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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
女王府立魔術学院
20/137

17 誰かが泣いている

 ――――五年前。


 翡翠女王国、雄黄市。


 翡翠女王国の最西端の黄市は《紅蠍砂漠》を根城にしていた竜の一軍に飲み込まれた。

 あちこちで火の手があがり、街は瓦礫の山と化し、空には鱗をまとった巨駆が翻り、置き去りにされた骸を小型の竜が啄む地獄が生まれた。

 かねてより翡翠女王国と竜の関係は悪く争いは絶えることがなかったが、防衛線を越えて市域にまで被害が及んだのはここ百年以内に例がない。

 雄市では、最後まで様子見をしていた市民たちの避難を急いでいた。

 彼らは女王府におわす翡翠女王が竜鱗騎士団を遣わし、竜の軍勢を駆逐する時を待っていたが、その時はついに訪れなかった。

 そのとき、雄市に残っていた市民の数は三十万人から四十万人といわれている。その数には黄市からの避難民も含まれていた。

 黄市市境には雄市市境を守る防衛軍の生き残りと、市府軍が合流し防衛線を築こうとしていた。

 ここを抜けられれば、避難の終わっていない市民が襲われ、街は今後数百年、人の踏みこめない荒野と化す。

 頼みの綱となる竜鱗騎士は依然として戦線に姿を見せることはなかったが、ここから後退するという選択肢は存在しなかった。

 と同時に、不幸中の幸いか紅蠍砂漠に棲む最長老クラスの大型竜は後方にとどまっており、その配下の中小型の竜相手ならば被害は蒙るだろうが、防衛は可能という甘さもあった。


            ****


 その朝、彼女は鞄に、傷薬などの医薬品や替えの下着などのほかに、大切な本を詰めていた。


 それは魔法使いがでてきて、かわいそうな女の子をかぼちゃの馬車で舞踏会に連れて行ってくれる物語だったり、長い眠りについてしまったお姫様を王子様が口づけによって目覚めさせたりする物語だった。

 それらの話は翡翠女王国に古くから伝承するおとぎ話だったが、魔法や魔術を自由に扱うことが禁止されていた古い世代の人々には忌み嫌われて、今では新しく語られることもなく古本屋の片隅に追いやられていた。

 彼女は、そういうお話を読むのが大好きだった。

 彼女の母親は厳しい人で、父親の仕事について地方まで出てきたが、一人娘だけは自分と同じように猛勉強して魔法学院に入ってほしいと願っていた。

 その気持ちはわかるものの、自分の才能や限界を超えた学習は彼女にとっては辛いだけ。

 ときどきは魔法や白馬の王子様を夢想して、現実を忘れていたかった。


「重いものは全て捨てなさい!」


 そのとき、母親が髪を振り乱し血相を変えて部屋に入ってきた。

 そして腕を掴まれ、引きずられるように家を出た。


「どうしたの!? お母さん。うちの地区の避難はまだでしょう?」


「お父さんから連絡があったの。砦を竜がこえたのよ! きっと長老竜(エルダー・ドラゴン)だわ」


「ええ!?」


 広場には避難する市民がつめかけ、それどころか、負傷して戦えなくなった軍人たちまで集まっている。どうみても、避難バスには空きはない。


 どうしよう、こんなことになるなんて……。


「荷物は捨てろ! そのぶんだけ人を乗せるんだ!」

「女性や子供が優先だ! 老人や男はおりろ!」


 騒然となった広場で、彼女は死を意識した。

 ここからは逃げられないような気がした。


 母親はしばらくぼうっとしていたが、とっさに彼女の手を引いて物陰へと行った。


「何するの!?」


 彼女の服を無理やり脱がせる。


「いいから、これに着替えなさい!!」


 母親は荷物からきれいに洗濯された服を取り出した。

 白いシャツに、青い襟がついた紺色のジャケット、そしてスカート。

 それは女王府立魔法学院の制服だった。

 ただし、どれも型が古い。

 母親の娘時代のもので、大人になって結婚しても大切にしていたものだ。

 おそらく、こうなるのを知って、わらにもすがる思いで持ち出したに違いなかった。

「これを持っていくのよ。なくさないで」

 母親は腰から杖を下ろすと、彼女の両手に握らせる。

「これはお母さんの……」

「愛してるわ」

 母親は彼女を抱きしめた。

 そうされると、何も言えなくなる。

 少女は荷物から一冊だけ、小さな文庫本を取り出して、シャツの下に忍ばせた。

 古本屋で売られていた中古の本だ。

「いいでしょ、これだけ……まだ読んでないの」

 母親は何も言わなかった。

 着替えがすむと、母親は彼女を広場に連れていった。


「誰か!!」


 母親は避難民を整理している軍人に向かって声をはりあげた。


「この子は魔法学院の生徒よ! 来年入学なの!!」


 彼女の声が届いた範囲の市民たちが押し黙る。

 その目には憐憫があり、恐怖があり、よけいなことをするなという憎悪があった。

 避難民を整理していた兵士がひとり、母娘に近づく。


「順番だ。並びなさい」


 銃を手に、威嚇してくる。

 しかし、母親は脅えもしない。


「娘は陛下の御名のもと選ばれた子よ、医療魔術を学び、きっと医者になるわ。でももし竜鱗に適合したなら、みなさんのために命を賭けて戦う覚悟だってあります。優しくて勇気のある子なの。必ずお役に立ちますから……!」


 必死の叫びが聞き届けられたのか、バスのひとつから、軍服を着た若い赤毛の男がおりてきた。

 彼はまだ十代の若さだったが、頭に包帯を巻き、出血が止まらずに赤くにじませていた。


「僕が席を代わりましょう」


「ありがとう……どうもありがとう」


 兵士は彼女の頭を撫で「いっぱい勉強してくれよ」といって、順番待ちの列を通り過ぎ、水のない噴水の縁までいって座り込んで項垂れた。

 母親に押されるようにして、バスに乗り込む。


「お母さん……」

「海市に着いたら、私のお友達を頼りなさい。どうしたらいいかわかるわね」

「私、行きたくない。お母さんを置いていけない」

「大丈夫よ、あとでまた会いましょう」


 人を満載したバスはゆっくり走りだす。

 母親はそのそばをついて歩き、バスが速度を上げるとその場に立ち止まって、手を振っていた。


「お母さんっ……」


 今にもバスを飛び出してしまいそうな少女を、客たちがしがみついて止める。


「お母さん、いやだ…………!」


 涙がこぼれ、とまらない。

 いつまでも道に立っている母親の姿がみれなくて、少女は座席に座り込んで顔を覆って泣き始めた。


 悲鳴が、


 広場から悲鳴が聞こえたのはその直後のことだ。


 窓の外を見て――――町の端をみて、彼女は絶句する。


 十メートルはある防壁を大津波が呑み込み、なぎ倒していくのが見えた。

 内陸にある雄市には海はなく、水害をもたらすような大きな湖もない。

 しかも、それは水ではなかった。


 激しく煙を噴き上げる、銀色の膨大な質量。

 銀の大津波だ。


 高熱を発しているらしく、それが振れると、防壁はのきなみ燃えて溶けだした。


 そしてその残酷な奔流の向こうから、巨大な鉤爪を持ち翼を広げた異様な姿の怪物が姿をみせたのだ。


「竜だっ!」


 その示すところは単純極まりない。


 もう、母親は助けてくれない。

 魔法使いがかぼちゃの馬車で助けてくれることもなければ、王子様が迎えにきてくれることもない。


 ただ、死が。


 死だけがそこにある。


 でも、それよりも。


 彼女はあの広場に、席をゆずってくれた心優しい青年や、厳しかったが愛情深い母親を置き去りにしてしまったことが、悲しくて悲しくてしかたなかった。



          ~~~~



 魔法学院の始業式があったその晩。

 市民図書館は明かりを落とし、閉館の準備をしている。

 あまり客の来ない図書館であるし、スタッフはみんな、この周辺に寝床があるため、あまり急がなくてもいい。

 最後の最後まで放っておかれたテーブルには『一日一ページでペラペラ! 翡翠女王国語』を枕に、アリス=アネモニが、ぐうぐう寝息をたてていた。


「う~、獣人はぁ~憲法によって基本的人権の認められた知的魔法生物でありぃ~、ドブネズミをとって食べたりしないにゃ~、んんっ……むにゃむにゃ」


 やけに具体的な寝言を口にする、その口元には、かすかによだれが垂れている。


「……お疲れのようですね、アリスさん」


 まあ、普通なら勤務時間中、ろくに仕事をしていない(ようにしか見えない)アリスに優しくする理由はないのだが、どうしてもその愛らしい容姿から、甘やかしてしまわずにはいられない……わけでもない。

 どちらかといえば「またか……」といった気持ちで、警備員は毛布をとってきて、その背中にかけてあげようとする。

 その瞬間、アリスはパッチリと、ガラス玉のように大きな瞳を開けて、言った。


「誰かがにゃいている……」 

「え、焼いて?」


 そして、急に椅子から立ち上がる。

 当然のことながら、無防備だった警備員は両脛を強打。

「ふごぉ!」

 情けない悲鳴をあげてうずくまる。

「はにゃ、警備員さん! 大丈夫ですかにゃ!?」

「命に別状はありませんが、大丈夫なわけでもありません……!! 正当な報復のためにデコピンしてもいいですよね!? くらえっ、地獄の指鍛錬によって限界まで鍛えられたデコピンを――!!」

「ごめんにゃさい、ちょっと出かけて来ますにゃ!」

「は、はい? どこに?」

 ぴょこん、と椅子からおりたアリスは「お外っ!」と叫んで、駆けだした。

 アリスが図書館の玄関をあけ、飛び出す。

 閉館時間をすぎているため、警備員の姿はない。

 向かいのパン屋もしまっている。

 路地にうずくまる人影がある。


 体格は小柄だ。小柄というか、やせていて細い。


 髪はめずらしいほど真っ黒で、黒い外套もあいまって、闇に溶け込んでしまいそうだ。

 そばには折れ曲がった眼鏡がそばにころがっていた。

 年齢は、まだ十代。

 十六歳といったところだろう。

 顔には殴られたあとがあった。

 このあたりは治安は悪くないのだが、闇夜となると安全とも言い難い。

 プロ中のプロである警備員たちは、市井のことには関心がないので、せいぜい通報するだけだ。

 闇の中でも見通せる、ときにはそれ以上のものを見つけてしまうアリスの目には、彼のそばに立つものの姿もみえていた。

 それはうっすらと燐光をまとって、金色に輝いていた。

 光の中に、すらりとした女性の姿がすけてみえる。


「……アイリーン」と、アリスは口にした。


 輝く女は、す……と掻き消え、うずくまる少年だけが残った。


 アリスは少年に近づいた。


 少年が薄く目をあける。黒い瞳だ。

 そして、彼がコートの下に抜けるように青い制服を着ていることに気がついた。


「藍銅共和国からきた先生、みつけたにゃ~ん?」


 その袖には赤褐色の日長石を使ったカフスが輝く。

 それをみて、アリスは微笑んだ。



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