終章
テラ大陸共和国 シティ・ミランダ
バサッ! ドサドサドサ、ガシャン!
雑草の楽園に文字通り降って湧いた金属の塊が、派手な音を立てた。最後にドスン、と鈍い音がして、しばらく静寂が続き、仕上げにカキンと甲高い音がひとつ。
「あいっちちちちち……」
いささか情けない体勢で腰をさすりながら、カゼスはしばらく立ち上がれなかった。仕上げの音を立てたリトルが、一足先にころころ転がってからふわりと浮かび上がる。
「おめでとうございます、ほとんどズレはありませんよ。あなたがぼんやり問題集を見ていた時からほぼ二十時間後、場所は庭に移動しただけです」
「そりゃ、良かった……うう、いてて」
よろよろと立ち上がり、朝のすがすがしい空気を吸い込む。微かに含まれる潮の香り。いつもと同じ、気持ちのいい風。夜の間に雨が降ったらしく、しっとり濡れた草と土の匂いが鼻をくすぐる。
帰って来られた、という安堵が胸に広がると、ふいに視界が揺れた。
「あれ?」
慌てて目に手をやると、涙がぽろっとこぼれ、止まらなくなって次々にあふれだした。
「なんで……」
ごまかすようにつぶやき、手の甲でそれを拭う。安心感に続いて、言いようのない寂しさが胸の奥からこみあげた。慌ただしい一週間ほどの出来事が、脳裏によみがえっては消えて行く。それは眩しいほどに愛しく、懐かしくさえ感じられて。
きっと今頃、ヤルスも泣いてる。
何の根拠もなくそう確信した。同時に、だからこそ引き返してはいけないのだ、とも。引き返せば離れられなくなる。そして互いに相手を呑み込んでしまうだろう。
離れることが正しい選択という場合もあるのだ――アムルがアテュスを突き放したように。ならば、今は自分もアテュスにならって立ち上がり、前へ進むしかない。
カゼスは軽く頭を振り、寂しい気分を振り払って、目の前のことに意識を戻した。
さて、目の前、というと……あるのはめちゃくちゃになった機械の塊だ。もともと雑草だらけで花壇だのなんだのといった気の利いたものはなかったから、下敷きになった花や球根の心配をしなくてもいいのは、せめてもの幸いだが、しかし。
「どうするよ、これ」
声に出してぼやくと、問題が突然、現実味を帯びてきた。
「聖典だけなら、隠匿してごまかすなり何なりできるけど、これは治安局に通報しなくちゃだめだよな……ああ、そんな時間、あるのか?」
うめいてから「時間?」と我に返り、カゼスは慌ててリトルの姿を探した。
「リトル! 二十時間後だって? じゃ、今は何時なんだ。もしかして……」
「正確には二十時間十三分後です。現在時刻は十時二十四分。そして今日は、模擬試験の予定が入っていました。とっくに始まってますがね」
「うわああああーっっっ!」
この世の終わりが訪れたかのような叫びを上げ、カゼスは転移装置など放ったらかして家の中に駆け込む。
昨日から干したままの洗濯物はテラスでぐしょ濡れになっているし、流しには汚れた食器が突っ込まれたままだし、マグカップの底でコーヒーがホコリを浮かべているし……。
「なんでこうなっちゃうんだよぉ、どうせならもう資格試験が終わった後とか、できるなら少し過去とかに戻って来られれば良かったのに」
泣き言を並べながらバタバタと着替えに上がり、また「ああっ」と叫ぶ。
「ジーンズとシャツ、向こうに置いて来ちゃったぁぁー!」
「ヤルスさんが処分してくれてますよ、きっと。あなたと違って優秀ですから」
「そーじゃなくって、洗濯できてるのがないんだよー!」
洗濯ずみのシャツもジーンズも、物干しで打ちひしがれている。乾かすだけなら魔術でなんとかなるが、一雨浴びた後なのでは、埃やゴミや虫などで汚れてしまっているだろう。さすがにこれには、リトルも呆れるしかなかった。
「だから、マメに家事をなさいって常々言ってたでしょうに……」
人間だったら頭を振ってため息をつき、お手上げの仕草を見せているところだ。
「その格好で行きますか?」
厭味を言ったリトルに、カゼスは問題集や筆記用具を鞄に突っ込みながら言い返す。
「オーツん家で何か借りるよ!」
ふと口にした友人の名前が妙に懐かしくて、そうか、とカゼスは気が付いた。
案外、自分もそれほど孤独ではないのかも知れない。遠くの星を見上げるばかりで、周囲の様子に気付いていないだけなのかも。
「おっと、それどころじゃない」
慌てて用意をすませると、カゼスはドアをロックして庭に出た。眼下に広がるシティを見下ろし、風を呼ぶ。
が、うっかりデニスで使っていたのと同じ、レベルを落としたままの呪文を使ったので、『場』が人間ひとりを支えきれずに壊れ、カゼスは草の中に頭から転がってしまった。
「いてててて……ああ、そうか、よく考えたらあいつも今日は模試なんだ、家にいるわけないよな」
服を借りようと思った相手の顔を思い浮かべ、ため息をつく。
「あーあ、もう、いいや」
ばったりと草の上にひっくり返り、カゼスは青空を見上げた。
移ろう雲を横切って、鳥が海の方へ飛んで行く。ぼんやりそれを眺めながら、いつの間にかカゼスは不思議と安心し、うとうとしはじめる。
夢の中で、彼はデニスに立っていた。背を伸ばし、顔を上げて。
それが遠くない未来に訪れる風景だと、今の彼が知る由もなく……ただ、心地よい風を感じるうちに、意識は深い眠りの海に沈んでいった。
(終)




