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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
紅天に消えし者どもよ
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51 潜入

 初代女王像の前に設けられた舞台の前に老若男女が座ってる。

 一番前の列に座っている人たちは胸に勲章をつけていた。式典に呼ばれてやってきた、鶴喰峠の生き残り……イネスの同僚で、年上で、軍に残ってイネスよりずっと出世している人たちだ。

 彼らは伴侶を連れ、子供を連れていた。来賓席の後ろには報道陣が詰めかける。

 雄黄市の、大竜侵攻。その五年目の区切りに開かれた追悼式典が、どれほど人々の関心を集めているのか、その張りつめた空気だけで、圧倒的な部外者である僕にもよくわかった。

 檀上にいるのは黒い服を着た男だ。

 30代後半だと思う。精悍な横顔で、喋り口調は穏やかだ。髪も黒だし、瞳も黒い。

 日本では珍しくもない容姿だが、翡翠女王国では浮き立ってみえた。

 伝統的な衣装、なのだろうか。

 丈の長い上着を着ている。両肩から垂らした布には深い緑と藍の色で模様が織り込まれ、裾に飾りの房がついていた。


 あれが、翡翠女王国の重鎮。女王府の黒曜石、大宰相、黒曜ウヤク――……。


 の、影武者。


「黒曜家は《海音》をもつ家系だ」


 そう天藍は言った。世間しらずの僕のための説明が、だんだん板についてきている。


「《海音》って? ウファーリみたいな?」

「《言霊使い》だ」


 うわっ。

 僕はそう言いたいのを我慢した。

 できる限り声を潜めて訊ねた。


「それって僕の想像力だと、たとえば他人に何でも命令を聞かせられられるとか、言ったことがみんな本当になる、みたいな能力なんだけど……そんなやつが政治とかしたらやりたい放題なんじゃないのか?」

「黒曜ウヤクの言葉は、現実に対して影響力をもつ、それは間違いない。だから言葉を発しなければならない公の場には代役を立てる」


 そうか。それで、今壇上にいるのは別人なんだ。

 でもそれって、意外と上手い手かもしれない。

 公然と影武者を使えるなら、多忙な職務も少しは楽になる。

「実際のところは、さほど他者へと影響を与えられる能力ではないらしいがな。たとえば昼食に何を食べるか迷っている奴がいるとして……」

 そこで《海音》を使っても、できるのはせいぜい青リンゴを食べるか赤リンゴを食べるか、というくだらないことを決めてやることくらいなのだそうだ。たとえば、命に関わる危険なことは《言霊》を使っても効果がない。屋上から飛び降りろ、とか、車で事故を起こさせる、とか、そういうことを言っても、命の危険を感じた瞬間に効力が切れてしまう。

 もともと、人体には、他者の魔術に抵抗する力がある。

 だから、魔力を介した他人への直接の働きかけは、どんな魔術でも……竜鱗魔術でも難しいものらしい。

 それは、僕にとっても有用な情報だった。

 これから先、オルドルの魔法を使うときに、そういう魔法は避けたほうが無難、ということだ。

 そう考えていると、どこかでクスクス笑う声がした。

「そう、本人が言っていた。世間話のついでに」

 それは王宮のどこかで聞いたのに違いなかった。

「へえ……知り合いなんだ」

「姫殿下の護衛先で何度か顔を合わせたことがある」

 天藍はフードの下で、抜け目のない男だ、とつぶやく。

「黒曜は姫殿下の采配で一度宰相職を辞めさせられている。が、紅華が王宮に戻ったと同時に女王府に返り咲いた」

 天藍の表情は厳しく、ほとんど憎悪に近い感情が浮かんでいる。

 星条百合白は紅水紅華が王宮に戻るまで、女王代理の姫君、王姫という立場だった。

 だが、竜が翡翠女王国に侵攻して……凄まじい被害が出て、女王府ではなく、海府の議会から責任を追及されて、王位継承権を失った。

 短期間に一国のトップをすげ変えたわけだから、クーデターにも似た状況だ。

 僕と天藍はそんなことをひそひそ喋りながら舞台の裏側を目指して移動する。

 目的はステージの後ろ側にある天幕だ。

 進むごとに警備が段々と厳重になっていくのを肌で感じた。

 式典には紅華を筆頭として多数の王族が参加する。天幕のどこかに控室があり、警備を行うのは市警や近衛隊、ということになる。

 式典に潜り込むにあたって、僕は会場整理の係員に変装していた。

 制服一式や腕章、通信機の装備一式をどこから入手したのかは、お察しだ。


 この会場のどこかに、紅華がいる。

「わかってるな。失敗はできないし、引き返せないぞ」

 僕たちの立場は、今、かなり危うい。まさに、首の皮一枚でつながってるようなものだった。


 ウファーリのところでひと息つけると思っていたのだが……。


 あの光景を思い出し、僕は吐き気を必死に抑え込む。

『青海文書の気配がする』

 あの晩、オルドルの警告を受けて、僕と天藍は店の外にでて――そこで目にしたのは、道ばたに転がった三体の死体だった。

 いずれも、胸を銀の竜鱗で貫かれていた。

 ……あれは、偶然か?

 そうは思えない。あの事件に、青海文書がかかわっているのかもしれない。

 もしそうなら、その人物は、どうして店の近くで人を殺したんだろう。

 おまけに犯人は、僕を一度殺した人物でもある。

 そいつがすぐそばにいたのだ。

 僕の指先は知らずのうちに震えていた。

 スラムでの死体など珍しくもないのに、捜査にかこつけて市警が入り込んでくることは想像に難く無かった。ヒゲじいに頼んで、イブキだけは地下通路を通って、彼のねぐらに連れて行ってもらうことになっている。

 ヒゲじいは腕が立つし、腐ってもイブキは竜鱗騎士だ。僕たちが戻るまでは、逃げ延びてくれるだろう。

 急いで何か手を打たなくちゃいけない……。

 ふと、目の前に白い掌があった。

 天藍が止まれ、と合図をしている。

 僕たちは物陰に隠れた。

 天幕の手前に、簡単なバリケードが築いてある。

 そこに銃器を担いだ男たちが見張りをしているのがみえた。

「近衛兵だ」

 僕は自分の手を見た。包帯を巻きつけた爪はすっかり再生している。

「痛みで身動きとれなくなったらどうする」

 魔法を使おうとしたのを、天藍は咎めるような口調だった。

「ここは俺が何とかする。いいか、合図したら、走って、紅華を探せ。黒曜の話が終わらないうちにな」

 宰相の話が終われば、次は紅華が舞台にのぼる。それまでに見つけなければならない。

 僕はうなずいた。

 どうするのかとみていたが、天藍は堂々と兵のほうに歩いていった。

 見張りは当然、銃口を向けて静止する。

 天藍は歩きながらフードを外した。

 カーキ色の煤けた布地から、はっとするほど白い髪が零れ落ちた。淡い燐光をはなつ灰の瞳も、月の女神のような美貌も、彼らは二人同時に目にしたにちがいない。

 兵士たちは瞬時に自分たちのほうに向かっている人物が誰なのか気がついたようだ。その動きが凍りつく。

 ちょうど、大きな花飾りを抱えた係員が通りがかる。

 僕はその陰にかくれて、バリケードに近づく。程よいところで天藍が手振りで合図をするのがみえた。

 天幕に向けて全力疾走した。

 見張りの兵士の横をすり抜けて、先へ。撃ってくるようすはない。

 振り返ると、天藍の肘がひとりの兵士の顎を思いっきり打ち抜き、もう一人に組みついた。そして背後から男の襟を取って、容易く締め落とした。


 ヒゲじいにやられたときは、本当に負傷していたんだ。


 僕は天幕の内側に飛び込んだ。

 天藍はできる限り場をかき乱して、後で落ち合うことになっている。

 そんな軽業みたいなことができれば、だけど。


『ねえねえ』とオルドルは不機嫌そうに言った。『ツバキ、本当に行くつもり?』


 コポポ、と腰にさげた水入りの瓶から、あぶくが立ち上る音がした。

 天幕の中は、いくつものスペースに仕切られている。

 仕切り代わりの幕を払い除けたとき、そこから出て来た誰かにぶつかった。


「んにゃむっ!!」


 その人物はぶつかった拍子にしりもちをついた。

「その声……アリス?」

「にゃ、先生!?」

 助け起こしながら、お互いの顔を見合わせて、お互いが驚きに目を見開く。

 先に言葉を発したのはアリスだった。

「先生、心配しましたにゃ~! 図書館にも全然お戻りにならにゃいし、てっきり、にゃにかあったんじゃないかと……!」

 けして大きな声ではないのだが、女性の高い声音は響く。

 黙ってほしいが、黙れともいえない。

 僕はびくびくして周囲を見回す。

「先生、顔色が悪いんじゃありませんかにゃ?」

「キミこそいったい、どうしてこんなところに?」

 天幕の内側は関係者以外立ち入り禁止、だ。

「いたぞ!」

 背後から、兵たちの声がした。

 もう、時間がない。

「ごめん!」

「むにゃっ」

 僕はアリスを突き飛ばして、先に進んだ。彼女がもう一度しりもちをつくのがみえた。

 今度会ったら、謝ろう。心底後悔しながら、ひたすら走っていると。

 周囲から、音が消えた。

 違和感。


『あーあ……。昨日のやつはなんでか知らないけど、逃げてくれた。だからご対面せずに済んだんだよ』


 聞こえるのはオルドルの愚痴だけ。


『ボクたち、対面したら、どうなるかわからないよぅ……』


 視界が黒一色に包まれた。

 何も見えない。

 でも――誰かがいる。


「ようこそ」とその人物は言った。オルドル同様不機嫌な声だった。


 闇を煮出したみたいに重たい声だった。

 空間の底のほうから、パラパラ……と本の頁を捲る音が微かに聞こえてきた。


「待っていたよ。オルドル、再びお前に会うのをな」


 オルドル。

 はっきりとそう言った。

 僕は迷わず金杖を構えた。


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