課題
ある意味では、ごく一般的な地方領主たちを見た気分だった。
彼らは彼らで、とても必死に生きているのだろう。きっと俺達の事をうらやんでいるに違いない。
そんなに収入がいいわけではないが、俺達がただソペードの近くにいるというだけで誰もがうらやむのだ。
その辺りに関しては、俺が今まで会ってきた面々とは程遠いのだろう。
「いかん、いかん、修行が足りん」
俺は屋敷の外で素振りをしていた。
何事も普段通り、修行通りであるべきだ。そして、修行は継続にこそ意味がある。
特訓だとか一夜漬けだとか、そういうものは真の強さや勉強とは程遠いものである。
努力とは生活習慣であり、一時頑張って補うとかそういうものではないのだ。
「謙虚に丁寧に」
結局のところ、彼らは正しく生きているだけだ。
この国の社会の中で、自分達にできることを精いっぱいやっているだけである。
それでも辛いからこそ、他人に対して攻撃的になっているだけだ。
それをお嬢様が許すかどうかはともかく、俺自身は広い心を持つべきだろう。
「まずは自分の至らないところを見つめ直すところからだ」
ブロワが幸運だった、とは言うまい。しかし、俺は間違いなく幸運だった。
少なくともレインをここまで育てることができたのは、ソペードの援助のおかげである。
その厚遇が羨ましく思われても、それは不思議ではない。
それに、彼らは実体として俺達の立場を良く知らない。であれば、なんかいい暮らしをしているのだろう、と思われても仕方がない。
とにかく、修行が足りない。
彼らは羨みつつも、自分達も多少は利益を得たいと思いつつも、しかし俺達の前途を祝福するために集まってくれたのだ。
それこそ、遠路はるばるありがとうございます、という具合だ。
気配が読めるからと言って、彼らの胸の内を想像してしまうなど、デリカシーに欠けている。そんなことをされたら、彼らでなくても嫌な気分になるだろう。
「生きている限り人を不快にさせることはある。だがそれは、他人に嫌われようとしていいわけではない」
昨日の俺は、できる限り穏便に勤めようとした。
それが結果として数人の不興を買ったのなら、それは俺の未熟でしかない。
俺がもっと熟達していれば、彼らにも不愉快な思いをさせずに済んだかもしれないのだ。
うむ、敵を作らず友を作る。それもまた剣の道なのかもしれない。
相手に警戒されない立ち振る舞い、表情、雰囲気というものを研究すれば、或いは相手の気を削ぐ技に昇華することもあるだろう。
まあ普段はお嬢様の護衛なので、その技を使う機会に恵まれるわけではないのだが。
「仙を削ぎ、剣で満たす。それもまた、生きた剣……」
多人数との立ち回りで極力仙術を使わずに戦うとなると、そういう小技にも気を配れるようになれば、より他の人が使える剣術になるのかもしれない。
思い起こすのは、月の下での戦いだ。あの戦いは、地味なりに良くやれていたと思う。
あの時は、相手の先頭集団を制し、そのまま彼らの注目を集め続けた。
彼らの脳裏の選択肢から、俺と戦うこと以外を考えさせないようにしていた。
あれをもっと洗練させれば、更に全体を支配できるのかもしれない。
「いかんいかん、修行が足りん」
全体を支配、とは剣とも仙とも程遠い。
大事なのは必要な時必要な力を発揮すること。流れを断ち切る力技では、必ずいつか力尽きる。
「天も地も、誰の物でもない。それは堕ちた考えであり誤りだ。その先には腐敗だけがある」
もちろん、腐敗は腐敗で間違っているわけではないのだが、よどみは良くない物を生み出す。或いは良くない物に成り果ててしまう。
力で征そうとすると必ず無理が出るし、力を越えた物へ対処することができない。
己の力を越えた物を斬るには、やはり力による断ち切り以外の物が必要なのだ。
「師の教えを信じよう。スイボク師匠が教えてくれた過ちを、弟子の俺が繰り返すのはあまりにも忍びない」
剣極まりて仙に至り、仙の果てに剣へ帰る。
スイボク師匠の弟子であることと、お嬢様の護衛であること、レインの父でありブロワの夫であること。
それらはすべて矛盾しない。俺は仙人であり剣士であり、護衛であり男なのだ。
「天も地も己の一部、ならば何故態々操ろうなどと思うのか」
屋敷の外の庭で、普段通りに剣を振るう。
朝の空気を吸い込んで、己の呼気を出す。
そうして普段通りに修行を重ねていく。
うむ、今日も平常に平静である。
なんか後方から凄い視線を感じるが、黙っておくとしよう。
「万物流転、何もかもが移り変わりの中にあり、ささやかな変化と共にあり、自然はゆっくりと代謝をしていく……」
ヒータお兄さんに関しても同様だ。彼は別に政権をひっくり返そうとしているわけではないし、自分の務めを果たそうとしているだけだ。
彼への評価が、ライヤちゃんに引っ張られすぎである。これは一種の印象操作ではないだろうか。
彼女にその気がなかったとしても、生真面目な相手に対して悪い様に考えすぎである。
でも、シェットお姉さんは怖いな。こっちは身の危険を感じる。
「故に、剣も仙もとらわれず、常に何処へも行けるように……動き続けるのではなく、何時でもどこにでも動けるように」
凄い視線が、こっちに近づいてきている。
なんか、物凄い興奮状態というか、物凄い脳内麻薬が分泌されているというか、多分単純に寝不足だ。
俺の背後に近づいてくる女性の圧力は、明らかに徹夜明けのハイテンションに由来するだろう。
俺が妬ましくてここ最近眠りが浅く、更にガンギマリ状態になっていると思われる。
なんというか、自意識過剰ここに極まれり。
自分が話題の中心でないといけないとは、狭い世界で生き過ぎではないだろうか。
「……不老不死……永遠の若さ」
こういう時、心境が剣に現れない自分の修行の成果を確かめられる。
と、前向きに考えよう。
正直、早朝なのにとんでもなくホラーだが、我が剣筋に一切の乱れ無し。
凄いぞ俺、頑張ってるな俺、でも逃げたいぞ俺。
「ぴちぴちの肌……」
ブロワのお姉さん、なんか自分を自分で追い詰めすぎだと思う。
まあ仕方がないのだろう、お嬢様と違って、この人は今でも地方の貴族でしかないのだ。
世界の中心が自分である、といっても彼女の世界はとても狭い。この国全体という星の単位から見て狭い範囲ですらなく、国全体から見ても狭い一地方が彼女の世界なのだ。そして、その狭い世界をさらに狭めて窮屈にさせているのは、彼女の自尊心の高さだろう。
なんというか、母親でも妻でもなく、何時までたっても女であり続けている。
もちろん女性としての尊厳をとても大事にしているとはいえるが、そればっかり考えているのは如何なものか。
「なんで、私は……私以外が、それを……!」
前向きに考えよう、背中に接近しているブロワのお姉さん、シェット・ウィンさんに背後から狙われている状況を修行に活かせないか考えるべきだ。
今の俺は精神的な圧迫を受けている一方で、きちんと周囲の状況を把握する視野の広さも維持している。
こんな異常事態でも修行ができていること、俺の修行がちゃんと実を結んでいることを喜ぼう。
その上で、ここからさらに飛躍をするにはどうすればいいだろうか。
「私は、こんなに、若く、美しくありたいと思っているのに……!」
俺への嫉妬を憎悪に変えつつあるこの奥さんを、平静にするのはどうするべきだろうか。
さっきも考えたが、それこそ相手の心をある程度誘導する技が求められるところである。
必要な時に必要な技術が身についていない、正に修行不足だった。
こういう時、師匠ならどうするだろうか、あるいはトオンならどうするだろうか。
「剣士にできることなど、誰かを傷つけることばかり。この状況を切り抜ける技は……」
不味い、奥さんが接近しすぎている。
このまま素振りをしていたら、それこそ傷つけてしまう!
というか、無視も限界だ。素振りを打ち切って、対話を試みよう。
「おはようございます、シェット義理姉さん。今日はやや雲がありますがいいお天気ですね」
「……五百年生きている仙人、私も……!」
「おっと! 早朝ですからまだお眠いようですね!」
会話を打ち切って、俺はブロワのお姉さんの頭へ発勁を打ち込み、失神させて寝かせた。
「大丈夫ですか? 今お屋敷にお戻しいたします!」
幸い、周囲は俺にもこの奥さんにも気づいていない。
その隙を狙って、俺は誰かに向けて言い訳しながら軽身功で彼女を浮かばせて運ぶ。
手は出したが手は付けていない。 そもそも性欲がまだないしな!
俺は大慌てを装いながら屋敷へ入っていった。
※
「とまあ、そんなことがあってな」
「病気なんじゃないの?」
説明をしたところ、レインから端的な回答が帰ってきた。
確かに病気である。そうでなくても、病的でありその内入院が必要そうだった。
「シェットお姉さまがそんなことに……」
「別にお前が悪いわけじゃないぞ。ただまあ……病状は悪いな」
与えられた部屋の中で、俺とブロワとレインは作戦会議をしていた。
というか、ただの愚痴である。なにせ俺は同じ建物の中にいるお姉さんが何をしても、何時でも感知できる。
加えて、この屋敷に長期滞在することもない。なので当座をしのげば問題ないのだ。
しかしそれは、俺達の場合である。残されたお姉さんはどうなるかわからない。
「なんとかお姉さまの心を軽くして差し上げたいが……無理か」
「そうだな、言いたくはないがそんな珍しい悩みでもないし、解決した試しも無いだろう」
「それはお前が言うな、お前だけは言うな。お前は老いは克服しているだろう」
「克服しているって……別に俺は老いを乗り越えたかったわけじゃないんだが……」
克服している、というと俺が老いを恐れていたようじゃないか。
別に俺は老いを恐れたことはないぞ。なにせ成長期が終わり切る前に老いなくなったからな。
とはいえ、不老長寿になった男が「いくつになってもお美しいですよ」とか言っても完全に火に油だしな。
多分学園長先生辺りをひっぱって来ないと、その辺りの説得力は出せない。
「……そういえば、本当に今更なんだが……お前の師匠であるスイボクを見る限り、本当に若返りの技はないのか?」
「どういうことだ?」
「お前の師匠、いくら何でも体が小さすぎるだろう。今のお前ぐらいの技量があれば話は別だが、昔はさほどでもなかったんだろう?」
それは……言われてみれば考えたことがなかったな。
仙人とはそういうもので、師匠とはそういう男だと思っていたので、その辺りは深く疑ったことがなかった。
「いや、でもその理屈だと師匠が体を若返らせていることにならないか? 師匠がそんなことをするとは思えないんだが……」
「それはそうだが、剣を振るとしても体格的に無理があるだろう。いくら何でも手足が短すぎる、若返る技とは言わないが、体を調整する技自体はあるんじゃないか?」
「あったとしても、他人に使えないと意味ないだろう。それに、俺が使えないことに変わりはない」
その辺りの事は、正直師匠かエッケザックスに確認しないと分からないし、そもそも分かったからと言ってなんの解決にもならない。
「それに、仮に他人を若返らせる技があったとしても、解決にならない。仙気を宿していない人間が不老になれるとは思えないし、仙人の思考を持っていない者が不老長寿を得ても耐えられないだろう」
「確かに、異常という意味ではお前が一番おかしいんだな……五百年間素振りって……」
もちろん、仙気を宿しているというだけの人間が、修行した位で不老長寿を得るのはかなりおかしいとは思う。
しかし、元常人として思うのだ、不老長寿になって何をするのかと。
そりゃあ芸術家とか数学者とかなら寿命なんていくらあっても足りないだろうし、剣などの求道者でも同じだ。
でも、現状維持したいとか全盛期の若さを保ちたいと思っているだけの人間が、永遠の時間なんて得ても腐るだけである。
「逆だ、五百年間素振りをしていたから耐えられたんだ。これで何もせずに惰眠を貪っていたら、多分最初の十年で自殺してるぞ」
正直、永遠の若さなんて解決しない方がいい問題である。
ライヤちゃんもなんとなく察していたが、一度若返る方法を得ようものなら、それをずっと貪り続けてしまうだろう。
そういう意味でも、あんまり前向きではないのだ。
「なんであんなに怖い顔するんだろう……あんなにキレイなのに」
レインの言葉も、きっと嫌味に聞こえるはずだ。
お嬢様もおっしゃっていたが、ぶっちゃけ花の旬は短いのである。
あのお姉さんは、今でも美しいが衰え続けているのだ。
それに過敏な反応をしているのである。
「ヒータお兄さんはまだまだこれからが旬だが、シェットお姉さんはもう旬が過ぎたんだ。というか、仙人的には求愛の段階から子育ての段階に入ったんだから、容姿に気を使いすぎだと思うのだが……」
「それをお姉さまの前で絶対に言うなよ?! 本当にどうなるか……」
「うん、パパとっても酷いと思う。よくわからないけど」
そうだな、自分でもかなりアウトな気はしている。
「ただまあ、彼女は大分参っているぞ。その内本当に死ぬかもしれん」
「……それは見ればわかるが」
「少なくとも、適度に眠るだけでも大分体調は改善されて、肌なんかも良くなると思う」
俺がきっかけで、くすぶっていた恐怖や嫉妬に火が付いたのだろう。
そういう意味では、俺が悪いとは思う。しかし、だからと言ってどうしようもない。
「若返りの薬と言って睡眠薬を飲ませてみるか?」
「それでどれぐらい解決する?」
「少しマシになるぐらい」
「じゃあ意味がないな……」
放置したら睡眠不足とかで神経が参って自殺するとかしかねなくなってきた。
おかしいなあ、俺はただ休日を家族で楽しむつもりだったのに。
なんでお嬢様よりもヤバイ人と付き合わねばならなくなったのだろうか。