七章 (1) 決着
先導しながら走っていたヤルスは、カゼスがどんどん遅れていくのに気付き、舌打ちして足を止めると、体力のない魔術師が追いつくのを待った。
「まったく、少しは運動しろ」
情けない、と言うなり彼はカゼスをすくい上げ、左肩に担いだ。
「なこと、言っても、受験生、なんだし」
ぜいぜい息切れしながらカゼスは言い訳する。受験期であろうとなかろうと、実のところまったく関係はないのだが。
担がれた状態のままカゼスは顔を上げ、後ろの様子を見る。ズルッ、ズルッ、と何か重いものが這ってくるような音が耳に届いた。そのせいか通路が微かに振動している。先刻の地震は怪物が寝返りを打ったのが原因かも知れない。相当、巨大な生物のようだ。
「あぅ……追って来る、みたいです、ね」
「なら逃げるしかあるまい。黙ってろ、舌を噛むぞ」
それだけ言ってまたヤルスは走りだした。この細身の青年の正体を知らなければ、どこからこんな怪力が、と仰天する光景だ。アテュスは目を丸くしたが、賢明にも質問は差し控えて走りだす。
じきに、後ろを見ているしかない体勢のカゼスが、沈黙と緊迫感に耐え切れず、情けない声を上げた。
「ヤルスさん、目から怪光線を出すとか出来ないんですかぁ」
この期に及んでも言うことがくだらない。ヤルスは「ふざけるな」と不機嫌に答えてから、痛烈に言い返した。
「おまえこそ、派手な魔術でも使って、あの生物を追い返すなり封じ込めるなり出来ないのか? かつてのラウシールは化け物を一瞬で塵にしたというのに」
「そんな景気のいい魔術、ここでなくたって使えませんー」
「役立たず」
臓腑をえぐる一言を投げ付け、ヤルスはカゼスの無駄口を封じる。
「まったく、なぜ、私が……」
さすがに人間ひとり担いで全力で走るのは、バイオロイドの身にもこたえるらしい。ヤルスは少し息を切らせながら、小声でぼやいた。
ともあれ、しばらく走ると物音が聞こえなくなり、揺れもおさまった。
〈リトル、後ろの奴まで、どのぐらい距離がある?〉
〈二百メートルは後方ですよ。それに、もう興味を失ったようです。移動していません〉
カゼスはホッと息をつき、ヤルスに言った。
「もう大丈夫みたいですよ。降ろしてください」
ヤルスが手を離すのを待たずに身を振りほどいて肩から降り、後方に目を凝らして何も追って来ないのを確認する。それから、念のために軽く目を閉じると、手早く、しかし緻密に呪文を織り上げた。
声に出すとさして長くはない呪文だったが、そこに織り込まれた言葉は複雑に絡み合って効力を発揮し、通路をぴったりと不可視の壁でふさいでしまった。
「おっ、すごいな。これで怪物が来るのを防げるのか?」
無邪気にアテュスが言ったので、カゼスは驚いて振り返った。魔術師以外の人間には見えないはず……だが、アテュスの瞳がうっすらと紫色を帯びているのを見て納得する。アテュス本人はその能力を使っている自覚がないらしい。これまでにも無意識に使っていたのだろうが、変化は微々たるものであるから、誰も気付かなかったのだろう。
「物理的な侵入ならこれで確実に防げるはずです」
カゼスはヤルスにそう言い、もう大急ぎで逃げなくてもいいでしょう、と皮肉っぽく付け足した。
「万一あれが何らかの魔術的手段でこっちに追いつこうとしても、壁にひっかかって、てこずるはずです。閃光も出るし。僕らがよっぽど美味しそうに見えない限り、それ以上追いかける気はなくすでしょうね」
「だといいがな」
無感動にヤルスは言い、さっさと歩きだす。その背中に白けた視線を向けたまま、カゼスはアテュスに言った。
「さっきの君の気分がよく分かる。笑って悪かったよ」
「あ? 何が分かるって?」
「ちょっとは褒めてくれたって罰は当たらないと思うんだけどな。可愛げがないったら」
憮然としてカゼスが言ったので、今度はアテュスが笑う番だった。少し前を行っていたヤルスが、その笑い声に誘われたように振り返る。
「馬鹿言ってないで、行くぞ」
「はいはい」
カゼスは肩を竦めて苦笑すると、小走りに後を追いかけた。
それからしばらくは、得体の知れない生物に脅かされることもなく、三人は順調に王宮への道程を進んだ。迷宮は複雑に入り組んでいるため、直線ならばとっくに王宮を通り越しているほどの距離を歩いても、まだ出口にたどり着けなかった。
「ああ……食べ物の幻覚が見えてきそうだ」
カゼスがまたくだらない考えを口にした時、ようやくヤルスが足を止めた。
「ここだな。出るとすぐに国王の私宮殿だ、用心しろよ」
「はあ!?」
カゼスとアテュスが同時に素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。いきなり国王の私宮殿、って……陛下はここのこと知ってるんですか?」
あたふたとカゼスが訊くと、ヤルスは首を振った。
「知るわけなかろう。だから用心しろと言ったんだ」
ピピピッ、と電子音が鳴る。小さなパネルを操作するヤルスを見つめ、「あ」とカゼスは気付いた。
「もしかして、襲撃のあった晩、あなた本当はここにいたんですね?」
「そうだ」
思ったより鋭いな、とばかり驚いた風情を作り、ヤルスは軽くうなずく。
「いつ何時、必要になるか分からんからな。全部の出口を見付けてからは、定期的に点検していたのだが、私宮殿はさすがに夜に忍び込む以外、手がなかった。どうせ一騒動あるだろうから、それまでに済ませておこうと思ったのだ。運が良かったな、私が居合わせなければ今頃おまえは墓の中だぞ」
ピッ、と音を立てて小さなライトがグリーンに変わる。ドアを開ける前に、ヤルスは外の物音に耳を澄ませた。
「静かだ。まだ護送隊が王宮に戻っていないようだが……」
それから指をパネルにのばし……かけて、ふと眉を寄せる。鋭い聴覚がざわめきを感知したのだ。
「妙だな」
護送隊が戻っても、時間的におかしくはない。が、そうだとしても私宮殿に用はないはずだ。なぜ、ざわめきが近付いてくる?
もの問いたげになった二人に、ヤルスは指を立てて「シッ」と合図した。
「様子がおかしい」
声を低めてヤルスがささやき、他の二人も物音を立てないようにして扉にはりつく。
ざわめきはどんどん大きくなり、扉の内側にいてもそれがかなりの騒動だと分かった。怒鳴り声や武具がガチャガチャ鳴る音、わめき声。王宮にはおよそ似つかわしくない。
何があったのだ?
三人は一様に不審な顔を見合わせた。カゼスはそっと目を閉じ、魔術師に感知される危険を覚悟の上で精神を外に飛ばす。たとえ感知されても構わなかった。どのみち、物理的にここに侵入するにはこのドアを発見し、パネルを操作しなければならないのだから。
外は混乱を極めていた。精神の焦点をずらして、なにがなんだか分からなくなるほど雑多な精神波をそらし、物理的な視界を形作れるようにする。
誰かが宝珠の箱を抱えて逃げていた。銃で撃たれたのだろう、袖の一部が焼け焦げて薄く煙を立ちのぼらせている。服装は衛兵の制服に似ているが、よく分からない。
わぁわぁ叫びながら、衛兵たちが……護送隊の者だろう、槍を振りかざしてその男を追っている。
焦点をずらすと、逃げる男の考えが少し読み取れた。どうやら貴族の誰かに命じられたらしい。国王が失効を宣言したとはいえ、宝珠が戻ってくれば無視することはできないから、今のうちに……ということだろう。
それだけ見ると、カゼスは精神を引き戻して目を開けた。
「誰かが、王宮に戻ってきた宝珠の箱を強奪したみたいです」
「何だそりゃ」
アテュスは困惑して首を傾げた。ヤルスも顔をしかめる。
「ふむ……宝珠が戻っては困る連中が差し向けたか。あるいは、奴らの計画では偽造密書だけが証拠として出される筈だったのかも知れん。宝珠まで見付かったことで、ハーカーニーが裏切ったと早とちりしたか……。いずれにせよ、今出て行くのは得策とは言えないな。護送隊の連中はまだハーカーニーの暗示にかかったままだ。我々の姿を見たら、どっちに槍を向けるか迷って混乱を煽る結果になってしまう」
「いっそ混乱させてやったらどうだ……どうです? 宰相閣下」
思わず対等の口をききかけて、慌ててアテュスは言い直した。ヤルスは眉をちょっと上げたが、何も言わずに説明を待つ。アテュスは肩を竦めてから続けた。
「ハーカーニーの敵なら、誰であれ歓迎しますよ。少なくとも今のところは。どうせ、陛下があんな事を言い出した後だから、宝珠はあってもなくても実際は構わないはずです。持ち逃げしたい奴がいるなら逃がしちまえばいいでしょう。責任はハーカーニーになすりつけりゃいいんだし。混乱している隙に、あのクソ野郎を見付けてふん縛るわけにはいきませんか?」
「それは護送隊の槍の雨をかいくぐる自信があっての提案か?」
質問を返し、ヤルスは小首を傾げた。そして、アテュスに顔を赤らめる時間さえも与えず、自分で答えを出す。
「そうだな、やってみれば可能かも知れない。ただし、もう少し安全を重視して平和的に。ドアを開けて、彼らが我々を認めた瞬間に、暗示を解除する信号を最大出力で送ってやろう。暗示が解けたら、彼らは誰の命令に従うべきか分からなくなって右往左往するだろうが、少なくとも闇雲に攻撃を仕掛けてくることはあるまい」
言葉の後半はカゼスに向かって説明していた。カゼスがうなずくと、ヤルスはアテュスにも目を向け、「その隙に」と続けた。
「ハーカーニーを見つけだして身柄を押さえてくれ。私は解除信号を出した後しばらく、反応速度が通常よりも落ちてしまうから、危険は冒せない」
「あ、それじゃちょっと待ってください、ハーカーニーの位置を確認しておきます」
言ってカゼスがもう一度精神を飛ばそうとした、その時。
バリバリッ、と紙を思いきり破るような音が響き、ずっと後ろの方で何かが光った。そして、怒りの咆哮が上がる。
それの意味するところはひとつ。
「壁が破られた!」
ぎょっとなってカゼスが叫ぶと同時に、ズズズズ……ッ、と低い地鳴りが始まった。
「やはり地震はあの生物が原因だったか。この通路は二度と使えんな」
ヤルスは舌打ちし、パネルに手を伸ばした。地鳴りは揺れになり、壁や天井からパラパラと小石が落ちる。ためらっている時間はなかった。
ピーッ、と認識音がした直後、シュッとドアがスライドした。
そこは国王の私宮殿の一隅で、ちょうどカゼスが斬られた出入り口を見通せる位置にあった。ヤルスはここでパネルをチェックし、騒動のゆくえを見守っていたのだろう。そして、どうやら放っておくとカゼスが死にそうだと判断した後、すぐそこの窓から一旦外へ出て、助けに来てくれたのだ。
今回はのんびり見守っているゆとりなどなかった。
地震に怯えうろたえていた兵士たちが、三人の姿を認めた瞬間、目の色を変えて殺到した。王宮に残っていた近衛兵は暗示にかかっていないため、この突撃に面食らい、加わるべきなのか、強奪犯を追えとわめくべきなのか、わけがわからなくなって混乱する。
ひと呼吸の間を置いてから、ヤルスがガクンと膝をついた。人間の耳には聞こえないが、催眠キューブの効果を消去する信号の波が殺到する集団の中を駆け抜け、暗示を解かれた兵士たちが将棋倒しになる。
運よくその中に巻き込まれなかった者は、なぜ自分が宰相に槍を向けているのかと驚き、それから直前まで追っていた筈の宝珠強奪犯を探してきょろきょろした。
この隙に、とカゼスとアテュスはハーカーニーを探したが、姿が見当たらない。
地震がおさまるにつれ、混乱も徐々に鎮まってゆく。ぼやぼやしていたら、ハーカーニーに反撃の余裕を与えてしまいかねない。
〈あそこです!〉
ふいに、リトルが風を切って人々の頭上を飛び越して行った。慌ててカゼスもその後を追う。ガキン、と甲高い音がして、ハーカーニーが罵りの声を上げるのが聞こえた。
何がなんだか分からずにいる衛兵たちをかきわけるのが面倒になり、カゼスは小声で使い慣れた呪文を唱えた。
一陣の風が吹き込み、小さいが安定した『場』がカゼスを持ち上げる。
唖然としている多くの顔を尻目に、カゼスは空中に舞い上がってハーカーニーの居所を見付けた。どうやら催眠キューブを取り出そうとしたところに、リトルが体当たりを食らわせたらしい。足元に黒い小さな物が転がっており、ハーカーニーは飛び回るリトルを叩き落とそうとむなしい努力をしている。
その動作の拍子にハーカーニーは空を仰ぎ、カゼスの姿を認めてぎょっと目をむいた。
「ハーカーニー! 動くな!」
咄嗟にカゼスが怒鳴る。が、ハーカーニーはむろん従わず、彼に銃口を振り向けた。
一瞬カゼスはぎくりと怯んだが、
〈ご心配なく、ゲージがゼロです〉
珍しく笑いを含んだ精神波が教えてくれた。
〈エネルギーチャージの方法までは、独学で習得できなかったようですね。すっからかんですよ、あなたの財布みたいに〉
〈余計な事は言わなくていいよ〉
カゼスは苦笑し、悠然とハーカーニーを見下ろす。
「おまえにそれが扱えるのか?」
わざと意味ありげな風に言うと、ハーカーニーは自信がぐらついたのか、不安そうな視線を銃に走らせた。
衛兵たちの一部はまだ強奪犯を追っていたが、残りは妙な成り行きを見て、ハーカーニーを取り囲み始める。カゼスはそれに気付くと、ふと悪戯心を起こしてにやりとした。
「この私を撃ち落とせると言うなら、やってみるがいい!」
自信満々に言うやいなや、かけっぱなしにしていたまやかしの術を、ここぞとばかり解く。ちょっとしたイルミネーションの演出まで付け加えて。
どよめきが起こり、半数ばかりの兵ががひざまずいた。カゼスが単に同じ青い髪をしているだけの別人だと知っているのは、ごくわずかなのだ。
「違う、あれは偽物なんだ!」
ハーカーニーがわめいたが、効果はない。むしろ衛兵たちは彼の方に槍を突き出しかねない表情を浮かべている。舌打ちし、彼は銃の照準を空中のカゼスに合わせてトリガーボタンを押した。
――何も起きなかった。
ハーカーニーは口をぽかんと開けて、その手に持っているのが武器ではなく一輪の花に化けたかのように、まじまじと銃を見つめた。それから、躍起になって何度も何度もボタンを押し続ける。
カゼスは大笑いこそしなかったが、にんまりと意地の悪い笑みが広がるのだけは、堪えきれなかった。
小さな声で捕縛呪文をつぶやき、少し芝居がかった仕草で右手を突き出す。
光の筋が花のようにパッと広がり、ハーカーニーに降り注いだ。
「う……わっ、わあああっ!」
殺されるとでも思ったのだろう、ハーカーニーは真っ青になって逃げ出した。が、金色の光はそれを許さない。あっと言う間にハーカーニーに追いつき、絡み付いて引きずり倒すと、ぐるぐる巻きにしてしまった。
カゼスはそれを見届けると、ドラマの治安局員がよく言う台詞を、機嫌よくつぶやいたのだった。
「弁護士を呼ぶかい?」
〈そういうくだらない事だけは、覚えるのが早いんですねぇ……はーあぁ〉
アテュスが強奪犯をひきずり宝珠の箱を抱えて戻って来た時には、オローセス王も半ば呆れ顔で騒ぎの後を眺めていた。
「陛下! どうにか宝珠は取り返しましたよ」
その姿に気付くと、アテュスは大声で呼んだ。それから、まるでボールを拾ってきた犬のように、嬉しそうに箱を掲げて見せる。カゼスとヤルスの二人から詳しい事情を聴いていたオローセスは、無邪気な青年の声に苦笑をもらした。
強奪犯を衛兵に引き渡し、アテュスは箱を持ってやって来る。
「失せたままでも構わなんだのだが」
というオローセスに、アテュスは箱についた砂埃をパッパッと払ってから差し出した。
「でも、先祖代々の大事な宝物には違いありません」
強奪犯と格闘でもしたのだろうか、顔には土と少しばかり血もついている。通常の状況では王の前に出ることさえできない格好だが、本人は気付いていないようだ。
オローセスが箱を受け取ろうとした時、アテュスはふと視界の隅に元恋人の姿を捉え、気を逸らされた。「シア」とつぶやいて視線を向け、その拍子に宝珠の箱を取り落とす。
「あっ……!」
カゼスが慌てて手を差し出したが、間に合わなかった。
派手な音を立てて箱は宮殿の段に当たり、錠が壊れてぱかっと蓋が開いた。
「申し訳ありません!」
大慌てでアテュスが拾い上げようと屈み込んだ、その瞬間。
パァッ、と、まばゆい光の球が生じた。
眩しさにカゼスは腕をかざし、目を細める。光の球は深い紫色に――皇族の瞳が見せるのと同じ色に変化し、どんどん膨張して中庭全体を覆うほどに広がって行く。
そして、唐突に、パシンと弾けて消えた。
あまりのことに誰もが呆然とし、時が止まったような静寂が辺りを支配した。
宝珠の箱のすぐそばにいたアテュスは、地面にへたりこんでいる。
「……なんだ?」
ようやくアテュスがそう言い、ゆっくりと片手を自分の目に持っていく。その瞳は少し離れていてもはっきり分かるほど、鮮やかな紫色に変化していた。アテュス自身はその変化を見ることはできないが、しかし、視覚の変化はそれどころの問題ではなかった。
目で見るというよりは、脳に直接情報が入力されているような感覚。世界に働いている『力』が、風の動きや強い感情の波、ありとあらゆる直観が一度に押し寄せる。
カゼスが深い海青色の輝きをまとっているように見え、ヤルスの体がなにか異質なものを継ぎ合わせたものだとなんの根拠もなく分かった。自分の手が、オローセスの体が、同じ紫色の輝きを帯びている。
空の向こうに無限に広がる宇宙を意識し、地下に流れる清水の冷たさを感じた。
混乱し、どう情報をまとめたら良いのか分からなくなった。自分がばらばらに砕けて飛び散ってしまいそうな恐怖が忍び寄り……
……だが、そうはならなかった。
オローセスがアテュスに近付き、軽く手を触れる。それだけで、すべての感覚が一瞬で閉ざされ、夢から醒めるように意識がはっきりした。
「これはまた、随分と強い力を持った者が現れたことだ」
やれやれ、とオローセスはため息をついた。困っているのか面白がっているのか、それとも喜んでいるのか、よく分からない。
「今のは何です?」
無意識では答えを承知していたが、アテュスはあえて問うた。
「あれが『宝珠』だ。箱の中には何もない。ただ、開けた時に近くにいる者が皇族の力を有する場合、その力に応じてあのような光を見せる仕組みになっているのだ。古の帝国の遺物で、今では何がどうなっているのやらさっぱり分からぬ」
オローセスは答えて、宝珠の箱を拾い上げた。蓋が開きっぱなしだったので、また小さな光の球が生まれたが、それが成長する前に彼は蓋を閉じてしまった。
「余の『宝珠』は貧相なのでな、見せられぬよ」
にやっと皮肉な苦笑を浮かべ、箱をヤルスに渡す。それから彼は、まだ腰を抜かしているアテュスに手を差し伸べた。
「立つが良い。これだけの証人がいる前であれほどの『宝珠』を見せられたのでは、そなたを衛兵のままにしておくわけにはゆかぬ。世嗣の選定云々はさておくとしても……な。そなたの両親を呼んで、話を聞かせてもらうとしよう」
「え? 陛下、それはどういう意味で……」
今度もまた答えを知りながら、アテュスは言う。オローセスはアテュスを立たせると、軽くその肩を叩いた。
「本来あるべき地位をそなたに与えよう。たとえそれが余の兄弟であっても驚かぬぞ」
「できません!」
間髪をいれずアテュスはそう言っていた。きょとんとしたオローセスの前で、彼は慌てて一歩下がると、膝をついた。
「私は今までもこれからも、医師アムルの息子です。しがない衛兵で構いません、地位も権力も、私の手には余ります」
ヤルスは呆れたようにちょっと眉をつり上げたが、何も言わなかった。差し出した手を振り払われた形のオローセスは、目をぱちくりさせている。
ややあって、王は苦笑した。
「そなたが個人的にそう思うのは構わぬが、逃げられはせぬぞ。ハーカーニーと結託していた者を大勢処罰せねばならぬし、空きを埋める人材は不足しておる。つましい幸福を望むそなたの心情も分からぬではないが……」
そこまで言って、王はアテュスの嫌そうな顔を一瞥し、ほんの少し肩を竦めた。
「生まれとはそういうものだ」
そこまで言われてまだ「嫌だ」とごねるならば、国家権力が脅しをかけてくるに決まっている。アテュスは諦めて深いため息をついた。
「……父と相談させてください」




