一章 (1) 冤罪の囚人
北の塔の中は薄暗く、天井近くにつくられた小さな明かり窓から差し込む弱い光が、苔の生えた石造りの壁を白々と照らしている。
鉄格子によって閉じられた房の中、粗末な木の寝棚に腰掛け、手枷をはめられたままの囚人が祈っていた。
まだ若い。少し伸びた淡い髭とくたびれた表情を除けば、二十歳になるかならないかといったところなのが分かる。
「どうか……助けを。我が身にかけられし嫌疑を晴らしたまえ」
つぶやき、組んだ手に額を当てる。その時だった。
ドスン、と派手な物音がして、なにやら間の抜けた叫び声が上がった。ぎょっとして振り返った青年は、一層の驚愕に目を限界まで見開く。
一体どこから降って湧いたのか、鉄格子のすぐ向こう側に、何者かが座り込んで腰をさすっているではないか。男か女か判然としない上に髪が青いときては、人間かどうかも分からないが。絶句し、ただぽかんと見ていると、視界の上から水晶球が落ちてきて床に転がった。
「いちちちち……」
闖入者、即ちカゼスは、ぶつけた尾てい骨の痛みに顔をしかめて涙をこらえていた。が、
「……アーグ・ソレス・イ・ラウシール」
つぶやきを耳にして、慌てて振り返った。薄暗い中でも鮮やかな金髪が、真っ先に目に飛び込む。そして、こちらを凝視している青褐色の双眸。
反射的にカゼスは翻訳の呪文を唱えていた。異世界に来たら真っ先にやらなければならない事だ。随分昔に無償で世に出され、以後改良を重ねられて、魔術力場に関係なくどのような世界でもほとんど障害なしに意志の疎通が可能になっている。
短い呪文を終えると同時に、青年のつぶやきが理解できた。
「本当に……本物の『青き魔術師』様?」
「何が?」
思わずカゼスは聞き返す。その反応に囚人は不審げな顔になった。
「ラウシール様では?」
「人違いされてるみたいですね。僕……私はカゼス=ナーラといって、ただのへっぽこ魔術師です」
少なくとも、なんたら様、などと呼ばれる立場にないことは確かだ。カゼスは目をしばたたかせてそう答える。と、囚人はあからさまにがっくりとうなだれた。
「そんな……助けに来て下さったものとばかり……」
「すみません」
思わずカゼスは謝る。別に自分のせいではないのだが、どうやら肩透かしをくわせてしまったらしい。
「あのー……」おずおずと話を続ける。「ちょっと訊いてもいいですか?」
青年が顔を上げたので、カゼスはどんな表情をしたらいいのか決めかねて曖昧な笑みを浮かべたまま言った。
「ここ、どこですか? どうやら、うちの魔法円があなたの呼び声に反応したみたいなんですけど、あなたは魔術師なんですか?」
質問しても、しばらくは返事がなかった。
囚人の青年は放心したようにカゼスをぼんやり眺め、彼の言葉の意味を考えようとしているようだった。が、徐々にその表情が理性的なものへと変化すると、驚きに代わって警戒が色濃くなった。
「あんた何者だ? ラウシール様じゃないんだったら、どうして青い髪をしている? どうしてここに現れたんだ、俺が助けを求めたのは偉大なる青き魔術師なのに」
質問に答えるかわりに、彼は胡散臭げな目つきになってカゼスを睨みつける。カゼスは困ってぽりぽりと頬を掻いた。
「いや、それはこっちも知りたいぐらいで……あ、青い髪なのは生まれつきなんですが。何者かは、さっきも言ったようにへっぽこ魔術師です。正確には魔術師予備軍ってところですけど。受験勉強中で封印していたはずの魔法円が、あなたの声に反応したらしくて、呑み込まれてしまったんですよ。来たくて来たわけじゃないんです」
憮然として言い、カゼスは肩を竦めた。
「それより、こっちの質問にも答えてもらえませんか? ここはどこで、あなたは何者なんです?」
囚人はまたしても沈黙し、返事を渋ったが、ややあって諦めたように口を開いた。
「ここはデニス王宮の牢獄だ。俺はアテュス=サナーイー。ただの衛兵で、『長衣の者』じゃない」
長衣の者、という言い回しが、カゼスの脳では魔術師の意味だと理解された。ふむ、とカゼスは首を傾げ、「変だな」とつぶやく。
「だったらどうして、うちの魔法円が反応したんだろう……参ったな。ところで、デニスってのは国の名前ですか、それとも街の?」
そうそう、と思い出したようにカゼスが訊くと、アテュスは不吉な予感に顔を歪めた。
「ちょっと待て。あんた、デニスのこともラウシール様のことも知らないのか?」
「知ってるわけないでしょう。いきなりここに落っことされて、こっちは右も左も分からないんですよ。大体、服装を見ても分かるでしょう? よそ者だって」
やれやれといった風情で、よれよれのシャツやジーンズを引っ張って見せる。対するアテュスは簡素なチュニックとズボンという、近衛兵か何かの制服姿だ。この二人が同じ時代・場所に生活する者だと考えるのは、客観的に見て無理がある。
〈あなたが無知なせいではありませんね、今回ばかりは。デニスという地名と、周辺をスキャンした結果とが一致する界のデータはありません。未発見の界でしょう。無事に帰れたとすれば、この界の名前にあなたの頭文字を使ってもらえるかも知れませんね〉
アテュスには聞こえないよう、精神波を使ってリトルが口を挟んだ。
〈帰れたら、の話だろ……ああ、なんてこったい。ただでさえ、事故で吹っ飛ばされた人間の九割方は帰って来ないってのに、よりによって未発見の界だなんて。死後の世界に飛ばされたも同然だよ〉
治安局の魔術師が助けに来てくれるとは到底考えられない。大洋のド真ん中に浮かぶ小さな未発見の無人島に、ぽつんと取り残されたようなものだ。それも、この眼前の青年が神頼みをしたせいで。そう考えると、カゼスはいささかムスッとなってしまった。
「ラウシールだかなんだか知りませんが、あなたがそんなのに祈ったりしなければ、私だってこんな所に落ちずにすんだかも知れないんですけどね」
〈あなたが彼の声を無視して勉強に集中していれば、確実に災難を免れたんですけどね〉
すかさずリトルが手厳しく付け足す。カゼスはげっそりして顔をしかめた。
その反応を自分に対するものと取り、アテュスは肩を落とした。
「だが、俺には祈るしかなかったんだ。その祈りも結局通じなかった」
相手がすっかりしょげてしまったので、カゼスは何やらひどいことを言ったような気分になり、同情的な顔をすると、鉄格子のそばに寄ってちょんと座った。
「まあ、こうなってしまったものは、もう仕方ないですね。アテュスさん、でしたっけ。どうして助けを求めていたんです? ここから逃げ出したいんですか」
「そうじゃない」
アテュスも鉄格子の向こう側に胡座をかき、ぽつぽつと話に応じる。
「俺は無実の罪を着せられているんだ。逃げ出そうって言うんじゃなく、嫌疑を晴らしたい。無実だってことを証明して、真犯人を捕まえてやりたいんだ」
「冤罪ですか。うーん……何か力になれるといいんですけど」
難しい顔でカゼスは唸った。
〈十一条に抵触しないように気をつけた方がいいですよ〉
リトルが釘を刺したが、言われるまでもなくその事はカゼス本人も考えていた。最前まで見ていた問題集のページに出ていたし、確実なヤマと言われる部分なのだ。
〈異世界においてその界の本来的な発展に著しい影響、特に悪影響を与える者に関して、治安局員はその身柄を拘束し強制送還する権利を有する……だろ。ああ、どうせなら送還しに来てもらいたいよ。それで帰れるもんなら、さ〉
〈まさかそれを狙ってめちゃくちゃするつもりじゃないでしょうね? まあ、あなた程度では、たいしたことが出来るとも思えませんが〉
いちいち傷つく言い草である。いつもの事ながら、カゼスはプログラミング責任者を捜し出して絞め殺してやりたくなった。
そんなやりとりをしていても、精神波の伝達速度が桁違いに速いため、不自然な沈黙を作り出すことはほとんどない。
アテュスはカゼスの表情の微妙な変化に気付かないまま、話を続けた。
「あんたが何者か、この際なんだっていいさ。藁にもすがりたい思いなんだ」
「私は藁ですか」思わずぼやく。
「藁でも丸太でもなんでもいい。……話を聞いてくれる気はないのか?」
疲れたように、だが苦笑を浮かべてアテュスが皮肉った。カゼスもごまかし笑いを浮かべて、先を促す。
「王家伝来の宝珠を収めた箱が、夜の間に宝物庫から盗まれたんだ。たまたま俺はその夜に不寝番をしていたため、一番疑われている。俺が盗んで隠したに違いない、ってな。だけど、もちろん俺は盗んでない」
アテュスはそこまで言って、ふと顔をしかめた。
「問題なのは、その俺も犯人が分からないってことなんだ。どう考えても盗み出せたとは思えないのに……怪しい人影も見なかったし、もちろん誰も扉には近付かせなかった。変な物音も聞いてない。盗人が入ったなんて考えられないんだ」
カゼスは黙って聞いていたが、アテュスが言葉を切って考え込むと、目をぱちくりさせて問うた。
「魔術師……『長衣の者』とかいう人たちの方は? 魔術なら気付かれずに宝物を盗み出すぐらい、簡単でしょう?」
それとも、デニスではそういった魔術は使えないのだろうか? 『長衣の者』というのも単なる宗教的な組織であって、実用になる魔術などないのか?
「もちろん、すぐにスーザニー様が調べられたさ。でも、魔術を使った痕跡は残っていなかったらしい。だから、魔術で盗み出されたわけじゃない」
そう答えてアテュスは肩を竦めた。
「第一、『長衣の者』が王家の威信を揺るがすような真似をするなんて、考えられない。ラウシール様の後継者だってんで、信義とか道徳にはかなり厳しいんだ。よしんば盗みをもくろむ奴がいたとしても、スーザニー様がそれを見過ごすとは思えないからな」
「その、スーザニー様っていうのは?」
「最高指導者だ、知らないのか?……ああ、いや、すまん。そうだな、ラウシール様さえ知らないのに、スーザニー様を知っている筈がないか」
やれやれ、とアテュスがため息をついた。話が通じにくくて困る、とった風情だ。カゼスもそれが分かるので、小さく首を竦めた。
「もしあんたが何か手助けをしてくれるって言うんなら、せめてラウシール様のことぐらいは知っておいた方がいいと思うぞ。……だけど、あんたが何かしてくれるつもりでも、俺はあんたに何もしてやれない。何だか知らないが、あんたは事故でここに落ちて来たんだろ? 服だってそんな妙なのしかないみたいだし、もちろん金なんてないんだろうな」
参ったな、とアテュスは片手で顔を覆う。と、まるでその窮地を察したかのように、足音が近付いてきた。
慌ててカゼスは立ち上がり、身を隠す場所を探してオタオタした。が、生憎と適当な物陰がない。
相手の意識から自分の姿を消すまやかしの術もないわけではないが、魔術力場を調べもせずにいきなり魔術を使うのはあまりに危険が大きい。第一、この界には魔術師もいるのだから、気付かれる可能性もある。
あれこれ考えている間に、足音の主が姿を現した。いささか年齢の分かりにくい、一人の男だ。ざっくばらんな感じの服装からして、どうも王宮の人間ではないらしい。
「親父! なんでここに」
案の定、驚いた顔でアテュスが言った。父親にしては若いその男は、カゼスの姿を見ると目を丸くした。穴の空くほどカゼスの顔を見つめ、しばらく絶句する。それからやっと、曖昧な顔で頭を振ってアテュスに言った。
「なんで、はないだろう。牢にぶち込まれたってぇから、わざわざ様子を見に来てやったってのに……しかし驚いたね、ラウシール様がこんな所においでとは」
「あ、いやその、違うんです。私はカゼス=ナーラっていって、確かに髪は青いですけどその偉い魔術師とは別人なんで」
急いでカゼスは口を挟んだ。相手は面白そうな顔をして、手を差し出す。
「アムル=サナーイーだ。こいつの父親でな。あんたには色々訊きたいこともあるが、取り急ぎこっちの用事を済ませちまうとするか」
軽く握手をすると、アムルは息子に向き直った。アテュスの反応に比べると、あまりにもあっさりしている。大騒ぎされなくて幸いと言うべきなのだろうが、カゼスは拍子抜けして目をしばたたかせた。
「そら、タオルと石鹸だ。それから、彼女の手紙」
鉄格子の隙間から持参したものを渡し、アムルはにやにやする。アテュスは心持ち頬を染めて、手紙をひったくった。
〈あれは紙なのかな? へえ、そこそこ文明の技術レベルは上みたいだね〉
〈そのようですね。植物性の繊維から作られている紙です。上質とは言い難い代物ですが紙には違いありません〉
カゼスがしげしげと手紙を眺めているので、アテュスはムッとしてそれを隠した。
「失礼な。別に盗み見ようってんじゃありませんよ」
「どうだか」
フンと鼻を鳴らし、アテュスは父親に視線を戻す。立ち上がると、息子の方が身長が高い。それに、あまり似ていなかった。金髪碧眼のアテュスに対してアムルは黒髪だし、瞳の色も青ではあるがアテュスのそれとはかなり違う。
カゼスが首を傾げている前で二人は少し言葉を交わし、カゼスのことや今後のことを相談した。結局、身動きのとれないアテュスに代わって、アムルが面倒を見てくれることになったらしい。カゼスを振り返ってアムルが言った。
「お嬢ちゃん、その妙な格好と髪の色をごまかすとか、できるか?」
「……あの、私はお嬢ちゃんじゃないんですけど」
確かにカゼスは中性的な顔立ちと声質、それに体格をしているが、お嬢ちゃん呼ばわりされたことはさすがにない。カゼスは困惑顔になったが、アムルの方は無神経なのか何なのか、まるで頓着しなかった。
「細けぇことにこだわるなよ、どうでもいいだろが。とにかく、髪と服だけごまかせりゃ、牢番は何とでもなる。完全に消えられちゃ、どこにいるんだか分からなくなるし、姿を現す場所とタイミングに困るからな」
「はあ」
何なんだ、いったい。
(まさかバレたってことはない……よな?)
ふと不安が胸をよぎる。確かに自分は『お嬢ちゃん』ではない、だが……その逆でもないのだ、本当のところは。
(バレたんなら、もっと別の反応をされるはずだよな。大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせ、カゼスは余計な考えを頭から追い払い、精神を集中させた。
意識レベルを少し深層に下げて、魔術力場を探ってみる。普通なら精神を直接危険にさらす必要はなく、カードを使って力場位相を調べられるのだが、ない物のことを考えても仕方がない。
(実技試験でこんなことやったら、即、失格だよ)
そんなことを意識の片隅で思いつつ、慎重に深度を下げる。
と、突然凄まじい『力』が襲いかかってきた。
「―――!」
大きく息を呑み、反射的に意識レベルを引き上げる。それでも、『力』の波は意識の足をすくった。がくんと膝が折れ、カゼスはその場にうずくまる。
「……い、……ぶか?」
二人が口々に何かを言ったが聞き取れなかった。感覚が正常に戻るまで、たっぷり一分はかかっただろうか。ようやくカゼスは顔を上げ、深いため息をついた。
「こんな高レベルの力場なんて、初めてです……この界の魔術師は優秀なんですね」
弱ったな、と半ば独り言のようにつぶやき、彼はもう一度意識レベルを下げた。今度はさっきよりもずっと慎重に、警戒しながら。
(うわ、これは凄い……)
精神の目に映る力場のイメージは、故郷のものに比べてはるかに鮮やかで輝きに満ちていた。その美しさは、思わず我を忘れて恍惚としてしまいそうなほど。
だが、その美しい輝きは即ち、魔術師にとっては命にかかわる危険を意味する。これほど高レベルの力場なのでは、うっかり欲張って高位の『力』を利用しようなどとすれば、瞬時に精神が崩壊して廃人になってしまうだろう。
(面倒臭いなぁ)
低位の力で同じ効果をもたらそうとすれば、手順は繁雑になり呪文は長くなる。とは言え、背に腹は代えられない。カゼスはよく使う呪文を意識に呼び出し、いったんそれをバラバラにして組み直し始めた。
間違いがないか何度もチェックした後で、ようやくカゼスは出来上がった呪文を声にして解放した。たかがまやかしの呪文ひとつなのに、背後でうねる圧倒的な『力』の動きがはっきりと感じられる。
「お、やったじゃねえか」
カゼスの髪が海青色から平凡な黒に変わったので、アムルが面白そうな声を上げた。服装も、ぱっと見た限りアムルのものに似ていて、そう珍妙でもない。
「よし、それじゃとりあえず家に来いよ。ここにいて見付かると面倒くせぇからな」
言うなり彼は、もうさっさと歩きだす。数歩進んで振り返り、カゼスがぽかんとしているのを見て眉を寄せた。
「なにボサッとしてんだ、早く来いって」
と言われても……と、カゼスは気遣うようにアテュスを見た。が、実際のところ余計なお世話だった。彼は手紙の方に夢中になっていて、父親が帰りかけているのもどうでもいいらしい。カゼスの視線に気付いて顔を上げ、取って付けたように言う。
「それじゃ親父、頼むよ。けど、あんまり無茶なことして、こいつの首まで飛ばさないでくれよな」
「心配すんなって」
誰にものを言ってるんだ、とでも言いそうな風情でアムルは答え、再度カゼスを手招きした。いいのかな、と首を傾げながらも、カゼスは適当に別れを告げてアテュスの牢から離れ、アムルについて歩きだす。
入る時にはいなかった人物が出てきたので、当然ながら牢番は二人を呼び止めた。
「アムル殿、いったいこいつはどこから出てきたんです?」
「細けぇこた気にすんなよ。うちのバカ息子じゃねえってのは見りゃ分かるだろ?」
な、と言いながらアムルは硬貨を牢番の手に握らせる。ちらりと金色の光がこぼれ、カゼスは目を丸くした。金貨なのだとしたら、番人ひとりに渡す袖の下にしては法外な価格だろう。
牢番もこれには驚いたらしく、息を呑んだ。それから慌ててひそひそとささやく。
「これで何を見逃せっていうんです? 俺はこの仕事を失いたくないんです。それどころか、アテュスを逃がしでもしたら命が……」
「んなこたしねえよ。心配すんな、後で俺の言うこときいといて良かったって思うから」
むちゃくちゃな言い草だが、牢番は信じたらしく、渋々ながらうなずいた。もしかしたら、アムルが言ったような前例があるのかも知れない。カゼスの中では既に、アムルの印象がヤクザめいたものに変わりつつあった。
(なんだか、成り行きとは言え、エライ人に頼るはめになった気がするなぁ)
大丈夫なんだろうか、と、ため息。そんなカゼスにはお構いなく、会話は続いていた。
「まあ、そうおっしゃるんなら……でも、後でアテュスの様子を見に行きますからね」
言いながら牢番は指をちょっと広げ、黄金の輝きを確かめて笑みをおし隠した。それから、外を通りかかる人間がいない隙を見計らって、行け、と合図する。
カゼスはそのいい加減さに呆れるべきか感謝すべきか迷い、複雑な顔をしたままそそくさと通り過ぎた。だが、そんなややこしい気分も、戸外に出た瞬間に消し飛んだ。思わず感嘆の声を上げそうになって、慌てて息をつめる。
広々とした敷地には石造りの見事な建物が並び、大勢の人間が行き来していた。長衣を着た文官や魔術師、アテュスのような制服を着た兵士、派手やかな服装の商人や拝謁を求める一般人。そのほとんどが、金髪か黒髪のどちらかだ。
〈うわぁ、かなりの都じゃないか。いくら一国の首都だって言っても、文明の程度からすれば驚きだね、これは〉
〈そうですね。では私は念のため周辺を調べてきます。何か分かるかも知れません〉
リトルは光学迷彩で景色に溶け込むと、すいっと飛んで行った。便利な相棒が一緒で良かった、と幸運に感謝しつつ、カゼスはアムルの後を小走りに追いかける。
「キョロキョロすんなよ。いいカモだって宣伝してるようなもんだからな」
おのぼりさんになっているカゼスに、アムルが釘を刺した。慌ててカゼスは、ぽかんと開けっ放しにしていた口を閉め、視線をなるべく一定させるよう注意を払う。
しかし、それはなかなか難しい仕事だった。
王宮は、城塞と言うよりは神殿に似た雰囲気で、あちこちに浮き彫りが施されている。ガラス窓はまだ存在しないか、あるとしても相当貴重な物らしく、色とりどりの鮮やかなカーテンが開け放しの窓や出入口で風に戯れていた。
空気はさらっと爽やかで、心地よい。厄介な事件のことも、資格試験のことも、頭から消え去ってしまいそうなほど。
庭には花壇が広がり、その間を水路が走っている。そちらに気を取られていたカゼスは、通りすがりの誰かに思いきり肩をぶつけてしまった。
「あっ、と、すみません」
慌てて謝り、相手に向き直る。カゼスとそう年の変わらない銀髪の青年が、深紅の瞳で不審げにこちらを睨みつけていた。
先に行っていたアムルが、ぎょっとしたように回れ右して戻ってくる。
「申し訳ありません、宰相様。ぼんやりした奴で……」
あたふたと言い訳し、彼はカゼスの腕を引っ張った。
宰相と聞いてカゼスは目を丸くし、低頭するのも忘れて相手を見つめる。
この若さで宰相? 王子だのなんだのというのならば分かるが、宰相なんて。
「アムル殿か。子息の様子でも見に来られたか?」
青年はカゼスを無視して、アムルに問うた。その声の冷ややかさは、機械のリトルの方がまだ人間らしいほどだ。
「ええまあ」
曖昧に答え、アムルはその場を逃れようとした。が、宰相はそれを許してくれない。鋭い視線でカゼスを一瞥し、平坦な口調で続ける。
「この者は?」
「新しく雇った助手です。息子にも顔を見せておこうと思いまして」
すらっと口からでまかせを言うアムル。一種の才能だろう。カゼスは内心で呆れたが、宰相に目を向けられ、慌ててぺこりと会釈をした。
仕事があるから、とかなんとか言い、アムルはカゼスの腕を引っ張って急ぎ足に宰相の前を辞すると、その姿が見えなくなるまでせかせかと歩き続けた。
「あの人に見付かると良くないんですか?」
ひそっ、と歩きながらささやく。アムルは渋面になった。
「あまり良くはないな。切れ者だし、相手が誰でも事情がどうでも容赦なしだ。論理だけで動いてるようなもんだな。ある意味、確かに公正ではあるが……ラウシール様が何せ慈悲深い人だったてんで、『赤眼の魔術師』の子孫だけはある、と陰口を叩かれることも少なくない。おっと、まだこの話は聞いてないんだったな」
カゼスにはよく分からない説明をしておいて、アムルは思い出したように最後の一言を付け足した。
「ま、家についたらゆっくり話してやるよ」