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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
嘘つきと苦痛と道化と竜
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91 勇気

 竜鱗がもたらす竜の強靭な生命力は、動かなくなった肉体の細胞を代謝しまくり、本来なら再生しないはずの神経系さえ高速再生させる。

 マリヤは竜鱗を即席で移植することによって竜鱗騎士と同等の能力を手に入れ、その上で《代償》をすべて帳消しにした。

 目の前にいるマリヤは、姿こそさっきまで僕と会話をしていたマリヤその人だったが、髪の色、全身に浮かんだ竜鱗、それから全身から放たれる異様な魔力まで……まったくの別人と化していた。

 獰猛で残忍な表情を浮かべている少女に、僕は一縷の望みをかけて声をかける。


「マリヤ……なのか……?」


 復讐のことなんか忘れていた。

 それくらい、彼女がしたのは大胆なことだった。


「ちがう。いまは銀華だ。そしてこの体は、銀華と出会ってからずっとずっとずーっと銀華のものだった」


 口調がマリヤのものとは全然違う。どこか覚束ない。

 まるで、子供のような声音だ。

 天藍は眉を顰めている。

「肉体だけでなく精神までもが銀華竜の支配下にあるようだ。あいつはもう《玻璃・ビオレッタ・マリヤ》ではない。――《竜人》だ」

 竜鱗を移植すれば、個人差はあるものの多少なりともその肉体は竜に侵食されていく。

 それは《竜化》と呼ばれる状態で、より深刻な状況になると全身に症状が進行し自我を保つことができなくなり、いずれは竜人と化してしまうんだ。

 それが僕の知っている竜人化のあらましだった。

「つまり、今喋ってるのはマリヤじゃなくて竜ってこと? そんな……のって、アリかよ……!」

「これほど強く竜の意識が出るとは……通常の竜人化とも異なる。そもそも、適合者でなければ拒絶反応ですぐに死ぬはずだ」

 マリヤ……いや、銀華はふふん、と言って可愛らしくスカートを揺らしてみせた。

「そのとおりだ竜鱗騎士。私が竜の魔力を制御して生かしてやっているの。そうでなければもうとっくに壊れてた」

 人間の体で発声するのに慣れてきたのか、喋りが滑らかになっていく。

 銀華が喋っているのは、マリヤは銀華竜の鱗を移植したと同時に、自発的に竜の精神汚染までもを受け入れたという衝撃的過ぎる事実だった。

 自分が自分であるという証、自我を他人どころか竜なんかに引き渡すなんて正気の沙汰ではない。

「この女は裏切りものだ。五年前、死ぬのが怖くて……ひひっ。わたしのものになると誓った。だからこの女は銀華の、そして銀麗様のものになった!」

「貴様の目的は何だ……?」

「我らの目的はただひとつ。お前たちを滅ぼし、この地に同朋たちとともに還ること。そのためにまず、女王の首を銀麗様に捧げるのだ」

 女王の――首。

 女王不在の今、玉座に等しい立場にあるのは、王姫。紅水紅華だ。

「紅華が死ねば、玉座は姫殿下のものだな」と天藍が言う。

「お前の冗談って笑えないんだけど……」

 たとえ紅華が死んでも、百合白さんの王位継承権が復活しない限り玉座は新たな政争の種になるだけだ。そんなこと、素人で部外者の僕にだってわかる。

 それに、これ以上首都機能を失えば女王国の未来は暗い。

「ツバキ、もう一度聞く。覚悟はいいか?」

 覚悟……聞かれているのは、戦う覚悟だ。

「勝てるんだよな?」

 竜を倒した経験があるのは、当然、竜鱗騎士である天藍だけだ。

 天藍は感情の起伏が無さすぎてどちらかというと眠たげな表情で、返事をする。

「準長老級と交戦した経験は無い」

「……へ?」

 思わず顔が引きつった。

「ついでに十鱗騎士と殺し合った結果は、公園での一件の通りだ」

 僕たちはマスター・カガチと戦闘をした。

 で、結果は惨敗だった。天藍は負傷して、僕たちは逃げ出さなければいけなかった。

 なのに準長老級と十鱗騎士がいっぺんに来る。するとどうなるか。

「逃げよう」と、僕は言った。

 半分くらいは冗談だ。

 だが、天藍は全く心を動かされる様子はない。

 彼はフラガラッハを鞘から抜き去り、下段に構える。

「この女がただの魔女なら、そういった選択肢もあった。だが、手段はどうあれ竜人となった者は滅ぼす以外に道は無い。――それに、光栄ではないか」

 美貌の騎士が笑う。曇天の下でも光の下にいるかのような笑みだ。

「強大な敵が目の前にいて、戦える者が私たちしかいないのだから」

 狂ってる。


「竜鱗騎士団団長・天藍アオイ。参る」


 こいつは、もう、逃げることなんて考えてない。

 逃げたくても逃げられない。

 目の前にいる少女は人間の女の子の姿をした二体目の《銀華竜》だ。

 二匹目の竜を海市に放逐すれば、どんな事態になるかはわかりきっている。


「いい度胸だ。勇気ある者よ。人の騎士よ。《わたし》が相手になろう」


 う、う、う。

 おーっ、おーっ。


 海鳴りのような音響が近づいて来る。

 天藍は構えを解いて走り出した。

 僕も後退し、走る。

 音は空から聞こえてくる。それが何なのか、わからない僕ではなかった。

 落ちて来るのは銀色の、超巨大な弾丸だ。

 大気圏内かどうかも怪しい高度から、雲を割り、地上へと落下してくる超巨大ダンプカー並の質量。

 数秒後、それが爆風と衝撃波を放ちながら地面と接触する。

 天藍が急ブレーキで止まり、地面に結晶の盾を構築する。僕もその後ろに退避。

 間髪入れず、爆風で引き千切れて吹き飛ばされた配管やら置かれっぱなしのドラム缶が盾にぶち当たって変型し、さらに後方へと転がっていく。

 前方では艶めかしく輝く銀、とどこか凶悪さを感じさせる漆黒のコントラストで覆われた竜が、ゆっくりと頭をもたげる。

 爆風の渦の中で無事なのは、その足元にいる竜人と、彼女がもたれ掛かっている車椅子ひとつだ。


「どうして竜がこっちに!? 紅華の首を取るんなら、翡翠宮に行けばいいだろう!?」

「竜の考えることなど人には計り知れん。そして、ツバキ。お前が何をしようとしているかについても俺は理解しないが……」


 天藍が、足下でうずくまっている僕に言った。

 鏡合わせのような状況で、僕だけが情けない。


「戦え」


 海鳴りと咆哮の間で、彼の声の輪郭は不思議とはっきりしていた。

「別の方法を……戦いを求めたのは、お前だ」

 僕は……。

 百合白さんを助けたい。

 僕には勇気があるはずだ。

 少なくとも、オルドルの知恵がある。

 必死に膝を掴んで立ち上がり、敵を見据える。


「さあ、騎士よ。五年前のやり直しといこうじゃないか」


 そう、大気を震わせながら竜が告げた。


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