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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
囚われの姫君
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 番外編8 マリヤとマリヤ

「哀れでかわいそうな娘よ。いまここで死ぬのか、それとも私を選んで生き残る?」


 光輝の魔女に選択を迫られ、彼女は手を伸ばした。

 母親の庇護を求める子どものように。

 その指先が光に触れた、その瞬間。

 聖アイリーンは微笑み、その姿は一瞬で消え去った。

 彼女の姿を切り裂いたのは銀色の爪だった。

 少女は呆然と、銀の鱗に覆われた凶悪な咢と竜の瞳があった。


《……おもしろい。あのおんなが、まほうを与えたむすめか。なあ、むすめよ。いまここで死にたいか?》


「いっ、いや!」


《そうか、そうか。そんな姿になっても生きたいのか。誇りをもたぬ愚かなひとの子よ》


 竜は笑っているかのようだった。


《では、選ぶがいい。ひとであることを捨て、竜として生きるのか、否かを!》


 たすけて、と少女の喉の奥から声が漏れた。

 街は燃え、自分は灰になろうとしている。

 心臓の鼓動と、激しくなる呼吸の音だけが聞こえてくる。

 救いを求める声は、やがて疑問に変わっていく。


 どうして誰も私を助けてくれなかったの……?



            *****



 薄暗い砦の地下で、少女の声が物語を紡いでいた。


「昔々、ここは偉大な魔法の国……あるところに美しい娘がいました。娘の名前はサナーリア。サナーリアは四人兄弟のいちばん年上の姉で、ふたりの弟と末の妹とともに、旅の一座で芸をしながら暮らしていました」


 燃えて、残り少ない紙束になってしまった物語を、彼女は何度も繰り返して読んだ。

 彼女の隣のベッドには同じ年頃の少女が死んだように眠っている。

 体中が火傷で覆われ、身動きしないが、息をしているので生きているとわかる。

 ふたりとも瓦礫の街となった雄市から助け出され、砦に連れて来られた少女たちだった。


「ある日、一座の舞台が終わったころ、弟たちが息せききってやって来ました。サナーリア、たいへんだ、と弟のひとりが言いました。町の東に火の手がみえる……逃げ出す準備をしましたが、末の妹の姿がどこにもありません。サナーリアは一座のみんなが止めるのも聞かずに天幕を飛び出してしまいます」


 彼女は、そっと、包帯に包まれた手に手を重ねる。

 弱い力で握り返してくる。

 ちゃんと聞いているよ、という合図だ。

 サマリは暗闇の世界にいながら、マリヤの声を辿って、辛うじて現実に繋ぎ止められている状態だった。


「やがて、竜が街に炎の息吹を吐きかけました。炎は瞬く間に燃え広がり、あたり一面火の海です。それでもサナーリアは妹を探すのをやめませんでした。いつまでもいつまでも妹の名前を呼んで、まるで炎の中を踊っているようです。やがて夜が明けると、彼女の体は灰になって空へと飛んで行きました……」


 少女は物語の書かれた紙の束を、眠る少女の枕元にそっと閉じて置いた。

 サマリの持ち物は、この紙切れと、痛んだ衣服。

 それから焼け落ちた杖で全てだった。杖は、木でできた持ち手に蛇が絡んだものだ。

 大切にしておけば、いずれ彼女が普通の生活に戻ったとき……身元を保証したり、家族を探したりするのに役に立つだろう。

 傷はひどいけれど、これまでずっと生き延びている。

 きっと希望はある。

 いつしか、同じ年頃の少女が生きていることがマリヤにとっても喜びになっていた。


「とても悲しいお話だね。まるで私たちみたい。私にも家族がいるのよ……お父さんとお母さん、それに弟。弟はまだ六歳なの」


 彼女はベッドの縁に膝をついて、返事のない少女に語りかける。

 母親のこと、父親のこと、弟のこと。

 飼っている犬のこと、通っている学校、友だちの名前。

 ふたりには娯楽もなく、ほかに出入りできる場所もなく、ただ何もすることのない時間だけがあり、その大半はマリヤのお喋りに消えていった。

 彼女も不安だったのかもしれない。

 戦闘の音から逃げるように、体力の続くかぎり日常の話をし続けた。


「みんなとは離れ離れになっちゃった……。でも、ここを出たら探しに行くわ。ねえ、サマリ……あなたも一緒に行けるといいね。サマリも家族に会いたいでしょ?」


 ぎゅっと、掌が、かすかな反応を返してくる。


「……私のことも探してくれる?」


 サマリは少し戸惑う。

 掌を握り返さなくても、重ねた手と手から戸惑いが伝わっていくようだった。


「どこにいても、探してね。迎えに来てね……」


 どうしたの、とサマリは問いたかった。


 怪我の具合が悪いの?

 つらいことがあったの?

 怖いの?

 いっしょに家族を探しに行くんでしょう?


 しかし、掌から去った温もりは戻ることはなかった。


 どうして何も話してくれないの?

 どうして手を握っていてくれないの?

 どうして……。


 彼女が誰の手も届かないところに去ったと知ったとき、少女には救われたことへの喜びではなく、絶望があった。少女は悟ってしまった。

 救われることも、救われないことも、共に等しい地獄だと。

 生きていることにも希望を見いだせず死ぬことも恐ろしい。

 紙切れの中で永遠に大切なものを探して炎の海をさ迷い続けた物語の少女(サナーリア)は、それから五年という歳月が経ち、みんなが雄黄市の記憶を忘れはじめても心にあり続けた。


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