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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
紅天に消えし者どもよ
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53 二人の異世界人

 《青海文書》は新しい魔法だ。そう黒曜は言った。


「その力も存在そのものも、今までの女王国の《魔術》の体系には存在していない。天律でもなく、竜鱗魔術でもない第三の魔法だ。しかもこの魔法は単純に禁止することのできない厄介なモノだ」


 青海文書は、書物の形をとっている。

 そしてその使い手は、魔術に素養があろうとなかろうと、構わない。

 ただ記された文字が読めて、登場人物に《共感》する心さえあれば、だれでも魔法を手にすることができる。

 仮に書物を全て焼き払っても、物語の形式をとっている以上、口頭の語り……都市伝説や噂話、伝承という形で残り、途絶えはしない。

 それが物語の力であり、魔法を禁じている女王国にあってはならないモノだ。


「文書そのものは少なく見積もって国内に三百冊ある。現状、使い手がどれくらいいるのか、各登場人物の魔法がどんな種類のものなのか……わからないことが多すぎる。しかし方針は必要だ」


 すなわち、と。黒曜は続ける。

 彼はソファから身を乗り出して、こちらを見上げるように視線を投げた。

 力強い視線。ほんとうに、見えていないのだろうか。


「この魔法を排除するか、それとも共存の道を選ぶのかということだ。単刀直入に言う。この国の未来のひとつを決めないか? 私と、キミと。二人の異邦人で」


 この国の未来を決める。

 途方もない言葉だったが、黒曜にとってはそうではないらしかった。

 彼は新しいゲームを与えられた子供のように無邪気な表情だった。

「これは重要な選択だ。すでに、翡翠女王国内部で《青海文書》に端を発する事件が散発している」

「もしかすると海府議会議員が殺されたっていう、あの事件のこと?」

 彼は頷いた。

「君も気がついていたようだな」

 正しくは、気がついたのはオルドルだ。

 竜鱗によって心臓が貫かれ、海府議会議員が死に、リブラが犠牲になり、スラムの路地でも三人死んだ。僕も被害者だ。

 知っているだけでも、それだけの被害が出ている。

 もし青海文書がかかわっているのなら、黒曜には見逃せない事件のはずだ。

「でも、どうして僕なの?」

「ひとつには、私が把握している文書の使い手が少ないことに起因する。そして残念ながら私の《デナク》では、青海文書を排除することも、制御することも不可能だ。だが《オルドル》なら可能かもしれない」

 オルドルは短く『さあね』と答えた。なんだか、怒っているような声音だ。

「ほかの理由は?」

「私と君が、お互いの秘密を共有できるからだ。共に仕事をするなら、信頼関係は大事だ」

 それは、僕が異世界の出身で、黒曜ウヤクもそうだということを知っている、ということだろうか。お互いの秘密を知っていることが、どう信頼関係に繋がるのかは、今一つわからない。

 わからない、と思ったのを、黒曜は瞬時に察知したようだ。

「君には、ほしいものがあるはずだ」

 彼はうっすらと笑みを浮かべていた。

「たとえば、イブキの指名手配の取り下げ、市警への根回し、そして青海文書の情報、言葉を理解すること、ウファーリの退学処分の取り消し……。君はそれらを得るために、王姫殿下に接触しようとしていた。違うかな?」

 僕はごくり、と喉をならした。これがクイズなら、満点で正解だ。

 全て見透かされている。

「どうしてそのことを……」

「何、調べればすぐにわかる。翡翠宮にも、市警にも、学院にも、私の手の者がいる。そしてほかならない私自身が青海文書の使い手であり、君よりもずっと文書に精通している。だから、私は君の求めるものを全て与えられる」

 提示された条件は、すごく魅力的だった。

 ウファーリの退学が決まったとき……。

 僕は彼女を救う手立てがひとつだけあると、そう考えた。

 その手段は、紅華だ。

 僕には五十人の人間の意見をかえることはできない。

 でも、彼女なら。

 即位していないだけで、ほとんど女王とかわりない権力をもつ王姫殿下なら、手立てがあるはずだと考えたのだ。

 もちろん、大宰相として国の中枢にいるこの男にも、可能だ。

 これは、オルドルに『魔法の使い方を知りたくないか』と言われたときと、似ている。

 魅力的な餌をたらして、獲物がかかるのを待っているのだと、本能で感じた。

「青海文書を滅ぼすも、生かすも、その方針は君の自由意志に任せよう。私は君の決定にしたがい、必要とあらば資金も、権力も、何もかもを提供する」

「これは、取引なんだな」

「そうだ。私もこの国で生きて行くのに必死だ。信頼のおける仲間は、ひとりでも多くほしい」

「貴方は帰ろうとは思わないんですか」

 黒曜は少しだけ、返事をするのを躊躇(ちゅうちょ)した。

 そして出てきた答えは、ひどく空しいものだった。

「帰って……どうする? 私はもう、故郷をこの目で見ることもできない。友人も、母親も、死んでいるだろう」

 こちらに来て、あまりにも長い時間が経ってしまったのだろう。

 その口調は湿っぽいものではなく、ひどく乾いていた。

 故郷を懐かしむ心はあっても、そこは彼にとっては過去にすぎない。

 その感覚がわかる気がして、背筋にヒヤリとした感触を覚えた。

「だったら、もっと早くに……」

「そうできない事情があった。君は、帰りたいかね」

 僕は答えに詰まった。

 今は、まだ。帰るという選択肢はない。

 でも……。

「忠告しておこう、日長君。ウファーリやイブキ、そして天藍アオイ。もし帰りたいと思うなら、関わりすぎないことだ。戻れなくなる」

 青海文書と同じだ、と黒曜は言った。

 誰も、選択の前には戻ることができない……。

 この国に深くかかわれば関わるほど、知れば知るほど、知らなかった頃には戻れない。

「なに、返事は今すぐでなくてもかまわない。たとえ、君が元の世界に戻ることを望んだとしても、私は君の味方だ。それだけは覚えていてほしい」

「僕には……自分に貴方が望むようなことができるとは思えないけど……」

 僕の言葉の最後は、外から聞こえてきた拍手にかき消えた。

 僕は魔法使いでも、宰相でもない。

 魔法はろくに使えないことにかわりはないし、頭が切れるってタイプでもない。

 再び、彼が口を開こうとしたとき――長い会話は、衣擦れの音、そしてペタペタという、素足の足音で閉じられた。


「時間切れだ、黒曜ウヤク」


 聞き覚えのある少女の声がした。

 部屋を囲んでいた天幕の一部が引き上げられ、そこから緋色の瞳をした女の子が現れた。

 紅華……。

 彼女は喪を示す黒地のドレスをまとい、胸に赤いリボンをつけていた。

 そして、赤い靴を片手に提げている。

 ヒールが高すぎて、走れなかったんだろう。

 素足が、埃で汚れていた。


「まったく、油断も隙もない……どいつもこいつも」


 黒曜はソファから立ち上がり、片膝を地面につけて深く頭を垂れた。

 


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