60 竜騎装・白鱗天竜
舞い降りた竜鱗騎士は、繊細な掌を七枚目の翼のように広げた。
その動きに呼応するように、蓮座から乳白色の光沢をもつ竜鱗が剥離していく。
鱗は無数の細かい刃となって、術者の合図を待つ。
「よかった、間に合ったんだな。……でも、剣は?」
武器を用意できなかったのか、天藍は素手のままだった。
「話はあとだ。竜鱗騎士団にも通達が出た。現在は結界の穴を探して広域警戒中、ここは俺がひとりで処理する」
その指先が振り下ろされると、刃の嵐は竜めがけて殺到した。
まるで乙女のような表情のくせに、やることがえげつない。
うなりを上げて後退する竜の後を追って刃が体のあちこちを引き裂く。
「……脆い。相当、若い竜だな」
敵の眼球に刺さったままの槍を見た。
「女王国軍制式突撃短槍か、旧型だ。よく急所を狙えたな」
感心しながら第二波を放つ。
竜は素早い動きで避け、翼と、振り回される尾の一撃で殺到する刃を防いだ。
目標から逸らされた結晶の刃は建物の壁に突き刺さり、尾が掠めた窓が派手な音を立てて割れていく。
これ以上、市街地で戦うのは危険だ。
「倒せるの?」
あの竜を……という意味だ。
「何故そんなことを聞く? こんなに楽しいのに」
その一言に、僕は我が耳を疑った。
天藍はいつもの無表情ではない。
正気の沙汰じゃない。
心の底から竜との戦いを望み、楽しんでいる……。
「五の竜鱗、その名は《竜鱗狂瀾》!」
天藍がまとう魔力が不意に膨らみあがるのが、オルドルの手伝いを借りなくてもわかる。
その手の甲に竜鱗が浮かび上がった。
天藍の竜鱗は背中に五枚、のはずだが……。
蓮座や翼が粉々に砕け、虹色に煌めく砂、あるいは星粒となった結晶が騎士の姿を覆い尽くし、魔力の白煙が噴きあがる火炎のごとく立ち昇る。
人の身では不可能な、ひたすら圧倒的な魔力量に触れた僕の全身の肌が粟立つ。
この感情に名前をつけるとしたら――《歓喜》。
それは僕というより、僕の内にあるオルドルの喜びだった。
オルドルは、魔術を極めた異形の化け物にさえ到達できない竜鱗騎士の力に歓喜し、畏怖し、そして欲望を募らせていた。とても危険な欲望だ。
この世の全てを、真理を自分のものに……ただひとりのものにしたいという圧倒的な飢餓だ。
押し寄せる気持ち悪さを堪えて戦場に視線を戻す。
竜が地面を鳴らしながら白煙の中に猛然と突っ込んで来る。
ダンプカーが全速力で突進してくるかのような迫力だ。
しかし、轟音とともに突撃は中止した。
竜の巨体を煙から突き出た鉤爪が受け止めていた。
「十の竜鱗――――《竜騎装・白鱗天竜》」
煙が晴れると、そこには全身を優美な純白の鎧に包んだ天藍がいた。
頭には顎当ての無い兜、肩当てには翼のような紋様、膝には鋭角の部位が取りつけられ、肘当てから後方に伸びるのは装飾というより刃だった。
それは鎧としては異様な姿をしている。
天藍の両腕のうしろには人の腕よりも二回りも太い、鉤爪を生やした巨大な篭手が空中に浮かび、その片方が突撃攻撃をしかけてきた竜の頭部を押さえつけている。
また、鎧の背中には、大きな光輪と、それを取り巻く十枚の乳白色の花弁が腕同様に浮遊している。
天藍は自らの手を拳に握る。
すると、浮遊する鉤爪の篭手も連動して拳になり、無造作に竜を殴りつけた。
さらに突き刺さったままの槍を柄を握りこむ。レバーを引くのと同時にオレンジ色の火花が弾け、下顎から突き抜けるほど深く深く刃が沈みこんだ。
竜は悲鳴を上げ、大きく上半身をのけ反らせる。
次の瞬間、全身甲冑姿の騎士は、竜の腹の下にもぐり込む。
驚くほど滑らかで、凄まじく早い。甲冑を着込んだ人間の動きじゃない。
狭い空間で天藍は横に倒れ気味の不安定な体勢のまま地面を蹴り、竜の下腹部を蹴り上げる。
僕は目を疑った。凄まじい威力で、竜の巨大な質量が浮いたからだ。
続け様に拳を放つ。騎士と巨大な鉤爪の拳が竜の腹部を連打する。
竜は身を捩りながら翼を動かし、宙に浮かびあがった。
天藍はぐっと膝に力を入れて、身を屈めた。光輪が輝き、花弁が翼のように並びを変える。天藍は地面を蹴って空中に飛び出した。射出された弾丸のような動きだ。速い。
逃げ惑う竜を下方向から拳で突き上げ、攻撃しようとした頭部を踵で叩き落とす様は、圧倒的だ。竜の体は白鱗天竜のつくりだす結晶で引き裂かれ、ところどころから血の尾を引いていた。
凄まじいばかりの機動力で敵の攻撃を躱しながら、月を背景に空に舞う竜鱗騎士の薄い唇は戦いに恍惚となり、艶然と微笑んでみせる。
上を取った騎士は全身を弓のようにしならせ、拳を矢のごとく打ち込む。
怒り、唸る竜を休ませることなく二打目を放ち、鉤爪の攻撃を避けて上昇、背中目がけて両膝を落とす。
戦いの場は空高く上がっていく。
空を駆ける手段を持たない僕は、破壊された街に取り残されてしまった。
「そうだ、イネス……!」
倒れたままの青年にかけよる。息はある。
背骨が折れているかもしれない。どこを怪我しているかもわからないから、迂闊には触れない。
『これは俺の仕事だ!』
そう叫んだ若者の過去を思うと、悲しいような、悔しいような……複雑な感情が浮かぶ。
彼は弟を竜に殺され、鶴喰砦で仲間を失い、そして僕を先に行かせるために、たったひとりで竜に立ち向かって行ったのだ。
「……っ!」
見ているだけの自分がもどかしい。
思い返してみれば、僕はいつだって蚊帳の外だった。
リブラの決闘のときも、ウファーリを殺しかけた屋上のときも。
元の世界でも僕はそうだった。何も知らないまま、何もできないまま。
でも……僕は、そんな無力な自分自身を許したくない。
絶対に許さない。
心の底から、そう思った。
胸の奥が熱い。
自分を恥じる気持ちと、そして、怒りだった。
僕は怒っている。そして、僕の指先に、オルドルの怒りもある。
金杖を掴んだ。強く。
「《昔々》」
唇からもれる言葉が、呪いをまとう。
金色の魔力の波動を感じる。
落ちている窓硝子の破片を握りこむ。
切れた皮膚から、血の雫がこぼれ落ちる。
「《ここは偉大な魔法の国》」
掌に溜まった血が、ごぼりと沸騰する。
その中心から銀色の芽が生える。
芽は瞬く間に伸びて細い蔓になり、大きく、勢いよくしなりながら伸び、路上に突き出た消火栓を真っ二つに断ち切った。
水が溢れて路地に満ちた。細く美しい金糸のような魔力はその水に隅々にいきわたり、混ざって、僕の意志を伝えていく。
「《魔法使いの王が住む都のそばに、銀の森があった》」
糸を織り上げて、美しい布地を織るような、そんな魔法だった。
満ちた水の上に、銀の枝を持つ枯れ木が出現した。
オルドルの手足の如く動き、意志を持って成長する魔法の枝は竜の後肢と片翼に絡みついた。
竜がもがいても離れず、僕が金杖を振るうと、枝も竜を引く。
そしてそのまま地面に叩きつけた。
衝撃と音響が路地を駆け抜ける。
道路を陥没させ、倒れた竜は拘束から逃れようともがいた。
その体に天空から超高速で降ってきた五枚の花弁が突き刺さる。
そして花弁を中心に地面から生えた結晶の針山が、竜の体に無数の穴を穿ち、瞬く間に成長し、閉じ込めた。竜入りのクリスタルだ。
竜は断末魔を上げる。
その声が響かなくなると、花弁は竜の体を自然に抜け出し、血しぶきを雨のように降らせながら、天藍の背中へと戻った。
鎧の純白に、血の紅が混じる。まるで血の華が咲いたみたいだった。
頬に降り注いだ竜の血を、赤い舌がちろりと舐めとり、満足したように笑む。
読み取れるのは、心の底からの陶酔。
空に浮かぶ騎士は、残虐で血を好む美貌の戦鬼そのものだった。
「終わった……のか……?」
脅威が去って気が抜けた僕を、両腕の痛みが襲う。
ぎっ。
竜が短く嘶き、その頭が持ち上がる。
瞳がギラリと輝き、僕を睨みつけた。
口を開け、大きく息を吸い込むのがわかった。
天藍は全身の鎧を解いて、素早く地面に着地。
気絶したイネスを拾って偽剣を生成、思いっきり地面に突き刺した。
竜の口腔に火が灯る。
次の瞬間。
莫大な熱量が、銀色の波が、竜の口腔から吐き出される。
路地を焼き、煙を上げ、波濤となって押し寄せる熱量を結晶の壁が防ぐ。
天藍は横方向にも結晶の壁を展開し、周囲を覆う。
が。
「うあっ……つ!!」
一瞬で、そこは人類には生存不可能な灼熱地獄と化した。
天藍は僕の襟をつかみ、結晶のシェルターを放棄。翼を生やして空に逃れる。
ひやりとした夜の空気が、一瞬で丸コゲにされかけた肌に心地いい。
「ぐえ!」
地上では竜に異変が起きていた。
勢いよく吐き出された息吹は「ゲッゲッ」と苦しい喘鳴と共にとぎれとぎれになり、全身から煙を放つ。
銀色の鱗は溶けて崩れ落ち、肉や血を焼く臭気があたりに充満する。
結晶は粉々に崩れ、一部が焼き溶けている。
熱は竜の体をも焼き尽くし、最後に残ったのは骨格だけだった。
「なんだ……あれ……」
「……息吹の熱に耐えられないほど、若い個体だったということだ」
「どうしてそんな竜がここに?」
「俺にわかるわけないだろう」
答える天藍は、いつもの顔に戻っていた。
いつもの、つまらなさそうな顔。何もかもが退屈にみえて、自分でも抱えきれないほどの不満を胸に抱いている顔だ。
「……なんだ? ジロジロ見て」
「僕だけが、お前の野蛮さを見抜いていたと思って」
「は?」
「お前って、大した戦闘狂だったんだな……」
顔は女のようだ。貴公子といって過言ではないほど、整っている。
でもその内面は、とんでもない野蛮人だった。
天藍は一瞬、意表を突かれた様子だったが。
「お前も魔法を使ったのだろう」
血を流す僕の手を見て、天藍が問う。
「肉体を削ってまで、何故そうした。戦いを望んだからではないのか?」
灰色の瞳は冷たく凍えていた。
「僕をお前らみたいな体育会系といっしょにするな。ただ……竜が許せなかっただけだよ」
そして、自分自身のことも。
もっと早く魔法を使っていれば、少なくともイネスがケガをすることはなかった。
「だが、そのために取った手段は戦いではないのか?」
天藍の絶妙な返しに、答えに詰まった。
確かに、僕は魔法を使った。
痛みがあると知りながら。イネスのために。
魔法を使って……竜に攻撃した。
「戦いを厭うことはない。戦わずに生きていける人間など、この世にひとりもいない。戦わなければ、何ひとつ得られないからだ。もし戦わずにいられる者がいるのだとしたら……それは誰かが代わりに剣を振るっているからだ」
天藍の論理は、単純かつはっきりしていた。
何かを得るために必要なのは、戦うこと。
強いだけではいけない。
だが戦うことも避けられない。
それは暴力の、暴力による、暴力のための理論だが……こうして竜の死体という不吉なモノを眼下にしている以上、不穏な予言のようにも聞こえる。
「ツバキ、お前は闘争を運んでくる。マスター・カガチからお前のお守りを命じられたとき、受けた理由は……そしてカガチに逆らい、イブキの逃走に手を貸したのは、その闘争に遭うためだ」
月光に輝く白い髪が風になびいている。
灰色の瞳は竜の亡骸を離れ、戦火の残り香を探すように、ただひたすら遠くを見つめていた。




