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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
救い難き魂
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111 過去を忘れて

「姫殿下への忠誠を捨てたわけではないが……もっとはやくこうするべきだった、という後悔はある」


 星条百合白が王姫である資格を失っている現状、彼女を守るという誓いは、天藍アオイの個人的な感情の問題――実際がどうであれ、そう取られても仕方がない。

 この頑固な奴が自分からそう言い出したのだ。きっと銀華竜やマリヤの一件が影響しているだろうけれど、僕はただ、そういうタイミングにたまたまいただけだ。

 だから何を訊ねても、否定しても、肯定しても、行く先は変わらないんだろう。


「辞めた後、どうなるんだよ」

「ただの学生に戻る。竜鱗魔術師であることは変わらないが……もう騎士ではない」


 こいつが、ただの学生なんて……うまく想像ができない。拍子抜けだ。

 ……いや、拍子抜けどころじゃない。


「騎士を続けるっていう選択はないの? それとも、諦めてるのか?」


 星条百合白の騎士であるということは彼の大切な一部分のはずだ。

 天藍は質問には答えず、全く見当違いのことを訊いて来た。


「……蘇生の最中のことは記憶に残っているか」


 蘇生? オルドルが《蘇生》の魔法を使っている間のことは、うろ覚えだ。

 そう答えると、天藍は言葉を選びながら話し始めた。

 どうして唐突にそんな話を始めたのかはわからなくても、それでもあまり多くを語らないこいつが何かを伝えようとしているということだけは理解できる。

「たとえ騎士でなくなっても、俺は《過去》には戻らない。俺には星条百合白殿下が示してくださった道がある。あの方を恨むと言ったが、それでも彼女がいれば戦い続けられる」

 たとえ何を失うことになっても、と続く気がした。

 こいつは諦めてなんかない。どれだけ困難な局面でも、逃げたりしない。

 彼女を守るための最善を選び続け、その先に戦いがあれば、躊躇わない。騎士ではなくなっても戦い続けるんだ。


「ヒナガツバキ、お前は準長老級の竜を倒し、文字通り命を賭けて女王国を救った。戦士としてお前を誇りに思う。だから――過去は忘れろ」


 それだけ言うと、天藍は席を立った。

 ぴんと伸びた背中が、図書館の出口に向かっていく。

 赤いお茶の残量は半分程度。

 窓ガラスには天藍が出ていって、閉じていく扉がうつっている。


「……オルドル、食べていいぞ」


 左手に鋭い痛みが走り、血の雫が垂れる。


 僕を誇りに思う……。


 肉体の痛みより、その言葉のほうが、辛い。

 出会った最初から、あいつは百合白さんを守るのに必死だった。プライドが高すぎだし頑固だし、暴力的だし、とても好感は持てない……。

 でも強くても、誰かを守れるわけじゃないって苦悩していた。

 今もそれを続けていて、未来永劫、彼女が生き続ける限り、この後もずっと変わらない。

 不思議だ。

 彼は孤児として生まれた。父親も母親も知らずに。それなのに、誰かを守るために生きている。強くあれる。

 認めよう。

 天藍アオイは星条百合白に相応しい。

 本当のプリンセスを守る、本物の騎士だ。

 僕もそうなれたらどんなにいいだろうと感じる。


 彼の言うように過去を忘れ、僕が欲しかったものや、失ってしまったものや、してしまったこと全てを忘れて、誇り高く生きられたら。


 でも、それはすごく難しいことなんだ。


 過去の小さな引っかき傷が、今の自分を傷つける。

 大切な人の、通り過ぎていった人たちの些細なひと言に縛られて、身動きできない。

 全てをふり払えるほど、そして未来の可能性を一つに絞れるほど、人はそんなには強くなれないんだ。

 少なくとも僕は忘れられない。

 そう、つまり。





 マリヤの最後の言葉のことだ。





               ~~~~



 竜の爪痕は、海市の平穏に傷をつけた。

 それは時間が経過しても癒えないどころか、膿み、肉を腐らせていく。

 銀華竜は表向き騎士団が倒したことになっていて、詳細はあまり語られていない。

 それよりもするべきことが山のようにあった。街のあちこちは破壊され、その片付けが残っている。対策を取っていたにも関わらず出た死者のため、弔いの日々が続く。

 人々は不安がり、その不安は解消されないままだ。

 解消しようとしないのではない。

 不可能なのだ。危険はゼロになることはない。

 ただ、一時、それが無いもののようにふるまうことができるだけだ。

 今度のことでみんな知ってしまった。何かが少し変わるだけで、平穏な日常なんていとも簡単に消えてしまうんだって。危険はいつもそばにあって、無くすことはできないのだということを、やっと思い出したのだ。

 部外者ですらそう思うんだから、市民感情はかなり動いてるはずだ。

 竜鱗騎士団の在り方や、女王府の動きが変わるのも仕方ないことかもしれない。


 僕はというと、あれから暇つぶしにアリスさんから語学研修を受けていた。

 ……成果はあまり芳しくないが、少なくとも数字は数えられるようになった。まさか、百人中百人が文系の烙印を押す僕の人生で国語より算数が得意になる日が来ようとは。

 そして、とくに動きのないまま二日が経った。

 図書館の玄関前に車が停まった。

 車種なんかは知らないが、高級そうだ。ガラスは外から覗けないようになっている。

 まず、緊張した顔のイネスが呼びに来た。

「凄い車が停まってますよ、先生……あれは政府の公用車じゃないですか」

 察しの良すぎる赤毛の警備員は、手に僕の上着を持っていた。

 閲覧室のどこかに置きっぱなしにしていた上着だった。

 竜に槍を突き立ててやった男の発言とはとても思えない。

 抜けるように青い上着に袖を通すと、少しだけ緊張する。

「そういえば……イネス、マルテはどう?」

「少し落ち着きました。気にしてくださってありがとうございます。よかったら、今度会いに来てくださいよ」

「……そう」

 マリヤのことは、公表されていない情報のひとつだ。

 あの連続殺人事件は、黒曜の手によって闇に葬られた。

 それを許したのは僕でもある。だから、そのことを批難したりはできない。

 だから彼はかつての上司を殺した者のことを、その理由を、何一つ知らないまま日常に戻った。

 日々を図書館の警備員として過ごし、空いた日は福祉施設に引き取られたマルテの様子を見に行っているようだ。

 突然、あの子のことを訊いたのは……聞きたかったからだ。

 竜に襲われても、逃げず、立ち向かうことのできる彼が……昔の上司を殺した者に立ち向かいたいかどうか。復讐をしたいかどうか。

 でも、聞けなかった。

「それじゃ、また今度。も少し落ち着いたらお邪魔するよ」

 そつのない挨拶を返し、僕は玄関に出た。

 車の前で、魔法学院の制服を着た生徒がひとり、立っている。


「マスター・ヒナガ。準備が整いましたので、お迎えに参りました。学院までお送りします」


 最初、後ろ姿しか見えなかったが、振り向いた姿を見て、驚く。

 送りに出て来ていたイネスは、そんな僕を見て、怪訝そうな顔をうかべている。

 そうだ。

 こいつは公の場には代理を立てて、姿をみせないんだった。

 女王府の黒曜石、大宰相……黒曜ウヤクは。


「何故、そんな顔をなさっているのですか?」

「……冗談がきつすぎる。なんだよ、そのコスプレ」


 黒曜は得意げに襟を立ててみせる。

「いいだろ? 俺はこっちの学校には通ったことがない。最近、それも上手い手だなと気がついた。転校してもいいかもな」

「馬鹿言うな」

 僕を殺そうとしたり、監禁した奴が間近にいるってだけで、落ちつかない気持ちだ。

「……それに、お前が迎えに来るなんて聞いてないぞ」

「私は責任感があるほうなんだ。お前から頼まれていた全ての手筈が整ったことを、伝えに来ただけさ」

 彼はそう言って先に後部座席に乗りこみ、「道すがら話す。乗れ」と合図した。

 僕は覚悟を決め、座席の隣に乗り込んだ。

「式典が始まるまで、二時間だ。それで約束は履行される。最終確認だが、それでいいのかね? もっと高望みすればいい。金でも、名誉でも、受け取る理由は十二分にあるぞ」

「いいよ、これで。他に高望みはしない。また変なことされたら堪らない」

「本音を言えば、私は天藍アオイのような奴より、君のほうがよく理解できる。君がこれから何をしようとしているのかもな」

「……何の話だ?」

「些細なことだ」

 黒曜はごく普通の十五歳の学生……にしては鋭すぎる瞳を三日月のようにゆがめて、笑っていた。

「ひとつ、愉快な情報をやろう。君たちが銀華竜と戦っていた間、翡翠宮では厄介な出来事が起きていた。何かわかるかね?」

「わかるわけないだろ。僕は仙人じゃない」

 黒曜は鷹揚に頷く。

「苦礬公爵……といっても君には伝わらんな。親百合白派の有力貴族……とでも言えばいいか、そいつが武力で以て王姫殿下に危害を加えようとした」

「紅華に……ってことだよな」


 それってクーデターとか、謀反って言わないか?


「公爵殿は拘束し、かかわった者たちには既に然るべき処分を下した。手口といい、何から何まであれはお笑いだった。だがな、日長君。ノーマン副団長が来なければ、我々は死んでいたかもしれない。私と……王姫殿下は」

「らしくないな、大宰相」

「無理もない。今の女王府に紅水紅華を真の忠誠でもって女王に据えよう、などという人物は存在しない」

 それだけ星条百合白の人気が高く……とかいう問題でもなさそうだ。

「紅水紅華は私が女王府に戻るために立てた王姫だと、貴族連中は本気で信じているのだよ」

「違うのか?」

「事実ではない。私にとって必要な権力は、天市にて守られ、竜の脅威にほとんど触れたこともなく民の痛みと慟哭を理解することもない、愚鈍な貴族たちを屈服させる《力》に過ぎない」

 黒曜の瞳には、光はない。

 だが炎が燃えていた。復讐でも、怒りでもない。理性の炎だ。

 天藍アオイの冷たさ、ウファーリの嵐、マリヤの怒り……今まで、いろんな人たちの戦い方を目にしてきた。黒曜にも同じものがある。

 だが……僕はそれを妄信したりはしない。

 彼が屈服させたのはそういう貴族たちだけではない。

 彼を信じた者も力なき弱者も計画の犠牲になってしまうし、そうだからといってこの男が何かを変えたりもしないんだと知っている。

「女王府で言ったように、どれだけの犠牲を払ったとしても、玉座を星条百合白に戻すわけにはいかない」

 車の窓から学院が見えた。


「《先輩》からアドバイスを贈ろう。現実は、砂糖菓子のように甘くはないぞ」


 黒曜は門の前で僕を車から降ろすと、不気味な予言を残して去って行った。




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