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76 本当の心

 蛇口をひねるときちんと水が出た。

 本も書架に並び、部屋の物の配置はここを出る直前のままだ。竜たちはときおり壁を攻撃するが謎の力によってはね返されている。

 それが青海文書という書の持つ力だとしたら、凄すぎる。

 僕は手の中の黄金の林檎を見下ろしていた。

 僕や黒曜のような読み手は魔法を使うのに代償を支払わなければいけないのに、この建物を再生する力は無尽蔵に出て来るなんて。だとしたらいったいどうして、僕はこんなに痛くて苦しい思いをしてるんだろう。

『それがアイリーンの決めたことだからさ』

 オルドルは何回目かの台詞を、退屈そうに吐いた。

 僕は紅華が《治療(クラル)》の呪文を使うのを見守り、それでも治りきらない傷の手当てを手伝った。

「わたくしの知らない間に、魔法使いとして成長していたみたいだな」

 彼女は僕がほぼ無傷なのを見て、そう言った。

「君が無茶苦茶なだけだよ……」

 僕は溜息を吐く。

 王姫のくせに、ひとりで翡翠宮を抜け出して、竜が飛び回ってるこんなところにやって来てしまうんだから。

「君の身に何かあったら、大変なんじゃないの?」

「大丈夫だ。わたくしがいなくても政は黒曜がすべて取り仕切ってくれている。そうだな……責任をとる者がいなくなって、多少は不便かもしれないな」

 紅華の服はボロボロになってしまっていたので、非常に気が引けたがアリスの部屋からセーターを拝借した。なくなったセーターが王姫のものになったとしても、非常事態ではあるし彼女はミーハーなところがあるから許してくれるに違いない。

 人心地つくと、さっそく彼女は鈴を手に立ち上がり、図書館の中を歩きまわりながら、鈴をならして歩いた。

「応急処置だが、きみが青海文書を持ち出してもこの建物が崩れることはないだろう。そういうふうに律をかけた」

「便利だな、天律魔法」

 魔術とちがって、不可能はない、万能の魔法だ。

「そうでもない。使い手の才能が如実に出る魔法だ」

 紅華は暗い表情になる。

「同じ王族でも、使いこなせるかどうかは人によるのだ。さっき使った魔法も……もしもあれが母だったら、飛竜を天海市からはじき出すのだって容易かっただろう」

「え……天海市から?」

『それは豪勢だねぇ~』

 もし同じことが紅華にもできたなら、問題の半分は解決だ。

「いない人間のことをあれこれ言っても仕方がない。さあ、そろそろ行こうかツバキ」

「えっと、どこへ……!?」

 ここにいる限りは、安全だ。わざわざ外に出る必要なんてない。

「わたくしがここに来たのは、あなたに会うため。そして連れていくためだ。図書館で本を読むためではない」

「どこに? どうして?」

「それは、着いてから話す。さあ、わたくしを連れて行くがいい」

 紅華は妙に明るい表情で……不自然なくらいの表情でそう言って、手を差し出した。

「……僕は、君やリブラが僕にしたことを忘れてないし、忘れるつもりもないよ」

 傷つけられた記憶が軋んで、心臓が痛むのをはっきりと感じる。

「ああ」と彼女は頷いた。「それでいい。君に許されるつもりなどはじめからなかった。むしろ誓ってほしいくらいだ。最後の瞬間まで憎んでいると。わたくしを許さないと……」

 何故そこまでして彼らは、僕を魔法学院の教師にしようとしたんだろう。

 もしかしたら、盛大に騙されているのかもしれない。

 でも、愚かにも僕は、彼女の本心が知りたかった。

「わかった。そこまで言うなら……行こうか」

「ええ」

 紅華の手を握った。やっぱり、冷たい手だった。


     ~~~~~


 僕は彼女の手を引いて、夜の海市をオルドルの足で駆けた。

 到着したのは天海市裁判所。はじめて来る場所だ。

 王宮と見紛うばかりに巨大な建造物は、夜の闇の中にひそやかに沈んでいた。

 鍵を壊すまでもなかった。

 王姫・紅華の鈴が振られれば、総ての鍵がおのずと開くからだ。

 彼女の後ろについて大階段を下っていくと、目の前に広大な空間が開けた。

 巨大な地下室の中央にあるのは、石造りの巨大な……。

「扉……!?」

「そう。異界に繋がる伝説の扉だ」

 高さは三メートルほど、幅は五メートルほどの石の扉が、地面から唐突に生えている。

 扉は重たく、人の力では開きそうにない。

「ツバキ、今からわたくしの魔法でこの扉を開く。君は、君の帰るべきところに帰りなさい」

 扉の前で、いきなり紅華は言った。

 衝撃的な発言だった。

「今、なんて……?」

「わたくしの天律魔法で、あなたを元の世界に帰すと言ったのです」

 今度は、聞きかえす暇もなかった。

 紅華は鈴をならした。次の瞬間、僕の頭の後ろで大きく、それまでびくともしなかった扉が開きはじめた。

「待って、説明してくれよ……!」

「あなたが翡翠女王国から去ることができる機会は今しかない!」

 扉の向こうから、風が吹く。風が奏でるのは僕を呼ぶ声だった。

 扉の向こうは、まばゆく白く輝いていた。

 帰れる……?

 この扉をくぐったら、元の世界に……?

「あそこに行けば、本当に帰れるのかな……」

『たぶんネ~。今のキミには到底、理解不可能な、凄まじく複雑怪奇な術式だね。それこそ、術者が百人がかりで維持するようなやつだよ』

 帰る。

 突然提示された選択肢に、僕はうろたえてしまう。

 普通、帰還イベントは終盤にやるものだろう。一大イベントなんだから。何だって、こんな中途半端なタイミングに発声しちゃうんだ。

 これが、普通の異世界ファンタジーなら……。

 僕は喜んだかもしれない。

 元の世界にもどるのは、ある意味、王道のストーリー展開だ。

 たくさんの主人公が心からそれを願っている。

「でも、僕には呪いがかかってるはず……!」

「呪具は、リブラが外した」

 なんだって? と問い返すと、紅華は真剣な顔で頷いた。

「貴方がオルドルの魔法を使って倒れたとき……手術の最中に誰にも知られぬよう、彼はあなたの心臓に埋め込んだ呪具を外したのだ」

 リブラが……僕の呪いを解いていた。

「彼は最後まで心の優しい医師で、冷血漢にはなりきれませんでした。だから、貴方は望めばどこにでも逃げれた」

 僕が勝手にリブラの屋敷を出て、海市に来たときも呪いは発動しなかった。

 それは呪具が無かったせいだった。そして式典会場で彼女が口ごもって、黒曜に聞かせなかったのは、そのことだったんだ。

「さあ、それ以上は何も聞かないで。貴方はわたくしを恨んでいると言ったのだ。ならば、一刻もはやくここから去りたいはずだ。ここに留まれば、貴方は傷つくのだから……」

 僕は扉のほうを見た。

 周囲から不自然なまでに四角く切り取られた輝く空間があった。

「もどったらお前はどうなるんだ、オルドル」

『キミがボクと共感するかぎり、そばにはいるよ』

 ただし、なんの変哲もない本の登場人物になって。

 僕は普通の人間に戻れる。まるで夢がさめるみたいに……そんなものなのかもしれない。

「帰りたくないのか?」

 紅華が問いかけて来る。

 確かに最初は、戻りたくはなかった。

 元の世界に戻ったとしたら……。

 また、五百円玉を握って、弁当を買いに行く生活がはじまるだけだ。

 こちらにいてもいいことは何ひとつないけど、戻る理由も無かったんだ。

 でも、今は。


「帰りたい」


 自分の心に嘘をつかず、純粋に日本が懐かしい。

 食事とか娯楽とか、こっちにないものがたくさんある。

 それに、もしも戻れたら、やってみたいことがあった。

 まずは、料理をしてみたい。

 掃除とか洗濯とかも、できるようになりたい。

 ひとりでなんでもできるように。

 そして、母さんがなんて言うのか聞いてみたかった。

 それから……。

 もしできるなら、許したかった。

 僕のこと、そして母さんのことと、父さんのこと……。

 大したことじゃないけど、その大したことじゃないことを許せない自分を許したいと思ってる。本気で、ほんの少しだけ。

 そう思えたのは、百合白さんが僕の手を握ってくれたからだ。

 彼女が、僕のそばで戦うと言ってくれたから。

 僕は、光に向かって手を伸ばした。

 光は暖かく、アイリーンの掌に少しだけ似ていた。

 彼女と似た魔力を感じる。

 強く、嵐のように僕を別の場所へといざなう力だ。



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