六章 (1) 過去の亡霊
しばらく暗闇の中で息を殺していると、兵士たちの足音がバタバタと行き来するのが聞こえ、やがて小さくなって消えた。
シンと静まり返ってさらに少し待ち、ようやくヤルスがささやいた。
「もう明かりをつけてもいいだろう」
カゼスはホッと息をつき、リトルを指でつついた。私は照明器具じゃないんですけどね、とかなんとかぶつくさ精神波でぼやきつつ、リトルは頭上に浮かびあがり、ぼんやりした光をなげかける。人間の目が慣れるのを待って、少しずつ明るくするのだ。
「何がどうなってるんだか……」
アテュスが言い、頭を振る。それから小さく元恋人の名前をつぶやき、壁にもたれてずるずると座り込んでしまった。カゼスは気の毒そうにそれを見ていたが、かけるべき言葉も見付からず、ごまかすように周囲の様子を観察した。
どうやら地下に通じているらしい。少し先に階段があり、暗闇の底へと消えている。壁も床もかなり古いものらしいが、石やレンガできちんと舗装されていた。
〈かなり広いみたいだなぁ。どこまで続いてるんだろ〉
〈さて、ここからでは何とも……そこのヤルスさんに訊いた方が手っ取り早いでしょう〉
二人の会話を聞いていたようなタイミングで、ヤルスが口を開いた。
「ここは大昔の帝国時代に作られた地下迷宮だ。分裂時代のシザエル人がすべての出入り口を封印したらしい。とにかく、こんなに出口のそばで話していると声がもれるかも知れない。奥へ進むべきだと思うが」
「あ、それもそうですね」
カゼスがうなずき、アテュスは無言のまま立ち上がった。靴音が反響するのを気にしながら三人はとりあえず階段を降り、少し歩いて小さな部屋になっている部分を見付けると、壁に造り付けられた台にそれぞれ腰かけて一息ついた。
〈うー、陰気だ。閉所恐怖症でなくても、ここにいたらおかしくなりそうだよ〉
おまけにアテュスが陰気になっているから、余計にじめじめする。ヤルスも相変わらずだし……。と、視線を向けて、あっとカゼスは思い出した。
「ヤルスさん、腕、大丈夫ですか」
慌てて小走りに近寄ると、ヤルスは皮肉っぽい顔をした。
「心配はありがたいが、たいしたことはない。炭素繊維だからな」
「…………」
どう答えたら良いのか分からなくて、カゼスはその場に立ち尽くす。ヤルスは袖をまくり、斬られた左腕を見せた。裂けた皮膚の隙間からのぞいているのは、生物的な組織には違いないものの、明らかに人間のものではなかった。……血が一滴も出ていない。
「あなたは……まさか、バイオロイド?」
「そういうことだ。この事には気付いていなかったのか」
ヤルスは肩を竦め、座れというように横を軽く叩いた。カゼスがためらいながら腰を下ろすと、ヤルスはアテュスを一瞥してから例の淡々とした口調で続けた。
「どうせアテュスには理解できないだろうから、彼が自分の不幸に浸っている間に説明しておこう。私はおまえの言う通り、ミネルバからほんの数年前にデニスへやって来たばかりだ。……宰相家の息子ではない」
そこで彼は言葉を切り、しばらく黙り込む。その事実を口にするのが苦痛らしい。
「私は元々、分裂時代のシザエル人の息子だった。母が私をバイオロイドに作り変えた。設備も材料も貧弱なのに、よくまあ出来たものだ」
苦い笑みを口元に浮かべて言い、彼は小さなため息をもらした。
「そんな……とっくに禁止されてるのに」
愕然とカゼスはつぶやく。医療目的で人体組織の多くを機械に置き換えた結果としてのサイボーグや、一から機械組織だけで造られるアンドロイドと違い、バイオロイドは、新生児に特殊な組織を移植することで作られる。制限の多い機械化とは違い、この方法を用いれば、通常では人間に備わっていない様々な能力を付与することが可能なのだ。
元々は医療目的に開発された技術だったのだが、悪用され、また倫理的な問題も収拾がつかなくなったため、カゼスの時代には禁止されている。
「おまえの時代ではそうなのか? では私よりも後の時代の人間なのだな。私の頃はまだ禁止されていなかった。母はその方面の専門家だった……そして私をザール教の天使に仕立て、宣教に利用しようとした。だから元の私の体には、多くの機能が備わっていたのだ。民衆を説得するのに都合が良い、強力な暗示催眠能力。天罰を下すことのできる様々な攻撃用の機能。それに、ちょっとした怪我ならすぐに自己修復できる。疑り深い者が斬ったり突いたりしても大丈夫なように」
そら、とヤルスは左腕をもう一度見せた。傷口はもうほとんどふさがっている。
カゼスはしばらくあまりのことに呆然としていた。傷口が完全に元通りになるのを見てから、ようやくカゼスは言った。
「じゃあやっぱり、暗示はあなたが……?」
「そうだ」
袖を下ろし、ヤルスはうんと伸びをすると壁にもたれて腕組みをした。
「ただし、そこのアテュスにかけたのではない。彼が交替する前の昼番の兵に暗示をかけ、私が点検の際に宝珠の箱を持ち出したのを見なかったことにしたのだ。オルトシアとかいう娘のことは知らなかった」
「催眠キューブや銃は?」
「元々私の家……いや、宰相家に保管されていたものを修理した。ハーカーニーに基本的な扱い方を教えたのも私だ。たまたまそうする必要に迫られたというだけだが」
ヤルスはカゼスに目を向け、わずかに自嘲的な微笑を浮かべる。
「デニス人の知能レベルを低く評価していたようだ。自分であれだけ使いこなせるようになるとは思っていなかった。……そもそもこの計画は、ハーカーニーが持ちかけてきたものだということを思えば、迂闊だったかも知れんな」
ヤルスが説明してくれたところによると、事件のいきさつはの次のようなものだった。
発端は、現在の国王には世嗣となる息子がいないこと。もちろん傍系や庶出の候補者はいるが、宝珠による選定は誰に最も有利となるか予測がつかないのだ。そこで、次期国王を擁立しようとする貴族の家系がハーカーニーにも利害の絡む話をもちかけた。
常に中立を保つという伝統的な姿勢を崩さないスーザニーは、彼らの計画には邪魔だった。そこでスーザニーを蹴落とし、ハーカーニーが最高指導者の地位につけば、『長衣の者』がもつ権威を利用することが出来ると踏んだのだ。宝珠を盗み出して後継者の選出を不可能にし、政治的な力だけで世嗣を決めよう、と。
ハーカーニーは『赤眼の魔術師』の失われた技術を利用出来ないかとヤルスに探りを入れ、彼が協力者になりそうだと気付くとあの手この手で勧誘し、催眠キューブを手にいれた。盗み出した宝珠を隠しておくため、また自分の嘘を見破られにくくするために。
国王を襲ったのは、ハーカーニーが暗示をかけた、そこらのごろつきだったのだ。
「でも、どうしてあなたがハーカーニーの計画に乗ったんですか?……やっぱりラウシールが……ラウシールの後継者たちが嫌いだから?」
おずおずとカゼスは訊いた。ヤルスは複雑な視線をカゼスに注ぎ、しばし沈黙する。ややあって彼は、以前と同じ答えをつぶやいた。
「分からない」
それからまた少し沈黙し、軽く頭を振る。
「嫌いなのかどうか、もう自分では分からない。ただ、ザール教を解禁するにはラウシールの残した影響が強すぎるから、『長衣の者』の権威を失墜させてやろうと考えたのは事実だ。スーザニーを失脚させた後でハーカーニーの事も暴露して、民衆の信頼を失わせるのが目的だった。……私は一度失敗しているから」
最後の言葉はほとんど聞き取れなかった。カゼスが首を傾げると、ヤルスは深いため息をつき、ぽつぽつと話を続けた。
「分裂時代、私は母が期待した役目を果たせなかった。エンリル王の……皇族の有する力に負けて、ボロボロになってしまった。だから母は、私だけをミネルバに送り返した」
ぎゅっ、と手をかたく握り締める。指の関節が白くなるほど強く。
――見捨てられた。
言葉にはしなかったが、ヤルスがそう思っているのは、カゼスにもはっきり分かった。たった一人ミネルバに送り返された幼い子供は、なぜ、と問い続けたことだろう。そうして辿り着く答えが『自分は必要とされなかった』となるのは、ごく自然な成り行きだ。
不要だと判断された。役に立たないから。だから、捨てられた……と。
しばし沈黙し、ヤルスはゆっくり指を開いて息をつくと、言葉をつないだ。
「今度はうまくやれると思った。シャナの公安が処置を施し、私には以前ほどの能力はなくなっていたが、それでも……今度は役目を果たそうと、何年もかけて準備し、転移装置を極秘で製作して」
だが、ようやく戻って来れたと思ったら、既に母親たちのいた時代から二百年も過ぎてしまっていたのだ。時空を移動する際には未知の法則が働くため、望み通りの世界、時、場所に行き着けるとは限らない。
「絶望しそうになった」
それだけぽつりと言い、ヤルスはうつむいた。
カゼスはどう反応したら良いのか分からず、しばらく呆然としていた。が、やがてじわじわと怒りが湧き上がり、とうとう彼は低く唸った。
「信じられない」
何が、とヤルスが振り向く。カゼスは眉間に険しいしわを刻み、腹立たしげに立ち上がってそこらを歩き回った。
「信じられない、なんて事をするんだ? 子供は親の道具じゃない、それなのに、なぜあなたが『役目』に縛られなきゃならないんだ。望み通りの成果を上げないから子供を捨てる、なんて!」
床を蹴りつけ、カゼスは痛烈な罵りの言葉を吐き捨てた。ヤルスは驚いた顔をして、ぽかんとそれを見ている。
「自分の親を悪く言われるのは腹が立つかも知れませんけど、あなたがそんな親の亡霊に縛られている必要なんかありませんよ! あなたがザール教の熱心な信者だって言うんならともかく、そうでないのなら、こんなことをする必要なんかないんだ! 人間ひとりの運命を左右すると自覚してない親なんかのために!」
感情がたかぶり、涙がこぼれた。感じている怒りはヤルスの母親に対するものばかりではなく、自分自身の親にも向けられていた。昔から幾度となく繰り返してきた問いが、一度にどっと蘇る。
実の両親がいるのだとすれば、なぜ異形の自分をこの世に送り出したのか。なぜ自分を捨てたのか。育ての両親はなぜ、苦境にあった幼い子供を、一度たりとも助けてくれなかったのか? なぜ。他人の子なぞどうでも良かったのか。憎かったのか。それならどうして、いっそ殺してくれなかったのか……?
ゴシ、と袖で涙を拭いたカゼスに、ヤルスは不可解げに言った。
「なぜおまえが泣く?」
カゼスは即答できなかった。憐憫だと思われるのも嫌だったし、さりとて自分でもなぜ泣いているのかはっきりとは分からなくて。
だが、自分を見つめる深紅の瞳を見返すうちに、気が付いた。気付くとまた泣きたくなる。カゼスは声の震えを抑えるのに苦労しながら答えた。
「あなたが泣いてないからです」
「私が……?」
ヤルスは目をしばたたかせた。そしてふと、何かが痛むというように、無意識に片手を胸元でぎゅっと握る。その瞳に、ゆっくりと痛々しい感情が満ちて行く。
カゼスはもう一度床を蹴りつけ、小さく唸った。
「親なんて……」
小声で言ったのだが、ヤルスはしっかり聞いていた。顔を上げ、目で問いかける。カゼスは相手の瞳に今の自分と同じ感情が表れているのに気付くと、無理に苦笑を作った。
「私の方も、親には恵まれてませんから。青い髪が自前だって点だけでも、私が異常だってことは分かるでしょう?」
自虐的な歪んだ笑みを浮かべ、カゼスは勢いに任せてしゃべった。毒があると承知の上で言葉を吐き出すことに、苦い喜びさえ感じられる。
「それだけじゃない、私はあなたと違ってどうやら生身のようですけど、本当のところ男女どちらでもないんです。両性の可能性もあるらしいですけどね。こんな怪物をこの世に生み出した親は、どこにいるんだか分かりませんし」
「まさか……おまえも何らかの操作を受けたのか?」
今度はヤルスがおずおずと訊く番だった。「さあ」とカゼスは肩を竦める。
「自然の悪戯なのか、人為的に遺伝子操作を施されたのか……はっきりとは知りません。知りたくもないし。ただ、これが人為的なものなんだったら、両親は私を何だと思っているんでしょうね」
二人は顔を見合わせ、沈黙した。
「……なんだか」
ふいに口を開いたのは、自分の不幸にどっぷり浸かっているはずのアテュスだった。二人は突然に彼の存在を思い出さされ、ぎょっとしたように揃って振り返る。アテュスはばつの悪い様子でちょっと頭を掻き、もごもごと続けた。
「あんたたちの話を聞いてると、自分が幸せ者で申し訳ないってぐらいの気分になっちまうな。あんまりよく理解できなかったけど……少なくとも俺は、親に不満はないし」
「あれ、クソ親父とか言ってなかったっけ」
カゼスが茶化すと、アテュスは大袈裟な渋面を作った。つられてヤルスが失笑し、他の二人を驚かせる。ヤルスは苦笑を浮かべたまま、その場の空気を変えた。
「ここは昔話をするには湿っぽすぎるな。それより、これからどうするかを考えなければなるまい。ハーカーニーは恐らくあの場にいた人間の意識を操作して、当初の計画をおし進めるつもりだろう」
そこでちょっと言葉を切り、ヤルスは持ち前の冷静さを取り戻してアテュスに言った。
「オルトシアとかいうあの娘のことは諦めた方が良かろうな。カゼスが暗示を解いた後でもハーカーニーの味方をしていたのだ、自分の意志であの男を選んだということだろう」
痛いところを突かれ、うっ、とアテュスがうめいた。その表情に、ヤルスはいささか同情的な声音になる。
「仕方あるまい」と言ってからカゼスを振り返り、「この時代は女にはほとんど道が開かれていないからな、より金と権力とを持つ夫を選ぶことで自分自身の社会的地位を上げようとするしかないのだ。本人の望みや能力の有無にかかわらず、な」
「ああ、なるほど……ハーカーニーは貴族ですからね」
富も権力も名声も、一介の衛兵が太刀打ちできるものではない。納得してカゼスも眉をひそめ、気の毒そうな顔をする。苦りきっていたアテュスは、二人を交互に睨みつけて唸った。
「あんたら、俺を必要以上に惨めな気分にさせようとしてないか?」
「まさか」
二人が同時に答えたので、その返事の信憑性はすっかり薄れてしまった。
「もういい。どうせ俺が馬鹿だったんだ、シアがいつの間にかハーカーニーべったりになってたってのに、全然気付いてなかったし、牢に来た時にやたらカゼスの事ばっかり訊いてたのも変だと思わなかったし。最近は夜も……」
アテュスはぶつぶつぼやいたが、カゼスが顔を赤らめたので最後まで言わずに咳払いでごまかした。それからまじまじと相手を見つめ、小首を傾げる。
「親父は仕事柄、あんたのことに気が付いてたのかな」
「そうかもね。医者だからかどうかは知らないけど」
いきなり人を『お嬢ちゃん』呼ばわりしたアムルのどこにそれほど鋭い直感が備わっているのか、疑問がないでもないが。
大雑把な親に育てられたからか、元からなのか、アテュスは興味津々と訊いた。
「男でも女でもない、ってのはどんな感じなんだ?」
がく、とカゼスは脱力する。最前までの深刻な雰囲気が、アテュスが口を開く度に吹き飛んで行くようだ。怒る気にもなれず、カゼスはやれやれとため息をついた。
「『男であるというのはどんな感じですか』って訊かれて答えられるかい?」
「……なるほど」
アテュスが奇妙に納得すると、カゼスは脱線した話を元に戻した。
「とにかく。ハーカーニーから武器を取り返して、いろんな人にかけられた暗示を解いてしまわないと」
「どうやって?」とアテュス。
「だからそれをこれから考えるんだろ……」
ああ、もう。カゼスはげんなりして肩を落とす。二人のやりとりを面白そうに見ていたヤルスは、とうとうふきだしてしまった。
「おまえたちの会話は面白いな」
「恐縮です」
投げやりにカゼスは言い、憮然としてヤルスを見やった。
「なんだったら見てないで参加して下さっても結構ですよ」
確かに、以前ならともかく今のヤルスなら、参加資格は充分あるように思われた。




