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78 遠い終着

 彼女は夜の空を飛ぶのは嫌いではなかった。

 まるで海の底を泳ぐようで気分がいい。

 だがそれが紅天の空では、たとえ夜でも血と錆の中にいるようで不快だった。

 彼女は遥か頭上に白い鳥が停まっているのを容易くみつける。

 それは、空中で、ぴたりと制止している竜鱗騎士の姿だった。竜鱗魔術という巨大な力とは相反する精密な制御。剣だけではなく魔術にも優れた才覚を有する証拠だ。

 彼女はフワフワと飛んで高度を上げていく。

 足元では陸軍が展開し、大規模な魔術を行使している。

 竜は吹き飛ぶが、そのかわりに街にも甚大な被害が出る無粋な魔術だった。

 彼らが使うのは個人の才能に拠らない単なる技術としての魔術だが、《ほどよく》というのがなかなか難しい。

 天藍アオイは、街の一部が無残な瓦礫と化す光景を無感動に見下ろしていた。


「団長ぅ~~~」


 明け方の空を妖精が舞っているように見えただろう。もちろん妖精ではない。

 彼女は姿は二十代前半の女性であり、背中に生やしている蝶のような薄い翅は竜鱗魔術によってつくられたかりそめの翼だった。

「う~さっぶ! 空の上さっぶ!!」

 隣に並び、むき出しの両腕を必死に擦りなけなしの摩擦熱で暖をとる。

 彼女はあまりにも露出が高すぎる服を身に着けていた。面積ギリギリのスカートからブーツにかけて白い肢が惜しみなくさらけ出されている。

 その両腿には、濃紺の竜鱗が三枚ずつ配置されていた。

 天藍アオイは眉をひそめる。

「防寒着を着用したらどうだ、ノーマン副団長」

「それって支給された正式のやつってことかな? あのへんてこな真緑の!? 冗談きついな~!」

「そうか……今の状態と大して変わりはないように見えるが」

「それより団長、これからどうするのかな? いちおう報告ですけど、陸軍はこちらからの連絡をことごとくガン無視して来てやがりますからね。なかよく作戦行動しようって気はカケラも無さそうですよ~?」

 朝日が昇り始める時間帯だ。

 空は青くはならないが、薄紅色に変わってく。

「……連中の胸中も複雑でしょうねぇ。頑なにこっちの助力を拒み、実力を見せつけることで何を言わんとするかは誰にだってわかるってもんだ。これじゃまるであたしらへの《当てつけ》ですよね」

「そうだな」

 おや。意外とあっさりと肯定の言葉が返って来た。

 違和感を抱きながら、彼女は一方的な会話を続ける。

「ま、あたしも紅華殿下より優し~い百合白殿下のほうが好きですし? 黒曜のクソ大宰相に頭ペコペコ下げる気にはまったくなれませんし? でもですね、あたしらの存在意義はやっぱり……ですよ」

 ノーマンの口調が急に真面目なものに変わる。

「先の大戦の二の舞は誰だって踏みたくない。もう、あたしだけの説得じゃ、騎士団のほかの面子を押さえきれない……」

 暗闇に沈んでいた天藍の表情が浮かびあがる。

 彼は苦痛に満ちた表情をしていた。

 眉をしかめ、拳を握りしめて。

「前騎士団の参謀、マスター・カガチの腹心にして戦友たる《結界のノーマン》でもか」

「……そうだ。もうだめだ」

 若すぎる団長だった。でも、彼は鋼のように強かった。そんなふうに見えた。

 でも、それは大きな勘違いだったのかもしれない。

 ノーマン副団長は、天藍アオイの肩をポンポンと軽くたたいた。

「ようやくお前の考えてることが分かった気がするよ。お前は誰よりも闘争を求めてて……でも姫殿下のために剣を封じたんだな。だけどやっぱり、私たちの剣は弱き者を守るためのものなのだよ」

「マスター・カガチも同じことを言っていた。俺の剣は守るべきもののない剣だと。守るべきものとは、何だ? 俺の守りたいものは……」

「難しく考えることはないさ、姫殿下はあんたに剣を振らせる女じゃなかったんだよ」

 女、という直接的すぎる響きに、まだ若い騎士団長は眉を潜める。

「深層の姫君の盾となることで騎士になる男もいれば、傲慢な女に足蹴にされて死地に立たされ無慈悲に戦えと命じられて本当の騎士になる男もいる。そういうもんなんだ」

「ノーマンの話は昔から脈絡が無くて理解不能だ」

「頭で理解したところで、運命が廻らなければ意味が無いのさ」

 天藍は溜息を吐いた。

「騎士団を任せる」

「おうとも。立ち止まっている暇はないぞ、若者よ。しかして、どこに行く」

 天藍はカフスに触れる。

「なんじゃこりゃ」

 ノーマンは送られてきたメッセージに視線を走らせ、首を傾げた。



     ~~~~~



 僕とアリス、そしてイブキは、避難所を去って市民図書館へと戻って来ていた。


 どんなに変装させても避難所では他人の目があり、イブキのことを隠しきれない。

 夜が明けても状況は良くならず、劇的に悪くもなっていないが、そもそも往来を飛竜が飛び回ってる状態が最悪といえた。

 市民はシェルターに立てこもっているけれど、避難が長引けば食料の備蓄が底をつく。

 そうなるまえにマスター・カガチが戦うのだろうか。

 彼の魔法はちらっと見ただけでしかないが、あの調子で《息吹》や《竜騎装》を使えば、飛竜の殲滅くらい訳ないと思うが……。

 ただ、そこには、大きくてとても小さい問題がひとつ横たわっていた。

 そのことについて考えているうちに少し眠りにつき、コンコン、と窓を打つ音で目覚めた。

 竜じゃない。

 カーテンを避けると、窓に白い天使……ではなく、むかつく竜鱗騎士、天藍アオイがいた。

「この建物は、いったいどうなってる?」

「むしろ僕が知りたいよ、そんなの……青海文書の力らしいけど」

「出鱈目だな」

 ガラス戸を開けると、するりと入ってくる。締めると、すかさず飛竜が頭から突っ込んで来た。……が、びくともしなかった。

 本当に出鱈目だ。

「で、このふざけた呼び出しの理由はなんだ?」

 天藍は、僕が送信したメッセージを表示する。

 アリスに少しずつ教えてもらいながら送信したのは、《チチキトクスグカエレ》という史上もっとも無意味な語の羅列だった。

 天藍には父親はいないしな。

「なんて送ろうか迷ったんだよ。正直に送っても絶対来ないだろうから……というか、嘘をついても来なさそうだから、意味のない文字の羅列ならワンチャンあるかもしれないだろ」

「いやな予感しかしないが、いったいどういう意味だ……? 事と次第によっては」

 本当に抜きかねないな、という判断で、先に制止にかかっておく。

「悪い、静かにしてくれよ。イブキがやっと眠ったところでさ……」

 それまで大変だったのだ、と説明すると、天藍はようやく《副班長》の存在に思い当たったらしかった。だしに使ったのは間違いないが、大変だったのは本当だ。

「睡眠薬を飲んでやっと寝てくれたよ」

 それまでずっと、取り乱していた。

 僕のせいだ。

「マスター・カガチの伝言のことか」

 天藍は、すぐに可能性に行き当たった。流石だ。

 気が付いていたなら、どうしてはやく教えてくれなかったんだ、と他人に責任をなすりつける気力も湧かなかった。

 図書館に戻ってくる前。

 僕はオルドルの魔法におんぶに抱っこでアリスとイブキのいる避難所に向かった。

 そこで一波乱あったのだ。


《いついかなるときも、真の勇者であれ》


 カガチがイブキに託したのは、そんな短い言葉だった。

「そんな……カガチ先生が、自分に、そんなことを……?」

 カガチの伝言を聞き、すぐさまイブキは顔を青色に……いや、青を通り越して紫色をしていた。

 そばにいたアリスもひどく打ちのめされた表情をしているので、これはどうやら異常事態の類らしいとわかった。

「ごめん、状況がまったく理解できないんだ。助けてください」

 アリスは何も知らない僕の様子に常識を疑うような……たとえるなら食事をするのにフォークとナイフを使うってことも知らない人間を目の当たりにしたかのような、びっくりした表情を浮かべて、それからがっくりと肩を落とした。

「先生……竜鱗騎士の名誉の死について、ご存知でしょうかにゃ?」

「竜鱗騎士の……名誉の……死?」

「竜を殺すことですにゃ。それも……自分に移植された竜鱗の、竜を」

「殺しちゃうの?」

「竜鱗は、移植されると竜鱗騎士の体内に根をはりますにゃ。そのときから本体の竜と騎士の間にはゆる~いつながりが生まれて……本体の竜が死ねば、その根も連動して……枯れますにゃ」

 アリスはまったく要領を掴めない僕にも懇切丁寧に説明してくれた。貴重な存在だ。

 枯れる。

 比喩だけど、重たい言葉だ。

 予想通り、それは死を意味していた。

 竜鱗騎士は、自分に移植された鱗の持ち主が死ぬと、連動して死を迎える。

 竜鱗の枚数が多ければ多いほど生命維持に異常を来たし、三鱗以上で死に至る。もし運よく生き残っても、生命維持装置なしには生きられない人としての死を迎える。

 それが竜鱗騎士の名誉の死……どんなに強い騎士でも避けられない死だった。

「そんな……!」

 ひどい、惨すぎる。

「もし、そういう竜が女王国の近郊で発見されれば、優先的に竜鱗をもつ騎士が派遣されるのが通例ですにゃ」

 現在、海市の空を縦横無尽に駆けまわっているのは、銀色の竜。

 長老竜・銀麗竜の眷属だった。

 カガチの言っている《いついかなるときも》とは、最悪のケースを指している。

 このまま眷属たちが海市になだれこみ、親玉である銀麗竜までもが出現したとき。

 彼は……マスター・カガチは教え子に、勇者であれ……つまり戦えと言っているのだ。

 戦って、そして名誉の死を遂げろと……。

 恐ろしい、と思いながら、心の片隅には納得しかけている僕がいた。

 強大な竜と少しでも有効に戦えるのは、相手の手の内を知り尽くしている騎士しかいないだろう。その竜を倒したとしてももれなく死んでしまうのだとしたら、他の騎士を派遣して消耗するよりも無駄がない。

 しかし、それでも、安易に伝言を伝えてしまった僕の無能さは……自分で自分が嫌になる。

「いやです。死にたくない、先生、自分はまだ死にたくないです!」

 まだ長老竜が出ると決まったわけではないが、イブキは取り乱してしまった。

 竜の攻撃から逃げてきた人たちでいっぱいの避難所で、そんな声を出せば、他の市民たちを動揺させてしまう。

 僕とアリスはイブキを連れて、こっそり抜け出してきたのだった。

 そのあたりを天藍にもかいつまんで話した。

「もし、長老竜が来たら……」

 どうなるか。想像するのはさほど難しくない。

 何十万という単位の女王国の民を殺していった竜……。

 追い払うだけではきっと済まない。

 それが自然現象ではなくて一個の生命ならば、銀麗竜の死を願う人たちはきっとたくさんいるはずだ。貧乏少女の小さな死のことを考えてくれる人は、いったいどれくらいいるんだろうか……。

 真の勇者。

 安っぽくて、冷たくて、心底、くだらない言葉だ。


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