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4 行為

 俺の足がはたと止まる。俺の笑みは凍り付く。

 俺が見ているのは一体何だ?

 風呂場から出れば、そこには脱衣所みたいなものがあると想像していた。

 だが、俺が立っているのは、全く異質の場所であった。

 そこは、小綺麗なアパートとは似ても似つかない、異空間。

 広い部屋だった。一人住まいのマンションに似つかわしくない、がらんとしたテニスコート大の部屋。

 足下はタイルで覆われているが、風呂場のタイルとは違った雰囲気の冷たい色彩で、そこかしこに、排水溝が口を開けている。

 部屋の壁からは、禍々しい形状の鉤が飛び出ている。殺した家畜を吊して血を抜くのにぴったりな鉤だ。

 コンクリートが剥き出す天井からは、蛍光灯の他に、鎖を吊す滑車がぶら下がっていた。

 部屋の中央にはキャスター付きの金属製のテーブル。表面には溝がある。

 刑事ドラマやサスペンスでおなじみ、死体解剖用のテーブルだ。

 空気中には塩素の匂いが強烈に漂っているが、それを透かして、悲鳴と血の痕跡も残っていた。

 まともな部屋ではなかった。禍々しく黒いモノが壁から、大気に拡散されている。

 ここは、非道徳的な部屋なのだ。

 ここは……屠殺場だ。そうとしか思えない。

 俺の呼吸が速い。喉仏が上下する。

 これは一体……。


 俺の向いている正面、部屋の奥には重たそうな金属の扉が据えられていた。

 それがじわりと開口する。異様な人間がわらわらと染み出てきた。

 こいつら……。

 全裸の人間たちだった。体型を見て悟る。

 女だ。このマンションに居住する女たちなのだ。

 だが、見るからに怪しい見た目で、粘着質の敵意に溢れている。

 全身にポリネシア風の入れ墨を彫り込んでいて、ほとんど元の肌が見えない。

 頭髪を含めた全身の毛を剃り落としていて、顔面までも入れ墨に覆われ、人相も定かではない。

 血に飢えた戦士の戦化粧。こいつらが施しているのはそれだ。

 その意匠から察するに、こいつらも心の中にジャングルを持っていると見ていいだろう。


 出し抜けに、かつて聞いた噂を思い出す。

 こいつら……噂に聞いたグール(人食い)だろうか。

 間違いない。都市伝説だと思っていたが、実在したのだ。


 これは罠なのだ。俺は慄然としながら、悟った。

 このマンションそれ自体が、外の男をおびき寄せるための罠。

 俺は、非現実的ながら、これ以上ないほどリアルに現状を理解した。

 そう、俺こそが獲物で、マンションは狩人なのだ。俺好みの女を鼻先で振られて、俺は脳なしの禽獣よろしく、罠に入り込んだ。

 俺は既に、アリジゴクにハマってしまっているのだ。


 グールどもの目的は、俺をここでバラして、食べることに他ならない。

 ここは、そのための部屋なのだ。

 最近は、インフレーションが進んだせいで、スーパーマーケットに並ぶ食材も値が張るのである。

 代わりに、このような罠をしかけ、俺のような間抜けがひょこひょこ入ってくるのを捕まえて食べれば、食費はタダになるというわけだ。天才的な考えだと言わざるを得ない。

 卓越した狩人のみが作れる、極めて明瞭でシンプルなトラップ。俺はしびれた。


 俺を完全に囲んだマンションの女たち、グールどもが間合いを詰めてくる。

 敵の数は十人を越える。

 多勢に無勢という奴だ。手前のグールが歯をむき出す。黒くて、妙に鋭利な歯が覗く。

 まんまとハメられた俺は、潔く食われてやるのが筋だろうか。俺は冷めた頭で思考する。

 潔さか。

 そんなものは人類の自己満足でしかない価値観だ。ジャングルには到底、縁がない。縁がないことをやるのも、面倒くさいと思う。だから、抵抗しようと思う。

 命懸けで。

 俺は口を開く。

「俺を狩る気か、ええ?」

 俺の言葉の語尾が震える。だが、俺の中に怯えは一切なかった。

「こいつは参ったな」

 女どもは黙して答えない。言葉の通じる相手ではない。

「じゃあ、ここは一つ、ジャングルの狩人のしぶとさというものを教えてやろうか」

 俺はゆっくりと、肩幅に足を開いて構えた。左足を、じりっと前に出す。

 どっちのジャングルが真のジャングルが分からせてやろう。



 女たちが一斉に叫喚した。

 男が上げる類の野太い怒鳴り声ではなく、若い女の甲高いウォー・クライ。俺の耳朶を打つ。

 それが戦闘開始の合図だった。

「うおおお!」

 俺も負けずに雄叫びをあげつつ、グールどもの中へ突っ込んでいく。

 次の瞬間、俺は戦いの渦中にあった。

 拳を、肘を振り回す。自分の攻撃が敵にめり込むのを感じる。

 だが、俺も周囲を取り囲まれて、打ちまくられている。視界が衝撃でガクガク揺れた。

 なめるな!

「ぬああ!」

 俺の後ろ上段回し蹴りが、まとめて二人の女をなぎ払う。女どもの頭蓋骨がぶつかり合う硬質な音。

 俺も無傷とはいかない。後ろを蹴った途端、前から攻撃が来る。

「ぐわ!」

 跳び蹴りを食らった俺の身体が吹っ飛ぶ。

 背後でうずくまるグールに躓き、俺の身体がタイルの上で転がる。

 倒れた俺にのしかかろうとグールが迫る。

「うるぁ!」

 俺は腹筋の力で身を跳ね上げ、直後に目の前の敵にラリアットをかます。

 新たな敵の頭部を掴んで、膝蹴りをぶち込む。

 俺はまた囲まれている。

 だが、どれほど敵が多くても、俺を一度に攻撃できるのは四人程度。

 大した数ではない。全く問題ない。

 一人の敵に集中しすぎると、他の三人から攻撃をあびる。

 まんべんなく周囲の敵を倒すしかない。左にジャブを放ったら、右にフックといった感じだ。

「はあっ!」

 女の上段蹴りをダッキングしてかわすと、そのまま回し下段蹴りで軸足を払う。

 円を描くように戦うブンチャック・シラットの動きを強く意識する。

「おおるあああ!」

 腰にタックルをかけてくる敵を押し返しつつ、敵の股下へと腕をくぐらせ、抱え上げる。敵を空中で振り回し、周囲のグールを牽制した後、抱えた敵を床に叩きつける。ボディスラムである。

 格闘道場のマットの上に落とすのとは訳が違う。硬質なタイルの上に落としたのだ。

 放射状にタイルが砕け散り、床が血まみれになる。一撃必殺とはこのことだ。

 俺は肩で息をしながら身を起こす。くそ。腕が重い。

 実戦は、練習の組み手より遙かに消耗する。敗北は死に直結し、その事実が重石のように身体を圧する。

 斜め後ろから足刀が襲いかかるのを、俺は直感で感知。

 かわしながら、反撃の中段蹴りを放つ。それはグールの肋骨を叩き折ったが、敵はそれでも俺の足をボディに抱えて止めた。その間に、新手が俺の軸足を払った。

「ぬうう!」

 起きあがろうとすると、敵に押さえ込まれる。

 俺はダメージを受け、消耗している。起きあがれない。

 このまま押さえ込まれれば、囲まれ、捕食されるのは間違いない。

 俺は肘を跳ね上げ、頭上の女の顔を強打する。女はどかない。

「ぐるおおお!」

 獣のものとしか思えない怒声が俺の喉から漏れる。

 俺は怒り狂って、更に肘をたたき込む。軟骨の潰れる音。血飛沫。女の顔が仰け反る。

 俺の身の上の圧迫感が弱まる。俺は背筋に力をかける。ブリッジで、マウント・ポジションをとる敵をはね飛ばす。

「があああ!」

 両手は血でまみれて、ぬるぬるする。

 背後から組み付いてくる敵。俺は膝を思い切り振り上げながら、背後の敵の頭を抱える。そして、反動をつけて自分の腰を折る。首投げが決まって、女の身体が壁に叩きつけられ、動かなくなった。

 倒れる仲間を飛び越しながら跳び蹴りを放つグール。俺は二の腕で受ける。俺は本能のままに戦う。生きるために闘争する。

 グールの引き足を抱えると、引きずり落とす感じで振るった。敵の身体が弧を描いて飛んで、手術台にぶち当たる。けたたましい騒音。

 正面の新手。敵のパンチをブロック。カウンター。敵の顎へ肘打ちのアッパー。敵が浮き上がる。顎が割れたのが分かる。

 俺は跳ぶ。天井からぶら下がる蛍光灯を掴む。身を振る。ドロップキック。クリーンヒット。敵は血をまき散らして吹き飛ぶ。

 次の攻撃。次の攻撃が来る。身を。身を堅くする。

 だが、攻撃はない。

「はあ……はあ……」

 俺は必死に息をする。心臓が荒れ狂う。

 極端にせばまり、赤い幕が掛かっていた視界が晴れていく。

 そして、俺は周囲に動くものが無いことに気付く。

「はあ……」

 俺は勝ったというのか。

 卑劣な罠にはめ、数を頼りに攻め寄せてきたグールどもを返り討ちにした。

 獅子のように雄々しく戦い、勝った。俺は勝者だ。


 はっとする。

 まだ一人残っている。

 獲物。俺をここへおびき寄せた女。

 獲物の女は戸口の所で立っていた。

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