82 剣と攻防
何かに導かれるように床に落ちていた杖の破片を拾い上げた。
元はもっと長い杖だったのだろう、柄の部分は炭化している。飾りの部分はまだ意匠を読み取れる。刻まれているのは鱗だ。赤銅色の蛇が、杖の先端に巻き付いていた。
僕は彼女の杖を見たことがある。彼女のものは白い杖だった。小さくて、バトンのように上下が無く先端が十字になっている杖だ。
「ツバキ、来い!」
天藍が呆然と立ちすくんでいた僕の腕を掴み、引き寄せる。
引き寄せるっていうか、抱き竦められるに近い。僕を胸の下に抱きかかえ、姿勢を低く保つ。
予兆を感じとった灰色の瞳が一粒の宝石のように輝くのが間近に見え、全身の筋肉が戦いに向けて躍動するのを肌一枚隔てたところで感じる。
危険が迫ってる兆候だ。
そう気がついたときには、脆く崩れた足場と共に僕の体は落下していた。
何かを掴もうとした手が宙を掻く。不思議の国のアリスよろしく落ちて行く。
無数の瓦礫と一緒に!
「――――うっ!」
衝撃に目を閉じ、呻いて目を開けると僕の体の上に覆いかぶさっていた。天藍と……大量の瓦礫、崩れてきた家具が。どうして、いきなり床が抜けたのか理解不能だ。身に覚えもない。
天藍が手足の力だけで、瓦礫の重量を支えている。
そうしていてくれていなければ、僕は今頃ぺちゃんこだった。
「天藍!」
「うるさい、黙れ」
いつもの憎まれ口に無表情、でも今は少し苦しそうな顔だ。
魔術を使うタイミングが無かったから、強化された肉体一つで支えてるんだ。
……仕方がない。元気づけてあげなよ、ツバキくん。そう悪魔が耳元で囁いた。
「天藍……間近でみると、意外と睫、長いんだな」
そう言って目を逸らし、恥ずかしそうに頬を赤く染める。僕は演技派なのだ。
天藍アオイの表情が、微妙に変化する。
微妙過ぎるけれど、全身で嫌悪感を表現していた。
「このままだと心中コースだけど……どうする? キスでもしとく?」
「三の竜鱗、《竜躰変化》!」
瓦礫に押しつぶされつつあった状況が好転する。天藍の背中が盛り上がる。
巨大な翼が、瓦礫を吹き飛ばす。一度宙に浮き、落下してきた瓦礫を蹴り飛ばし、叩き割って、僕たちは生還を果たした。
「やればできるじゃないか」
天藍はというと……。
生還を果たした後、てっきり攻撃がくると思ったんだけど、微妙に距離を置かれてる。
「そ……そういう趣味があるのか……?」
「ないない。冗談だよ」
真剣な反応が返ってきて、むしろこちらが困る。
こいつ、きれいな顔してるから、何かトラウマでもあるのかな。
さて、最下層までは落ちていないが、二階くらいにはいるだろう。
見上げると、抜けた天井から紅色の空が見える。散らばってる瓦礫が、その間の壁や床や天井、家具なんだとすると……量が少ない気がした。
そして。
ぎぎぎっ。
舞い上がる埃に咽せている暇すらない。
頭上には無数の飛竜が飛び交っていた。
「出るぞ!」
天藍が飛び上るが、その体が揺らいだ。
「……!?」
一メートルも上がらずに羽ごと落下する。
羽をもがれた小鳥のようだった。
本人も驚愕を隠せてない。何が起きたのかわからないって顔だ。
「オルドル、目を貸せ!」
――天藍の足下に傾いた天秤の魔法陣、そこから伸びた鎖が全身に巻き付いている。
水晶の鎖が。その鎖の行き着く先は、瓦礫の下に埋もれた金庫だ。
罠だ。
天秤は金庫の中身とつり合いを取り、手に取った瞬間傾く。
盗人をこの場所に繋ぎ止めるための魔術だった。
「オルドル、お前、罠は無いって言ったよな!?」
『罠は感じない、と言ったけど、無いとは言わなかったよ? 実に上手く隠蔽されていたからね!』
けたたましい笑声が頭蓋骨を内側から叩いた。
どうして、僕はオルドルの言うことを信じたんだ?
あいつは所詮、人なのか、魔物なのかもわからない人食い鹿だ。信用するべきではなかったんだ。
身動きの取れない天藍の体に、飛竜が食らいつく。
制服の体に赤い染みが浮かぶ。
そうこうしているうちに、僕のほうにも一羽が飛来してくる。
僕は身を守るので精いっぱいだ。瓦礫の上を走り、逃げるしかない。
『ねえ、どうしてあいつを助けようとするの? あいつは竜なのに』
「どうしてじゃないだろ! あいつが死ねば僕だって死ぬぞ!」
退路も進路も瓦礫で塞がれ、強硬脱出しか手段が無い。
それか、臓器のひとつでもオルドルに食わせるか、だ。
『もうやめようよ、ツバキ。自分を誤魔化すのは』
「僕に従え、オルドル! 意味のわからないことを言うな!」
天藍は味方だ。
純粋な味方じゃないかもしれないけれど、彼が今、僕の生命線であることは間違いない。立場はちがっても百合白さんを守りたいって気持ちは一致している。
それに、あいつがどんなに嫌なやつでも、憎みきれないやつであることを僕は知ってる。
『だから彼を助けるの? なんのために?』
「なんのためって――」
『すべてのことには理由があるし、利益のないことに人は代償を払ったりしない。無償の奉仕など言語によって成立する虚構に過ぎない。キミは大嘘つきだね、ツバキ。だってキミは――』
「うあああっ!」
オルドルの言葉に、僕の悲鳴が重なり、消える。
瓦礫に足をとられ、転んだ隙に背中に食いつかれた。
鋭い刃が皮膚を食い破り、引き裂き、千切っていく。
大丈夫、大丈夫だ。傷は今までより浅いし、恐怖はまだ遠い。必死に杖を手に取る。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
食いちぎられた僕の肉と血を媒介に、オルドルが魔法を紡ぐ。
飛翔しようとした飛竜の体が不意に膨張する。
体の中から銀枝に突き破られ、竜は四肢を引き裂かれた。
その体液をさらに媒介に使い、枝を成長させる。
他の竜を絡め取りながら僕たちを守る網を周囲に張り巡らせる。
でも、長くは保たない。
天藍の剣が必要だ。
どうして、あの剣は反応しない?
僕は彼の手の中の黄金の剣を睨んだ。
あの剣を見ていると、胸が騒ぐ。
青海文書と似て、それでいて違う何かがある。
あるはずなのに。
「どうして、反応しない……?」
剣が必要なんだ。
僕は、百合白さんを守りたい。
イブキの代わりに戦ってあげたい。
スラム街にいるだろうウファーリを助けに行く力がほしい。
なのに。
辛うじて残った窓の外に、巨大な竜の姿があった。
小さなビル程度の巨体。滑らかな銀の肌。天藍と同じだ。
ただひたすらに美しい、破壊と暴虐のために生まれた化け物だ。
ぎいーっ。
ぎいーっ。
飛竜たちが羽を震わせて、特殊な鳴声を上げる。
不意に竜の鱗が消え、かわりに建物の向こうに銀色の波が立ち上がった。
銀麗竜の眷属、その死の吐息。
死ぬ。このままだと、ここで死ぬ。
「頼む、応えろ《アンサラー》!」
どくん、と心臓が跳ねる。
燃えるように熱い。
自分の体の内側に炎によく似た、朱色の熱を感じた。




