6 決闘 -2
こういうのって、ほんとは主人公の仕事じゃないか?
それとも、僕は主人公でもなんでもないってことだろうか。
「リブラっ!」
とっさに彼の名前を呼んでいた。
でも、その声はすぐに大勢の歓声や悲鳴にかき消された。
リブラの体は大きく背後に傾き、すんでのところで地面を踏みしめた。
「《止血》、《治癒》!」
最初の呪文で出血がやみ、二つ目の呪文で脛の傷が消える。
リブラは自分の腕をひろいあげ、腕の傷に添わせた。
「《手術》」
腕はすぐ元通りにくっついたが、額には油汗が浮かんでいた。
天藍はといえば、元の花の台座に戻り、そこに佇んでいる。
その姿はただひたすらに美しい彫像のよう、または、完璧にラスボスだ。
「最後にひとつだけ、確認しておく。ここでやめておくつもりはないのか」
「ご冗談を。これは私から挑んだ決闘なのですよ……」
「そうか。では続けよう」
天藍は二つの剣を揃え、切っ先を地面に下ろす。
再び持ち上げると、すくいあげられるように、無数の白い剥片が舞い踊った。
「二の竜鱗、その名は《飛旋飛翔》」
天藍が剣をふるう。
白い結晶は見えない操り糸で手繰られているかのように、リブラに向きを変えた。
もう一度振るうと、勢いよく射出される。
結晶の刃はうねりながら地面に殺到してモグラのように進み、地中が波打つ。
そして逃げるリブラの目の前から海面から踊り出るクジラのように飛び出した。
大量の土や埃が巻き上げられて目隠しになる。
だがその向こうでは鋭い刃が、目標であるリブラの体を貫ぬこうと迫っているのだった。
これが、魔法なのか……!
そのとき、あの音が鳴った。
紅華の鈴だ。
「天律の調べよ。今こそ解き放ち給え、響け魔槍。名は《グングニル》!」
グングニル――紅華は確かに、そう言ったと思う。
大量の土埃でリブラの姿が覆われる。が、すぐに視界が開けた。
風だ。
強い風が、リブラの周囲を取り巻いている。
風に押されて、結晶の刃はさらに背後の木々や地面に突っ込んでいった。
頬や体のあちこちが裂けているが、リブラ本人は無事。
そして――。
彼の手には、天秤の杖ではなく、槍が握られていた。
刃が水晶の如く透き通った長槍だ。
「あれは……?」
紅華は笑った。
「聞いたことくらいはないかね? あれこそが北欧神話の大神、オーディンの魔槍だ。封じるのが天律ならば、解き放つのも天律なのだ」
「いま、北欧って言った?」
「妙な顔をしているのう」
赤い瞳がおかしそうに歪む。
「驚くことはない。ここは偉大な魔女の国。お前のいた世界から、忌まれ、迫害され、逃げ出した魔女がつくりあげた国なのだから」
言うがはやいか、天藍が第二波を放つ。
そして再び風が巻き起こる。
ほとんどの軌道が逸れるが、掻い潜った五本の刃がリブラに殺到する。
正面からの結晶の刃を、魔槍の刃が叩き割る。
右足を引き、槍全体が回転、柄が二つめ、三つ目を叩き落とした。
さらに縦方向に回転、四本目を叩き落とす。
柄を強く引いて、斜め上方向に突き――その切っ先とぶつかった結晶の刃は、粉々になって砕け、風に舞い散った。
「すごい……!」
「ま、あれも魔槍の効果だ。主の手から離れれば必ず敵を仕留め、再び手に戻る、といわれている。しかし、喜んでいていいのかね、日長クン」
僕はその言葉の意味に気がつき、口ごもった。
リブラは僕を殺すといった張本人だ。
彼が天藍との決闘でどうにかなってしまえば、僕の危機は《半分》になる。
「だけど……」
だけど、なんだ?
リブラは槍を肩の上に持ち上げ、大地を踏みしめる。
大気がうねるのを間近に感じ、僕は紅華のいすにしがみついた。
危険を感じたのか、ほかの客たちも退避しはじめている。
戦うふたりのそばにいるのは、いつの間にか紅華と僕、そして、少し離れた場所にいる星条百合白の三人だけになっていた。
星条百合白は紅華のように座らず、胸の前で両手を組み、心配そうに天藍を見つめている。
きっと心配なんだろうな……。
ふと紅華のほうをみると、肘かけに肘を置き、頬杖をついた状態でニヤリと邪悪な笑顔を浮かべている。
こいつは悪魔か何かか……?
流れでうっかりこいつの味方、みたいに思われているのが、心の底から恥ずかしかった。
リブラが槍を思いっきり投擲した。
放物線を描いて放たれた槍は烈風をまとって回転し、騎士を串刺しにしようと急襲する。
さきほどの意趣返しか、彼は避けようとせず剣の片方を鞘におさめた。
「三の竜鱗、《竜躯変化》」
天藍の右腕が倍、いや、三倍近くに膨らむ。
膨らむというか、《結晶化》していく。
それは白い鱗で覆われた太く、鋭い爪が生えた強靭な竜の腕だ。
襲ってきた槍を軽く避け、その柄を掴む。
槍から暴風が放たれ、腕の拘束から逃れようとしているのがわかった。
天藍は力まかせに、地面にたたきつけた。
それでも槍の推進力は失われてない。
まるで生き物のようにのたうち回っている。
「三、二の竜鱗。《竜翼飛翔》!」
天藍の背が、バキバキと音を立てて盛り上がる。
マントの下から現れたのは結晶で構成された巨大な翼だ。
翼が羽ばたき、天藍の体が直上方向に舞い上がる。
続いて、地面にめり込んでいた槍も、その姿を追いかける。
ひとりの騎士と魔槍はあっという間に小さくなった。
天藍は追跡から逃れようと、しきりに翻り、滑空し、向きを変えて飛翔する。
地上では、優勢のはずのリブラが辛そうに上半身を折り、荒い息を吐いていた。
「槍は魔槍でも、リブラの魔力量では限界だな。むしろよく保ったほうだ」
紅華の言葉は冷静に過ぎた。
それって、大ピンチってことじゃないか。
薬瓶の入った紙袋を知らず強く胸に抱いていた。
『到底、許されることではありません。ですから、許しは請いません』
こっちに来てからひどい目にばかり遭っているけれど、あのときの苦しげな表情は嘘ではなかった……気がする。
槍に追いかけられていた天藍は、空中で後方宙返りをすると、背を地面に向けたまま滑空してくる。
その心臓を槍の切っ先が狙って来る。
突然、天藍の翼が砕け、霧散する。自由落下へ。
「四の竜鱗、|《白鱗竜吐息》(ブレス)」
天藍の唇から白い霧状のものが吐き出される。
それは槍にまとわりついて、みるみる大きな結晶へと成長していく。
巨大な結晶と化した槍は同時に着地……いや、落下して、土埃を上げた。
天藍はというと、直前に羽をはやして地面との突撃を回避していた。
巨大な白い結晶を背景に、涼しい顔をしている。
天藍は先ほどと同じように、一足飛びにリブラとの距離を詰めた。
踏みこみ、横一文字に剣を振るう。
槍の柄がはじく。
返す刃を避け、瞬きも許されない速度で繰り出される突きをやり過ごす。
そして再度の薙ぎ払いを辛うじていなしたが、天藍が繰り出した上段蹴りが、防御しようとした腕ごと右胸に突き刺さり、吹き飛ばした。
イヤな音がした。
リブラが地面に倒れる。
立ち上がろうとするが、地面に伏せたままだ。
回復のための呪文も唱えようとしない。
苦し気な息を吐き、血の混じった咳をしてる。
たぶん、蹴りの威力が凄まじすぎて、肋骨が折れているのだ……。
信じられないけど、折れた肋骨が肺に突き刺さって、呪文が唱えられないんだ。
「体術も魔法も大したことはないが、そう何度も回復されるのは厄介なんでな」
天藍は冷酷だった。
無駄に飛び回って時間を稼ぎ、呪文を奪う。
全部、計算ずくなんだ。
そう悟ったとき、僕の体は自然に前に出ていた。
おいおい、何してるんだ僕。
もどれ。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
もどれ、もどれ。
「殺されたいのか?」と、天藍が僕に言う。
僕は、地面にうずくまるリブラの傍にかがんでいた。
「……もういいだろ。どうみたって彼はもう戦えない」
「これは見届人のいる正式な決闘だ。決着がつくまで立ち去ることはできない」
「殺すとか、殺さないとか、なんなんだ。お前たち、バカなのか?」
言葉が次々にあふれて、戻ってこない。
ああ、怒ってるんだな、と緊張でぼんやりした頭で思う。
「その男は、お前を殺そうとしているのではなかったか?」
「そうだ。でも、一度は命を助けられた。それに、お前たちみんな気に食わないんだよ!」
あたりを見回す。
紅華と、百合白の視線を感じる。
それと、客の貴族たち、大勢のだ。
それらは脅えより、好奇心が勝った視線だった。
「腕を平気ではねとばしたりして、こいつは医者なんだぞ。お前たち一人残らず怪我したり病気になったら医者頼みのくせに、なんでこいつが痛めつけられてるときに平気な顔ができるんだ!」
「言いたいことはそれだけか」
「それだけ……って、おい、待て、話、聞いてた!?」
天藍は両に剣を携えながら、こちらにやってくる。
僕の傍らには満身創痍のヒーラーと、何の役にも立たないクソみたいな《本》。
絶対絶命だ。