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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
嘘つきと苦痛と道化と竜
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102 死者たちの輪舞曲 -3

 状況がよくなったわけじゃない。

 僕は相変わらず死にかけで、おまけに心臓の近くに異物があるのを感じる。

 それはどんどん大きくなり、いずれ僕の命を奪うだろう。

 死は恐ろしい。

 その恐ろしさは、エレベーターの中で感じていたものとは別の種類の恐怖に変わっていた。


「オルドル……魔法で金属以外……心臓の代替物を作れる?」

《幸いにしてボクは食人鹿という設定だけあって人体には精通してる。可能だケド……サナーリアの魔法をなんとかしなきゃ同じことの繰り返しサ》

「上等だ」


 また《嘘つき》という声が聞こえてきた。

 沸騰する湯のような怒りで、一瞬心が満たされる。でも、それだけだ。

 アイリーンの幻覚や、青海文書の絶叫は落ち着いている。

 僕の過去がもたらす悲しい気持ちも、不思議と今なら耐えられる。


「《清き水の流れよ、その偉大な力でもって我に王者の冠を与えたまえ》」


 オルドルの呼びかけに応え、周囲から水が湧きだす。

 冷たくもなく、触れることもできないオルドルの魔法の泉だ。

 吹き飛ばされた巨人が再び立ち上がり、銀華竜に組み付き、動きを封じる。

 視界いっぱいに銀の森が広がり、枝を伸ばし、銀華竜を絡め取る。

 まるで最初の……天藍と戦った、決闘のときのような光景だ。


「天藍、聞いてくれ。ひとつだけ、仕掛けを用意したんだ……上手くいくかは五分五分だ」


 天藍は僕を支えながら、《仕掛け》について黙って聞いていた。


「――――来るっ!」


 銀華竜が《息吹》を放つ。その頭部を抱える巨人ごと溶かして熱波が押し寄せる。

 銀の森も、枝も、全てが溶かされ、無に返されていく。

 退路上に、イブキの魔術を参考にした遮蔽をいくつか作りだし、脱兎のごとく逃げ出しながら、残りの時間を数えていた。


「貴方、頭が少々おかしいんじゃなくて?」


 声が聞こえる。


 突然、天藍が僕を放り出し、背後を振り返る。

 空から舞い降りた銀の淑女が、構えた剣に重たい蹴りを放つ。

 剣が蹴りを弾き、滑るように後退。

 彼女はその勢いのまま、くるりと舞い、低い位置から竜鱗を放つ。

 そして飛び上ってさらに上段から。

 六枚の鱗を、天藍の流れるような剣捌きで刃を弾いていく。

 被弾すればそれでおしまいだが、魔術が無くなっても剣の腕はどこまでも正確無比だ。

 マリヤは踏み切って、宙を舞いながら、四枚の細長い布のような刃を天藍に向けて放つ。

 一枚が剣に巻き付き、武器を封じる。心臓を狙う一対は防御に回った腕を貫き、残り二枚が左大腿部を貫通している。

 天藍は表情をゆがめた。


「またお会いできて嬉しいわ。でも、見逃してあげたのは慈悲だったとは思わない?」

「私はかつて星条百合白殿下に剣と盾の忠誠を誓い、騎士となった。死も恐怖も、誓約を破る理由にはならない。私を止めたいなら髪の一本まで灰に変えろ」

「ならどうして……助けてくれなかったの?」

「貴様は亡霊だ」


 天藍が強く踏みこむ。

 僕がフラガラッハに魔力を送り込む。

 銀の刃を切り裂き、間合いに踏み込む。

 胴を真横に薙ぎ払い、火花を上げる。

 剣を交わしながら、天藍は吠える。


「お前の望む答えなどどこにも存在しない、誰からも与えられない。過去の暗がりに帰れ、玻璃家の娘よ!」

「私が亡霊だとしたら!」


 マリヤは絶叫と共に、竜鱗を放つ。


「絶対に忘れさせはしない。この痛みを貴方たちだけが忘却するなんて、絶対に許さない!」


 マリヤが悲痛な問い続けているのは、彼女が納得する答えが返ってこなかったせいだ。

 もし竜鱗騎士らが愚かな恥知らずだったなら、マリヤは諦められただろう。

 五年前の出来事は彼らが竜を恐れたから起きたのだと。

 でも事実は違う。

 僕が目にした竜鱗騎士は……マスター・カガチ、ノーマン副団長、そして天藍アオイは、たとえ待ち受ける運命がどんなものであっても、弱き者、守るべき者のために戦い抜く戦士だ。五年前、騎士団が戦わなかったのは彼らの思惑の外で、何かが動いていたから……天藍は逃げないことで、それを示していた。

 だからこそ彼女の問いは、怒りは、永遠に終わらない。


「《偉大な主の名のもと、森の最も思慮深き静かなる者、木々たちに命ずる》」


 僕の立っている場所から、大地が震動し三条の亀裂がマリヤと天藍のほうへと抜けていく。

 太く頑健な銀の木の根が地面を割り、マリヤを串刺しにしようと迫る。 

 銀華竜が吐いた二度目の息吹と真正面からぶつかり、噴煙を上げた。

 僕の右耳が落ちて、血を噴きだした。


 ほぼ同時に心臓を鋭くひどい痛みが襲う。


 懐かしい痛みを、ひたすら噛み殺した。オルドルの抵抗を抜けて大きく成長した結晶が、胸のあたりから突き出ていた。


「オルドル……やれ!」

《ほいさ!》


 枝が絡みつき、無理矢理に刃を抜く。

 切り裂かれる酷い痛みと共に心臓の鼓動が弱くなり、やがて消える。

 だが……見る間に傷は塞がり、再び脈打ち始める。

 それと同時に、体が支えを失った。

 心臓の代わりに、右足の膝から下が消えたのだ。

 絶叫を上げながら地面にもんどりうつ僕の体を、天藍がすくうように抱き上げ、走る。

 路地は熱に満たされていた。

 遮蔽は脆く崩れ溶け、息吹が背後を追ってくる。

 魔法を使わなければ、切り抜けられない。


「お、オルドル……膵臓、肺の半分、脚の残り!」


 代償が大きすぎる。

 オルドルに肉体を捧げるということは、死の階段を登ることと同じだ。

 だけど、痛みはあっても恐怖は感じない。

 僕を支え続けている灰と藍の混ざった瞳が、珍しく戸惑うのが見えた。

 唇が少しだけ開き、言葉が見つけられず噛みしめる。致命的な痛みに苛まれているのに、何故か、それだけははっきりと見えた。

 天藍にしては意外な表情だ。

 オルドルの湖が前方に広がり、巨大な樹木が地面に根をはり急速に成長して足場を作る。

 天藍は根や幹、枝を伝って行き止まりをショートカット、工場の屋根に上がる。

 追撃するマリヤを枝が遮る。


「下顎、第一から第三臼歯!」


 黄金の剣をマリヤに撃ちこみ、足止めを続ける。

 落ちて来る刃の群れを避けて、銀麗竜が足場の建物に尾を振り上げ、側面に叩きつけた。衝撃に、足場が激しく揺れる。

 銀麗竜は攻撃を休めない。

 背後から破壊が迫ってくる。


「あああっ!!」


 銀華竜に銀枝が巻き付け、咄嗟に突撃攻撃の威力を削ぐ……が、尻から背中にかけての皮膚をごっそり剥がされた。

 黄金の槍を落とし、巨体を地面に縫いとめる。

 それから歯を根本から抉られる不快さ、激痛をじっくり味わう。

 目の前が真っ白になる。

 肺を食われ、吸い込んでもうまく酸素を取り込めず、息苦しい。

 息を吐く度に度に細かい血が飛ぶ。


「うっ」


 さらに悪いことに再び、心臓に痛み。

 背後を見ると、マリヤが僕にサナーリアの白杖を向けている。

 彼女は冷酷な表情で、命を奪うことに何の感慨もない表情で僕を殺そうとしていた。


「オルドル、もう一度だ!」


 残りの足が消失していった。

 自分がどんな姿になっているのか、あまり考えたくはない。

 残りの魔力で巨人を生み出し、マリヤの足止めに向かわせる。

 その掌が、蠅でも叩くかのように、マリヤを襲う。

 彼女は抵抗しなかった。腕の一振りで、その攻撃を止める。

 追撃を止めるため、巨人は両腕で彼女の体を抱きかかえる。

 そして――飛び出した美貌の騎士が、巨人の体ごと、マリヤの背中を貫いた。

 彼女の瞳が一瞬、驚きに見開かれる。

 騎士の姿形は、それは。頭からつま先まで、無垢な白に染まった竜鱗騎士――天藍アオイのものだったからだ。

 天藍アオイの姿は、幻として消える。

 ホンモノなのは、幻影の騎士が構えた魔剣だけだ。

 もどれ、フラガラッハ。

 呼びかけに応じ、魔剣は天藍の手元へと飛来した。

 でも、彼女にとっては致命傷とは呼べない。マリヤは巨人の抱擁を引き離すと、宙に舞い上がる。

 その軌跡に血が散っていく。

 彼女はもう一度、僕に白い杖を向けた。

 その光景は、ふしぎと時間が止まったかのように見えた。


「オルドル……」

《ツバキ……おしまいだ。これ以上は、キミの体も精神も、耐えられない》


 おしまい。


 その言葉をきいても、なんの感情も浮かばない。

 そうか、と思っただけだ。

 時間が過ぎただけだ。

 僕が生きていられる時間が。

 この期に及んで、悪あがきをしようとか、そういうことは思いもつかない。

 むしろ、行動を起こしたのは天藍のほうだった。

 僕の体を下ろすと、剣を構え、マリヤのほうへと突っ込んでいく。


 なんでだ、バカ。お前はそういうキャラじゃないだろ。


 高速で放たれる銀鱗をほとんど勘といっていい反射神経を使って避け、全力で地面を踏み切る。

 全身を躍動させて、ただ恵まれた身体能力だけを使って、恐るべき距離を飛びマリヤへと切りかかった。

 しかし、何もかもを捨てた攻撃が当たるような相手じゃない。

 抵抗空しく、魔力を失った人の身を、放たれた鱗が再び地面へと叩きつけた。


「《千変万化の力にて》」


 オルドルが最後の呪文を唱える。

 気休めだが、天藍の姿を隠し、もうひとりの天藍を作り出す。幻は躊躇ったような演技をみせたあと、僕を見捨てて走り去る。

 我ながら、なかなかの再現度だ。

 本当の天藍は地面を転がった後、すぐに起き上がって、僕のほうを見た。

 視線が何かを訴えている。

 相変わらず言葉にするのがヘタクソなやつだ。


 アオイ、もういいんだ。

 戦うんだろう?

 僕が死んでも、お前は戦う。

 竜を殺して百合白さんを助ける。

 そのためだ。

 僕を助けるためなんかじゃない……。

 それでいいんだ。

 誰にも心を許さず、

 誰かに頼ったりなんかしない。

 たったひとりで戦う。孤高の騎士。

 それでいい。そのほうがいい。


 お前がそうだから、腕や足や皮膚、体のいろんなところが食われて行くのも怖くなかった。


 あいつが、僕が戦うことに《意味》をくれると言ったから……戦っている間は過去のことは忘れられたんだ。

 人食い鹿としてではなく、居場所を求める惨めで可哀想な僕としてでもなく。共に戦い、栄光ってやつを分けてくれるって言ったから、自分は血反吐を吐いてこのまま死ぬんだってわかっても全然怖くなんかなかった。


 だから……戦え、アオイ。


 彼に望むのは、それだけだ。

 どうか百合白さんのために戦ってくれ。


《さよなら、ツバキ。キミはよく保ったほうだよ》


 ああ……。


 ひどいお話だった。

 救いようが無くて、

 僕自身はどこまでも愚かで、

 復讐もできないまま、ここでこうしてモノみたいに転がって終わるんだから。


 サナーリアの魔術が発動し、抵抗しなかった。




 さよなら、オルドル。


 オルドルが答える。


 さよなら、いい夢を。






 そうだな……できるなら、幸せな夢を見たい。



 愛があって、希望があって。

 誰かが僕のことを望んでくれる、そんな世界で、物語の終わりみたいに、

 ずっと幸せに暮らすんだ。


 

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