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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
嘘つきと苦痛と道化と竜
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103 死者たちの輪舞曲 -4

《二人で、別の方法を探そうよ。》



 そう言って何度も伸ばされた手を掴むことはついになかった。


 心臓を引き裂かれた痩身が跳ね、痙攣し、悲鳴を上げる力も無く倒れていった。

 救命の手段を持たない騎士は、呼吸が止まり、脈が消え、命の火が流れだしていく様を見続けるしかできない。そして、壊れてしまったものはもう二度と元には戻らない。


 日長椿は死んだ。


 魔術の才を見出され、藍銅から魔法学院の教師として迎えられた天才……それが、手足を失い、体のありとあらゆる部位を削がれ、血を吐きながら死んでいった。

 あまりにも壮絶な死に様だった。

 天藍アオイは打ちのめされたように動けなかった。彼の死を悟った瞬間、胸に燃えた埋め火のような感情が何なのか見当もつかない。

 翡翠宮でも、学院でも、そこで出会った誰に対しても抱かなかった生々しい感情だった。

 天藍は何かに背中を押されるように、言葉を紡ぐ。


 私を恐れよ、と。


 マリヤはその声だけを聴き、その場所に正確に鱗を撃ちこむ。

 ヒナガの魔術を失い、追いつめられているはずなのに、揺るがない。深く、静かな怒りを感じる声音だった。


「恐れる? 現実の地獄の底を目にした私が、いったい何を恐れるというの? ――マスター・ヒナガが消耗するとわかっていて、最後はこうなると知っていて、ただ使い潰すしかなかったお前の何を恐れろと?」


 マリヤの脚が、パキリ、と音を立てて細かい破片を踏んだ。

 違和感に、視線を巡らせる。

 銀色の鉄靴の底に、白い結晶の粉がまとわりついていた。

 日長椿の死体を中心に、地面が白く凍りついていく。たとえ金属でも、非金属でも、すべての物質が白い大地に変貌していく。

 白鱗天竜の力が戻ったのか……だが、それは既に攻略された戦法だ。いくら白鱗天竜が強くとも、五鱗騎士の力では銀華竜には到底かなわないのだ。

 それでも、目には見えない騎士の闘志は消えない。


「空を往く者は全て恐れよ、我が権能を。私は七天の主、お前に苦痛を約束する鳥、死の御使い……」


 意味を与えると言った。

 戦い……そして死ぬ意味を。その約束は果たされなければいけない。


「五の竜鱗、その名は《竜鱗狂瀾》」


 結晶が弾けるように成長し、遺体と血の痕跡を覆い隠す。

 そしてその範囲も視界を覆い尽くすほどに広がっていく。


「無駄よ。お前の魔術は銀華竜に打ち破られたはず」

「十の竜鱗っ!!」


 再び、竜騎装を使うつもりか。対竜戦で竜鱗騎士が用いる主たる魔術だ。

 だがそれも、銀華竜が既に打ち破った技だ。

 しかし、銀華竜は違った反応をみせた。


「《マリヤ、来い!!!》」


 竜はマリヤを乱暴に掴むと、舞い上がる。


「その名は《竜鱗狂瀾》っ!!!!!」


 白い、奔流のような魔力が噴きあがった。

 それは紅天に届き、一瞬だけその赤い色を散らす。

 地上には流氷のような結晶の山が築かれていた。

 中央には、一羽の鳥がとまっていた。

 白い鎧に身を包み黄金の剣を手にした鳥は、半分以下の重さになった魔術師に寄り添っている。


「二度も……? 自我を失っていないのかしら?」


 結晶に足首までを喰われながら、マリヤは呟いた。

 二度も、同じ魔術を使った。しかもそれは竜鱗の数を増やし、魔力を無理に増やすという人間の限界を越えた魔術だ。一歩間違えば、その場で竜人化していてもおかしくない。

 それとも限界を見極めた上での仕業か……それともマスター・ヒナガが己の肉体を捧げ尽くしたことに対する、騎士なりの感傷だろうか。


「……呆れた。どこが孤高の竜鱗騎士なのかしら。噂なんて当てにならないものね。身の破滅を知りながら、突き進むなんて馬鹿のすることですわ」


 銀華竜は巨大な翼をはためかせ、マリヤの足首を残したまま、引きちぎった。

 肉の繊維が引き裂かれ、血の雫を零した。

 マリヤは顔を顰めた。でも、それだけだった。


「ひひっ」


 と、笑い声を耳にするまでは。

 それは、マスター・ヒナガの死体――そうとしか見えない、ボロボロの肉体から発せられた。

 血の気の引いた青い顔の上で、唇が月の形に弧を描いた――気がした。

 いや、気のせいではない。

 はっきりと笑みの形を作り、笑っている。

 そして、声が聞こえた。


「バカはお前だよ、サナーリア……これで終わりとでも思ったのかい?」


 その調子は、マスター・ヒナガとはどこか違っている。

 まるで陽気な道化だ。

 片方の肺の無い状態でも血飛沫を上げ、ガタついた顎や筋肉を無理やり動かしながら流暢に喋る様は、悪夢そのものだ。

「まったく、やっと体を貰えたっていうのに、こんなにボロボロじゃあね……それでも生身で感じるゲンジツの空気はとっても甘いけど……」

「あなた、オルドルね? マスター・ヒナガとともに、滅びてはくださらないの?」

「ずいぶん上からモノを言うじゃあないかサナーリア……芸人一座の小娘風情が。オマエの美しさの欠片もない魔法なんてウンザリだよ。ボクの華麗な魔術を御覧あれ、そしてボクに泥を塗った罪として――死ね。無慈悲に、無惨に、一片の慈悲もなく、灰にもどれ!! ……ああ、これがずうっと言いたかったんだよネ~~~~」

 一言ごとに、体が痙攣して血を噴きだす。

 よくしゃべる死人だった。

「死にかけが、ずいぶんと吠えますこと」

「こんなの問題ないサ。ボクは万能であり、全知全能の存在であり、不可能はない。――命を生み出すことくらい、ワケ無い」

「不可能ですわ」

「どうカナ~~~~?」

 オルドルは金杖を持ち上げ、静かに胸の上に置いた。

 その一言で、白鱗天竜の築いた白い庭の上に、魔法陣が広がる。

 左手に森の木々、右手側に群れ遊ぶ鳥や小動物、体の下に湖と家、頭上に赤ん坊、足下に金塊、その図像が描かれていく。

 そこにオルドルの魔力が流され、湖からは大量の水が流れ始める。


「どうだい? 痺れるだろう? まだまだ終わりになんかさせるもんか……」


 何かを仕掛けてきているのは明らかだが、術式を解析している暇はない。

 ひひひ、という引きつった笑声をBGMに、マリヤは剣を手に、オルドルの疑似的な森に舞い降りる。

 女性の痩身には重たい長剣を片手で軽々と振り回す。

 竜鱗騎士が前に出て、剣での妨害を受けとめた。

 上段からの攻撃を弾き、不意に、剣を提げた細腕を掴んだ。

 そのまま、横に引っぱられ、体の前面が無防備になった。

 その隙に、騎士は懐に入り込む。背中越しに肘打ち。

 肘に取りつけられた刃の装甲が、胸の装甲を貫通して彼女に鮮血を噴かせる。

「銀華竜とかわるか? ずっと観察していたが、お前の剣技は並以下だ」

 彼の白い喉元には、鱗が浮いていた。

 暴走の兆候をみせながらも、騎士は平常心を保っている。

 今までは、ただ圧倒的な魔力の差でマリヤが勝利していた。

 だが無理な竜鱗魔術によって力の差が上回った今、一対一で戦いさえすれば、天藍アオイの剣術や体術――戦いに対する日々の研鑽が勝利する。

 さらに顔面に肘を撃ちこむ。

 マリヤは、体を逸らしてそれを回避。刃は頬を裂いて抜けていった。

 逃れようとする少女に天藍はさらに前蹴り、蹴り足の角度を変えて上段蹴り、さらに逆手に持ち替えた魔剣で薙ぎ払う。

 斬れない剣によって打ち据えられた少女は地面に倒れながら飛び退いた。

 二者の間に、銀華竜の重たい前肢が叩き込まれる。

 銀華竜は術式を展開し続けるオルドルに向かって、息吹を放った。

 竜の死の吐息は、足場を崩壊させながらオルドルをも飲み込んでいった。


「《目覚めよ、我は善悪の彼岸にて、汝の帰還を待ち望む者也……》」


 しかし……妨害は失敗に終わった。

 直前に紡がれた呪文にマリヤは懐かしい恐怖を呼び覚まされる。


「そんなはずない! 何故あなたが玻璃の天秤を使えるの……!?」

「《あ~バカバカしい。他人の命を糧に、治癒を施すだって……? そんなモノとボクの魔術を一緒にしないでくれたまえよ》」


 そう、空を舞う銀の鳥が高らかに歌う。


「《さあ、御覧あれ。サナーリア……キミの成し遂げられなかった一大命題、生命を創造することは可能か? ――という問いに対する、これがボクの完璧無比な回答だよ~~~ッ♪》」


 噴煙が引いていくと、そこには。

 瓦礫と熱の大河の渦に、防壁を展開する魔術師がひとり、立っていた。

 抜けるような青と金糸に彩られた上着、暗闇の色の髪、右手に黄金の杖を携えた少年。

 鳥は工場の焼け跡に立つ彼の肩に舞い降りる。


 全てを失うとき、最高の魔法を見せてあげよう――いつかのオルドルの言葉通りに、そこには歪で醜悪な《奇跡》が具現化していた。


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