5 決闘 -1
普通、王族の、しかもそのピラミッドの頂点の人間を前にして、あんな暴言を口にするだろうか。
もしそんなことがあったなら大問題になりそうなものだが……。
でもそんな疑問は、すぐにどうでもよくなった。
「なっ……なんでこんなことにっ」
問わずにはいられない。
僕は壇上で、大勢の招待客の前に立たされていた。
隣では紅水紅華が立ち、グラスを掲げている。
「まずはわたくしから信愛なる皆様方にご紹介したい。彼はマスター・ヒナガ・ツバキ。わが国とは同盟国家である藍銅共和国から、招きに応えて魔法学院の教師となってくれました」
大勢の人間の視線が、自分ひとりに向かっているなんて、未だかつてなかったことだ。友達に書かせた夏休みの読書感想文が賞を取ってしまったときくらいじゃないかな。
「若き才能を祝福しましょう。偉大な知恵に」
グラスを掲げると、一段下のテーブルにつく貴族たちがいっせいに唱和する。
「偉大な知恵に」
「我らの師に」
「王姫殿下万歳!」
「女王国よ永久であれ!」
それぞれがグラスを干し、掲げ、拍手し、喝采を送る。
何が起きているのかわからない。
騒ぎのなかで、紅華がそっと耳打ちしてくる。
「魔法学院の教師といえば、女王国でもっとも誉れ高い職業のひとつなのだ。例年、昼食会に招かれ、最上段で王族と供食するのが習わしだ」
違う。
驚いているのは、紅華はリブラと組み僕を殺すとまで言ったのに、こうして大々的に紹介してみせた……という点だ。
戸惑いに気がついたのか、彼女は低い声で続けた。
「死にたくなければ励め。逃げてもむだだとわかったのだろう? 人ひとり消えたところで、誰も気にしたりせぬ。たとえ顔見知りでもな」
乾杯が済むと、それぞれがテーブルに着く。
紅華を中心に、リブラ、百合白、そして青灰色のドレスを着た妙齢の女性がいた。
天藍は着席せず壁際で周囲を警戒している。
給仕たちがすぐに料理や銀食器を並べていく。
皿に品よく盛られた料理は繊細な芸術作品のようだ。
しかし試しに口に運んでも、どこか精彩の欠いた味しかしなかった。
きっと緊張のせいだ。
気を紛らわせるために百合白と、青灰色のドレスの女……彼女らの叔母の会話に耳を傾けた。
「学業のほうはどうです?」
「はい、変わりなく。皆様とてもよくしてくださっています」
「あなたを見ていると、あなたのお母様の若いころを思い出すわ」
どこにでもよくある、親戚との何気ない会話だ。
でも、何かがおかしい。
僕にはよくわかる。
デザートが運ばれたころ、雲行きが怪しくなった。
「さて……紅華、そろそろ聞かせてくれますね」
会話を楽しんでいたはずの叔母とやらが、はっきりと怒りの表情をみせた。
紅華に対する彼女の態度は百合白に対するものとは真反対だった。
厳しい声音に、僕の肩は自然と震えた。
「わが学院の理事会決定を覆して、他国から新任の教師を招きいれたことについて、まだ弁解をきいていませんよ」
「さあて、何を仰っておられるのやら……」
「とぼけるのも大概になさいな。そもそもこの昼食会も、天藍による五竜討伐の祝賀をかねていたはず。それを覆すからには……マスター・ヒナガ。相当な実力者だと考えていいのでしょうね」
「えっ……ぼ、僕……?」
灰色の瞳でにらまれる。
まさか、こっちまで飛び火するとは思っていなかった。
「もちろん」と答えたのは、僕ではない。
僕なはずがない。紅華だ。
「実力は折り紙つきです。女王国では長らく続く対竜戦線のせいで竜鱗騎士ばかりが着目されてきましたが、彼の魔術の前では児戯にひとしい」
ん? なんだ? なにを言ってる?
なにか、マズイことを口にしてないか……?
「学院の経営に口を挟む暇があるのでしたら、自分の立場を顧みるべきですわね」
「わたくしは、女王国全体の資産である魔法学院を《我がもの》と言いきる愚かな女ではないのです。なんでしたら――あなたの可愛い教え子、天藍アオイと戦い、証明してもいい」
あからさまに陰険なやり取りだ。
百合白は戸惑い、どちらかといえば怯えている。
紅華は余裕の表情を崩さず、天藍が無表情で成り行きを見守っている。
僕は、ひたすら混乱だ。
紅華は席から立ち上がる。
「《御前試合》だ。やってくれるな、マスター・ヒナガ」
いや、やらないよ。
僕は首がちぎれそうなほど、ぶんぶんと両側に振ってみせた。
「王姫殿下、お考え直しください。私の剣は竜のために振るわれるもの、人に対してではありません」
天藍が言う。
「それに」
天藍はこちらをバカにしたような目つきで見た。
見たというより、見下した。
「昼食会の前に、彼と少し話しましたが、とても相手になるとは思えません」
そうだ――。
情けないことだが、異論はない。
僕はこいつに、あやうく殺されかかったのだ。
試合などしたら、ものの数秒で首が胴から離れることだろう。
……とか考えていると、この事態をいつの間にか見守っていたほかの客から動揺の声があがる。
原因はわかってる。
でも、意味がわからない。
いきなり、リブラが赤いタイを外して、天藍にぶつけたのだ。
「いち騎士の分際で、王姫殿下に意見するとは不敬である。私が代わって君と闘おう」
つまり、どういうこと?
「決闘だ!!」
そんな声が、会場のどこかで上がった。
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やっぱりこれも、本で読んだことがある。
どこかの貴族は脱いだ手袋をぶつけたら、決闘の合図だと。
女王国では、それは胸につけたタイなのだ。
決闘の場所は先ほどの庭だった。
花が咲きみだれ、蝶なんかが飛んでいて、とても決闘という血なまぐさい雰囲気ではない。
あれほど拒んでいた天藍は、既に庭の真ん中に移動して相手を待っていた。
客たちも遠巻きに見物している。
「なあ、リブラ……ひとつ聞いていいかな」
「なんです?」
「あんたの《医療魔術》じゃ、戦えないって話じゃなかったっけ?」
リブラの顔色は良いとはいえなかった。
彼はすんなり頷いた。
「そうですね。万に一つも、勝利する可能性はありません」
「それじゃ、どうしてあいつに喧嘩を売ったんだよ」
「日長君……これを」
紙袋を渡される。
開けると、中には大量の瓶が入っていた。
「もう必要ないとは思いますが、こっちは鎮痛剤、止血剤がこれです。それからかのう止めと……容量を書いたメモを入れておきました。くれぐれも守ってください」
「なんだよこれ……」
「もし私に何かあったら、もう君の治療はできませんから」
リブラは遺言じみたことを言って、紅華の前に片足をついた。
彼女はメイドに差し掛けられた日傘の下で、背もたれつきの藤のいすに座っている。
リブラは差し出された紅華の小さな手の甲に口づけた。
まるで騎士みたいだ。
そして天藍の前に進み出る。
その手には、天秤の杖が握られていた。
「あいかわらず、何を考えているのかわからない」と、天藍。
「お褒めいただき光栄です」
「いや。お前の主だよ……これは仕組まれたものだろう? それに褒めてはいない」
言いながら、天藍は抜刀……抜剣かわからないが、あの不思議な形状の剣を抜いた。
「この決闘、王姫・紅水紅華が見届ける。心ゆくまで戦うがいい」
彼女の手には、鈴が握られていた。
小さな、片手に収まりそうな鈴だ。
開始を告げて、鈴を鳴らす。
甲高い、金属を切り裂く悲鳴みたいな音が、鈴を中心に広がった。
澄んでいて、それでいて、確かな手触りのある印象的な不思議な音だ。
なんだろう?
ただの鈴じゃない。
そうこうしてるうちに、まずは天藍が動いた。
彼は左手に握った剣をいきなり地面に突き立てた。
刃から白いものが地面に流れ出て、切っ先を中心に、同心円状に広がっていく。
パキパキ、という小さな音がきこえる。
白い何かは、土やそこに生えている草花を飲み込み、盛りあがり、硬くかたまっていく。
パキン、と甲高い音を立てて、白く巨大な花が開いた。
それは氷よりずっと硬質な結晶のようなものにみえる。
天藍がゆっくり剣の切っ先を持ちあげる。
それにともなって、小さな結晶が集結し、ひとつの形を作りあげていく。
純白の花弁から、同じ形の剣をもうひと振り、引きずりだしていく。
あれが竜鱗魔術ってやつなのか……?
「一の竜鱗、その名は《偽剣》」
リブラはじっと天藍を見据えて杖を両手で握りこんでいる。
二振りの剣を手にした天藍が、深く、深く踏みこんだ。
「竜鱗騎士団団長・天藍アオイ。参る」
その体が、地面を滑るように走る。
お互いの距離は二十メートルほど。
しかし、天藍はたった一度の踏み込みだけでリブラの目の前に降り立った。
姿勢を低く保ったまま、まるで飛んでいるみたいだ。
白いマントがふわりと宙に舞う。
そして急速な回転運動につられて、激しく踊る。
二つの美しくも残酷な刃が振るわれ、右の一刀が逃げようとしたリブラの左脛を切り裂き、血しぶきが剣の軌道を追いかけていく。
「くっ……!!」
そして反対側の剣が、リブラの左肘にかかった。
あまりにも簡単に、腕が飛んだ。
滑らかな切り口から鮮血が吹き出し、こぼれる。
返り血を浴びる間も無く、天藍は地面を軽く蹴り、後退。
再び、ふわりと飛ぶようなしぐさだった。