つきまとう影
「どうする? これなら証拠になるだろうし……」
「できませんよ……。だって、このことが明るみになってしまえば、被害者は好奇の視線にさらされます。そういうセカンドレイプのほうが怖いです……」
ファイルは複数。当然被害者も多数。事件を明るみにするのは簡単だが、それがどの程度の価値があるのだろうか?
和子のように立ち直っている子もいれば、そうでない子もいる。
悠は浅はかな復讐心を抑えることにしたが、冷静になることができない。
それに、
「なぁ、もしかして美琴のも……」
せめて彼女のデータだけでも削除したいと、和子をせかす。
安堵すべきことなのか、最新のファイルは七月までしかない。
時期的にはまだ撮影されていないように見えるが、ここ以外に保存場所がないとも言い切れず、予断を許さない。
「正直、ここまで酷いことをしていたとは思いませんでした……」
和子はファイルを調べながら、呟く。騙されていたとはいえ、一度は好意を持ち、抱かれた相手。信じたい気持ちが今もあるかといえばそうでもないだろうけれど、限度を超えている。
「証拠だよな。とりあえず、なんかディスクとかに保存できる?」
「何年前の人間ですか……、今はこういう便利なものがあるんです……」
和子はガムのケースみたいなものを取り出すと、パソコンの脇にそれを差し込む。
「なにそれ?」
「USBメモリぐらい知っていて損はありません。それより……、なんかすごく遅い……」
「え?」
「大丈夫かな、誰か戻ってきたら……」
てきぱきと動作する彼女だが、その作業の工程を知らせるバーは、あと五分かかると示している。
「大丈夫だよ、五分ぐらい……」
部屋に入ってから既に十数分たっている。その状況であと五分といわれると、たかが三百秒といえど、長く感じてしまう。
さらにいえば、不法侵入者でもある。
いくら彼らが犯罪をおかしているとはいえ、それはそれ、これはこれ。特に、牧夫達に見つかれば、ミイラ取りがミイラになりかねない。
りんごーん、かんこーん……。
部室にまで響く鐘の音。続いてざわめく声が聞こえだす腺
それは数分と待たずに部室棟にも訪れ、廊下を行きかう足音がする。
「急げる?」
「パソコンさんに言ってください……」
あと三十秒。
気持ち的にはもう十分なのに、未だに作業は継続中。
その間も足音は大きくなり、そのうちの一つが徐々にこちらに近づいてくる。
――どうしよう……。
悠一人なら窓から飛び降りることで難なく逃げ切れる。しかし、和子も一緒なのだ。
その時、隣のドアが開いた音がする。この部屋に向かっていたと思われた足音は、実は隣に向かっていたらしく、ドアに耳を当てても、人の気配はない。
「焦った……」
ふうとため息をつく悠を横目に、和子はUSBメモリを取り外す。
「終わりました、行きましょう……」
彼女が何を終えたのかは詳しくはわからないが、何かあったときの切り札を手に入れた事実に、十分に収穫があったといえる。
急いで部室を出る悠と和子。
ドアを開けると、すがすがしいほどに寒い空気が彼らを出迎える。
ただ……、
「やば……」
帽子を目深に被りなおす和子。階段のほうからは、男子の一団がやってくる。
彼らの足取りは途中で曲がる様子もなく、徐々に距離が狭まっていく。
――くそ……!
 ̄微妙な状況だ。
今、悠たちがいる場所は二階の通路の一番端。部室こそ出ているものの、どうしてそのドアの前にいるのかは、不自然極まりない。さらに言えば、彼ら映像研究サークルの所業からして、部外者を警戒するのは必然。
気付いた一行は足早に二人の傍へとやってくる。
悠たちは視線を下にして、階段に向かう。
そして、今まさにすれ違おうとしたところで道を塞がれる。
「なんでしょうか? 通れないんですけど……」
太めの男は自然な態度で道を塞いでくる。
「あのさあ、さっき俺らの部室から出て行かなかった?」
妙に甲高い声に苛立ちながらも、ことを荒立てまいとする悠。
「いえ? 知りませんよ? 見間違いじゃないですか?」
苦笑交じりに応えるも、相手はそれで納得しておらず、通せんぼされたまま。
これでは埒があかないと、悠は和子の手を取り、強引に脇を通ろうとする。
「てめえ、逃げんじゃねえ!」
太めの男は怒ったらしく、脇を通ろうとした二人にラリアットを食らわせるように腕を振るう。
「きゃっ!」
その腕が和子にあたり、帽子が落ちる。
「てめえ!」
先ほどの動画のこともあり、一瞬でかっとなった悠は、太めの男のあるかないかわからない首に腕を押し付け、そのまま勢い任せに壁に押し当てる。
運動部の彼と運動不足の男では勝負は明らか。太めの男の仲間は加勢しようとするが、悠の鋭い視線で睨まれると、誰も前に出ようとしない。
「お前、女の子に何しやがるんだ!」
「ぐ、くるしい……」
腕一本、力任せに押し付けられているだけのこと。体重で考えれば不利なのは悠。しかし、勢い、気迫任せの不意打ちに、太めの男はグロッキー寸前。
「謝れ!」
「先輩、もういいですから、早く行きましょう……」
「だめだ、謝れ!」
「ぐふぅ、ご、ごめんなさい……」
ようやくそれだけ言わせると、悠は太めの男を解放したあと、おまけとばかりに一発殴る。
「どけ……!」
数で負けるも気迫で勝る悠の一喝に、映像研究サークルの面々は道を譲る。
悠は和子の手を引くと、足早に階段を目指した。
**
逃げるように大学を後にした二人を迎えるようにやってきた急行電車に乗り込む。
ガラガラの車内なので、遠慮なく腰を下ろす二人。
今は何も言いたくないのか、無言のまま、身体を揺らしていた。
話を聞いた段階では半信半疑でしかなかった悠だが、さきほどの生々しい映像を見て、自分が甘かったと理解した。
今はまだ美琴の画像は無いが、もし二人の関係が続けば、彼女もいずれ商品ラインナップに加わるのかもしれない。
見知らぬ誰かが彼女の痴態を見て、そして……。
――そんなこと、納得できるかよ!
本当なら今すぐにでも彼女に真実を伝えたい。証拠なら既にこちらの手の中にある。
悠では牧夫であると断定できないが、美琴ならおそらくは……。
身体を重ねた二人なのだから、他人にわからないこともわかるだろう。
そう思うのは癪だが、彼女を説得できなかった最後の手段として考える。
――他に……。ん!?
ズボンを掴む手があった。
それは和子のものだが、何故か震えているのが気になる。
視線を向けると、彼女は帽子を目深に被り、うつむいていた。
「……どうかしたの?」
「……すみません……、あの、向こうの扉……」
扉のほうを見ると、そこにはスーツ姿の男性がいる。整った髪とオシャレなデザインの眼鏡。ふちがなく、小さめのそれはやぼったい厚さがない。
しきりに携帯をチェックしている様子で、いらいらしているのもわかる。
「……牧夫?」
彼女に聞き取れる程度の声で言うと、こくりと頷いてくれた。
瞬間、悠もまた怒りで身体が熱くなる。しかし、ここでことを荒げては意味が無いと、つま先を強く踏みしめることで堪える。
代わりにスケジュールを思い出す。今日は確か美琴の家庭教師の日ではない。
今すぐに戻る必要は無いが、おそらくは別の誰かが、その毒牙にかかるはず……。
そう思うと居ても立ってもいられず、今すぐに彼を殴りたいという衝動が生まれる。
「先輩……」
それをとめたのは、和子の手。
彼女の手を強く握り返すことで、何とか冷静さを保つ。
和子、後輩の彼女のためにも、ここは我慢するべき。
悠はどっかりと背もたれに寄りかせると、彼女をそっと抱き寄せる。
――次の駅で一度降りよう。そのほうがいい……。
駅に着くまでの数分間、悠は目を閉じて待った。
**
電車を降りたあと、さりげなく牧夫を見る。
彼は特に気付く様子もなく、電車に乗ったままだった。
諸悪の権化をこのまま見過ごすのは複雑だが、狼狽する和子を奴と同じ空間に置くことはできない。
悠は次の電車を待とうとベンチの近くへ行く。
警報のあと、ドアが閉まる音がした。
もう大丈夫だろう。
そう思って振り返ると、なぜか牧夫の姿がある。彼は携帯を弄りながらだが、こちらを意識しているように感じられる。その証拠に、彼もまた改札に向かう様子がなく、たまに彼らを見ている。
――もしかしてばれてる?
そう感じた悠は、ひとまず和子を抱えて改札に向かう。
彼もまたそれに着いてくるが、それならまいてやればいい。 駅構内ならともかく、外なら逃げ場は自由なのだから。
悠は改札を目指して歩く。
それは牧夫も同じ。
――気付かれてる。
確信した悠は徐々に足早になり、改札へ向かう。
「先輩、ここ……」
「いいから、今は……」
「はい……」
背後の足音。改札に向かうだけのそれとは別に、明らかにこちらに向かっている気配がある。
振り向きたい衝動を抑え、改札口を手前にして切符を探すフリをする。渋滞を作ったところでようやく抜けると、二人はそのまま駆け出す。
向かう先は決めていない。とにかく走る。
ここから家までは駅一つ分。普段の部活でもランニングはこなしている。
駅改札から、誰かが走ってこちらに向かってくるのが見えた。
その向こうには例のスーツ姿もある。
――仲間?
先ほどからしきりに携帯を弄っていたのを思い出す。メールなりで二人の様相を伝え れたのかもしれない。そして、たまたま電車で居合わせ、追って来た。
偶然にしてはできすぎだが、用心に越したことはないと、めちゃくちゃに走り出す二人。
路地裏、表通り、とにかく走りつつ、家のほうへと向かうことも忘れない。
五分程度、走ったところで和子が悲鳴を上げる。
さすがの彼女も、もうばてたらしく、ひぃひぃ言いながら、近くの塀に手を着く。
「もう、大丈夫……だと思う……」
「ええ、多分……、ですけど……」
誰かがついてくるような足音はない。振り切ったのか考え過ぎか? それはさておき、近くの自販機でジュースを買うと、ようやく一息つける。
遠くの空では、傾きかけた日が、赤と青の混ざり合う、複雑な空を演出していた……。
**――**
部活でのことだった。
弘樹と模擬試合をしていたとき、彼は何度いなしても立ち向かってきた。
それは練習という概念を超えた気迫によるものであり、最後の胴をなぎ払ったところで、打撃と疲労で、ようやく膝を着いてくれた。
「今日はここまでにしておけよ。弘樹。つか、何かあったのか? 怖い顔して……」
面を取った彼は鬼気迫る表情で悠を睨んでおり、それはいなされた悔しさなどでは言い表せない。
「まだ、まだだ!」
「だめだめ。俺はこれから用事があるの。続きはまた明日な」
「先輩、逃げるんですか」
「なんとでも言ってくれ」
安い挑発に乗れるはずもない。今日は美琴の家庭教師の日なのだ。そうでなくても昨日の今日。きっと牧夫も部員から昨日のことを聞いているはずだから、何かしらアクションがあるかもしれない。
「ほらほら、いそがないと皆に悪いぞ」
道場の掃除、防具の片付けを終えた部員達は既に二人を待っており、悠は防具をつけたまま合流する。
「ああ……、それじゃあ全員、黙想……」
部長の号令により、部員一同シンと静まりかえる。
二十秒、三十秒。
いくら目を瞑ったところで煩悩は消えない。
今日もまた美琴を牧夫の毒牙から守らねばならない彼は、気が気ではなかった。
約一分後、目を開けた彼は、さっさと防具をしまうと、飛び出すように道場を後にする。が、それを弘樹の手が阻んだ。
「なんだよ。さっきも言ったろ? 今日は用事があるんだよ」
「先輩、昨日、和子と、俺の彼女とどこに行ったんです?」
「え? 和子ちゃんと……? あ、いや、あれはだな……」
「答えてください」
「答えてって、そんなたいしたこと……」
「たいしたこと? 他人の恋人とデートしてたくせに、よく言いますね!」
その言葉に、道場に居た部員全員の視線が彼らに向く。
あまり色恋沙汰に縁のない部員達は、気の無いフリをしながらも、しっかりと聞き耳を立てており、先ほどまでしていたおしゃべりもちいさくなる。
「デートなんて、そんな大層なもんじゃない。というか、誤解だって、俺は別に和子ちゃんを好きなわけじゃないし」
「好きでもない子の肩を抱くんですか?」
「いや、だから、少し黙れよ。誤解だって。それに、大声で言うことじゃないぞ」
妙に敵愾心を持っていた理由はこれかと思い当たる悠だが、弘樹の様子をみるに、聞く耳を持ってくれそうに無い。時計は無常にも時を刻んでいるのにだ。
「今は言えない。だけど、いつかきっと和子ちゃんが教えてくれるさ。だから、今は彼女を信じろよ。それしか……」
言いかけたところでボディに重い一撃がくる。
「何が信じろだ。バカも休み休み言えよ。先輩、俺は昨日見たんだ。二人が一緒に居たところを。電車で寄り添ってたところもな! なんだよ。後輩の彼女を奪うなんて最低だ!」
お腹を押えて蹲る悠の脇を、弘樹はずかずかと去っていく。
「先輩! 大丈夫ですか?」
よせばいいのに和子がやってくる。部員達の視線は「やっぱり」と無言の圧力をかけてくる。
「大丈夫。っていうか、誤解されるし、もういいよ」
「でも、弘樹君が……こんなこと……」
「いや、いいさ。それに、辛いのはアイツだって一緒。痛い程度、なんともないさ……」
ようやく立ち上がる悠は、無事をアピールするが、重苦しい痛みで身体がえびぞりになっている。
「先輩、肩かします?」
「大丈夫。そんなことより、弘樹のこと……いや、今は少し一人にさせといたほうがいいのかな……」
どうすればよいのか? 彼自身わか ず、ただ目の前のことを盲目的にこなすべきと、和子の手を断って、駐輪場へと向かった。
**
時計が七時半を過ぎる頃、ようやく家につく。向かいの窓を見ると、しっかりカーテンは開いており、気付いた美琴が手を振ってくれたのが嬉しい。
早速二階に行き、美琴の部屋を見る。
彼女を遠巻きにうろつく牧夫は哀愁すら感じられる。
――よし、何もない!
悠は彼女の無事を確認すると、言い訳程度に勉強を始めた……。
**――**
どうすれば美琴を牧夫から守れるか。
悠にとっては至上命題なわけだが、最近は次の一手が打てずにいる。
唯一相談できるはずの和子も、弘樹との一件があってからは相談しづらく、たまに二人が部室で答えの出ない言い合いをしているのを聞くと、心が痛くなる。
それに今の遅延措置がいつまでも有効だとは思えず、焦り始めていた。
その日の部活には、和子の姿が無かった。そして、弘樹の姿も。
先日のことが尾を引いているのだろうと予想する悠は、やや苦い気持ちになり、さらに好奇の視線を向けられている気がした。
部活を終え、帰宅しようとした悠だが、駐輪場に自転車が無い。
移動されたのかもと周囲を探すが_やはりない。
しょうがなく電車で帰ることにする悠は、いつもと違うほうへ歩き出す。
時計は既に六時半を過ぎた頃。家庭教師の時間にはどんなに急いでも間に合わない。だが、最近の美琴なら、きっとカーテンを……。
――あれ?
ふと気付く。今日は家庭教師が休みの日だと。
――急いで損した。
悠は急ぐのをやめて歩き出す。そして何の気なしに携帯を見ると、着信履歴に見覚えの無い番号があった。
悠は不思議に思い、その番号をプッシュしたところ、駅前のラブホテルに繋がった。
不安に駆られた悠は、駅裏へと急いだ。
**
駅近くのきらびやかなネオン街。
ラブホテルのひしめく界隈は、寄り添うカップルがこそこそと歩いている。
――和子ちゃん?
ホテルの注射場の出口近くでうなだれる和子がいた。悠は急いで彼女の元へと向かうと、どう声をかけて良いのか悩みつつ、ゆっくりと話しかける。
「和子ちゃん、どうしてここに? もしかして電話は、和子ちゃんが……」
「先輩……、あたし……もうだめかもしれない……」
悠に気付いた和子は、彼に向かってふらふら歩みより、こてんと頭を胸に埋める。そしてしばらくの沈黙のあと、すすり泣く声を状げる。
「一体どうしたんだ?」
「動画。私の動画が……」
「動画? 和子ちゃんのが、どうかしたの……?」
例の動画に和子のものがあったとしておかしくは無い。そして、昨今のニュースを見るに、流出という言葉や、回収不能という言葉が脳裏を掠める。
「複製があって、それを、ばら撒くって……」
「なんだって!? でも、まだ、その、ばら撒かれては……」
言葉遊びというか、時間の問題でしかないが、彼女の言い分からすれば、まだ最悪の事態ではない。問題は、彼らの行動がやはり牧夫にばれているであろうことだ。
「和子ちゃん、落ち着いて。何があったのか、説明してくれ……」
割と冷静でいられるのは、彼に直接的な被害が無いからなのかもしれない。




