山ガール
最近は、山ガールという言葉が一般的になにましたが、当時は山男に山女が普通です。主人は、女性化する前から、ハイキングは好きでした。独身時代には、ハイキングどころか本格な登山もしています。新婚時代もハイキングはよく行きました。
主人の目当ては野草の写真です。それはいいのですが、服装がまずいです。キャロットスカートや半ズボンとレギンスです。
ここは険しい崖です。たまに、ロッククライミングかというところがあるものです。健脚の主人はさっさと上がって、岩に腰掛け涼しい顔です。
「おーい。大丈夫かあ。いい景色だね。」
「ふう、はあ。・・・・」と私は言葉を返す余裕もありません。
しかし、私の少し下で声が・・・「うぁあ」と言う声とともに、ざざざという音がしました。声の方を見れば、男の人が足を滑らしたようです。
「あれ。大丈夫かなあの人。」という主人です。
変だなと思って、主人の方をみて、真っ青になりました。
「拓也さん。スカート!」
急な崖で立ち上がった主人のスカート中が・・。
まったく、こんなところにスカートで来るなと言いたいです。
とある山頂です。赤いルージュにキャロットスカートの主人が登ってきました。首にタオル、手にはうちわを持っています。狭い山頂は弁当を食べる人でいっぱいです。
「暑いなあ。」と言って岩にすわりました。
そして、スカートをぱたぱたさせうちわで扇いでいます。
「おい、アレを見ろよ。」
「ん。うぁ。」
お弁当を口に運んでいた男も、コーヒーポットを手に持った男の人も思わずスカートに目が釘つげです。
「へぇ・・・うぁあちぁちぁー」
コーヒーを足に掛けていました。口に入りかけた芋もコロコロと転がっています。
「あっ、こら。拓也さん!」と言って私は思わずタオルで前を隠します。
「へえ?」と本人は自覚がありません。
コンパクトで化粧直しています。
最近は、山ガールともてはやされるようになって、結構、ファッション性高い格好した美人もいますが、山男山女の時代です。山岳部の出身者の山好きおじさんとハイキング好きのおばちゃんしかいません。
主人はありの列に投げ込まれた角砂糖です。あの美貌ですからありのように男どもが群がってきます。
「よう。お姉ちゃん。どこから来たの。」
「大阪です。」と私が答えます。
「大阪というと、大沢から上がってきたの。」
「ええ。」
「これ、食べる?」
「いえ、結構です。」
「あっちの山はわかるかい。」
「いいえ。」
「信州の××××岳だよ。」
「へえ。ここからそんなの見えるんですか。」
「それだけじゃないよ。空気の澄んだ日には・・」
私はつい話し込んでしまいますが、主人はいたって無口です。
主人は知らんふりして、ファインダーをのぞいています。
「カメラが趣味?大きいの持っているね。」
「そのカメラはミノルタだね。オートフォーカスかあ。すごいね。」
主人は全く反応しません。
「何撮るの。風景写真?」
「花。」と主人はいたって無口です。
「花かあ。今頃、撮るといいのは・・・」
「・・・・」
主人は会話が面倒になり、切り札を切りました。
「ちなみに、僕は男です。オカマなんです。この人は奥さんです。何なら立ちションしてみせましょうか?」とにこりと笑い、カメラをバックにしまいました。
「さあ、千香、いこうか。」
山頂から下り道、主人がぼそりといいました。
「なんで、言い寄ってくるのかなあ。男は嫌いなのに。」
「女ならばいいの。」
「うん、きれいな人ならば、なおさらいいけど。でも、女の人はおしゃべりなのがなあ。」
「私は?」
「ん・・かわいいよ。楽しいし。」
そう言ってごまかすか。当然か・・
今日は私と2人ですが、人気無い山奥で大丈夫なのかとおもいます。ところが、彼なりに対策は立てているようです。まず、女性グループがあればそっと追従します。休むときは、高い岩の上とか崖っぷちとか危ないところで休むそうです。昼は眺めが良くてひとけの多いところを選ぶらしいです。意外と気を使っています。
しかし、トイレは気をつかいません。平気で男子便所で立ちションをし、周囲の男をおどろかしています。
帰りの電車です。
「今日は、いろいろ、寄ってきたけど、登山だとずいぶんちがうんだよ。」
「へえ」
「昔、立山に行ったことがあるんだ。」
女性秘書時代に、ひとりで立山にいったことを話し始めました。
なんでも高原植物は撮り飽きたので、高山植物を撮りたいと思い、登山をし始めたそうです。
ここは、立山室堂です。バスからキャロットスカートにスパッツの主人が降り立ちました。いつもばズボンのくせにこんなときだけ、スカートを履く困ったヤツです。
そこから、今は石畳の道ですが当時はコンクリートの打ちっ放しだったと思います。結構、歩きやすい道が続いています。それゆえ、コートのような防寒具さえちゃんときておれば。観光バスで来ても高原の散策気分で歩き回れるのです。特に登山装備はいりません。
主人は、一路、一の越え山荘へ向かいます。急峻ながれき道を登る必要があり、みんなもくもくと登ります。さっきもいったように、観光バスでの観光者も混じっているため、スカート姿の女性もいないわけではありません。
昼過ぎに主人は、一の越え山荘につきました。ここは、『御来光』すなわち、日の出を山頂で見るための拠点です。ここで泊まり、日の出前の真っ暗の中登頂して、『御来光』を拝むのです。
売店にはいろいろ売っています。
(へえ、お土産物がいっぱいあるなあ。これはペナントか。)
昼食もできます。いろいろな食べ物がメニューとして載っています。
(ラーメンがこの値段か。うえー高いなあ。しかし、これでも食っとくか。)
「すみません。ラーメンください。」
「はい。」
あいにく、空いたテーブルはないようです。コーヒーを片手に本を読んでいたベテランらしいおじさんに相席をたのみました。
「ここ、良いですか。」
「おう。」と言って、黙ってそのまま本に目を通しています。
このあたりがハイキングと違います。無口な人が多いです。
(うーん。静か過ぎるのも考えものだな・・・)
「ラーメンをお待ちのお客様!」という声でカウンターへいくとラーメンがでて来ました。
(え? あの値段で、インスタントラーメン!)
主人が目を丸くしていると、相席してコーヒーを飲んでいたおじさんが言いました。
「はは、姉ちゃん。高いだろ。ほとんどは担ぎ屋の人件費だよ。こんな乾麺の方が軽いからな。」
「そうなんですか。まあ、野菜とゆで卵が入っているだけましか。」
「ははは、そうだよ。豪勢なもんだろ。ところで、どこいくの。」
「雄山経由で剣山荘です。」
「じゃ。あと、3,4時間といったところかな。崩れがあったから気をつけろよ。」
この人のいうこと信じてはいけません。ベテランの足ではそんなものですが・・
「あっちから、来たんですか。」
「ああ、これからみくりが温泉で風呂入いって帰るんだ。あんたは、雄山かガスが晴れるといいな。」
そう言って、また、黙って本を読んでいました。
雄山山頂はガスでよく見えませんでした。山頂から少し下ってところに雄山神社の社務所があり、神主様にお祓い依頼をすると、山頂の本殿でお祓いをしてくれることで有名です。霧のなか1件のお祓いをしていました。
「へえ。よくやるよなあ。」
神主さんはよく寒くないものだと化粧を直しつつ主人は感心して見ていました。こいつもスカートで寒くないものだと思いますが・・。第一、化粧直しをするか!
富士の折立を抜けて、峰伝いにがれき道を行きます。
「すみません。雷鳥荘へ行きたいのですが・・」と女性に声を掛けられました。
「え?」
(このひとどこから来たんだ?ハイヒールだぞ。)
主人はいつもハイヒールですが、瓦礫道を歩いた今は登山靴です。さっきも言ったように、スカートはちょっとない格好ですが・・
「ちょっと、待ってください。」
主人は登山路地図を眺めます。
「あそこに少し笹藪が凹んだところがあるでしょ。」
「ああ、私がきたところですね。」
「えーえ!よくあんなところから来ましたね。そこから帰ったほうがいいですよ。」
「別の経路を通って帰りたいんだけど。」
「もう少し行ったらあるみたいですけど。わかりにくいからやめた方がいいですよ。下手すると山頂を経由することになります。その足じゃ無理でしょう。」
「ありがとう。そうするわ。」
立山は観光バスで来て、ハイキング気分で結構歩ける部分が結構あります。だから、こんな人がいてもおかしくはないんですが、ハイヒールで頂上に登ったり、雪渓は歩けません。登山路地図によると、昔は小さな藪道もあったみたいですが、ほとんど消えています。
立山は夏でもあっちこっちに残雪があります。
「おお、雪渓だな。念のためアイゼンつけるか。」
主人は雪渓を前にして、念のため岩に腰掛けて、アイゼンを装備し始めました。ついでに化粧直しもしています。ここでもしっかりとしています。女修行の成果です。
側を若い男の2人連れが通り過ぎてゆきます。
「おい。アイゼンしたほうがよくないか。」
「大丈夫だよ。これくらい。」
たまにいますよね。こんなやつが・・
「ホントか。」
「それより、急がないと渋滞してきたぞ。」
その男が前からの人を避けて、狭い雪道に一歩踏み出したときです。
「はは、あっ! うわあーーーーーーーーーーー。」
一人の男が足を滑らせ。雪渓に落ちました。しゃがみ込んで止まろうとしますがとのまりません。すごい勢いで下ってゆきます。
「おい、足!踏ん張れ!」と友達らしき人が叫びます。
「ピッケル!持ってないのか!」とベテランらしき男が叫びます。
手をついていますが、止まりません。
「あーーー。」
「やった。止まったみたいだ。」
止まったので立ち上がりましたが、また転けます。
「あっ、また滑った。」
さらに滑って、遙か下方でようやく止まりました。
「いや。止まったみたいだな。良かった。しかし、もどるの大変だぞ。」
「おーい。大丈夫か。」
アイゼンを付けた主人は気にすること無く、ひょいひょいと雪の細道を歩いていきます。
ざまあみろ。山を舐めるからだ!主人はえらい。
こうして主人は無事剣山荘へつきました。
「すみません。予約していた日下部です。」
「あれ?男性のはずでは・・」
またですか。素直に女性ひとりと予約しとけばいいのに、ホントにはた迷惑なヤツです。
「男ですよ。オカマなんです。」
「オカマですか。困ったな。繁忙期なんで、相部屋をお願いしないといけないんですが、ちょっと待っていただけますか。調整してきます。」
ほらほら、言わんこっちゃない。ご迷惑おかけして済みませんなー。
「やあ、待たせてすみません。」
山小屋の主人が、壮年の女性二人組を連れてきました。
「この方なら、別にいいわよ。」
「へえ。男なの。信じられないわ。」
確かに、信じられません。ばっちり、化粧してスカートをはいたお嬢様としか見えません。
「日下部さん。すみませんが、この山辺さんのグループと同室ということでお願いできますか。」
「ええ、結構です。皆さんがよければ。女の人と寝るのは慣れていますので。」
夕食後のひとときです。同室となったおばさん達と話しています。
「えっ。剱岳を登るの。」
「勇気あるわね。私なんかとてもできないわ。」
「みなさんはどうするんですか。」
「池ノ平経由で富山へ抜けるのよ。」
「へえ。健脚ですね。」
この二人も強者です。ここから、富山方面のバス道まではかなりあります。途中、テント泊まりも必要かもしれません。主人のような山小屋だよりの軽装備では無理です。
「しかし、気をつけなさいよ。毎年、2,3人が転落死しているとか。」
そこにベテランらいしい男が口を挟みました。
「ははは、それは噂だよ。あんなとこでの転落事故はめったにない。夏山は、下山時とか意外になんでもないところでケガしているだ。小屋が見えた時が一番危ないとうくらいだよ。」
「確かにそうですね。実は、僕、ここの数十メートル手前で、こけましてね。」と
主人が頭をかきながらいいます。
「え?大丈夫だったの。」とおばさんは心配そうです。
「岩を踏み越えようとしたとき、踏んだ石がごろりと動いて、背中から転げたんです。リュックがクッションになって、事なきを得ましたけど。」と主人が笑って答えます。
決して、大丈夫なことは無いと思いますが、下手すると頭をうってたかもしれません。
「うあ。だから、一人は危険なのよ。」
「ええ、だから、立山みたいな。人通りの多い所を選んだんですけど。」と主人が答えます。
「まま、確かに、剱岳も渋滞してで、順番待ちするところが結構あるからな。」と笑うベテランのおじさんです。
「ところであんたその格好で登る気なの。」
「ええ、この下に、厚地のパンスト履いてます。これって、結構、強いんです。それと膝当てと肘当てをつけるつもりです。」
「大丈夫かな。ちょっとこすれば一発だぞ。レインウェアの下だけでも履いたらどうだ。」
このようにおじさんは忠告してくれたのですが、こういうところは頑固なヤツです。
「ありますが・・考えてみます。」
ちなみに、この厚地のパンストというのが、当時、120デニールの強度に締め付けるもので、数千円したそうです。山歩きでも唯一足先に穴が開かないので愛用していました。
結局、主人はそのままの格好で登りました。ほとんどの人は、荷物を剣山荘に預けて、軽装で剣岳に挑戦します。主人も、リュックにウィンドブレーカー、水筒とタオルを詰めた軽装です。あっと、化粧品は忘れていません。サンバイザーをかぶり、赤い爪が出た革手袋です。ちょっと舐めています。
剣山がどんなところかは、いろんな人の手記をごらん下さい。一方通行の登山路であることと、カニのタテバイとカニのヨコバイで有名な難コースです。しかし、本物の登山家しかいけない所と言う訳ではありません。高所恐怖症でなく、度胸さえあれば大丈夫です。主人は男ならあそこは行っておくべきところだといいます。若いときに一生に一度は行っておくと男としての度胸がつくそうです。赤いルージュを引いた口から発せられる言葉でどんだけ説得力あるかわかりませんが・・・
「ひぇー。あの美人はなんだ。」
「すげえや。アルピニストかな。」
ひょいひょいとためらいもなく登る主人です。イメージで人は勝手なことを言っています。本当はここが初めての主人は初心者です。みんなだまされていますよー。
渋滞でも譲ったり避けるところはありません。そこを踏み外すと奈落のそこです。狭いコースを人の動きをみて、まねをするしかありません。涼しい顔をして登っていたそうですが、内心は心臓バクバクだったそうです。特に、鎖をもって、岩を伝いに行くときに、ポツポツと雨が降り、命が縮んだそうです。
剣岳の山頂で、まず、したことは化粧直しでした。その後、カメラを渡して写真を撮ってもらっていました。もちろん、主人ことですから、一緒に入りたがる人は多かったようですが・・。
雷鳥沢を抜けて、地獄谷を横目に、雷鳥荘に泊まりました。雷鳥荘での食事と宿泊室の質にビックリしたそうです。山小屋というよりホテルだったそうです。
ハイヒールの観光客の女と雪渓ですべった男は、剣岳に登った主人から聞いた話です。日下部拓也は化粧直しを何度もしていますが、昔はベースクリームや乳液の上におしろいを重ねていました。今ほど密着性は良くなかったので、化粧直しを頻繁にする必要があったのです。




