二章 (1) 審議会
翌日、カゼスはアムルに連れられて再び王宮を訪れた。
アムルがどこからか調達してくれた長衣に着替え、髪をまやかしで黒くして。
〈なんだかお尋ね者の気分だよ〉
〈そんな大それたものでもないでしょうに〉
リトルの反応は冷たい。カゼスは情けない気分でうなだれた。
城門をくぐると、中は相変わらずごった返していた。宝珠が盗まれてからもう四日目だというのに、いまだ何の手掛かりも得られないとあって、衛兵達がぴりぴりしているのが伝わってくる。
「ここだ、審議会の最中だな」
建物の中を勝手知ったる様子で歩いていたアムルが、一室の前で立ち止まった。入り口の衛兵が、アムルを一瞥して軽くうなずいた。アテュスが中にいるのだろう。
「傍聴しても構わんか?」
ひそっ、とアムルがささやくと、衛兵はカゼスに胡散臭げな視線を投げたものの、すぐに「どうぞ」と脇へ避けた。医者と弁護士は味方につけておけ、というのはどこでも同じらしい。
「外で待っていた方がいいんじゃありませんか?」
心配になってカゼスは小声で訊いたが、アムルは平気な顔。
「壁際にいりゃ、見付からねえって。お嬢ちゃんも審議の内容は聞きたいだろ」
答えながら、もう厚い帳をくぐっている。カゼスも慌ててそれに続いた。
入ってすぐの場所には細長いテーブルと椅子とが並べられており、その向こうに楕円形のテーブルがあって、審議自体はそちらで進められているようだった。手前の傍聴席は、まばらに人が座っているだけで空席が多い。恐らく魔術師であろうと思われる人物、それにアテュスの友人か何かであろう衛兵の姿が目についた。
〈驚いたね、まさか王宮内にこんな部屋があるなんて。傍聴席があるってこと自体、かなり珍しいんじゃないかい?〉
〈そうですね、今までに訪れた古い社会の例から言って、ここは科学的レベルと社会的レベルとが噛み合っていないような印象を受けます。民族的な特質なのかもしれませんが、それにしても少々特異ですね〉
邪魔にならないよう壁際に立ち、カゼスは全体を観察した。
視線をざっと一巡させただけで、傍聴席の中に一人、妙に目立つ魔術師がいることに気付く。服装が派手なのだ。いかにも魔術師でございとばかり、怪しげな装飾品を身につけている。
(なんだアイツ)
嫌な感じだな、とカゼスは眉をひそめた。他の魔術師は総じて地味な格好だ。それは、審議用の円卓に座している者――即ち身分の高い者でも変わらないのに。
とは言え、審議に加わっている面々は、目に見えて威厳があった。傍聴席側、つまり下座にアテュスが立たされている。そこから奥に向けて数人の軍人と魔術師が座し、上座にほど近い辺りの席に、昨日でくわした銀髪の宰相がいた。その向かいに、やや年配の女魔術師が一人。
「魔術が使われていないのであれば、この者以外に誰が盗みを働き得たと言うのか! アサドラー殿が部下を庇いたがるのも無理はござらんが……」
ちょうど、中央の辺りに座している男がしゃべっているところだった。どうやら軍人らしい雰囲気で、実際に腰に剣を帯びている。
(あんまり好きになれないタイプだな)
決めつけと威圧。どちらもカゼスが嫌いな行為だ。彼は不愉快な男から目をそらし、ふと最奥に座している人物を見やった。この場の最重要人物、つまり国王に。
黙って発言を聞いている金髪碧眼の男は、国王にしてはまだ若く、三十代の半ばにもならぬように見えた。叡知の感じられる面差しだが、そこには疲労が翳を作っている。どことなく顔立ちがアテュスと似ているのは、人種的なものなのだろうか。
と、まだ軍人の糾弾が続いているにもかかわらず、国王は何かにささやかれでもしたように顔を上げて、まっすぐにカゼスの方を向いた。その青褐色の瞳が瞬間的に薄く紫色を帯び、次いで驚愕に見開かれる。
「ラウシール……!」
その言葉に、誰もが驚いて国王の視線を追った。だが、もちろん彼らの目に青髪の魔術師は映らない。見慣れない黒髪の人物が、壁際でおたおたしているだけだ。
ざわめきが広がり、カゼスはどうしたらいいのか分からず、立ち尽くしたまま無意味にキョロキョロした。
(ええっ!? な、なんでだ、なんでバレたんだ? まさか王様まで魔術師だったのか? そんなの聞いてないよー!)
ふええ、と泣きそうな顔になる。同時に、宰相の前に座していた女が立ち上がった。
「まやかしをかけているのですね」
見破られて、カゼスはぎくっと身をこわばらせた。女が消去呪文を唱えるのが聞こえ、自分にかけていた術がバラバラに解けていく。
完全に術の効果が打ち消されると、その場のざわめきはどよめきに変わった。
歓声だか奇声だかを上げる者、思わず平伏する者、目をこする者。カゼスが慌てて否定する前に、宰相が怒鳴った。
「偽者だ! 衛兵、その者を捕らえよ!」
途端に喧噪がぴたりと止む。命令された衛兵は、困り顔で目配せを交わすだけで、実際に動こうとはしなかった。いくら偽者だと言われても、現に彼らの目の前にいるのは青い髪の人間なのだ。
シンとその場は静まり返り、時が止まった。
「……ヤルス。なぜ偽者だと断言できる?」
国王が問うたので、ようやく誰もが息をついたほどだった。ただ一人平静だった宰相――ヤルスが、深紅の瞳を国王に向ける。
「私はこの者と昨日、顔を合わせております。その時はアムル殿が助手だと申しておりました。それに、真のラウシールであれば、私を……この容姿を見て、何も反応しないわけがありますまい。ましてや正体を隠す必要もなければ、見抜かれてうろたえる筈もない」
すっぱり言われて、カゼスは情けない顔でため息をついた。大根役者、とこき下ろされたような気がしたのだ。
「発言しても?」
軽く手を挙げて国王に問う。王は奇妙な表情をしたが、身振りで先を促した。
「確かに私はラウシール様と呼ばれている人物じゃありません。でも、別にそのふりをしようとしたわけでもないんです。たまたまこの界……デニスに落ちてしまっただけで、この国のこともラウシール様のことも、何も知りません。髪が青いのだけが偶然の一致なんです。今日ここに来たのは、事件の解明に協力して、アテュスにかけられた疑いを晴らしたいと思ったからで……」
そこまで説明し、一同の不審げな視線に肩を竦めて見せる。
「邪魔をするつもりじゃなかったんです。だからわざわざまやかしをかけて、隅っこに引っ込んでいたのに、見破られてしまって」
責めるような口調になったカゼスに、国王は苦笑をもらした。
「それはすまなんだ。なるほど、真のラウシールであれば、王族にはまやかしが通用せぬことも承知していような」
それから、手振りで立ち上がったままの一同に着席を促し、改めてカゼスに向き直る。
「ではそなたに訊くが、なぜこの者が無罪だと言うのだ? 見ず知らずであろうに」
「まだ分かりません」
アテュスに申し訳なさそうな視線を走らせてから、カゼスは続けた。
「無罪とも有罪とも断定できません。でも、少なくとも彼自身が無罪を主張しているし、彼が有罪だっていう確実な証拠はまだ出ていませんから。確かに彼は今まで何のつながりもなかった人ですけど、もう知り合いですし。それが、こんな曖昧な状況で処刑されるかも知れない、なんて聞いたら、放ってはおけません」
その言葉に国王は笑いを堪えて奇妙な表情になり、ヤルスは聞こえよがしのため息をついた。多くの面々はこの事態をどう受け止めたら良いのか決めかねている風情で、相談するような視線を交わしている。
「オローセス様。笑い事ではございません」
むっつりと不愉快げにヤルスが言った。
「髪が青い魔術師、というだけで、どこの馬の骨とも知れぬ輩に首を突っ込まれては、威信にかかわりましょう。それに、この者は既に被疑者に肩入れしております」
「それを言うなら、近衛兵全般に敵意を抱いている者もおるではないか」
皮肉っぽく応じ、オローセス王は先刻わめいていた軍人を一瞥する。それから彼は穏やかな笑みを浮かべ、カゼスを手招きした。
「審議に加わるつもりならば、こちらに来るが良い」
さすがにこれには驚き、カゼスはその場で立ち竦んだ。どうしよう、とアムルを振り返ると、相手は平然としたもので、口元を歪めてにやっとする。
「お呼びだぜ、行ってきな」
カゼスは呆れて何か言おうとしたが、結局言葉は出てこなかった。
いいのかなぁ、と心細く感じながらも、カゼスは壁際を離れてテーブルの下座に近付く。召使が素早く椅子を運んできて、新たな席を作った。
とりあえず一番下座に腰を下ろしたものの、誰も審議を再開しようとしない。どうやら自分の発言が待たれているのだと気付くと、カゼスは緊張で息が震えそうになるのをなんとか抑えて、深呼吸した。
(落ち着け、授業を思い出すんだ。容疑者を割り出すには、まず……)
簡単な事件を想定してロールプレイングを行った授業を、記憶の棚から探し出す。
「最初に確認させてください。今回、宝珠以外に盗まれたものはありますか。見張りに立っていたのはアテュス一人でしたか? 宝物庫の鍵は誰が保管していますか」
てきぱきと質問を出す。アテュスが横で答えた。
それによると、盗まれたのは宝珠の収められた箱ひとつだけ。見張りは、本当ならもう一人いる筈なのだが、腹具合が悪いと言って深夜に持ち場を離れたきり戻ってこなかった。宝物庫の鍵は、宰相と国王がひとつずつ管理しており、それ以外には存在しない。
アテュスはやはり何の物音も聞かず人影も見なかったと言い、朝の交替の時間にいつものようにヤルスが確認のため宝物庫を開けた時になって初めて盗難に気付いた、と説明を加えた。
カゼスはちょっと考え、メモ帳があればな、などと思いながら頭の中の白紙に要点を書き付ける。それから容疑者のリストアップにかかった。
「可能性のある人物を挙げてみます。国王陛下と宰相さん……あ、失礼、宰相様。動機は別として、鍵を持っているという点ではこの二人が一番簡単に宝物庫に入れますよね」
途端に、馬鹿にしたような、失望したような反応があちこちから上がった。容疑者にされた当の二人だけが、真面目な表情で聞いている。カゼスはちょっと傷ついた顔を見せ、ため息をついた。
「どんなに低い可能性でも、一応は考慮に入れておかないと。事実がどうなのか、まだ誰にもはっきりとは分からないんですから。……それから、動機の面で可能性のある人物ですが、これはここに来たばかりの私にはちょっと分かりません」
そう言ってから、一同を見回す。
「今回の件で、有形無形を問わず何らかの利益を得た人、あるいはこれから得そうな人物はいますか? あるいは、アテュスが犯人として処刑された場合に喜びそうな人物は」
今度の反応はいささか深刻だった。疑いのまなざしが交わされ、その場に険悪な空気が満ちていく。ややあってオローセスが口を開いた。
「まだ分からぬのだ。宝珠は売り払えるようなものではない。王家の血筋を証明するために使われるものであり、金に変えられるものではない。箱を売ってもそれなりの値はつくであろうが、そもそも金が目当てであれば、他にも盗み出したであろう。となると、王家の威信を失墜させるのが目的か、あるいは世継ぎがおらぬ現状を利用して次期国王を擁立しようという目論みやもしれぬ」
誰もが考えながら憚って口にしなかった推論を、彼は淡々と述べた。
「前者であれば異国の手の者であるとも考えられる。後者であれば、ほとぼりが冷めるまで行動は起こすまい。いずれにせよ、すぐには結果があらわれぬのだよ。その衛兵を陥れて喜ぶ者がおるものかどうか、それは当人に訊かねばな」
視線で促されたものの、アテュスはすぐには答えられなかった。王位を揺るがそうとする者の存在を国王みずからが示唆した、そのことに対する驚きがさめるまで、少しく時間がかかる。
「……思い当たりません」
長い沈黙を挟んで、ようやくアテュスはそう答えた。
「私は一介の衛兵に過ぎません。身分も財産もなく、私が処刑されたとて、取り立てて利益を得る者がいるとは考えられませんし……個人的に恨みを買っているとも……」
困惑顔のアテュスに、カゼスも眉を寄せる。
「うーん……動機面からの割り出しは難しい、か」
まあ、もともと動機からのアプローチは成功しにくい。犯罪実行が可能か不可能か、という面から考えた方が良さそうだ。ふむ、とカゼスはうなずいて、先刻まやかしを解いた女魔術師に視線を転じた。
「えーと、スーザニー様は……ああ、やっぱりあなたですね」
相手がうなずいたので、カゼスはちょっと笑みを浮かべた。
「それじゃ、可能性があるもうひとつの方法……魔術に関して、なんですけど。力場位相の変動はすぐに調べられたんですね?」
「ええ。魔術を使った痕跡は残っていませんでした」
「精神探索は?」
カゼスが訊くと、スーザニーは目をしばたたかせた。どうやら、精神探索の方は技術的にも理論的にも知られていないらしい。
「ああ、と。では、まだなんですね」
急いでカゼスは言い、簡単に説明した。
「私たちの方ではよく使われる手法なんですけど、その場に残っている精神残像を拾う技術で……まあ、詳しいことは教えられない決まりなんで、これは私が自分でやってみます。宝物庫に近付く許可を頂けますか?」
精神探索の方法を教えたりすれば、十一条に抵触する恐れがある。証拠としての力は弱まるが、自分でやるしかない。
「それは勿論かまわぬが」代わって答えたのは国王だった。「それによって盗人の正体が判明するのか?」
「運が良ければ」
カゼスは肩を竦め、申し訳なさそうな顔をする。
「三日も経っているのでは、実際ほとんどの痕跡が消えていると思うんですけど、一応は調べてみないと」
「では、気が済むまで調べるが良い。ヤルス、宝物庫の扉を開け、この者の調査に立ち会うように。何か新しい証拠をつかんでから、それを元に審議を再開した方が良いだろう。では、本日の審議はこれまでとする」
オローセスはさっさと指示を出してしまう。他にも政務があるので、宝珠盗難ばかりにかまけてはいられない、というのが実情なのだろうが、カゼスにしてみれば、ちょっと待ってくれ、と言いたいところだ。
まだスーザニーに詳しい話を聞いてはいないし、第一、この宰相が立ち会いというのも非常にやりづらい。内心閉口しながら、ちらっと銀髪の青年を見る。ガタガタと席を立ってそれぞれの仕事に戻って行く面々の中で、相手もまた迷惑そうな顔をしていた。
ほとんどの人が出て行くと、ヤルスはため息をついてから立ち上がり、カゼスを無視してアムルに歩み寄った。
「アムル殿。部外者をこのような場に連れ込まれては困る」
「これは失礼を。まさか見付かるとは思わなかったもので」
一応はそれらしい表情を見せて低頭したアムルだが、その実、反省などまったくしていないのが感じられる。ヤルスは何かまだ言葉を重ねようとしたが、結局もう一度ため息をついただけだった。そのままカゼスを振り返り、無愛想に手招きする。
「来い、宝物庫はこっちだ」
「あ、はい」
慌ててカゼスは小走りに近寄る。それすら待たずにヤルスはさっさと歩きだしており、カゼスはおたおたしてアムルにすがるような目を向けた。
返ってきたのは、少し意地の悪い笑みと、何とも心強い激励の言葉。
「頑張れよ」
一緒に来てはくれないわけか。カゼスは肩を落とし、不安に押し潰されそうになりながらヤルスの後を追いかけた。