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LOST  作者: 風羽洸海
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四章 (1) 不穏



 どうしようかなぁ、とカゼスは王宮の中庭をとぼとぼ歩きながらぼんやり考えを巡らせていた。もっと簡単に犯人がつかまるものと楽観していたのに、残像は見付からないし、リトルでさえ何の手掛かりもつかめない。魔術はもう痕跡がなくなっている。

「はーぁぁ……なんか、治安局員でやってく自信もなくなっちゃったよ」

〈何言ってるんですか。試験に通るかどうかも分からないくせに〉

 呆れてリトルが言い返す。

 次の瞬間、懐に収まっている水晶球がいきなりぐっと強く体を押し、カゼスは思わず体をくの字に折った。

「何す……」

 言いかけた時、直前まで頭のあった位置を何かが風を切って飛んだ。ぎょっと立ち竦んだ足元に、ドスッと矢が一本刺さる。反射的にカゼスは体ごと振り返った。

 続く攻撃はなかったが、人影もなかった。

〈リトル、誰がこれを放ったんだ?〉

〈人物の特定は不可能でした。あなたの衣服と体を透過して向こう側をスキャン出来るほどの機能はありませんからね、音で分かっただけです。飛来した角度と周囲の状況からして、発射されたのは王宮の二階の窓でしょう。今から行っても誰もいませんし、証拠もないでしょうがね〉

〈じゃあ、事故ってわけじゃないんだね。もっとも、これが事故だって言うならどんな暗殺だってごまかせるけど〉

 それとおぼしき窓を睨み、それから足元の矢に目を落とす。

 誰が、なぜ?

 そもそもカゼスを狙う必要などないはずだ。何の権力にも関係していないし、今のところ誰に不利な証言をしたわけでもない。確かに、魔術師にかけられた疑いを強める結果にはなったが、当の魔術師同士がかみつき合っている現状では、どちらかから消されるほどのことになるとは考えにくい。

〈国王に呼び止められたせいで、あなたが新たな権力にありつく者とみなされた恐れは大きいですよ。権力者と親しいこと自体が権力になる時代ですからね〉

 面白くもなさそうにリトルが指摘した。カゼスは矢を拾い上げ、リトルに特徴を記録させる。まさか自分までが王宮の一員として狙われるはめになろうとは、考えてもみなかった。あくまで部外者のつもりだったのに。

〈刺さってたらかなり危なかったね〉

 ようやく現実感が湧き、カゼスはぞっとなって身震いした。

〈矢羽とか矢の材質から持ち主を特定できないか、アテュスに訊いてみよう〉

〈犯人を割り出したところで、証拠はありませんけどね。その矢が一本きりでは説得力がなさすぎますし、大体こんな目立つ場所で殺そうということは、矢を元に特定される恐れがないことを前提にしているはずです〉

 言われてみればそうか、とカゼスは落胆する。暗く淀んだ宮廷で策謀をめぐらす者にすれば、自分のような庶民などいともたやすく消すことができるに違いない。

「何をしている?」

 ぼんやり立ち尽くしているのが妙に映ったのだろう、銀髪の宰相が通廊から不審げに声をかけた。カゼスは曖昧な表情で振り向き、矢を指先でふらふらと揺らした。

「……?」

 ヤルスが眉を寄せる。演技ではなさそうだ。カゼスはヤルスの方へ歩いて行くと、矢を見せた。

「こんなものが飛んで来たんですよ。物騒な場所ですね」

「王宮内では軍の教練場を除いて、弓の使用は禁じられている」

 平坦に言い、ヤルスは矢を手に取った。

「練習用の矢だ。教練場に行けば山ほど手に入る。手掛かりにはならんな」

「だろうと思いました」やれやれ、とため息。「なんで私が……」

 小声でぼやいたのだが、ヤルスはしっかり聞いていた。

「いまさら遅いが、深入りすべきではなかったな。……この後はおまえにできることはもうなかろう。犯人が捕まるまで居座るというのなら、せめて王宮からは離れていることだ。アムル殿のところにでも引っ込んでいる方が安全だろう」

 それだけ言って、彼は立ち去ろうとする。「あの」とカゼスは引き留めた。

「あなたは理由の見当がつくんですか」

「後ろ暗いところのある奴は些細なことでも脅威に感じるものだろう。おまえが犯人を見付けるか、そうでなくとも勢力争いに首を突っ込んで、なにもかも台なしにするのではないかと危惧している奴がいる」

「誰です?」

 カゼスが訊くと、そこまで面倒見られるか、とばかりにヤルスは肩を竦めた。

「そんな奴が大物小物とりあわせて数ダースいるとしても、不思議ではない」

 他人事だからか日常茶飯事だからなのか、平然と物騒なことを言ってヤルスは背を向けた。カゼスは憮然としてそれを見送り、またため息をついた。

「あーあ……とりあえず、今日はもう帰ろうかな」

 王宮の門を通り、街に出る。忙しくそれぞれの用事に行き交う人々。疎外感をおぼえながら、カゼスはのろのろと歩きだした。

「あの、もし」

 話しかけられ、袖を引かれるまで自分の事だとは思わなかった。驚いて目をぱちくりさせながら振り向くと、大きな鳶色の瞳をした黒髪の娘がじっとこっちを見ていた。まだ十代の半ばをすぎたばかりだろう、初々しさを感じる。

「カゼス様ですか?」

「えっ……多分そうだと思うけど……様って呼ばれる覚えはないなぁ」

 戸惑いながらカゼスが答えると、娘は面白そうに笑みを広げた。

「アムルさんが言った通りの人ですね。私はオルトシアです。アテュスの、その……」

「あぁ、手紙の彼女」

 カゼスは納得してうなずく。オルトシアは頬を染めて目を伏せた。

「ええ、あの、アムルさんから伝言が。今日はちょっと遠くまで往診に出るから、家に帰っても夕食はありません、って」

「えーっ」

 思わずカゼスが心底困った声を出したので、オルトシアは声を立てて笑った。

「ご心配なく。私、お金を預かってます。街で何か買って食べてくれ、って言ってましたけど……あの、本当に買い物の仕方をご存じないんですか?」

 何かの冗談ですよね、という風情でオルトシアが訊く。カゼスは情けない顔をして見せるしかなかった。

「自分の住んでる所だったら、知ってるんだけどな。生憎、ここいらの習慣にはまるっきり無知なんで……お任せしてもいいかな?」

 オルトシアは驚いて目を丸くしたが、賢明にも感想は差し控えた。ただうなずいて、先に立って歩きだす。カゼスはここに来て三日目で、街の中もある程度は歩いていたが、彼女が先導するのはこれまでとは趣の違う界隈だった。

 一般市民のための区域と言ってよい。道や区画ごとに専門職人の店がまとまっており、今二人が向かっているのは食料品店ばかりが集まっている辺りだ。

 野菜や果物をうずたかく積んだ店、焼いた肉の香ばしい匂いを漂わせている店、老人や非番の兵士で賑わう茶店兼酒場。そろそろ夕食の支度にかかる時間だけあって、通りは主婦やお使いの子供で混雑している。

 どこに行っても人間の生活臭はあるものだ。カゼスは妙に懐かしいような気がして、辺りをのんびり眺めていた。まるで自分もこの風景の中で生まれ育ってきたような郷愁。

 オルトシアが店主と値段の交渉をしている。カゼスはそういう駆け引きが苦手だが、ここでは日常的なことなのだろう。ふとカゼスは自分もこの雰囲気の仲間入りをしたくなって、オルトシアの肩越しに店の品物を覗き込んだ。

「あのさ、アテュスにも何か差し入れを持って行けないかな?」

 カゼスが言うと、オルトシアは怪訝な顔をした。アムルの診療所で夕食をとるものと考えていたからだ。また王宮に戻るとなると、診療所に帰るのが日没後になってしまう。

「手紙より本人が行った方がいいと思うんだよね」

 悪戯っぽくカゼスが言うと、オルトシアはまた赤面したが、嬉しそうにうなずいた。

「私も中に入れて頂けるように取り計らってくださるんですね」

 あれっ、とカゼスは目をしばたかせたが、まぁ何とかなるだろうと考えてうなずく。

「そうしちゃいけない理由でもあるのかい?」

「私、一応『長衣の者』ですから。アテュスに会わせてもらえないんです」

 脱走されたりしては困るからだろうか。カゼスは首を傾げた。

「なんとかなると思うよ。牢番の人とは顔見知りになったし、それを言うなら私だって魔術師なんだから」

「ありがとうございます。それじゃ、あまり快適とは言えませんけど、アテュスと一緒に夕食にしましょう」

 心底嬉しそうに言い、彼女は店主に向き直って追加と値下げの交渉にとりかかった。もう一人分買うからもっとまけろ、というわけだ。

 なかなか鮮やかな手並みで値切り、オルトシアは何かの包み焼きらしいものを三人分手にいれた。行きましょう、と歩きだした彼女に、カゼスは茶目っ気を出して言った。

「実を言うと、君の見事な値切り方を見たかっただけなんだ」

「まあ」オルトシアは呆れてから、小さくふきだした。「こんなの当たり前ですよ」


 王宮の牢番は、オルトシアを見ると顔をしかめた。

「困りますよ。その女と会わせちゃいけないって言われてるんです」

「どうしてですか?」

「女に会わせないのも罰の内だからでしょう。そうでなくたって、その娘は『長衣の者』ですからね」

 オルトシアの服に疑わしげな視線を投げて、牢番は渋面を見せる。そこを何とか、とカゼスは頼み込んだ。

「アテュスが逃げる気だったら、最初に私がここに落ちてきた時に出してくれって頼んでますよ。それに第一、彼はまだ罪人と決まったわけじゃないんですから、罰を与えるのは筋違いでしょう」

 なおも渋る牢番に、カゼスは気が進まないながらせこい手を使うことにした。魔術というほどのものでもない、ごくごく軽い暗示のようなものをかけて、少々好意的になってもらったのである。金貨を持っていないので致し方ない。

「何をしたんですか?」

 牢の中に入り、オルトシアは不審げに問うた。どうやら暗示や精神探索といった魔術の副産物は、この国にはいっさい伝わっていないらしい。カゼスは苦笑してごまかした。

「何ってほどのこともないよ。あ、おーい、アテュス」

 呼びかけると、鉄格子の向こうでアテュスが振り返り、目を丸くした。

「オルトシア! いったいどうやって入ってきたんだ? 禁令が解けたのか?」

「カゼス様が計らってくださったの。はい、差し入れ」

 食べ物を受け渡しするための隙間から、買ってきた夕食を渡す。アテュスは露骨に胡散臭げな顔をしてカゼスを睨んだ。

「カゼス『様』?」

「僕を責めるなよ。彼女とここに来ることを考えついたのは僕の方なんだから、感謝してほしいぐらいだね」

 鉄格子の外側に座り、カゼスはオルトシアから夕食を受け取った。香りの良い大きな葉で何重にも包んで蒸し焼きにしてあるようだ。中身は肉と野菜だろう。

「おいアテュス、せっかく彼女が来てくれたんだ、サービスしてやるよ」

 牢番がにこにこと茶を運んできた。アテュスは唖然としてそれを見つめている。

 茶のカップとポット、それに同情的な言葉のひとつふたつを置いて牢番が去ると、アテュスは気味悪そうにカゼスを見た。

「あいつに何をしたんだ? ここにぶち込まれてもう六日……七日か? あんなに愛想のいいヤツは見たことないぞ」

「人聞きの悪いことを言うなよ。大したことはしてないって」

 いささか軽率だったかもしれないと後悔しながら、カゼスは茶をカップに注ぐ。

「本当はあんまり使っちゃいけないんだけどね。彼の気分をちょっとだけ僕らに好意的になるよう仕向けただけだよ」

 途端にアテュスが険しい顔になったので、カゼスはやれやれと肩を竦める。

「信じてほしいな。心を操っているとかそういうことじゃないんだ。誰だって、状況次第で相手に対する気持ちが変わるだろう? その程度のことだよ。あの牢番は君に同情してなかったわけじゃない。僕はそこをつついて呼び覚ましただけなんだ」

「魔術師って奴は……」

 アテュスは言いかけたが、オルトシアに気付くと慌てて口をつぐんだ。カゼスは苦笑してその場の空気を和ませようとする。

「心配しなくても、ここの『長衣の者』って呼ばれてる魔術師の間には、この技術は知られてないみたいなんだ。僕の故郷では一般的だけどね」

「誰も彼もが操り、操られるってのか?」

「だから操ってないってば。元々ある感情を刺激するだけだし、公正を欠くようなことはできないように魔術師は全員、誓いに縛られてる」

 もちろんその『誓い』は、名誉だの良心だのといった危ういものにかかっているのではない。破ることのできない拘束力を備えているのだ。

 そういったことを説明すると、やっとアテュスはカゼスに剣呑な目を向けるのをやめてくれた。そうなったらなったで、もうすっかりカゼスなど意識の外に追い出して、オルトシアと親密な話を始める。

 恋人たちの語らいを邪魔しないよう、カゼスは時々聞こえないふりをしながら、食事を片付けるのに専念しなければならなかった。

 しかし、どうやらオルトシアは魔術師としてカゼスに興味があるらしい。会話の中に自分の名前が出てきて、カゼスは一度ならず注意を引かれた。カゼスはどうやってここに現れたのか、本当にラウシールではないのか、といった内容のようだ。当人に確かめれば良さそうなものだが、やはりそれは気が引けるらしい。

 しばらく話して、恋人がいつもより自分に優しくないと気付くと、アテュスは渋々カゼスの方に意識を戻した。

「なぁカゼス、結局今日の審議ではどうなったんだ? ハーカーニーの奴、何か言い出したんじゃないか?」

「ん? ああ、もう話してもいいのかな」

 軽い揶揄をこめて言い、カゼスは二人の方に向き直る。オルトシアが赤くなり、アテュスは鉄格子ごしに殴るふりをした。カゼスは笑ってそれを防ぐように手を上げて見せ、それから真面目な顔に戻ると、審議の経緯を話した。

「……それで、陛下は何かを考えているみたいだったけど、ハーカーニーとスーザニー様の悶着に関しては、まだ解決がついてないんだ。たぶん宝珠のもつ力をなくしてしまうことで、新しい動きが出るのを期待してるんじゃないのかな」

 カゼスがそう締めくくると、アテュスはしばらく呆然としていた。それから、ゆっくり視線を床に落とし、徐々に眉を寄せる。

「ちょっと待ってくれ。ハーカーニーはスーザニー様が嘘をついている、って申し立てたんだな? どっちが嘘をついているかを詮議する前に、陛下は宝珠による判定は廃止する、って宣言してしまった。しかもその後で隊長と話してたって? まさか……」

 何を考えついたのか、アテュスは不吉な予感に顔を歪めた。

「畜生、カゼス、ここでのんびりしてる場合じゃないぞ! すぐに陛下の私宮殿へ行くんだ、この馬鹿!」

 いきなり立ち上がり、彼はわめいた。カゼスは何が何やら分からず、目をぱちくりさせる。馬鹿呼ばわりされたが、気にしている場合ではなさそうだ。

「え、なに、どういうことだい」

 うろたえながらカゼスも立ち上がる。

「陛下はご自身を囮にされるおつもりだ! 宝珠の判定を失効させるにしても、正式な法令を出さなくちゃいけない。今日中に出されることはないだろうが、陛下のことだ、明日には正式な法令にされるだろう……というか、そう思わせるのが目的なんだ」

 誰に、とは訊くまでもない。カゼスも相手の言わんとするところを察し、ぎくりとして青ざめた。宝珠はまだ売買されていない。盗人の狙いは純粋に政治的なものだと見ていいだろう。となれば、これを手初めに国王は次々と、宝珠を失ったことでダメージを受ける部分を切り捨てにかかるはずだ。

「焦った犯人が行動を起こすとしたら今夜しかない、だから隊長に警備をかためるように命じられたんだ!」

 アテュスが怒鳴る。カゼスは駆け出そうとして、たたらを踏んだ。

「王様の私宮殿なんて、どこか分からないよ」

「この役立たず! くそ、俺をここから出せっ!」

 苛々してアテュスがわめく。カゼスは「でも」とうろたえたが、あまり迷っている時間がないのは確かだ。アテュスとオルトシアが話し込んでいる時間は、相当長かった。もう外は暗くなっているだろう。

「分かった。それに僕一人よりも君が一緒の方が安全だと思うしね」

 本当はリトルがいるから安全に関しては心配ないのだが、カゼスは自分を納得させるためにそう言って、無意識に短い呪文を唱えた。

(しまった!)

 いつもと同じ呪文を使ってしまったので、一気に高レベルの『力』がのしかかる。もう取り消しはきかない。波にさらわれてちぎれそうになる意識をかきあつめ、カゼスはなんとか自意識にしがみついた。

 ごく単純で効果も小さい呪文だったから助かったのだろう。カゼスが精神崩壊を起こす前に、呪文は効力を発し終え、力のうねりがおさまった。

 カゼスはがくんと膝をついたが、幸い失神もせず、軽いめまいだけでどうにかすぐに立ち上がることさえできた。アテュスは一瞬で鉄格子の外に立っており、何が起こったのかと目をぱちくりさせていた。

「オルトシア、ちょっと留守番を頼むよ」

 適当なことを言い、カゼスはアテュスを「行こう」と促す。アテュスはまだ面食らった顔をしていたが、すぐに走りだした。


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