三章 (2) 審議と目論見
宰相家でのなごやかな昼食の後、カゼスはヤルスと一緒に王宮に戻った。審議までに少し時間があったので、アテュスの様子を見に牢獄へ向かうと、彼はカゼスの姿を認めるなり鉄格子に駆け寄った。
「カゼス!」
思いもよらぬ歓迎ぶりにカゼスは目をぱちくりさせ、それから相手が期待をこめてこっちを見ているのに気付いて「あっ」と思い出した。
「ごめん、手紙のことは訊くのを忘れてた」
途端にアテュスはがっくり肩を落とし、しおしおとうなだれて寝台に座り込む。
「露骨だなぁ、僕は郵便配達人じゃないんだぞ」
カゼスは苦笑すると、鉄格子によりかかった。アテュスは恨めしそうな目を向けたが、落胆している以外には不都合なことはないようだ。
「こっちは彼女の手紙だけが心の支えだって言うのに、あんたはそんな事はどうでもいいんだろう。冷たい奴だよ、まったく」
ぶちぶち厭味っぽくぼやいたアテュスに、カゼスは「ひどいな」とおどけた。
「僕はともかくアムルさんまで心の支えにならないってわけかい」
「あんなクソ親父、比べものになるかって……そういや昨日なんだかんだ言ってたのは、どうなった?」
暴言を吐いてから思い出し、アテュスは進展を期待するように目を向ける。カゼスは肩を竦めるしかなかった。
「うん、ついさっき宰相さんちにある『赤眼の魔術師』の遺品を見せてもらったけど、それは使われてなかった。宝珠の件とは無関係なんだ。だから結局、『長衣の者』が怪しいって説を強化することになっただけだね」
あまり喜べない結果にアテュスは眉を寄せ、しばらく考え込む。カゼスは相手が何も言いそうにないので、そろそろ行こうか、と鉄格子から離れた。
「あのな、カゼス」
行きかけたのをアテュスが引き留めた。振り返ると、アテュスは手招きし、小声でささやくように言葉を続けた。
「大きな声じゃ言えないが、『長衣の者』の中にも胡散臭い奴はいるんだ。スーザニー様が指導者の地位にあるのを嬉しく思わない一派があってな」
「どうしてそんな事、魔術師でもないのに知ってるんだい?」
「衛兵ってのは案外内部事情に詳しいんだよ。そんな事より、よく聞いとけ。セオセス=ハーカーニーってのがいる。『長衣の者』の中では結構な地位にいるんだが、それは奴の才能のためじゃなくて、奴の家柄と財力のためだ、って噂だ。奴はまっとうな魔術師からは鼻つまみ者扱いされてる。俺だって奴は嫌いだ。いばり散らしくさるからな」
軽蔑の表情になってアテュスは言い捨て、それからもう一度、誰も近くにいないか気配に聞き耳を立てた。魔術師の悪口を言うのは、やはり恐れを感じるのだろう。
もしかして、とカゼスは昨日の審議の様子を思い出した。
「ハーカーニーって、やけに派手な格好した魔術師じゃないかい? なんか高価そうな飾りをじゃらじゃらつけて、いかにも怪しげな雰囲気を演出してる奴」
「ああ、そう言えば昨日も傍聴してたみたいだな。見たのか? 嫌な感じのする奴だろ」
しかめっ面のアテュスに対し、カゼスは「ちらっと見ただけだけど」と一応断りを入れはしたものの、深くうなずいた。
「なんとなくこう、滲み出る雰囲気が高慢な感じだったね。審議を聞いてる態度も、今から思うと……真剣に聞いているって言うより、機をうかがってるように見えたな」
「だろうな」とアテュスは唸った。「そもそも『長衣の者』はラウシールの後継者ってんで、賄賂とか贅沢とかには厳しいんだ。奴はそれが気に入らない。『長衣の者』の権力を生かせば、いくらでも賄賂は手に入るし、王宮の政治にも介入できる。奴が騎兵団長や尚書やらに取り入ろうとしてるのは、誰もが知ってるよ。だからスーザニー様はなんとかして奴を破門したいと考えているだろうし、奴の方では隙あらばスーザニー様に取って代わりたいと考えてる」
「じゃあ、もし本当に魔術師が犯人だとしたら、スーザニー様じゃなくてその……ハーカーニーとかいう奴の方が怪しいってことだね」
分かった、とうなずき、カゼスは「気を付けるよ」と言い残して牢獄を去った。審議までにスーザニーが身内の洗い直しをしていればよいが、でなければ今日の審議は彼女にとって厳しいものになりそうだ。
昨日と同じ審議の間に入ると、既にほとんどの面々が揃っていた。
傍聴席を見渡すと、昨日みかけた派手な格好の魔術師――ハーカーニーが、今日は最前列に座っていた。相変わらず装飾品も衣服も、ごてごてと派手な代物だ。昨日はまだ、彼の魔術師としての信条からそうした『いかにも』な格好をしているのかも、という善意的解釈もできたが、今ではとてもそうは考えられない。
アムルが信頼するアテュスの鋭い勘を抜きにしても、ハーカーニーは怪しすぎた。
あいつに違いないな、と顔を記憶に焼き付けながら、カゼスは昨日と同じく末席に腰を下ろした。
真後ろにハーカーニーがいる。審議の場に最も近い場所に。ということは、いよいよ何か厄介なことを言い出すつもりかも知れない。
(とは言え、対処出来ることなんかそんなにないし。捜査の最初から立ち会えなかったのは痛いなぁ。力場の固定像保存技術を……)
教えていたら、十一条で自分の方が危うい。百年近く前の規約だけあって、かなりその拘束力は緩まっているが、今でも十一条は局員規約の中で頑として存在している。
(でも、せめて自分で力場位相の変動を確かめられたのにな)
あれこれと考えを巡らせていると、オローセス王が最後にやってきて席についた。
ヤルスが立ち上がり、審議の再開を告げる。その声音は家にいた青年とは別人かと疑うほど、例によって冷静で平坦だった。続いてオローセスがカゼスに目を向ける。
「では最初に、ラウシール……いや、何と言ったかな? そなたが昨日宝物庫を調べた結果について、報告してもらおうか」
手振りで促され、カゼスはおずおずと席を立つ。口を開く前に、ヤルスが付け足した。
「今朝、調べていたこともついでに」
ドキリとしてカゼスは相手を見つめた。深紅の瞳が無機的なよそよそしさを浮かべて見返す。無言で視線を交わす二人に、オローセスが怪訝な顔をした。
「何の話だ?」
「謁見の終了後から午餐の時間まで、彼は私の家に来て『赤眼の魔術師』の遺品を調べておりました。元いた場所に帰るための道具がないか調べたいと目的を告げられましたが、どうやら彼はそれ以外のことも確かめていたようですので」
しらっとヤルスが答える。カゼスは目を合わせられなくなって、動転したままうつむいた。気付かれて当然だったのだ。下手な演技でごまかそうとせず、最初からきちんともうひとつの目的も告げていれば、こんな気まずい思いをしなくてもすんだのに。
自分が卑怯者になった気がして、カゼスはしばらく沈黙していた。
「……その事を言わなかったのは謝ります」
ようやくカゼスは言い、無理に顔を上げた。
「でも確信があったわけではありませんし、もし正直に告げていたらあの部屋に入れて頂けなかったかも知れませんから、間違っていたとは思いません」
「別に責めてはいない」
ヤルスは端的に答え、「報告を」と促した。カゼスはため息をつきたくなるのを堪えて、まず昨日の調査で分かった事を話し、それから午前中に何を調べていたのかを説明した。
「魔術力場の位相変動が私にはもう確認出来ない以上、私に言えるのはやはり魔術を使った可能性が最も高いということです。『赤眼の魔術師』の遺品を使うこともなく、宝物庫に侵入したわけでもないのであれば、それ以外に方法が考えられないので……。ただ、私が思いつかないだけで、誰もが見落としている方法がある、という可能性も残されていますから、それは忘れないでください」
カゼスがそう締めくくると、一同はシンと黙り込んだ。さすがに、即座にスーザニーを責めようとする者はいない。だがもちろんヤルスは例外だった。
「昨日、すぐに調査に当たった者を洗い直すよう忠告は差し上げたはずです。何かおっしゃることがあるのでは? スーザニー殿」
冷え冷えする声が、室温をさらに数度下げたように感じられた。
「ありません。あるとすれば、昨日までと同じ事を繰り返すだけです。宝珠を盗み出せるような魔術は、いっさい使われていませんでした。その事を確かめた魔術師たちの全員が真実を述べています」
硬い声でスーザニーはそう答えた。だが、部屋の後方で鋭い叫びが上がった。
「嘘だ!」
いっせいに皆が振り向いた。カゼスは振り向くまでもないと分かっていたが、念のために発言者を見ようと体をひねる。案の定、真後ろにいる派手な格好の魔術師だった。
「ハーカーニー、そなた、申しておることの意味は分かっていような?」
疑わしそうにオローセスが念を押す。ハーカーニーは「もちろんです」とうなずいた。
「誰もが最高指導者たるスーザニー殿を信じ、そんな事はあり得ないと考えていらっしゃる。だがスーザニー殿とて人の子、欲に目がくらむこともありましょう」
「言いがかりはよしなさい」
激しく言い返したスーザニーだったが、ヤルスがそれを黙らせた。
「後ろ暗いところがないのであれば、言わせるだけ言わせてみても良いでしょう」
続けろ、と彼はハーカーニーを促す。援護されてハーカーニーは勢いづいた。傍聴席から立ち上がり、審議のテーブルに向かってゆっくり近付きながら、勿体ぶって続ける。
「私はスーザニー殿が調査に当たる魔術師を選び出しているのを見ていました。失礼ですが、誰もがスーザニー殿の言いなりになる、未熟で愚かな若者です。私は彼女が彼らに何事か指示をささやいているのを見て、もしやと思い、彼らの調査が終わった後、一人で魔術の痕跡を探ってみました」
ささやきも出ない。ハーカーニーは効果を狙ってか、少し間を置いてから言い切った。
「確かに痕跡はあったのです!」
「それこそ虚偽の申し立てです!」
スーザニーが叫び、立ち上がる。
見た、見てない。ウソだ、ウソじゃない。
無益な押し問答になるのは目に見えている。二人が火花を散らして睨み合った時間は、そう長くはなかった。意外にも国王みずからが仲裁に入ったのだ。
「静まれ、喚くよりも平静に話す方が説得力があろう」
それは事実だった。その落ち着いた声に、二人の魔術師は不承不承視線を外し、それぞれの席に腰を下ろす。
「こうなると、腹立たしいながら王宮内の下らぬ小競り合いを考慮に入れなければならぬであろうな」
むっつりと面白くもなさそうに言い、オローセスは一同に憂鬱なまなざしを向ける。
カゼスはそんなことには無関係なので、その視線によってどんな反応が引き出されているかを観察する余裕があった。
うつむいたり目をそらしたりして居心地が悪そうな顔をする者が何人か。スーザニーは自責の念か悔しそうに唇を引き結び、ハーカーニーに怒りのこもった一瞥を投げかける。ヤルスは平然と場の面々の反応を観察しており、善良な何人かは困惑して目をしばたたかせていた。
「今この場でスーザニーとハーカーニーとを討論させるには、おそらく準備が整っておるまい。余も労多くして益少ない論争など聞きたくはない。そなたらが良心に従い、一刻も早くこの騒ぎに幕を下ろすことを望むばかりだ。そなたらの中に……よもやとは思うが宝珠を盗んだ当人、あるいはこの機に乗じて混乱を招こうとする者がいるならば、よく聞くがいい」
重々しく言い、オローセスは特にばつの悪そうな者を一人一人見つめた。
「宝珠による後継者の選出を、本日限り廃止するものとする」
たっぷりひと呼吸するだけの間があって、どよめきが起こった。
「失せたきり出てこぬのであれば、もはや宝珠に力を与えておく理由はない。確かにあれは王家の血を見極めるに役立つものではあったが、それにより世嗣を決める伝統は廃止する。宝珠による判定は今後いっさい採用しない」
「陛下……!」
諫めようとして何人かが口を開いたが、彼は手を振ってそれを黙らせた。
「反論は許さぬ。これは決定だ。スーザニー、明日の審議にて、宝珠盗人が『長衣の者』の中にいるのか否か、はっきりさせるが良い。ハーカーニーよ、そなたも明日までに信頼に足る証拠や証人を集めておくのだな。他の者は引き続き宝珠の行方を探すのだ。近衛隊長、それらしい物が売買された形跡は?」
呼びかけられ、黒髪の男が立ち上がる。近衛隊長ということは、アテュスの上司だ。
〈はじめてこの部屋に入った時、軍人のひとりに『部下をかばっている』と糾弾されていた人物です〉
リトルが親切に思い出させてくれた。戦争よりは王宮や町の警備、警察的な仕事なのだろう。戦士と言うにはやや学究的な雰囲気を漂わせている。
「いいえ、まだその情報は入っておりません。宝珠の事件以来、用心してか窃盗は一件も発生しておらず、またそれらしい品物が闇に流れた形跡も見付かっていません。宝珠はまだ犯人の手元にあるものと見られます」
その報告にオローセスは厳しい表情でうなずいた。それから近衛隊長とカゼスに残るよう言い、他の者には退出を命じる。
なんだろう、とカゼスが訝っていると、オローセスは微笑を浮かべて手招きした。怒られるわけではなさそうだ。ホッとしてカゼスは上座に歩み寄った。
「そなたが思い出させてくれたのだ、礼を言わねばな」
「はい?」
ポカンとしてカゼスは聞き返す。その反応がよほど間抜けて見えたのだろう、他の二人が同時に小さくふきだした。近衛隊長は慌てて表情を取り繕ったが、オローセスは苦笑を隠そうとせず、楽しそうに続ける。
「犯人の狙いが何であるかということだ。財宝目当ての盗人ではないのであれば、それに応じた対処をせねばならぬ。そなたが指摘してくれたお陰で私も対策を考えることができたのだ。感謝する」
「あ、いえ、そんな……大したことじゃありません。でも、いいんですか? なんだか重大なことをぽんと決めてしまわれたように感じるんですけど」
戸惑いながらカゼスはそんな事を言う。近衛隊長が目をしばたたかせ、オローセスは面白そうな顔になった。
「反論は許さぬと言ったはずだが?」
その口調は明らかに冗談だったが、カゼスは慌てて言い訳せざるを得なかった。権力者の諧謔は、時に相対する者にとって命取りになりかねない。
「いえその、反対だって言うんじゃないんです。ただ、不満そうな人が結構いたので、陛下の立場上、危ないんじゃないかって……」
「そなたも随分ずけずけとものを言うな」
オローセスは堪え切れずにくすくす笑いだし、困惑するカゼスを温かい目で見つめた。
「案じてくれるのはありがたいが、考えた末のことだ。安心するがいい」
そして、もう下がれという合図をする。カゼスはなぜか却って心配になったが、それ以上とどまる理由がなかったので、曖昧に会釈をして部屋を出た。
その後で二人が何を話し合ったか聞こえていたら、おとなしく引き下がりはしなかっただろうが。