55 不穏な謎 -2
女王の直系、という言葉が、僕の気持ちを深く沈みこませる。
リブラ曰く、だが、女王から生まれた子どもは、兄弟の誰かが即位した後は父親が引き取ることになっている。もし適齢期であれば、貴族の誰かと結婚して王室を出る場合もある。
いずれにしても、女王の血筋には力のある貴族がついて回るとみて間違いない。
彼らはイブキのところみたいな貧乏貴族とは違う。黒曜みたいに、金もあるし、地位もあるし、おおよそこの国で無いものなど存在しない、といった連中だ。
その誰かが、青海文書を欲しがっている。
たまたま、それを手にした少年を問答無用で殺して奪い去るほどに。
「じゃあ、今、いろんなところで竜鱗を使って人を殺しているのは、青海文書を奪うためなのか?」
「犠牲者が物語を所持していた、という事実は確認できていない」
紅華は俯いて、実行犯と《門》を開いた人物は別かもしれない、と言った。
「権力者がなりふり構わず犯罪をおかす、というのは考えにくい」
確かに、それだけの立場あれば、僕みたいな行きずりの少年を殺しても逃げきれるかもしれない。でも、そんな行き当たりばったりなことを繰り返していればいずれは襤褸を出す。バレたときに失うものの大きさは、貧乏人とは桁が違う。そんな危険はおかさないはずだ。
実行犯が別なら、全ての罪をかぶせて逃げることだってできるのだから。
「わたくしは、イブキをしばらく泳がせて敵の正体を見定めるつもりでした」
イブキがもしこの一連の事件に関わっているとしたら、市警に追われる身となれば真の黒幕が誰であれ彼女を放ってはおかない。
市警によけいな情報をバラされたくないからだ。
例えもし、彼女が実行犯ではなかったとしても。
「その場合、竜鱗をどこから調達したのかは不可解ではあるものの……。犯行に銀麗竜のそれを用いたことから、イブキを偽の犯人に据えようとしたと考えられる」
偽の犯人がやり玉に上がったとしたら、真犯人たちは動きを変えてくる。
これを好機と捉えて行動が派手になるかもしれない。
あるいは、罪をイブキになすりつけることが不可能になり、焦りはじめるかもしれない。
「王族がかかわっているなら、王姫として、この事件を無視することはできない。だが犯人の情報がかけらも掴めていない今、打てる手はそれだけだ。イブキの指名手配は取り消さないし、もう後戻りはできん」
僕は唖然としてしまった。
「何を言ってるんだ……?」
なんて勝手な言い分なんだろう。
「僕だけじゃなく、彼女まで……まるで道具みたいに……! 彼女には、夢があったんだ。竜鱗騎士になるっていう夢が」
ウファーリの店のキッチンで、青い顔をして震えていたイブキ……。
決して純粋な夢とは言えないけれど、貧しい暮らしから抜け出すためには必要な、大事な夢だ。それに、魔術を封じられながら天藍と一緒に逃げ出したとき、彼女は他者を守ることについても考えはじめていた。
それを確証もない推測で、台無しにするというのか。
そんなの、許されるはずがない。
「竜鱗騎士になるというのなら」
紅華の瞳は冷たいままだった。
「なおのこと、彼女の命は稀少で、高級な道具にすぎない」
「なっ!」
「ひと度竜が人の領域をおかせば彼女は戦地に赴かなければならない。そしてたとえ死ぬとわかっていても、恐怖を殺し戦い抜かなければならない。でなければ」
紅華は苦し気な吐息とともに言葉を吐き出した。
「民が死ぬ」
かつてこの国は何十万という人々を失った。
竜鱗騎士は戦うことなく……。
「人民の盾になるということはそういうことだ」
そして今、街のどこかで、誰かが、竜鱗に貫かれて死んでもいる。
「ムチャクチャだ。彼女はまだ学生なんだぞ」
「その覚悟が無い者に、竜鱗騎士団はおろか、学院の門をくぐる資格はない」
紅華は言い切った。
今は、事情があって……騎士団は百合白を守護している。
でも本来は天藍やイブキが仕えるべき人物は紅華であり、彼女の言い分には正しいところもある。
「だけど……連続殺人事件の犯人にされるなんて、ひどすぎる」
「既に、真珠家のご当主には話を通してあることだ」
紅華は溜息を吐いた。
「少し外の空気を吸いたい。黒曜、お前は外せ」
「警護はつけねばなりません」
「任せる」
黒曜はパン、と両の手を叩いた。
「誰か!」
そう声をかけただけで、幕の向こうから黒ずくめの装束を着た、顔色の悪い男が現れた。
~~~~~
外で空気を吸う、といっても、こんなに吸いづらい空気もないだろう。
辛うじて植えられた緑が目に爽やかだが、周囲を黒曜の護衛と思しき男たちが取り囲んでいる。
ここで話したことは彼らが後できっと抜け目のなさそうな大宰相に伝えるのだ。
「黒曜家は歴史の古い有力貴族。手を叩くだけで欲しいものは全て揃えられる人間だ。わたくしやお前とはちがう」と紅華は言った。
彼女は恭しく運ばれた椅子に腰かけ、僕は立ったまま空の呑気な青色を眺めてる。
「君だってそうだ」
死ぬとわかっていて、リブラに決闘を命じた。
僕に魔法学院の教師になれと言った。
そして次はイブキだ。
「まさか。リブラだけだ、なんの見返りもなく守ろうとしてくれたのは。わたくしは女王府ではひとりぼっちだ」
ひとりぼっち。
そんな寂しい言葉を口にしながら、彼女の表情はそれとは真逆のものだった。
目の前の空気をひたすら睨みつけている。
十四歳の女の子とは思えない。小さな唇をきゅっとかたく結んだそれは、他人への甘えなど一切ない表情だった。誰にも頼れないし、頼らない。そう言っているみたいだった。
よくみると、最初に会ったときよりも顔色が悪く、ほんの少しだけやつれて見える。
リブラがいない今、頼る人がいないというのは本当の話に聞こえる。リブラの屋敷を訪ねたときも、さっき僕の前に現れたときも、彼女はひとりだった。
黒曜の言う通りだった。
翡翠女王国に来て、知りすぎた。
天藍のこと、ウファーリのこと、イブキのこと、そして……。
誰もが、何かを背負っているんだ。
「紅華、もし僕がこちらに来たとき、天律魔法の使い手が協力していたんだとしたら、それが誰なのかはわかるんじゃないのか」
そうでなければ、暴走したウファーリから身を守るために天律魔法を使った百合白さんを処分する、なんて話にはならないはずだ。
彼女は渋い表情をしている。
「わかるのは、同じ女王から生まれた兄弟姉妹の音だけだ。お前がこちらを訪れた夜、聞こえた音は彼女ではなかったが、誰なのかまではわからない。……まだ、イブキを匿うつもりか」
「ああ」
「教師としてか?」
違う。
けれど、僕は頷いてみせた。
「違うやり方があるはずだと、僕は思う」
犯人を見つけるためにイブキの未来を犠牲にしなくてもいい道があるはずだ。
「あくまでも、最良だと思える手を打っている。それがわたくしに課せられた義務だ」
「……リブラのことは?」
彼女はさっきより厳しい表情になった。
冷たくみえて、その華奢な体には、激しい感情が渦巻いているのがわかる。
「リブラのために、犯人を捕まえようとしているんじゃないのか?」
「わかったような口をきくな。わたくしがお前を……」
言いかけて、止まる。
不自然な言葉の切れ方だった。
紅華が、僕を?
続く言葉がわからない。
「なんでもない。それでもイブキを逃がすというなら、お前ともう話すことはない」
少しだけ不安になり、服の上から左胸に触れた。
「また、僕を殺そうとするつもりじゃないよな」
「あの呪具は……何も知らないのか?」
紅華は少しだけ驚いた表情になった。
「そうか……いやでも……」
彼女は何か言いたげにしていたが、今度は自分の意志で話すのをやめた。
黒曜の支配下にある、黒服の男たちを気にしているみたいだった。
「とにかく、当分はお前を殺すつもりはない。稀少なオルドルの読み手だからな」
そう言って、彼女は再び、冷徹な王姫の表情に戻った。
僕は違和感を抱えながら天幕に戻った。
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黒曜はソファに座りながら、音楽でも聞くようにじっと目を閉じていた。
「結論は出たようだな」
僕は彼の前の席に戻る。
「望みは何だ?」
黒曜の言う通り、結論は出ていた。
「君の力を借りたい。望みは、僕と天藍を市警の追跡から外してくれ。それから、イブキを安全に匿える場所がほしい」
「……指名手配を解除しろ、と言われると思っていたが」
黒曜は意外そうな顔だ。
それが手っ取り早い方法だ。
「この事件の犯人を僕の手で捕まえたい」
「なるほど?」
彼は微笑んだ。
「紅華の撒いた餌で釣りをするつもりだな」
「あくまで教師としてだ。彼女の邪魔をするつもりはない。でもイブキを捕まえられるのも困る。これなら、そのどっちも両立するだろ」
もちろん、僕は復讐のために……事件がどうして起きたのか、それを突き止めたい。本当の犯人を知りたい。
でもそれを、黒曜に察知されるのはまずい気がする。
「ふむ、そういうことにしておこう」
「そっちの条件は?」
これは取引だ、と黒曜は言った。
青海文書の未来を決めると。
僕の希望を叶える代わりに、黒曜も何かを要求してくるはずだった。
黒曜は目を細める。
黒瞳は鋭い刃の形をしていた。
「そうだな……今はそのまま帰ればいい。君にしてほしいことは、後で伝える」
「どうして」
「それも、後で伝える。ほしいものはそれだけか?」
暗に、ウファーリのことを言っているのだと思われた。
「それだけだ」
僕は立ちあがった。
姿見を見たが、オルドルの姿はなかった。
もう、声も聞こえない。完全に引っ込んでしまったらしい。
「そうだ」
去り際、黒曜が思いだしたように言った。
「私のことは、ウヤクと呼んでくれ。友達になろう、椿」
黒曜は右手を差し出す。
僕も、反対の手を差し出して、握手した。
冷たい手だった。
目の前にある黒曜の顔や、体は、少年のものだ。
ごく当たり前の、日本人の少年だ。
なのにまるで、蛇みたいだ。




