転移
「いやあ、すまんすまん。実は君を間違えて殺してしまってな」
まさか、人生で実際にこんなことになるとは、流石に俺も驚きを隠せない。
普通の高校生だった俺が、スマホを片手に歩いていたら、そのまま目の前が真っ暗になって、気が付いたらふわふわとした雲の上に立っていて、その上目の前に白髪で白鬚の爺さんがいらっしゃったんだから。
「ええっと……その」
「うむ、白黒、山水君じゃな」
「そうですけど」
「君の名前が古風すぎて、間違えて寿命のロウソクを吹き消してしまったんじゃよ」
寿命のロウソク?! そんな日本昔話みたいなもんが実在したのか?!
ある意味、これから行われるであろう神様転生よりもびっくりである。
まさか、人間の寿命がロウソクによってきめられていたとは……というか神様が吹き消すとは。
「っていうか、確かに俺の名前古風ですけど、だからって殺すことないじゃないですか」
「だから悪いと思っておるのじゃ、君の人生を滅茶苦茶にしてしまってのう」
「なんか……軽いっすね」
「別に君の人生だけが滅茶苦茶になっただけじゃし。君を助けるのも、儂の善意じゃしな」
なんという上から目線! 完全に自分の過失なのに、悪いと思ってるだけなんて!
罪の意識とか恥の意識とか、無いのかこの爺様は!
「とはいえ……君をあの世界のあの時代に戻すことはできん。今の君は、既に検死も葬式も火葬も済んでおるし、君の家族も全員天寿を全うして居る」
「思った以上に時間の経過が激しい?!」
「ミスに気付いたのが結構後でな。やべって言ってしまったわ。いやあ、何億年ぶりかのう……」
「そんな……そんなに時間が」
「浦島太郎になった気分か? SFとかでよく見るアレ」
「いや、神様。アンタが聴くことじゃねえだろ。少しはこっちに気を使え!」
「まあそういうでない。こっちも申し訳ないとは思っておる。そこでだ、儂のサポートを加えた上で、新しい世界に送ってやろうではないか」
なんか、お約束すぎる展開になってきた。しかし、さっぱり現実感がわかない。
俺は神様のミスでとっくの昔に死んでいて、俺の家族も死んでいる。
つまり、俺は主観的には未来へタイムスリップしたようなものだ。
この状況で異世界転生とか異世界転移させられても……。
「とはいえ、赤ん坊からやり直すとかは無しじゃ。向こうの御両親の意思を無視しておるしな」
「微妙に人道的なことを……」
「しかし想像してみい、せっかくお腹を痛めて産んだ子が、実は中身は思春期の小僧っ子で、そんなのに乳をやっていた両親の気持ちを」
「お腹を痛めて産んだ子を殺しておいて、それはねえだろう」
「誰でもお腹を痛めて産んだ子じゃしなあ」
なんだろうか、この釈然としない会話は。
とにかくどうやら、俺は赤ん坊からやり直すということは無いらしい。
「とはいえ、異世界で生きるにしても、このまま放り出してはそのまま死ぬしのう」
「あ、やっぱりなんか力をくれたりするのか?!」
「然り然り。なにかこう、希望とかは?」
「じゃあ、最強になって俺ツエーしたい!」
「自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
「うるせえ!」
ひどく常識的なことを言われる。確かに俺だってそう思う。
しかし考えても見て欲しい、態々異世界に転移するのに、あえてリスクの高い人生を選ぶ必要があるだろうか。
正直に言って、自分が選べるのなら条件はそれでいいに決まっている。
なんで死ぬかもしれないことに身を投じなければならないのか。
「リスクは避けたいが栄光は欲しい……歪んどるのう」
「名前が古風だからって、間違えて殺した奴に言われたくねえ」
「ま、良かろう。その辺りはどうにかするとして……」
何やら、手紙をしたため始めた。
どこからともなく毛筆を取り出して、墨汁もないのに白い紙に記入し、軽く封をして俺に渡してきた。
まさか、俺にこれを読めというわけではあるまい。
「これを、これから送るところにいる男に渡すが良い。お主を弟子にするように書いておいた」
「……え」
「まあ要するにじゃ、お主が最強と呼ばれて差し支えないと言い切れるまで鍛えるように書いてある」
「努力すんの?!」
こう、不思議な力で俺に素敵な力をくれたりすんのかと思ってた。
だがちがう、完全に努力して強くなれというパターンだ!
ぶっちゃけ、客観視するに最初からチートな奴と変わらないけど、当人たちには著しい違いのあるパターンだ!
「何を言う、強くなりたいなら修行するのは当たり前じゃろうが」
「俺に悪いと思ってたんじゃなかったのか?!」
「だからこうして紹介文を書いておる、正に神様のお墨付きじゃな。感謝せえよ、奴はそうそう弟子など取らんからな」
「お前は一筆書いただけじゃん!」
「ええい、では最強になるまで修行してくるがいい」
「ふざけんな~~~!」
※
「何やら不穏な気配がすると思ったら……異界からの客か」
目の前には、何やら小生意気そうな子供が立っていた。
周囲を見ると、そこはまさに深い森の中。人の手の入っていない原生林が、俺を取り囲んでいた。
小学生ぐらいの子供の言うように、高校の制服を着ている俺は明らかに浮いていた。
どこからどう見ても、異物感のある男である。
「しかし運がない、この辺りは人里から離れておるぞ。道案内ならばするが、しばし時間がかかる故に覚悟しておけ。そうさな、お主の足なら……一週間はかかる」
「いや、あの、その……」
もしかして、目の前の子供が神様の言っていた俺の師匠役なのだろうか。
粗末な着流しに、腰には木刀。やたら年寄臭い喋り方。
それはどこからどう見ても、『只者』ではない感じがする。
そもそも、人里まで一週間かかる場所に、子供が一人で住んでいるわけないし。
正直、目の前の子供がそんなに強そうには見えないのだが、それでも他には考えられないわけで。
「あ、あのですね……これを……」
「ぬ、紹介状だと? ふむ……ふむふむ」
俺が渡した手紙、というか書状と言った方が適切な和風の手紙。
それを読み始めて、彼は何とも言えない顔をしていた。多分、俺と同じくあの神様が嫌いと見える。
「……はあ」
でっかいため息をつかれた。
どう考えても、子供のため息ではない。
「まあよかろう、弟子にしてやる」
「あ、はい」
「とはいえ、儂の稽古は厳しいぞ。覚悟することだな」
そう言って、着流しの子供は生い茂る森の、その背の低い雑草の葉の上に立って歩き始めた。
まるでなんかの拳法の達人の様である。なんか呪文を唱えたふうでもないし、どういう原理なのだろうか。
「ああ、そういえばお主、名前は?」
「白黒、山水です」
「ほう、良き名前だな。儂の名はスイボク、スイボク流の仙人である」
仙人、という言葉を聞いて、俺は腑に落ちていた。
確かに年恰好こそ子供だが、服装から判断するに仙人っぽい世捨て人感がある。
仙人と言うのなら、確かに見た目が若いことも理解できるし。
「仙人ですか……」
「うむ、お主の想像する仙人で概ね間違いはない。仙術を操り、深山にこもり、修行に明け暮れる不老長寿の超人よ」
得意げに説明して、俺を先導していく。
こっちは完全に学生服で運動靴なのだが、それでも後れをとっていた。
向こうは雑草を踏み荒らすこともなく立っているのに、こっちは慣れない山道をかき分けている。そりゃあしんどい。
「とはいえ、儂の弟子になるのだからお主にも仙人になってもらうがのう」
「俺が仙人になれるんですか?!」
「無論だ、儂の指導についてこれればの」
なんというか、心強い言葉だった。
そうか、この人の下で修業すれば不老長寿の仙人になれるのか!
それは凄いぞ、もしかしたら最強よりも凄いんじゃないか?!
「そうか……!」
「まずは儂の家に案内する故、そこまで付いて来い。修行は明日からじゃ」
「はい、師匠!」
「うむ、その意気が長く続けばいいがのう」
けらけらと笑うお師匠様。
そう、俺の最強を目指す日々が始まろうとしていたのだ!
※
その日の夕方、俺は庵と言う感じの質素な小屋の、その床で寝ることになった。
固いわ寒いわで豪華とは言い難かったのだが、仙人の弟子になるのだからと思って呑み込んだのだが……。
翌朝、朝日が昇る頃に起こされた俺は、一本の木刀を渡された。
それこそ、どこにでもある大きさの、どこにでもあるであろう重さの、一本の木刀だった。
「修行は単純、お主はこれから朝日が昇るたびに剣を振り、日が沈むまでそれを繰り返し、日の出とともに起き、日の入りまで繰り返し……を、儂が良いというまでやる」
「……その、お伺いしたいのですが……」
「なんじゃ?」
「いい、と言う基準は?」
「儂の見立てで、最強に至ると判断するまでじゃ」
「それって、どれぐらい時間がかかりますか?」
「そうさな……お主に一切才能がなかったとして……それでも五百年もあれば強くなれるであろう!」
俺は、人生における重要な選択肢を決定的なほど間違えたのだと、この時理解していた。
逃げ出したいと思ったところで、それこそ視界の限りが自然だらけ。逃げ場などどこにもなく。
目の前の御仁がまったくの善意で俺を鍛えようとしている上に、修行の内容も普通すぎて……。
しかし、この時点の俺に五百年間も素振りするほどの覚悟などあるわけもなく……。
「最強、と言う言葉に至るまでにはそれほどの時間が必要ということよ。かくいう儂も、千年修行に勤しんで居るが未だに終わりが見えぬ。修行に終わりはないぞ!」
違うんです、俺はそこまで本格的な最強になりたいわけじゃないんです!
こう、女の子とかにデカい顔をしたいだけで、粋がってる奴らをボコボコにしたいだけなんで、最強になることが目的じゃないんです!
人生を楽しく過ごすために最強になりたいんであって、最強になるために人生を奉げるつもりはないんです!
「ではまず一振り目といくか! 儂にとっても呆れるほど繰り返してきた素振りであり、お主にとってもこれから呆れるほど繰り返すことであるが……重要なことは一つよ、己を剣に奉げる覚悟! それを忘れなければ、いずれは至る! 剣の道とは、武芸の道とはそういうものよ!」
俺は余りにも仙人らしい発言に、ぐうの音も出なかった。
俺はさっき会った神様に神様らしさを毛ほども感じられなかったのだが、目の前の仙人らしい仙人に対して、もうちょっと手心を加えて欲しいのであった。
あの、ちょっとは不真面目なところのある仙人でもいいんですよ?
こうして、俺の五百年にわたる修行が始まったのである。