3.羽野 学
「あら、おかえりなさい。もうちょっとでお夕飯だから先にお風呂どうぞ」
迎えてくれたのは、台所とテーブルを行き来するおばちゃんだった。
エアコンで冷えた部屋に入るとなんとなくほっとした。
「あ、はい……」
汗を拭って階段を上がると、手前の部屋から明かりとテレビの音が漏れていて、急に現実がよみがえるとさっきまで冷や汗をかいていた自分が、なんだか自意識過剰な気持ちになり早くすっきりしようと風呂へ向かった。
「ふぅ……」
少し広めの風呂は足を伸ばして入ることができて快適だった。
Tシャツとスウェットに着替えて出ると久々に家庭的な料理のにおいがする。
「あ」
食堂には俺より少し年上だろうか、黒髪にめがねという真面目そうな男が居た……きっと隣の部屋の人だ。
「ども」
短く挨拶をして斜め前に座ると、それぞれに同じような料理が並ぶ。
刺身と煮魚と漬物といたってシンプルな食事で、どうやら永富村で取れた野菜らしく美味しかった。
食べ終わったあとのお茶を飲みながら、男が話しかけてきた。
「大学のサークルで来たっていう人だよね?僕は羽野 学。観光で来たんだ」
「……一之瀬 和也です」
「あら、ごめんなさいね。さっきついお話しちゃったの。永連さまの研究だなんて初めてのことだったから」
お茶菓子を詰めた皿をテーブルに置くと、お茶を継ぎ足しておばちゃんが座る。
「いえ、大丈夫です。……そういえばさっき神社で女の子に会いましたよ。連って名乗ってましたけど、あの大きな家の娘さんみたいですね」
「あぁ、連ちゃんね。可愛い子でしょう?あの子は永連さまの声が聞こえる巫女さんなのよ」
「巫女?」
煎餅の袋を開けながら羽野さんが問いかける。おばちゃんは久々のお客に興奮しているのか自分もお菓子を取りながら話を始める。
「そう、永連さまは童謡の神様なんだけれど、同時に村の規則には厳しくてね。悪いことをしても永連さまは見ていてその人の喉を掻き切るっていうお話なの。それでその悪いことを見ていた永連さまの言葉を聴けるのが巫女の連ちゃんなの」
「喉って……すごい話ですね。童謡っていうとこの地方だけに伝わるものですよね?」
「私も小さいときから聞いていたから、まぁ子供への脅し文句みたいなものだったのかしら。童謡の歌詞は村のどの家にもお守りとして飾ってあるのよ、ほらそこ」
そういって食堂の入り口の上を指差す。そこには丁寧に額縁にいれられた歌詞があった。
”夕焼け空に吸い込まれ
泣く泣く子供は消えていく
山に響いた泣き声も
いつしか止んで静かなる。
真っ暗夜空に飲み込まれ
暴れた大人も消えていく
山から聞こえた笑い声
永連さまが笑ってる。”
「怖いですね……確かにこんなこと言われたら泣き止むかも」
「そうね、小さい頃はよく分からなかったけど大人になると少し怖い意味にもとれるかも。でも実際なにかあったわけじゃないからねぇ」
羽野さんはなにも言わずじっと見つめたあと、俺の顔を向けてさらにじっと見たあとテーブルに戻り
「話変わっちゃうんですけど、明日このあたり歩こうと思うんです。なにかオススメとかあります?」
「うーん、なにもないところだからねぇ……神社は立派だから一度行ってみるといいかも。あとは富音河もこの時期なら水が綺麗だし涼しいと思うわ。昔は鍾乳洞なんかもあったんだけど、私は行ったことないから場所までは知らないのよね。立ち入り禁止になったような話もあったけどどうだったかしら」
「へぇ……鍾乳洞とかすごいですね。涼しそう」
「ありがとうございます。明日歩いてみます」
お茶を飲みきると片付けを始めたおばちゃんの邪魔にならないよう羽野さんと俺は二階へと戻った。
「せっかくだしもうちょっと話しない?酒少し持って来てるからさ」
羽野さんは自分の部屋の鍵を開けながら聞いてきた。
特にすることもない俺は布団の準備をしてから部屋を訪れるように伝え一度自分の部屋へと戻った。
***
「でも、結局なんにも映らなくてそのまま帰っちゃったんですよ」
「すごいな、そこまで粘ったんならUFOのひとつでも出て欲しいって思うよ」
酒を飲み始めて数時間ほど経ったとき、すでに俺は出来上がっていた。
元々強くないのもあったし、自分の今までのオカルト解明の話に熱が入ったのもあったと思う……。
「羽野さんは普段なにしてるんですか?」
「僕?普通のサラリーマンだよ。でもたまにふらっと有給使ってこんな風に田舎に来るのが好きでさ、今回もたまたま。一人身だと色々自由で楽しいよ」
「へぇ……でもこの村って思っていたより平和そうですよね。あの歌はちょっと怖かったですけど」
「あれ?知らないの?」
ふと、羽野さんは表情を曇らせてビールの缶を置いた。
「なにをですか?」
俺もいくつめかのビールから手を離した。
「永連さまの罰は実際にあったんだよ。だいぶ前にテレビのホラー特集とかで来た取材班が喉を切られた状態で見つかったとか」
「……え?」
突然の話にまた背筋に嫌な感じがする。
羽野さんは一度部屋の扉を見てから顔を寄せて話を続けた。
「よく夏にあるホラー特集で女のレポーターとスタッフが数人来て、神社とか河とかあの大きな家とか取材して回ってたんだよ。確かアポイントもなしでいきなりだったとかで……」
「……」
語られる話はだんだんと怖さを増してくる。
大体こういう話は嫌な予感しかしないもので……
「で、翌日富音河で首を切られたひどい状態で見つかったんだとさ」
「……う、わぁ」
そして予想通りの結末に思わず眉を寄せてしまった。
頭の中にその様を想像しそうになる……オカルトは好きでもグロテスクは苦手な俺としてはそこで思考を止めた。
「ほかにも実際子供が一人消えたとか言われてたけど、それはどうなったか分からないけど」
「……あの、なんでそんなこと知ってるんですか?」
「なんでって……この村のことネットとかで調べたら結構あったよ?」
そういえば、この村のことを教えてくれたサークル仲間から、そんなことがあったとかどうとか聞いた気がするがあまり覚えていない。
なにかを解明するために来たのではなくて、今回はこの村に伝わる話がどんなものかを調べるのが目的だった。
「そうなんですか……」
明らかに肩を落とした俺の様子を見て羽野さんはにっこりと笑みを浮かべた。
「なーんてな!冗談だって、そんな話あったら警察とか来てもっと大騒ぎになるに決まってるだろー」
「え……?え!?嘘なんですか!?」
笑い転げんばかりに爆笑する羽野さん。
心なしかほっとしたのは置いておいてもひどすぎる。
「さぁ、どうだろうねー?面白いからそのまんまにしておこう」
「ちょ、ちょっと眠れなくなるじゃないですか!」
「僕は眠いからそろそろお開きにしようか」
散々笑った羽野さんは息を落ち着かせながら缶やゴミを片付け始めた。
納得いかないままだったが俺もそれを手伝った頃には日付が変わろうとしていた。