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竜鱗騎士と読書する魔術師  作者: 実里晶
囚われの姫君
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89 君を信じたいけれど

 操業の止まった工場街は静かだ。

 明かりは少なく、空に星が瞬く。

 翡翠宮の方角に戦闘音と竜鱗魔術の魔力残滓をオルドルの五感が捕える。

 星の瞬きにしては無粋な、不自然な閃光が散っていた。

 翡翠宮で戦闘がはじまったのだ。

 戦域は、かなり遠い。

 天藍がフラガラッハを抜いた。

 僕は集中する。


 思い出せ、リブラを殺された憎しみを。

 死んでいった人たちのために、何もできなかった自分への怒りを。


 オルドルとひとつになればなるほど、魔法は強く働き、消耗は少ない。

 金杖を手に、構える。

 始まりの呪文はいつもひとつだ。


《昔々、ここは偉大な魔法の国》


 物語が、たったひとつの言葉から始まるのと同じ。

 そこからオルドルが紡ぐのは――未来永劫に続く復讐の物語だ。


「《清き水の流れよ、その偉大な力でもって我に王者の冠を与えたまえ。水のめぐるところすべて、木々は我が手足、獣は我が瞳、我が耳、我が声音……》」


 言葉を口にする度、眼下に広がる鋼鉄の林が僕の感覚の支配下に置かれていく。

 両の瞳を熱く高ぶらせ、敵の姿を求める僕とオルドルの頬に、雨粒が落ちる。


『恵みの雨だネ~』


 オルドルは嬉しそうだ。

 鳥の視線が、5百メートルほど離れた地点に人の姿を捉える。


「見つけた。行くよ、オルドル」


 さらにオルドルの脚を借りて、鉄塔からはるか彼方の地面へと飛び出した。


              ~~~~~


 はたり、と頬に濡れる感触があった。

 雨だ。当然のことながら、紅天を覆う雨雲でも、雨を降らすことはあるのだ。

 同じ天の下。

 けれども今夜は、五年前とは違う夜になる。

 彼女は少しだけ嬉しい気持ちだった。

 踊り出したいような、歌をうたいたいような気持だ。


 その一瞬。


 ほんの一瞬だ。

 鋭い魔力波長が工場地帯を駆け抜けていった。

 波は不快な指になり、彼女の柔肌をねっとりと撫で上げて、過ぎ去っていく。

 ぞくり、と背筋が粟立つ。


「居場所を掴まれたわね……これが青海文書の魔法? こんなこともできるの? 羨ましい」


 その魔力を色にするとすれば黄金だ。

 竜鱗魔術師の力強さからは程遠いが、ひどく安定感のある、鋭い魔力だった。

 彼女は濡れた瞳を、魔法が発せられた工場地帯の中心部……鉄塔の上に向けた。

 同じ性質の魔法だからか、よく捉えられる。


「いったいどうしてここに来たのかしら……もしかしたら、裏切りかもしれないわね。いいわ。それならそれで。はやく来て、私が私を使い切らないうちに……」


 どんよりとした、体の芯が深く沈み込んでいくような疲労を感じて瞼を閉じる。

 やがて、二つの足音が近づいて来るのがわかった。

 彼女は逃げもしなかったし、隠れもしない。

 再び目を開けると、そこには純白の騎士と、見覚えのある顔が並んでいた。

 身の丈にあわない蒼い制服、髪も瞳も暗闇の色。

 会うのはこれで三度目だ。

 式典の会場。

 ステラ奉仕院。

 そして……《扉》の向こうでの出会いはお互いにとって不幸なものだった。

 慣れない異界で、少しの差で彼がその《本》を手に入れてしまった。

 もしそれが女王国での出来事だったのなら、手段は選べたかもしれない。

 でもそこは異世界で言葉も通じず、交渉の仕方がわからなかった。


 殺すしかなかった。


 そして今、孤高のはずの竜を従えて、彼女に敵意の視線を向けている。

 やや幼い顔立ちをしたごく普通の少年は、もういない。

 そこにいるのは、死者の国から舞い戻り、人肉を食らって魔法を紡ぐ背徳の魔術師だ。


 自分と彼――まるで合わせ鏡のようではないか。


 彼は間違いなく、彼女自身の悪徳が生み出した魔物だった。

 再会は必然だ。

 成長を喜んでもいる。母が子の成長を喜ぶように。


「答え合わせ、します? 先生」


 マリヤは微笑んでいた。

 車いすに腰かけていたが、全身は凍ったかのように動かない。

 動くのは唇だけだ。


               ~~~~~


 僕は息を飲んだ。

 彼女がそこにいるんじゃないか、とある程度は覚悟していた。

 でも。こんな姿のマリヤと再会するとは思わなかった。

 そこには、かつて僕と会話していた才媛の姿はなかった。

 車椅子に腰かけてはいたものの、不自然なほど深く項垂れ、三つ編みにまとめられていた金色の髪がほどけて乱れ、おりしも振り出した雨にじっとりと濡れて頬に降りかかっている。

 その肢体には生きている者にみられる柔らかさや、細かな筋肉の震え……そんなものは一切合切奪われて、微動だにしないのだった。

 まるで等身大の人形だ。

 どうしてそうなったのか、僕には思い当たる節があった。


「……青海文書の代償……なのか……?」

「そうよ」


 壊れたマネキンのような姿になったマリヤから返事があり、僕は思わず一歩、後ろに下がってしまった。

「魔法を使うほど、体の色んなところが動かなくなっていくの。重すぎる代償でしょう? 声帯だけは取っておきましたのよ」

 なるほどね。

 確かに、僕のオルドル並には重たい代償だが、利点もある。

 彼女は元々、両足が不自由だ。能力を使っても、しばらくは青海文書の使い手であることを隠せる。

 実際にリブラは青海文書の存在を知っていたが、マリヤがそうだとは気がつかなかった。

 そのはずだ。


「……どうしてこんなところにいるのかって、聞いてもいい……?」


 建物の壁に挟まれた通用路、そのどことも言えない真ん中に、僕と彼女、ついでに天藍がいた。

 百合白さんの姿はない。

 オルドルの感覚に引っかからない場所に隠されているのか、工場地帯のどこにも見当たらない。


「散歩の途中、とでも言えば、貴方は納得するんですの?」


 彼女は、表情を変えないまま、笑った気がした。

 そりゃそうだ。そんなわけない。

 僕は生唾を飲み込んだ。

 彼女が犯人だと、そう判断したのは、僕だ。


「リブラやアルノルト大尉……色んな人を殺したのは、君なんだね……?」

「もちろんですわ」


 当然、とでも言いたげな返答だった。

 そうだと確信していたのに、ひどく辛い。


「貴方を扉の向こうで殺そうとしたのも、私です。真珠イブキに罪をかぶせる形になったのは不幸な偶然ですが……でも、わざと捜査の攪乱に使ったのは間違いありません」


 将来の希望を奪われ、死ぬことまで強制されたイブキの苦しむ姿を思い出し、僕はやっとのことで次の台詞を口から吐き出した。


「竜を召喚しているのも、君の魔術……生誕のサナーリアの力だ。生命を生み出すんじゃなく、物質を移動させる魔法だ」

「当然ですわね」

「僕を殺さなかったのは、何故?」

「わかるでしょ? 互いの能力を見定めないうちは、青海の魔術師どうしが争うのはとても危険なことよ。青海の魔術は、万能の魔法。何が起きるかわからないんですもの」

「議員殺しの理由は?」

「些細なことよ。知らなくてもいいことですわ」


 全部を話してくれるわけじゃない……か。

 もしかしたらマリヤが犯人ではないかもしれない、という可能性は、今ではゼロに近かった。

 何度質問を繰り返しても、マリヤは「冗談よ。全てうそだったの」とは言ってくれない。

 ……こんな、まだ大人にもなっていない十代の少女が。

 僕を、

 リブラを、

 議員とその家族と、アルノルト大尉夫妻を、看護師を、殺してしまったんだ。


「……今すぐやめるんだ。じきに竜鱗騎士団が応援に来る。君は孤立し、殺される」

「おかしなことを仰いますこと。応援は来ないわ……このために黒曜に命じて騎士団への援助を打ち切らせたのに。騎士団は限界なはずです」

「黒曜大宰相を脅して?」

「王姫殿下は、既に、私の術中にいるのです」

「紅華が……?」

「望めばいつでも、すぐにでも殺せる。先生、あなたのように。そこから先は簡単だった……黒曜はその事実を知った時点で、要求を飲んでくれたのです。あまりにも呆気なくて、がっかりしたほどですのよ?」


 女王府の中枢に座し、女王を越える力を意のままにする大宰相。

 だが、彼の権力は王姫の座に紅華がいるからこそ持続する。

 紅華がサナーリアの魔法の標的になれば、大宰相は破滅する。

 彼だけでなく、女王国を揺るがす大事になるだろう。

 あまりにも大胆だ。だが、リブラの娘として無条件の信頼を勝ち取っていたマリヤにとっては、それほど難しいことではなかったのかもしれない。

 彼女は黒曜を操って騎士団を無力化し、竜を市域に放逐して意のままにしてみせた。


「君の目的はなんだ? 紅華を殺せるというなら、何故すぐにでもそうしない!?」

「答えるのが難しい質問ですわね。王姫殿下を殺害するのは、私の目的ではないから、とでも言っておきましょうか」

「じゃあ、君の目的はなんなんだ? 何故、リブラを殺した? リブラもアルノルト大尉も、君を助けてくれた人なのに!」


 マリヤは黙っていた。

 しばらくの後「助けてくれた人……」と、彼女は無機質な声で呟いた。


「君は、竜に脅されているんだ。竜が君に従っているんじゃなく、させられてるだけだ!!」


 この国で起きた一連な邪悪な出来事は、彼女の意志ではない。

 そう信じたい。

 だけど、そう信じたい心は、僕の弱さだった。

 この期に及んで、性善説とか良心とかいった代物に縋ろうとしている自分を自覚していた。


 

 

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