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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
殺人者を追って
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61 慟哭

 地上に降り立った天藍は懐から小さなケースを取り出すと、中身の錠剤をいくつか掴んで飲み下した。

 少し苦しそうな顔をした後、いつもの無表情に戻った。

 オルドルと一体化している僕の目には、天藍によって解き放たれ荒れ狂う嵐のようだった白鱗天竜の魔力が次第に収まっていくのを感じていた。

 天藍は五鱗騎士だが、あの全身装甲をまとっている間は倍の十枚に増えていた。

 それだけ使える魔力も大きなるが――そもそも、竜鱗魔術は使用者に負担を強いる魔術だ。

 竜化が進めば進むほど人間に戻れなくなる危険が増す。

 一時的にとはいえ自分の許容量を超えた枚数の竜鱗を身に宿すのだから、危険極まりない術のはずだ。

 でも……そうでもしなければ、竜とは戦えないんだ。きっと。


「うっ……」


 苦悶の声が聞こえ、振り返ると気がついたイネスが壁伝いに立ち上がろうとしていた。

 やはりどこか怪我しているらしく、体を支えるのだけで精いっぱいといった様子だ。

「イネス、だめだよ……!」

 僕は駆け寄ろうとして、バランスを崩したイネスを支え損ねて一緒に地面に転がった。

 さっきの魔法で足の爪をやられてて踏ん張りがきかなかったのだ……ということにしておいてほしい。

 筋力が足りなかったとかではなく。

「行かないと……間に合わなくなる……」

「肩を貸そう」

 よろめくイネスのそばに天藍が膝をつく。

 その手にはいつの間に死骸から抜いてきたのか短槍が握られていた。


 アルノルト邸は一軒家だった。

 庭のない家だったが玄関の前には花の寄せ植えの鉢があり、その隣に手作りと思しきウェルカムボード――たぶん――が置いてあった。

 ドアノッカーを鳴らしても返事はなく、赤い傘のランプが飾られた玄関脇の窓から室内の様子はわからない。ただ、明かりは落ちていて、暗い。

 玄関に鍵はかかっていなかった。

 中に入ると、静寂が僕たちを包む。

「誰かいませんか……?」

 台所には、夕食の支度がしてあった。壁には家族写真が飾ってあったりして……写真には、息子の肩を抱いて笑っている父親の姿があった。

 話に聞いていた通り軍人だとは思えない、優し気な笑顔だった。

 反対側にいる美人が母親だろうか。二人に挟まれた小さな赤ん坊は満たされた表情を浮かべている。

 まさに絵に描いたような幸せな家族っていう感じだ。

 どこにも欠けたところのない完璧な幸福がそこにあった。

 それは、僕にとっては胸の痛い絵だった。

「二階へ……」

 イネスに促されるまま書斎のある二階へと上がる。

 人の気配はしないけれど暗がりに誰かが潜んでいるようなぶきみな気配がして、後ろばかりを振り返っていた。

 ふいに、鼻に臭いを感じた。

 鉄錆のにおいだ。

 天藍が立ち止まり、僕はその肩にぶつかった。


「急にどうし……」


 た、の、たった一文字が声にはならなかった。


 きっと《凄惨な光景》というのは、目の前の光景をいうんだろう。


 僕らは無言でその光景を見つめていた。

 にわかに外が騒がしくなる。

 当然だ。街中に竜が出てきたんだから。

 でも、この家の中はひどく静かだった。

 天藍と、彼の肩をかりてやっと歩いているイネス、ふたりの背中越しに見た部屋の内側は真っ赤だった。

 悲鳴を押し殺す。

 それは血だった。大量の血がクリーム色の絨毯や壁紙を赤く染め上げているんだ。

 中央には苦悶の表情を浮かべた男性が大の字に寝転んでいる。彼の全身はズタズタに引き裂かれていた。銀色の竜鱗のナイフによって。

 そして、そのそばにエプロンを着た女性が横たわっている。

 彼女の足元には引きずられたような血痕が壁の向こう……隠し扉の向こうにまで続いていた。あそこに隠れていたけれど、見つかってしまったのかもしれない。

 いや……家族が、こうなってしまって……隠れていられなくなったんだ。

 二人ともぴくりとも動かない。とっくの昔に死んでいるからだ……。

 イネスは力なくその場に座り込んでいた。目を見開いてはいたが、何も見ていない。

 あまりの絶望感にどうすることもできないのだろう。

 部屋の隅に小さな子供が体育座りをしていた。男の子だ。

 彼も怪我をしているのか服に赤い血が付着している。そして必死に両腕で自分の体をかき抱き……声を殺して泣いている。

 彼は見てしまったんだ。すべてを。

 そのことに気がついたとき、僕は男の子を抱え上げて部屋を再び飛び出していた。


 どうして、誰が、こんなひどいことを……。


 貧民街でも、死体を見た。

 あまり見ないようにしていたから、ちょっとだけだったけど……でも、ここまでひどくはなかった。

 何がひどいって、ここは、彼らの家なのに。壁にかけられた写真にも、一階に用意された夕食にも、彼らが暖かい家族で、愛し合っていて、それがわかる家なのに……。

 それなのに殺したんだ。

 あんなに惨いやり方で。

 僕は一気に階段を駆け下りると、男の子を抱きしめた。

「大丈夫だよ、もう大丈夫だから……」

 うそだ。大丈夫なんかじゃない。

 大丈夫なことなんか、この子にはひとつもありはしない。

 それでも僕には頼りないウソをつき続けるしかなかった。

 背後からイネスの嗚咽が聞こえてきた。

 嗚咽なんて、安っぽい言葉だ。

 それはありったけの悔しさと、強烈な悲しみと、怒りと……そして後悔を混ぜ込んだ叫びだった。


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