117 想いと絶望の遊戯 -3
これが、マリヤが血反吐を吐きながら求めた《理由》。
命を賭けて、その身を悪事に染めながらも捨てきれなかった《答え》……。
マリヤは本当に、こんな答えを求めていたんだろうか。
僕たちはこんな答えのために戦ったんだろうか。
そう思った瞬間、手足から力が抜けていった。
魔法が砕け散る。
クヨウの魔法を撃ち破ったときと同じだ。
銀の玉座が、百合白さんを縛る茨や蔓が、動物たちが断末魔の絶叫を上げ、木々が枯れていった。僕の精神状態が、これ以上怒りを――魔法を維持できなくなったからだ。
オルドルが左小指を付け根からもぎ取っていく。
それすらも些細なことのように感じられる。
「あなたになら理解してもらえるような気がします。あなたは私のことを好きだと仰いましたね」
降り注ぐ銀の魔法のかけらの下で、彼女は僕をみつめた。
僕たちを繋ぐのは、互いの掌と、熱だけだった。
「そうだ……だけど、僕は君への想いのために誰かを犠牲になんかしない……」
やっとのことで紡いだ言葉は、掠れた呻き声のようだった。
本当にそうだろうか。
僕は百合白さんのためと言いながら、マリヤを殺したじゃないか。
「私は多くを望んだのではありません。ただ、女性としてごく当たり前のことを願っているだけです。それとも彼が苦しみ死んでいくのをただ見ていればよかったとでも?」
もしも彼女が王姫でなかったら……ふたりは出会うことすらなかっただろう。
天藍アオイは誰にも心からの忠誠を捧げず、竜と戦う間もなく、死んだかもしれない。
彼を救えたのは王姫・星条百合白ただひとりだった。
彼女が王姫だったからこそ、天藍アオイという孤独な騎士は救われた。
でも、それでも。
「あなたは、ごく当たり前の幸せなんか望むべきじゃなかった……」
僕の口からは、残酷な、彼女を切り刻む鉄の言葉が吐き出されていく。
マリヤをはじめとする多くの死を、肯定することなんかできない。
百合白さんは痛みに耐えるようにそっと俯き、「そうですね」と言った。
悲しみに満ちた瞳は、それは僕に理解されなかったからなのか、失われていった命に思いを馳せたのか、せめて後者であってほしかった。
「天藍はこのことを知っているんですか」
「いいえ、彼はただの騎士です。何も知らせてはいません」
その返事に、安堵する自分がいる。
理由を知らないから、求めなかったから、必要ないと切り捨てたから、彼は忠誠を捧げられた。銀華竜を倒すことができた。
マリヤは……何も知らずに逝ったのが、せめてもの救いだった。
戦場で兵士を殺すのは大義か、と言ったカガチの言葉が、今更思い出される。竜と人とが対峙するとき、正しさを誰が決める……?
「マスター・ヒナガ、あなたと話せてよかった」
百合白さんの掌が、僕を離す。
暖かい体温は今度こそ永遠に離れていく。何より僕に追いかける気力がない。
銀の雨は降り止み、そこは教室の風景に戻っていた。
隣の授業の音だって聞こえる。古いもののにおいも戻ってくる。
「このことを……僕が誰にも話さない、と思う?」
引き留めようとしたわけじゃないが、でも結果としてはそうなった。
僕に話した言葉は、何かの証拠にはならないかもしれない。
でも僕には、その話を誰かに伝える選択がある。
百合白さんは、地面にみっともなく膝を突いたままの僕の隣に腰を屈めた。
「あなたは話しません。だから、私はあなたに真実を伝えようと思いました。だって……」
彼女は僕の耳に唇を寄せる。
いつかと同じ体温、上等の絹に似た肌の感触、そして甘いにおいが、僕の感覚に満ちる。
彼女の唇が僕の耳に触れる。柔らかく、甘く耳朶を噛む。
そして、百合白さんは魔法の言葉を囁いた。
「――、――――――」
たった一言で呼吸が乱れるのを感じた。
頭でその言葉を理解するよりも、体が先に反応したのだ。
彼女は僕が動かないのを見て取ると、「それでは、ごきげんよう」と告げて去っていく。
スカートの裾を翻し、扉に向かって歩いて行く。
やろうと思えば、僕は彼女をどうとでもできただろう。
黒曜ウヤクがあれほどまで必死に、彼女を玉座に据えるわけにはいかない、と訴えていたのもうなずける。存在そのものが危険すぎるのだ。
可憐で、誰もを魅了し、黒曜ウヤクと同じ目線で立ち回ることのできる少女。
だが、彼女は恋する乙女で、王姫である自分より愛する男のことを優先する。
翡翠女王国の人々のためには、星条百合白はいないほうがいい。
けれど、彼女の歩みを阻む者は、ここにはいない。
僕にはできない。
彼女はスカートを揺らしながら階段を登り、誰に咎められることなく、教室を出て行った。
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中庭に、僕が学院に初めにきたときと同じようなステージと、紅い絨毯が敷かれている。
そして、全校生徒と全教官が揃っている。
いないのは僕だけだ。
僕は屋上で、彼らの頭を無気力に見下ろしている。
「玉砕かね」
隣に、若い男が立つ。変装した黒曜ウヤクだ。
「あの娘は一筋縄ではいかない。強敵だ。何しろ私から仕事を奪った女だぞ」
「……敵わないって、わかってて行かせたんだな」
彼が近づいてくるのはわかっていたが、僕は彼を追い払ったり、視界に入れる労力すら払わなかった。
制服のスラックスの裾が、風にあおられているのがちらりと見えただけだ。
「そうだな。相討ちに持ち込むにも手持ちのカードが足りまいよ」
わざわざ確認なんてしたくもないが、黒曜は最初から百合白さんの《理由》を知っていたような気がする。
だからこそ、五年前、彼女の王継承権を剥奪するべく動いたんだ。
「わざわざ笑いに来たのか?」
「様子を見に来てやっただけだ。君にはいろいろ働いてもらったしな」
くつくつと上機嫌そうに喉の奥で笑う声が聞こえる。
「良く言うよ。僕を強制冷凍睡眠させようとしてたくせに……」
こもった音は、本格的な笑声に変わった。




