表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
貧乏少女と逃避行
54/137

47 地下道

 まるで昨日のことのように思い出せる。

 誰もいない家。

 僕しかいない部屋。

 机の位置も、置かれた地球儀の角度も、ベッドのシーツの柄やカーテンの色……。

 そして、そこに響く音も。


 ゲホっ、ゲホっ。


 布団の中に潜りながら、小さな男の子が咳をこらえてる。

 だんだんと高くなっていく体温、パジャマをじっとりと湿らせる汗。


 それは過去の僕だ。


 今なら、アイリーンが、何故僕からあの頃の、しまいこんだままの記憶を引き出してきたのかがわかる……。

 あのときの僕は、布団に隠れながら、誰にも助けを求められなくて、不安で、怖くて、寂しくて、惨めで、誰よりも孤独だった……。

 父さんと母さんが離婚したのは、僕のせいじゃない。

 僕が父親に似ているのも、僕のせいじゃない。

 僕にはどうしようもないことなのに、どうして。

 そして。

 僕は、僕をこんな目に遭わせた母に《怒って》いた。

 怒りはいつからか憎しみになっていった。

 だから、僕には……オルドルの気持ちが手に取るようにわかった。

 彼も、誰にもぶつけることのできなかった憎悪を抱えてる。

 家族だと思っていた者に与えられる屈辱。そして怒りが、僕たちの共通点なんだ。


 オルドルの魔力の波長が途切れる。


 金の短杖は一瞬、ぶるりと震えて静かになった。

 黄金の剣をつくりだし、あの場に停滞させることをやめたのだ。

 僕は溜息を吐いて、その場に座りこんだ。


「……うぐっ」


 暗い水路に、短い悲鳴が反響した。

 ばつん、と音を立てて、爪が三枚、弾け飛ぶ。

「多すぎだろ……!」

 暗い水面が揺らめき、オルドルの声がした。

『え~っ、これでも企業努力してるんだけどナ~?』

 わかってる。前に比べて青海文書の力を使った《代償》が格段に減ってる。

 庭での決闘、内臓が全部もっていかれた。

 屋上では手足の爪全て。

 今では、なんと半額だ。片手の爪だけでいい。破格過ぎる。

 何故なのかは想像つく。

 病室で……僕はオルドルの《血》を飲んだ。

 そのことが関係してるんだ。

「休憩している暇はないぞ」と、天藍が言った。「急がなければ、市警に囲まれて脱出不可能になる」

 彼の言うことは正しいが、でも、痛みと、ひどい空気のせいで返事もできない。

 通路脇を流れる水路からは汚泥の臭いがした。

 僕たちは、市警の追跡から逃げるため、下水道におりたのだ。

「でも、かなり出血してますよ。手当てしたほうがいいですよ」

 幸い、病院でもらった替えの包帯や化膿止めがあった。

 それらを取り出して、イブキは手早く僕の手に巻いていく。

 これらの品には、医療魔術がかかっている。

 明日の朝には、無くなった爪ももとにもどる。

 そうしたら……また、魔法が使える。


「あの……ありがとうございました」


 手当てが終わると、イブキはそう言って、頭を下げる。

「あの状況を切り抜けて、助けてくれて、本当に感謝してもしきれません……。それに、天藍……班長」

 天藍はじっと地図を見ている。

「少しだけ、見直しました」

「何がだ、副班長」

「公園で……ヒナガ先生を庇って戦っていたでしょう。カガチ先生の《本気》の剣を受けながら、他人を庇うなんて……。貴方は本当に竜鱗騎士なんだって……人民の盾であり、女王家の剣であろうとしているんだってわかったんです。それだけしかできないのが玉に傷ですけど」

「それだけしか……」

 できないってどういうことだ、とよけいなことを言いかけた奴の口を、空いている手で塞ぐ。

「自分も、本当に竜鱗騎士を目指すなら……正騎士になるなら、班長についていけるようにならないといけないんですよね」

 さっきまで、自分の将来ばかりを悲観していた少女は、少しだけその姿を変えていた。

 小さなペンライトの光に照らされて、彼女の表情は暗く落ち込んでいた。

 どうやら、家計の負担に加えて、将来の責任まで抱え込んでしまったみたいだ。

「きみは結構がんばってると思うけど……」

 もちろん本心だ。

 家計を支えるために、ちゃんと、自分で働き口を見つけて稼いでる。

 しかも昼間は学校で授業を受けて、エリートとよばれるだけの成績も維持して……母親の稼ぎに甘えて、とくに何の目標もなく学校に行き、日々を漫然と過ごしていただけの僕には耳が痛すぎる話だ。

「……おい、何か言ってやれよ」

 天藍は無言で僕の手を払いのける。

 だが、様子がおかしい。

 闇の中で、灰の瞳に浮かぶ竜の虹彩は、細くすぼまり、敵をとらえようとしていた。

 そちらを振りむいて、僕もぎくりとする。

 通路の奥に、光。

 カンテラ……のような明かりを下げた人物が、こちらに近づいてくるのだ。

 それは、老人だった。

 貧民のようで、擦り切れたコートに、マフラーをつけている。

 白いひげが口元を覆い隠していた。

「班長、どうしますか?」

 僕は杖に手をかけた。

『よ~し、がんばっちゃうゾ! まだ、左手も、足もあるもんねっ♪』

 オルドルが水面を媒介に楽しそうに言うが、無視。

 そっと、杖を抜いた。

 そのとき。

 老人が、明かりとは反対の手を、少しだけ動かした。

 その瞬間、僕の腕は僕の意志を離れ《見えない力》によって捻り上げられ、通路の壁に叩きつけられた。

「…………あッ!!」

 手から、杖が落ちる。それでも、その力は僕の腕を捕えたままだ。指一本、動けない。

 それを見た瞬間、天藍は動いた。

 迷いは無かった。

 風のごとく懐に踏み込み、老人の首筋に手を伸ばす。

 天藍の目つきは、十代の少年のそれじゃない。

 冷酷で無慈悲。決闘のときとかわらない。

 殺す気だ、と僕は思った。

『やっちゃえ!!』とオルドルが嗤う。

「天藍、やめろっ!」

 老人は一瞬だけ目を細め、まるで蚊でも払うように何気なく、天藍の右腕を外側から払い除けた。

 老人の腕は、天藍の体にはまったく触れていない。

 だが。

 その瞬間、少年の体は突風に吹かれたようによろめいた。

 老人は少しだけ体を動かして、ほんの一歩だけ前進。

 老人が天藍の体の内側にするりと入り込む。

 痩せた肩が胸のあたりを軽く押さえこみ、騎士の右腕、右足の動きを止めた。うまい。逃げるのではなく、間合いを詰めることで、むしろ技の出を封じてる。すかさず襤褸靴をはいた左足が、天藍の足を払った。

 まただ。

 はっきりと触れたわけではないのに、天藍の体が浮かび上がる。

 そして――。

 老人が下からすくい上げるように、右掌底を鳩尾に向け、放つ。

 無駄のない、美しい動きだった。

 また、触れてもいないのに、天藍は大きく弾き飛ばされ、水路の天井に叩きつけられた。

 凄まじい衝撃と、轟音。

 天井に罅が入り、割れたコンクリートが落ちて来る。

 天藍は必死にもがくが、叩きつけられたまま動けないみたいだ。

 ばき、とイヤな音。

「がはっ」

 血を吐いて、そのまま水路に落ちた。

 カガチ戦で負傷してるんだ。

「……班長! ……援護します!」

 イブキは天藍がやられたのを見て、老人に向かっていく。

「やああっ!!」

 きれいなフォームの右ストレート。

 あれが僕なら、吹っ飛んでいたと思うけど……。

 彼女の拳は、老人が突き出した掌よりもずっと手前で止められた。

「体が……動っかない……!?」

 イブキの白い頬を、汗が流れ落ちる。

 老人は足元に明かりを置く。

 そして彼女に近づくと手首を引き、肩を押さえるようにして体勢を崩す。

 そして、額に指を近づけ……人差し指で、小突く。

 次の瞬間、糸の切れたマリオネットみたいに、彼女は地面に転がった。


 《海音》だ。


 しかも、ウファーリと同じ。

 彼女より強くて、効率よく力を使いこなしてる……。

「ふーむ……」

 老人は短杖を拾い上げる。

 いや、宙に浮かびあげている。

「少し懲らしめてやろうと思うたが……お前さん、怪我をしとるようじゃな」

 老人は僕のそばに来て、そして屈みこんだ。

 老人の瞳がきらりと輝く。

「ウファーリと同じ……金の瞳……」

「ウファーリを知っとるのか?」

「と」

「と?」

 僕は迷った。でも、悩んでいられる時間は多くない。

「友達……です……」

 老人は目を見開いた。

 そして何事か考えこんでいるようだったが、おもむろに、杖を僕に返してくれた。

 体も自由になる。

 水路から、天藍が飛び起きる。

 全身汚水まみれのひどい格好で、肩で息をしている。ずっと、この老人の《海音》で水中に沈められていたらしい。

「来なさい……」

 老人はガラスの覆いがついた明かりを持ち上げる。

 輝く石が三つ、ぶつかりあって音を立てた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ