80 魔剣、その名は
「にゃぜこの戒厳令下でうちの図書館に王姫殿下がいらっしゃるのですかにゃ!? しかもこのアリスが全然気づきませんでしたにゃにゃ!?」
アリスが目を白黒させている。
そして、ズバッ!と音が鳴りそうな勢いでこちらを振り向いた。
「まさか……先生、アリスに一服盛りましたかにゃ!?」
僕は明後日の方向を向き、彼女の非難する視線に耐えた。
悪いとは思ったが、イブキに睡眠薬を飲ませるとき実はアリスにも一服盛っていた。彼女がいると、どうしても黒曜に話が筒抜けになってしまう。
紅華の存在を知られてしまうのはまずい。
「今さら許しをこうとは都合のいい。望みは剣か?」
紅華は溜息まじりだった。
「そうだ。彼の忠誠を買ってくれないかな、魔法の剣で」
「偽りの忠誠には高すぎる代償だな。それに天藍、お前が姉君ではなくわたくしに仕えるということに折り合いをつけられるとはとても思えない」
折り合い、妥協、忠誠という言葉にしてはあまりにもドライ過ぎる言葉だ。
でも確かに、もし天藍が少しでも大人なら割り切れただろう。星条百合白を大切に思う気持ちをそっと心に秘めて、騎士団としてするべきことを果たしたに違いない。
でも、現実はちがう。
……そう考えた僕の視界の中で、信じ難い現象が起きた。
無言で紅華に歩み寄った天藍が、彼女の前に膝を着いたのだ。
「――王姫殿下、これまでの非礼を全て謝罪する。私事のために騎士団を占有し、民を混乱させるに至ったのは全て俺の……俺だけの罪だ」
僕は口を開けたまま固まった。
「今さら、とわたくしは言ったはずです」
彼女の表情に一瞬で炎がつく。恐ろしい表情だ。
「罰は受ける。だがもし許されるのなら騎士団の仲間たちが咎めを受けぬよう慈悲を乞いたい。そしてどうか彼らが今一度、民の守護者たる使命を全うすることを許してくれないか」
まるで、すべてがハッピーエンドでおしまいになる、生ぬるい童話のようだ。
あれほど頑なだった騎士が紅華に自分の非を認めた。
おまけに仲間のことを気遣うような発言をした。
自己中心的で、クラスメイトでさえ蔑ろにすることで定評のあった天藍アオイが、だ。
紅華の答えはにべもない。拒否だ。
「君は何もわかっていない……騎士団が戻って来さえすれば全てが正常に戻るという段階では既にありません。今回の事態は軍が収束させます。できなければ翡翠宮もろとも滅ぶだけです」
天から槍が振ったとしても、今の彼女は動じなさそうだ。
そして、僕には若干不自然な拒絶に見えた。
確かに星条百合白への気持ちを断ち切れない限り、天藍が紅華に捧げるのは偽物の忠誠だ。だが騎士団が紅華のところに戻れば、これまでどっちつかずだった民の人気だって、多少は紅華へと向くようになる。それは悪いことではない。
いったい、何故なんだろう。
忠誠の中身が本物か偽物かなど、気にするようなタイプには見えないけど。
「どうしても、聞き入れられないのか?」
僕が口を挟むと、紅華は燃えるように赤いのに冷たい瞳で「ダメだ」と言い捨てた。
意図は不明だが、でもまあ、これで予定通りに戻ったと言える。
「わかった。……なら、僕ならどうかな? 僕に魔剣を一振りくれよ」
天藍がはっとした顔で、こちらを振り返る。
「貴様……何を考えている?」
「紅華の騎士になるって言ったのさ。そんなにおかしなことかな? 実力は見せた筈だよ。竜を殺せるのは竜鱗騎士だけではないってことをね」
僕たちのやり取りに、紅華は怪訝そうに眉を潜める。
両頬を軽く叩いて気合いを入れた。それから、今まで読み漁った適当な小説のあらすじをあっちこっちくっつけて、うん、これだ――。喋り出す。
「単純だよ。僕も人気者になりたいと思ってさ。こっちに来てから大変な目に遭ってばかりだし、どうせだから権力とか、お金とか、地位とか……そういうのを手に入れたいと思ったんだ。正統な報酬としてね」
言いながら、僕は溜息を吐きたくなった。
こういう欲望は僕はあまり持ち合わせがない。
僕はどっちかというと、転生した先でも可能な限りダラダラと生きていたいタイプの異世界転生者……いや、転移者なのだ。黒曜とはちがって。
「そのために今みんなを脅かしてる竜の脅威から国民を守って不動の人気を得つつ、新しく創設される騎士団の団長になるっていうのはかなり魅力的なんだよね。僕の成り上がりのためには。きっと、竜鱗学科からも一目置かれる存在になれると思うよ」
僕は階段から降り、天藍の隣、紅華の前に片膝をついた。
まったく、茶番だった。
「黒曜と手を組みながら、わたくしの騎士になると?」
「それはそれ、これはこれだ」
紅華は僕を見下ろしている。
大きな硝子のような瞳は俯くと紫の影になる。
彼女の心の炎の勢いが衰えて、一瞬、そこに、目の前に、ただの女の子がいるような気がする。華奢で、折れそうで、傷だらけで。少し痩せたかもしれないな。
でもそれはただの見間違いで、彼女は僕を睨んでいるだけだった。
それでも彼女に伝えたかった。
金なんてほしくない。
名誉も地位も何もいらない。
ただリブラの仇をとりたいだけだと。
そのかわりに邪悪に笑ってみせた。
「それとも、アレをバラされてもいいの?」
「……アレ?」
桜色のちいさな貝みたいな爪が五枚ずつくっついた指が、小さくびくりと震える。
その表情に苦い感情が走り、紅の瞳が輝きを取り戻す。
気がついてくれたかな。
「君は困るはずだよ。翡翠女王国の今後に大きく関わることだからね。僕だけが知っている……」
「あなた、まさか……!」
気がついた。やっぱり頭がいい。
「そう、そのまさかさ」
しーっ、と、アリスにわからないように合図する。
「……わたくしを脅すというのか?」
彼女は台詞を言いながら、考える仕種をしている。
気づいている。僕の演技に。
「そうだね、そう取ってもらって構わないよ。あれをバラされたら、破滅するのは君だけじゃない。翡翠女王国全体を揺るがす大問題になるはずさ」
「……忠告はしておくぞ、その道を選べば、君は逃げられない」
「逃げるつもりはない」
彼女の紅色の瞳を見上げながら、言う。
「……いいでしょう」
彼女は鈴を手に取った。
「《響け》!」
りん、と甲高い音が鳴る。
「天律の調べよ、紡げ扉の歌、導き給え宝の元へ」
もう一度。
次は、紅華を中心に、何かが《開く》のを感じる。
あの裁判所地下の《扉》のようなもの。
「剣は君が選べ」
紅華が僕の腕をぎゅっと握った。
「え?」
そのまま、ぐいっと引っ張られる。
僕の手は何ら抵抗の余地なく軽く持ち上げられ、引き込まれる。
紅華の体、上半身の方へ。
そのまま、ふわり、とした感触が掌に広がる。
これは、彼女の着ているアリスのセーターの感触だ。
「んっ」
小さく声を上げ、赤く染まる紅華の頬。
警察沙汰、という四字熟語が頭に浮かぶ。
「そ……それはまずくない!?」
だがすべてが勘違いだと、すぐに気づかされた。
僕の手は、彼女の乳房の間にまっすぐ入った縦の亀裂に滑りこむ。
亀裂はしだいに広がり、肉や内臓ではなく虹色の無限の空間の断面が覗いていた。
その亀裂の向こうには、広大な空間が広がっているのがわかった。
彼女の天律が鍵で、紅華自身の肉体が扉になってるんだ。
確かに……これは絶対に誰も中のものを盗み取ることのできない、女王だけの魔法の宝物庫だ。
「求めるものを告げよ」
と、苦し気な表情で紅華は言った。
口調だけは僕を試すみたいに。
『ボクたちの求めるモノは、ボクたちの心に共鳴してくれる理解者だけさ』
なんでオルドルがでてくるんだよ。
でも、一理ある。
僕が心から欲するのは、僕の憎悪に、怒りに、復讐心に応えてくれる、そんな剣だ。
そのとき、指先に触れる硬いものの感触があった。
~~~~
図書室の扉が叩かれ、開くとそこには黒服の不気味な男がふたり立っていた。
黒曜大宰相の私兵たちだ。
「王姫殿下、お迎えに上がりました」
彼らはそれだけ言うと、玄関口でじっと立っている。
僕も、これ以上、紅華を引き留めようとは思わない。
彼女は紅色の瞳でじっとこちらを見つめた。
「本当にいいのだな?」
何がいいのか、僕だけにわかる。
元の世界に戻って、この状況を全部投げ出して、そうしなくていいのかって。
いいんだ、と心の中だけで答える。
僕は逃げない。
もう引き返さない。
「期待して待っててよ。竜は僕が倒す。そして、英雄の誕生だ」
あくまでも演技に徹して彼女が護送車に乗せられるのを見送り、僕はやっと溜息を吐いた。
慣れないキャラクターを演じきって、疲れてしまった。
「先生……どういうことですにゃ。先生は悪人だったのですかにゃ?」
アリスは明らかに狼狽えた表情だった。
「アレとはなんだ、アレとは」
天藍はあいかわらず不機嫌だった。
「……僕の故郷では大流行してるオレオレ詐欺というのがあって――顔は見せずに、相手の身内を詐称するっていう詐欺なんだけど」
別名、振り込め詐欺。
報道でさんざん注意喚起を行っているというのに、いまだに被害が出続けているメジャー級の犯罪だ。
「まさか、まるで中身のない脅しだというのか?」
天藍は呆れている。
「その通りだよ」
実は、どこを探しても、アレなんてないのだ。
僕はこの国の存続を左右する情報なんて持ち合わせがない。
ただ僕は紅華を脅していて、彼女がこの国と引き換えに剣を渡したという体裁を作り出しただけだ。
「クヨウのときといい、詭弁が過ぎる。貴様、自分が何をしたかわかっているか?」
わかっているさ。僕は王姫を脅したんだ。ようやく市警から追われなくても済むようになったというのに、これで大罪人に逆戻りだ。
こんなの、異世界人でなければやろうとも思わなかっただろう。
「いったいなんのための茶番だ?」
もちろん、理由なくこんなことをしたわけじゃない。
「大したことじゃないけど……君が、前に言っただろう。あいつは――」
アリスの手前で、その名前は出せそうにない。黒曜大宰相のことだ。
「私兵を動かさず、大尉を見殺しにしたと――でも、それって別の見方ができるんじゃないかなって。ついでに、君の申し出を紅華が断ったのは、不自然だとは思わないか?」
「それは……」
天藍も考え込む。
面と向かって話した感じだと、黒曜が頭がよくて抜け目がない男だというのは確かだ。
でも、それじゃ、式典のときのミスの説明がつかない。
おまけに紅華は僕に許しをこい、そして涙を流した。彼女の真意を封じている誰かに、こちらの意図を掴ませるのは得策じゃないはずだ。
それが誰にしろ、僕たちは竜を倒しに行くと思わせておくほうがいい。
「とにかく、目的の武器は手に入れた」
適当に切り上げて、紅華から下賜された魔剣を差し出す。
天藍は剣を手にして、目を細めた。
柄は黄金、銀の鞘には太陽の紋章が彫り込まれ、抜くとうっすらと輝きを放つ白刃が閃く。
切れ味はよさそうだが、両刃の刃には、金色の不思議な縁取りがあった。
モノとしては、僕の知識だと十字剣といったカタチに近い。
柄が広くて、騎士らしい剣だ。
鞘から抜き放ち、手の中でくるりと回す。
「……派手すぎる。本当に竜を相手にできるのか?」
天藍の薄く剥いだ宝石のような爪が刃を軽く叩いた。
「仕方ない。宝物庫にある魔剣の類はとっくの昔に形を失っていて、取り出したヤツの魔力に影響されるって話だから」
紅華に教えられた事柄をそのまま返した。
何だかがっかりだ。中学二年生のあの日、受験勉強もそこそこに世界の魔剣・聖剣ガイドブックを読みふけったのは、今日この日、伝承でしか見たことがないものを手にするためではなかったらしい。
「名は?」
「うーん、それは長くなるから……あとでのお楽しみってことで」
僕は肩を竦めた。
天藍はしげしげと刃を見つめていた。




