一章 (2) 伝説と現状
アムルの家は、市街地の外れに建っていた。粗末な小屋に近い。が、家の前にはアムルの帰りを待っている人がちらほらと見られた。
「先生、早く診て下さい、痛くてもう……」
腹を両手で押さえた男が苦しげに言うかと思えば、子供が泣き泣き怪我した手を突き出して催促する。どうやらアムルは医者らしい。王宮でそれなりの敬意を払われていたのも納得がいく。
しかしこんな大雑把そうな男がねぇ、とカゼスはいささか驚き呆れたまなざしで相手を見やった。
「助手っつったからには少しは手伝えよ」
勝手に決めておいて、アムルはいそいそと仕事にとりかかった。
「患者を片付けちまわねえと、落ち着いて話も出来んからな」
屋内に入ってあれこれと準備をしながら言うので、誰に話しかけているのやら分からない。診察用の椅子を出しながら、彼はふと顔を上げた。
「手伝いぐらい出来るんだろ?」
「え? えーと……はい、多分」
養成学校では目指す部門を問わず、救急医療技術の習得が必須だ。一応、カゼスも医療士の資格は持っている。とは言え、ここで役立つかどうか。
「おっと、癒しの魔術は使うなよ」
小声で言われ、カゼスはきょとんとした。なぜ、と問いを発するより先に、アムルがその理由を説明する。
「ラウシール以来、治療に関してはあまり腕のいい魔術師が出てないんだ。もしおまえが医者の助けなしで完全に傷や病気を治しちまったら、ぜひとも弟子にしてくれ、って奴がわんさとおしかけて来るぜ。そんなことになったら困るだろ」
魔術師が寄って来るということはまやかしが破られる確率が上がるわけで、その結果、ラウシール本人か、でなくともその再来だとか、騒ぎ立てられかねない。カゼスは血の気が引くのを感じて、無言のまま何度もうなずいた。
(あれ? でも変だな。これだけ高レベルの力場なのに、医者なしで完全な治癒を望めるほどの魔術師がいない、なんて。力が強すぎて生体に作用させるのは難しいのかな?)
もったいないな、とカゼスは首を傾げる。
「オラぼさっとしてねえで、そこの軟膏持って来い」
最初の患者を診察室に呼び入れ、アムルはてきぱきと指示を出す。幸い、リトルがすぐに窓から入ってきたので、正体不明の薬壺の識別は楽になった。手に取った薬の成分や含有比率をリトルが教えてくれるので、いちいちアムルに何ですかと確かめなくてもすむ。
カゼスに薬の見分けがつくと気付くと、アムルは簡単な外傷だけの患者などをそのままこちらに回してきた。人使いが荒いなあ、とかなんとかぶつくさ言いながらも、カゼスはせっせと仕事をこなしていく。
(まぁ実技の練習になるからいいか……あ、でも、試験自体を受けられないかも……)
自分を慰めようとして余計に落ち込んでしまう。帰れなければ、このまま一生ここで医者の助手をして過ごすことになってしまうかも知れないのだ。
不吉な考えに泣きたくなりながらも、手は休めない。その甲斐あって、ほどなく診療待ちの人はいなくなった。
「ひと区切りついたな。んじゃま、そこに座ってな」
アムルはそう言うと、戸口の横に何か札をかけてから、奥の部屋で小さな炉の火を起こし始める。間もなくしゅんしゅんと湯が沸き、よい香りが室内に漂って来た。意外とマメなのか、アムルはカップに紅茶らしいものを注いで運んで来ると、自分も椅子に座った。
「さて、何から話すかな」
複雑な、だが懐かしいような香りの茶をすすり、「ふむ」と唸る。少し考えてから、彼はゆっくり話しだした。
「ざっと二百年ほど前、このデニスは四つの国だった。そのさらに前はひとつだったんだが、よその連中が攻めて来た後の混乱期に、それぞれが独立したんだな。で、それをもっぺんひとつにまとめたのがデニスの祖、エンリル大王だ。その統一の過程が、まあ、一種の英雄物語みたいなもんになってるんだが、その中に登場する偉大なる魔術師がラウシール様ってわけだ」
聞き手の理解がついてきていることを確かめるように、アムルは言葉を切った。ありがちな話だな、などと考えつつカゼスがうなずくと、彼は先を続けた。
「ちっと話がややこしくなるが……分裂時代以前の帝国時代、皇族の血筋は魔術とはまた違う、特別な能力を示していた。今の国王にも、ちょっとその力は残っているらしい。昔の皇族が魔術を排斥したせいで、分裂時代には魔術師は一人も残ってなかった」
「……? でも、ラウシール様とか、さっきも何とかの魔術師、って……」
カゼスは小首を傾げた。記憶力に自信がないので、曖昧に語尾を濁して。
「他に魔術師がいなかったからこそ、その連中が名を残してるのさ」
アムルは答えて肩を竦めた。
「連中がどこから来たのかは、分かってない。デニス人でないのは確かだがね。ラウシールはおまえの元の姿と同じ、青い髪をしていた。『赤眼の魔術師』の方は、さっき会った宰相さんと同じで銀髪赤眼。どっちもデニス人には馴染みがない容姿だった。
先に歴史に登場するのは『赤眼の魔術師』の方だ。混乱期にいつの間にか現れて、気が付いた時には国々の上層部に食い込んでいた。なんでも、自分たちの神をデニスの連中にも拝ませようとしていたらしいが、まぁ、とにかく物語の悪役だと考えてりゃいい。で、後から現れたのがラウシール。こっちは一人だけだが、エンリル大王と出会ってデニス統一に力を貸した、聖人みたいな存在だ」
そこまで話して、アムルはふと皮肉っぽい笑みを口元に浮かべた。
「ただのお人よしなんじゃないかって気もするがね。民間の慈善団体を創立したり、敵に情けをかけたり。ま、とにかく、ラウシールの後継者集団が『長衣の者』って団体になり、『赤眼の魔術師』の中でエンリル側に寝返った奴の子孫があの宰相さんってわけだ。ラウシール関係で知っといた方がいいのは、このぐらいかね。何か質問は?」
「あ、いえ、特にないです」
一度には飲み込めず、カゼスは質問すら思いつかないまま、曖昧にそう答えた。まあ、どのみちリトルが全部会話内容を記録しているだろうから、必要な時には再生してもらえばいいのだし。
そんな内心が分かるのか、アムルは疑わしげに眉を吊り上げた。
「飲み込みの早い生徒で助かるよ。で、だ。これでやっと本題だな。うちのバカ息子が牢にぶち込まれてる理由は聞いたか?」
我が子の事だろうに、身も蓋もない言い方をするなぁ……などとカゼスは苦笑いし、軽くうなずく。
「宝物庫に盗っ人が入ったんでしょう? でも、犯人が誰なのか全然分からなくて、たまたまその夜に不寝番をしていたアテュスさんが一番の容疑者ってことで」
「らしいな」
眉間にしわを寄せ、アムルは茶をすする。その反応にカゼスは不安になった。
「まさか、あなたまでアテュスさんを疑っているんじゃないでしょうね」
「いや、あいつは嘘をつくのが昔から下手だったし、ばれないように盗みを働けるほど器用でもない。あいつじゃないだろう。だがなぁ……犯人が見付かりそうにないとなると、とりあえず誰かを罰しないことには威信が落ちるから……」
「ええ? 何ですかそれ、そんな理由でアテュスさんが処罰されるって言うんですか」
「そりゃそうだろ。お宝が盗まれました、犯人もお宝も見付からなくて、誰も罰せられませんでした、てんじゃ、格好つかねえだろうが」
「格好……って、そんな」
カゼスは呆れたが、アムルの方は別段それを何とも感じていないようだ。統治者の体面の為に一般人が犠牲にされることなど、日常茶飯事なのだろうか。
「ま、だから、どうにかして犯人かお宝か、少なくともどっちかは見付けないとな」
「そうですね。とりあえず現場検証をしないと何とも言えませんけど……盗っ人が入ったのはいつの事なんですか? 痕跡が消えない内に調べなくちゃ」
魔術を使った痕跡はなかった、と言っていた。多分、力場位相の変動を調べるだけの技術や理論は確立されているのだろう。だが念のため、変動の痕跡が残っているなら自分でも調べておきたい。
物的な証拠が残っているとすれば、リトルが見つけ出してくれるはずだ。それもやはり、早い内の方がいい。現場保存がきちんと出来ているとは考えにくいし……。
「宝珠が盗まれて、もう三日になる」
アムルは答え、カゼスが低くうめいたのに対して肩を竦めた。
「下手すりゃ、おまえが宝物庫に近付けるのはもっと後になるぞ。今は厳重に見張られていて、お偉いさん以外はそばに寄れなくなってるらしいからな。調べたいなら、誰かに許可を貰わなきゃならん」
「うう……誰かアテはありませんか。簡単に許可を出してくれそうだとか、こっそり調べても見逃してくれそう、とか」
ああ、資格試験もまだだと言うのに、なんでこんなところで本職の治安局員の真似事をせにゃならんのだ。思わずカゼスは頭を抱えてしまう。自分から首を突っ込んだことは、都合よく忘れて。
アムルはちょっと考えてから、曖昧な顔で答えた。
「そうだなぁ、スーザニー様に相談するのが一番手っ取り早いかも知れんな」
「えーと……確か、魔術師の最高指導者とかって聞いたような」
「よく覚えてたな、それだよ。魔術に関しては俺はてんで知らねえし、現場を調べた魔術師と話すのが一番いいだろ。それに、まぁ、多分……信用しても大丈夫だろうし」
まぁ、多分、か。カゼスはやれやれとため息をつく。実際のところ、疑いだしたらきりがない。自分だってかなり怪しいのだから。と、そう考えてカゼスはふと、不可解な顔になった。
「信用と言えば……どうして私を信用して下さるんですか? 突然降ってわいた正体も分からない人間なのに、怪しいとか危険だとか思わないんですか?」
途端にアムルは弾けるように笑い出した。何なんだ、とカゼスが面食らう前で、彼は涙が出るほど笑いこけた挙句、ようやくヒーヒー言いながら答えてくれた。
「おまえのどこをつつけば、胡散臭いだの、危険だのって言葉が出て来るんだ? 俺もたいがい大勢の人間を見てきたが、おまえぐらい呑気な面した奴にゃ、滅多にお目にかかれねえって。平和で無防備で、見てるこっちが気ィ抜けらぁ」
「……それはどうも」
さすがにカゼスもムッとする。アムルはその頭をぐしゃぐしゃにかき回して、慰めるつもりなのか、「それに」と続けた。
「アテュスの奴がおまえを俺に預けたってことは、信用出来るってことさ」
「はい? なんでですか?」
「あいつは昔から勘が鋭いんだ。本人は何も考えちゃいねえようだがな、あれで結構当たるもんなんだぜ」
へえ、そうなのか、とカゼスは納得してうなずくと、最前けなしまくられたことをけろっと忘れて話を戻した。
「それで……ええと、何の話をしてたんだっけ、そうそう、スーザニー様とか言う人のことでしたよね? 接触できますか?」
「多分な。普段なら街の自宅兼学府にいるんだが、今は城に詰めっぱなしだ。審議会の合間を狙うか、もしかしたら自宅に戻ることがあるかも知れん」
そう言うとアムルはカップを置いて立ち上がった。
「何にしろ、明日だな。ちょっくら、おまえに合いそうな服を調達して来るから、留守番しててくれ。あんまりその辺ひっかき回すんじゃねぇぞ」
「あ、はい。……え?」
反射的にうなずいてから、カゼスは目をしばたたかせた。
留守番。ということは、他に人はいない、ということで。
どうした、とアムルが怪訝そうに振り返る。カゼスは戸惑いながら問うた。
「あの、家の人は……」
「いねえよ。最初から親ひとり子ひとりだったからな」
あっさり答えたアムルに、慌ててカゼスは頭を下げた。
「すみません、不躾な質問をして」
「気にすんなって。あいつと俺が血のつながりを持たないってのは一目瞭然だろ? あいつも自分が孤児だったてのは知ってるしな。俺が取り上げたガキなんだがね」
にやっとしてアムルは言い、ひらひらと軽く手を振って家から出て行ってしまった。あまりにあっさりと乾いた反応だったので、カゼスは気を回した自分が馬鹿に思えて、なんだかしょぼくれる。
(親子とか血のつながりとか、そんな事にこだわってる方がおかしいのかな……ああ、やだやだ、また嫌なこと思い出すじゃないか)
一人でしかめっ面になり、彼は頭をぶんぶんと派手に振った。
血のつながらない家族。それでもアムルとアテュスのように、仲の良さそうな親子もいるのに……他人以上によそよそしく冷たい、透明な壁の向こう側にいるかのような自分の家族。
どういう事情で今の家族に育てられることになったのか、いまだにカゼス自身は知らない。確かめるのも怖い。
幼い頃は、どこかに自分と同じ青い髪と……その他いろいろな身体的特徴をもつ人々の国があって、自分はそこから今の家に連れて来られたのだと考えていた。
けれど、惑星上のどこにもそんな国はなく、自分と同じ人種もいないと分かった時、彼はそれ以上、謎の究明を続けることは出来なくなったのだ。
カゼスは暗い考えを無視しようと、窓の外をただぼんやり眺めていた。