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5 決着

 女は今、出現したのではない。

 初めからそこに立って、俺の闘いを見ていたのだ。俺が仲間のグールを叩きのめしたというのに、表情は静かだ。

 相変わらず人形じみた美しい見た目で、水晶のような透明な表情で、何を言うでもなくそこに立っている。

 だが、眼だけは違う。女は炯とした癖のある眼をしていた。食うために人を殺せる獣の眼だ。

 ボスだ。こいつが、このダンジョンのボスだというわけだ。

 OL風の装束は脱ぎ捨てていて、下着姿だった。クォーターカップのブラジャーに、ボクサーショーツという出で立ちだ。足も裸足である。

 こいつは油断ならない。俺は思った。

 ズボンを履いていないということは、それだけ足を自由に使えると言うことだ。

 足の自由度は、蹴りの威力そのものに直結する。対して、俺は制服のズボンを履いたままで、女ほど高く蹴りを上げることも、スピードを出すこともできない。

 女は有利だ。そして、それを誇る様子すら見せない。

 まことに強い者は、雄叫びを上げたり、唸ったりして強さを誇示する必要はないということだ。

 いけるか。

 こちらはダメージを受けている。俺の全身から血と汗の混じったものがポタポタと床を打っていた。

 疲労は激しく、頭は働かない。

 ……いや、いける。

 痛みはまるでなかった。ただ、全身が燃えるように熱い。

 そして、俺の心にはジャングルが広がっている。深くて暗いジャングルだ。

 ジャングルが俺の手足を動かし、戦わせるのだ。

 俺の中で熱いものが膨らんでいく。俺が口を開くと、ごおっとそれが迸る。


 俺は突進した。

 横になぐように中段回し蹴りを放つ。

 女はそれを見切ってかわすと、蹴りを返してくる。鞭のようにしなる鋭い蹴りだ。俺はダッキングで避ける。敵は右足、左足と軸足を切り替えて攻撃してくる。バレエでも舞っているかのように華麗なフットワークだ。

 更に、軍隊風に重たい前蹴りを繰り出してくる。

 円形の攻撃にこちらの眼を慣らせた後に、直線的な攻撃。かわす間はない。

 俺は瞬時に腕をクロスさせてガード。肉を打ち、骨が軋む音がした。

 ガードをはね飛ばされそうな威力だ。抜群のバランスとタイミングを誇っている。

 更に迫ってくる。顔に似合わず、好戦的だな、ええ?

 腰が入った掌底を打ってくる。

 反撃だ。くそ、身体が重い。軟泥のような腕を叱咤して、防戦を続ける。

 更に、蹴りも含めたコンビネーション・アタックが来る。

 受け流そうとした、その手首の関節をとられる。女は捉えどことのない肉の動きを見せる上、容赦もない。

 俺は腱と神経が圧迫され、目がくらむような痛みに襲われる。

 俺の内部が低い音をたてている。

 腕を畳まれると、関節を破壊されるだろう。

 打撃系だけではなく、サブミッションにも長じているのか。すげえ。

 やむを得ず、左からフックを放って女を遠ざける。だが、勢いもバランスもダメだ。

 そんなパンチは、やすやすとダックされ、カウンターの掌底が俺の顎に炸裂する。

 ひるんだ所で女が突進してくる。

 上段、中段への、無呼吸連打が来る。

 俺は受け流すのが精一杯だ。

 やり返さないと、やられる。

 どうにかこじ開けるようにブローを打ち込む。悪くない返しだ。

 それなのに女は首をひねってかわし、俺は引き腕をとられる。

 引き寄せられながらの肘打ちが喉へ刺さってくる。

 俺は直前に右手を差し入れて急所を守るが、首がくの字に折れる。

 ごうっと空気が排出された。息ができない。

 くそ。強え。ぞくぞくする。

 俺はどうにかステップバックして、間合いを外した。満足に息ができない。

 女は眼を剥いてこちらを睨みつけている。本当に嫌な眼だ。

 そして襲ってきた。こちらに呼吸を整えさせるつもりは無い。

 中段蹴りが来る。俺の眼はよく見えている。これは脅威ではない。

 だが、これはフェイント。

 真打ちは続く上段への回し蹴り。まるで霞を残すような速さだ。

 用心していたにも関わらず、その蹴りは鋭く伸びてくる。

 俺の頭を守るガードをくぐって、テンプルをぶち破った。

 鮮血が飛び散る。俺の視界が赤く裏返る。四肢が痺れたようになった。俺は無我夢中で間合いをとろうとする。

 その動きも女の読み筋だった。

 女は後ろ上段回し蹴りを繰り出した。速い。力がこもっている。

 決め技か。

 俺は後方へ飛び退きながら、限界まで首をスウェーして蹴りを避けた。

 だが、女の狙いは頭ではなかった。

 蹴りの軌道が変化し、足の指が俺の鎖骨にひっかかる。

 空中で、ぞくりとしたものが俺の身体を疾った。女の狙いが分かったのだ。

 それは一瞬のことだった。

 女が空中にいる俺を足でひっかけ、俺を床に叩きつけた。

 受け身もとれない。

 地響きがあがる。

「ごあああ!」

 俺の奥底から血が逆流する。

 俺は大の字に床に倒れ、四肢を痙攣させた。

 苦しい。即死した方がマシなような痛みだ。

 全身にタイルの破片が突き刺さり、止めどなく出血している。

 視界が暗くなり、明滅する。

 敵の双眸のみが俺の周辺視野の中で光っていた。

 それが消える。

 俺の体が起こされる。そして、強烈な力で首が締め付けられた。

 女が俺の後ろに立ち、蛇のように腕を首に巻き付けてきている。

 俺はふりほどこうとするが、とてもそんな力は残っていない。

 気道を潰され、脳への血流を強引に遮断されている。

 俺は負けを知る。否応無く死を意識する。

 空気が重たい。時間がゆっくりと流れる。

 腕が重い。持ち上げていられない。

 俺は虚空を見つめる。

 敵の双眸が光っている。

 妙だ。敵は俺の後ろに立っているはずなのに。


 違う……。俺の頭がゆっくりと悟る。


 これは、サーベルタイガーの眼だ。

 ジャングルの中、俺はサーベルタイガーに出くわしてしまったのだ。

 どうする。

 サーベルタイガーが口を開けている。

 長さ十四センチの牙が濡れて光っている。それが俺を噛みちぎろうとしている。

 槍だ。槍を持たねば。

 俺の手が痙攣しながらも、辺りを探る。

 指が尖ったものに触れる。槍だ。槍の穂先だ。磨製石器だ。

 俺は掴むと、それを女の太腿に深々と突き刺した。

「ぎぁああ!」

 耳元で絶叫があがる。

 床のタイルの破片で腿に刺し貫かれた女のバランスが崩れ、俺の首を締めていた腕の力が弱まる。

 俺は頭の中でサーベルタイガーと睨み合いながら、身体で女と闘っていた。

 俺は盲目的に、肘を後ろへ振るった。女のわき腹にそれがめり込む感触。

 俺の首にまとわりつく女の腕が邪魔だ。

 その腕を掴んで、大きくひねる。

 ぼこり、と肩関節がはずれる音。女の悲鳴。騒々しい。

 下段への回し蹴りで、女の怪我してない方の足を攻撃する。

 湿った音がする。女の膝があり得ない方向へ曲がる。

 膝関節脱臼。膝蓋靱帯と、内側側副靱帯の複合断裂。

 両足を壊された女は動けない。狩人は、獲物を動けなくしてから撃つのだ。

 俺の体が回転する。大きく振るわれた、回し蹴りが女の胸で炸裂する。俺の踵をめり込ませて、女の胸骨を陥没した。ごぼごぼと音をたてて、女の口から血が迸る。

 彼女はがくりと膝をつく。

 俺は流れるように止めをさす。容赦もなければ、慈悲もない。

 思い切り足を床に叩きつけて、打撃系筋肉をフル稼働させる。俺の攻撃がヒットする寸前、女の獣の眼に、絶望と敗北がよぎった。

 俺の掌底がクリーンヒットする。

 前頭骨、上顎骨、鼻骨、上鼻甲介、蝶形骨に及ぶル・フォート3型複合骨折。前頭葉部脳挫傷。顔面部皮膚の大規模裂傷。上顎右側第二小臼歯から左側第一小臼歯にわたる歯冠破折ないしは歯牙脱臼。

 止めだった。


 俺は肩で息をしながら敵を見下ろす。

 もはや敵には、狡猾な偽装も、恐るべき戦意もなかった。ただ細かく痙攣する血まみれの肉の塊でしかなかった。

 それに対して、俺は何もしなかった。

 更に痛めつけるでも、戦利品を求めるでもない。俺は、ただグールの巣を立ち去り、振り返らなかった。


 俺の心の飢えは満たされて、全き満足感が広まっていた。

 俺のジャングルには、トラも人食い人種もいなかった。ただ、どこまでも緑色のジャングルが広がっていた。


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