐が来るようです。一応念のために、雨はともかく風の対策はなさった方がよろしいかと」
「あらまあ!」
「たしかにそれは一大事ですな、それでは屋敷の者に指示をしましょう。何事も無ければ一番ですが、何かあれば被害がありますからな」
ご両親が屋敷の人たちに指示する間に、外の天気がいきなり悪くなった。
雨が降り始めたわけでもなく風が吹き荒れているわけでもないのだが、単純に外が一気に暗くなってきた。
分厚い雲が日光をほぼ完全に遮り、まるで夜になったかのようだった。
それを見てもご両親は『本当に嵐が来るのか』と俺に感心している程度だが、他の面々は流石に異常さがわかっているらしい。これは尋常の事ではない。
「その……サンスイ様。お伺いしますが、何が起きているのですか?」
この場にいないが、夫と子供たちという家族がいるシェットお姉さんは心配そうに尋ねていた。
昼を夜に変えるほどの雲があるにも関わらず、雨が一滴も降らない現状におびえているのだろう。
「嵐が来た、それだけです」




