6 事後
翌朝。
俺は自分のボロ家の布団の中で目を覚ました。
玄関の扉を誰かが激しく叩いている。
俺は布団から這いだした。酷い二日酔いだが、心の中ではジャングルの葉が生い茂っていて、一切の苦痛は感じなかった。
誰かがしつこく扉を叩いている。
扉の鍵を外すと、来客は勝手に扉を開け放った。
玄関先に厳めしい顔つきの男たちが並んで立っていた。
先頭の男が紙切れを示し、俺の名を口にする。
「おまえの住居侵入罪と強盗致傷罪で逮捕する」
俺はうなずくと、粛々と手錠をかけられた。
取調室の椅子に俺は座らされ、狭い部屋は警官で充満された。
俺は強面の警官どもを相手に、グールの巣の存在を告発した。
警官はろくに反応も示さず聞いていた。やがて俺の話が終わると、警官は返答として、ばさりと写真の束を放って寄越した。俺はそれを手にとって見つめる。
あのマンションが写っている。警官がつまらなそうに口を開く。
「あの現場は、詳密に調査されたが――」
俺の眼が細まる。
「――おまえの言うようなものはなかったぞ」
写真には女の部屋が写っていた。
リビングに、ベランダに、風呂場に――。そして、あの屠殺場はなかった。
写真には、俺の闘った部屋はなく、代わりに小綺麗な廊下や脱衣場が写っていた。
俺は眉間に皺を寄せた。
どういうことなのだろう? 俺は酔っぱらって、夢でも見ていたのだろうか。
いいや、それはない。
「なるほど」
俺はじろり、と警官を睨んだ。警官も俺を睨み返してくる。
苦味のある真相が俺の中で形作られていく。
これには、大規模な陰謀が関わっているようだ。屠殺場は消えてしまった。とても大きな力が、あのマンションがグールの巣である事実を隠蔽したのだ。
大きな力……政府レベルだろうか。
警察すらグルかもしれない。考えてみれば、俺が逮捕されるのが早すぎる。グールの巣で闘った昨日の今日だ。
俺は、過去に指紋をとられたことがなかった。すると、警察はカメラに映った俺の人相と、現場に残った俺の血液のDNAから、俺を探り当てたということになる。
警察はすでに、全国民の人相やDNAを把握していて、街頭のカメラでその動向を掴んでいるのだ。この国は、すでにテクノ管理社会に突入しているわけである。
グールの巣も、政府が設置したものあろう。グールに国民を食わせているのだ。そうすることで、日本の食料自給率を向上させる狙いに違いない。
そして、俺はまたしてもハメられたわけだ。
俺の身柄は裁判所と拘置所を行き来することとなった。
俺は、女を強姦しようと、マンションに侵入した凶悪犯としてメディアに取り上げられていた。
グールの巣を単身で滅ぼした俺は、英雄として称えられるのではなく、犯罪者として裁かれるのだ。
今日も傍聴席は超満員だった。今回の件は裁判員制度が始まってから、トップテンに入る暴虐的な事件として注目を集めていた。
検察側は、強姦致傷罪(刑法181条2項)を主眼に置くとともに、余罪の追求にも手を抜かない構えだ。
被害者が反抗を抑圧されていることに乗じて、暴力をもってして抗拒不能な状態にした上で姦淫に及ぼうとした、との訴えで俺は弾劾されている。
裁判官が、裁判員が、補充裁判員が、検察官が、書記官が、傍聴席のマスコミが、それぞれ地虫を見下す視線を俺に投げかけてくる。忌むべき凶悪犯への視線だ。
俺はそんなものではびくともしなかった。
無数の質問が、延々と俺に投げかけられる。大半は無視し、国選弁護人が代わりに仕事を行った。
だが、一度だけ、俺は言葉を放った。
被害者の女性への暴行を説明するよう求められたとき、俺は答えた。
「もっと激しくやるべきだったかもしれん」
裁判所にいる人間全てが、半歩後退する。
「生存のための戦いにやり過ぎなどというものはないのだからな」
裁判長が思わず顔をしかめる。
「は、犯罪者としての自覚はないのか?」
「犯罪者である以前に狩人だ」
俺はそれだけ言って、壮絶な笑みを浮かべた。陪審員たちが青ざめる。彼らは、彼らに理解できない存在を目にしているのだ。
今の一言で十分だった。俺は手錠をかけられ、拘置所職員が両脇に控えているにもかからず、場の支配権を容易に確立してしまった。
俺は退屈だった。ここにいる奴らはつまらなすぎる。
法廷にいる人間の顔の平凡なこと。ここには、よき市民しかいないのだ。
狩人の哲学を解する者など、一人としていないだろう。
裁判は延々と続き、俺はあまりに孤独で、退屈だった。怯えた家畜どもに裁かれるという事態にもうんざりし始めている。
一度ならず、裁判所にいる人間全員をぶちのめして、歩いて出て行くことを想像した。
だが、それすらも、やる気が起きなかった。
ここにいるのは、くだらない家畜ばかり。俺は狩人として、手応えのある獣と、命を削りあいたいのだ。
俺は柄にもなく後悔をしそうになっていた。
俺はなぜここにいるのだろう? 俺は間違っていたのだろうか?
いいや、そんなはずはない。俺は狩人の本能に従った。そこに間違いが生じることはありえないはずだ。俺はそう信じている。
裁判が望み通りに進んでいないのに苛立った検察は、切り札を投入した。
凶悪犯に暴行され、身体と精神に深い傷を負った被害者女性を召喚して、証言台に立たせたのだ。
被害者女性は見るのも忍びない、労しい姿であった。
美しかったであろう容姿には二度と消えない傷を刻まれ、満足に歩くこともできなくなっていた。
法廷の人間はショックを受け、凶悪犯への憎しみがはちきれそうに膨れ上がる。
ショックを受けたのは、俺も同様だった。
だが、俺の心を一杯にしたのは、歓喜と満足感だった。
被害者女性が涙ながらに俺を訴える。見事な演技だ。俺は舌を巻く。まるで、人間を狩って食べるグールではなく、被害者女性に見える。
だが、俺と目が合ったときに、彼女が浮かべる恐怖と絶望は、紛れもない本物だった。装うことも、隠すこともできない、敗北者の刻印が見えた。女は、獲物として、すでに俺に屈服しているのだ。
俺は被害者女性を見ると、狩人がラウンジに飾る、獲物の首や毛皮を見るように、深い満足感を覚えたのだ。
俺は何年獄に繋がれるかは分からないが、この瞬間を覚えていれば、乗り越えることができるだろう。何の問題もない。
その間にも、裁判は急展開を見せる。
裁判長が立ち上がり、俺に判決を言い渡す。
「無辜の市民に対する、鬼畜にも劣る行為であり、甚だ悪質と言わざるを得ず、被告には改悛の念も見られない。よって検察の求刑を妥当と認め――」
判決文が読み上げられていたが、俺はろくに注意も払っていなかった。
俺は囚人服を着て塀の中に入っているが、心の中ではジャングルが広がっている。何の不自由も感じなかった。
俺が気にするのはただ一つ。狩人としての生を全うできるどうか。
その点に関しても、心配することはなさそうだ。
刑務作業を終えて居住房に戻ろうとしていた俺は、人気のない区画で、他の囚人たちに囲まれた。
ちょいと雑談をするために、俺を待ち伏せていたわけではないようだ。
「いよう」
「新入り」
「優しい先輩が可愛がってやるぜ」
「尻穴の締まり具合も確かめてやろうじゃねえか」
囚人どもが言いながら間合いを詰めてくる。
目つきが尋常ではない。
囲まれてしまった俺は、顔に笑みが浮かぶのを抑えきれない。こいつら、狩人だ。俺を狩ろうとしているわけだ。
対する俺は無力な獲物なのだろうか? そんなはずもない。
俺は雄叫びを上げつつ、敵の群に飛び込んでいった。




