Ghost 2
凹凸の酷いアスファルトやぞっとする色の溝に生え並ぶ苔、油が夢のない七色を浮かべる水溜りにやっとの思いでそこに立つ錆びきった電柱。
かつては日本有数の工業地帯として鉄鋼業で栄えたこの街も、時代の変遷とともに零れた水が床に薄く広がるような静かな浸食で荒廃の色を蔓延らせている。
それを夕暮れどきの憂いを孕んだ日差しが斜めに照らすのだから、もうこれは感嘆臭のする溜息をひとりでに吐いてしまっても誰にも咎められはしないだろう。
「あ、笑顔ちゃん溜息ついたら幸せ逃げるんだよ?吸わなきゃ!」
出端はくじかれてしまい面食らう放課後都市伝説タイム。
向かって左手から果実の薄桃色の頬が触れそうなくらい私の頬に寄りつき、彼女の唇が音を擦りたてながら宙を舞う感嘆を吸い込む。
「ちょ、あんたが吸うんかい」
意地悪を少し混ぜた軽蔑の視線を至近距離から送るも、彼女はそんなことお構いなし。
「へっへん!笑顔ちゃんの幸せもーらいっ!」
悪戯な瞳がなんとも小憎たらしい。ヘッドロック衝動という口実でその小顔を抱きしめたい。
歩くのはこの寂れた街の郊外。
街がそもそもどこかの郊外みたいな印象を受けるため、都市部の人間からするとここらの郊外っぷりには腹の足しにもならない磨きがかかっていることだろう。
通学路を大幅に遠回りして、あてもなく例の都市伝説の元凶捜査に付き合う。
帰宅を後回しにするにはもってこいだと最初は拳一握りほどあった高揚感も、風に弄ばれて開閉を繰り返す遠くの軽い扉や、頭上で見張る烏たちの作りだす異世界観に呑まれ、いたたまれなさに身悶えしたくなってくる。
セピア色の世界を背景に、浮彫の少女ふたりが歩みを進める。
こんなの都市伝説なんかきかなくても変な悪魔っぽいのに襲われそうだ。内心でそう呟くと、なんだか背後が気になってきて途中何度も振り返ってしまう。
「んー。いないかなーごーすとー」
先導しながら果実が言った。
「やっぱりただの迷信でしょうそんなの?仮に実際いたとしても、こんな行き当たりばったりな探し方してたら猫だってみつからないって」
時間を知るすべがわからない上、日が落ちる時刻が定まらないこの季節だ。私はどのくらい歩き回ったのか把握しきれずにだんだんと不安になってきていた。
もしもこのまま日没を見れば、帰り道を照らすものは何もなくなる。
入り組んだ道を通り、既に距離感も方向感覚も虚ろだ。
興味本意で駆り出され、有耶無耶な気持ちでついてきてしまったこの遊びの潮時をそろそろ彼女に教えようとしたときだった。
薄そうな高い塀に挟まれた薄暗い道で、私より少し背の低い果実が数歩先で足を止める。
「ごーすとはね、やってくるんだよ」
突如、冷静な口調。
いつもの調子とはどこか違う果実。
違和感を加速させるように続けた。
「ごーすとの都市伝説はね、ずっと昔からあるんだって。この街だけじゃなくってね、いろんな街で」
背を向けたまま突っ立って淡々と話す彼女。
もしここが人の多い街中や学校なら、誰もその言葉が私に向けられているなどとは思わないことだろう。
そんな、気遣いのない配球。
いったいどうしてしまったのか。
「いろいろ調べたんだ。いっぱいいろいろあったんだけどね、その中でもみんないうのが、ごーすとに会うと昔の自分のことがわかるんだって」
動悸がわざとらしく打たれる。
思考は回り出す。
烏が鳴いた。
話し口調はいつもの通りあどけない。
しかしその中に違和感として感じるのは、真剣さだった。
みるのは別に初めてじゃない。
ただ、彼女は日常的にあまり深いことを考えずに、その場の感情をほとんどそのまま行動に移すといった感じなのだ。
それも本質的に平和主義で人畜無害といった具合。
だが、ある一点に関してはいつのときも真剣となる。
私がそれを把握していると踏んでか、彼女の最後の言葉が余計な説明を省くようにその本意を悟らせた。
「そっか」
感情的と言えばこの変貌も感情的なものの一部かもしれない。
私が知る限り、果実は比較的単純な人間だけれども、そもそも人の心ってのは単純とは言い難い。
私は彼女の真に欲するものを知っている。
果実は幼少の頃の記憶が全くない。
私と出会う前、彼女にまだ兄がいたころの記憶。
彼女の大好きな人の記憶。
「じゃあ、もうちょっと探そうか」
自分なりに優しい声を鳴らしてみたつもりだけど、烏にも笑われそうなハスキーの掠れが正直さをぼやかした。
果実が振り返る。
私より上手な笑顔。
「うん、笑顔ちゃんがいれば百万馬力だよ」
「こら、人を筋肉番付の実況みたくいうな!」
咄嗟にでた意味不明な、半分以上ごり押しのつっこみを交えて軽くチョップしてやると、果実はきゃっと嬉しそうにあいたたたポーズになる。
それはお互いを知りつつも、どこか恥じらいを隠すような、そんな意図が見えそうだった。ばれそうだった。
日没は始まっていて夕日の反対側からは夜が顔を出している。
風が吹いた気がしたが気にしない。
果実は私の一番の親友で、私の理想とするまんまの女の子。
不思議な縁で結ばれた、私にとっての類を見ない同じ種類の人間。
ついでにいうなら、私と真逆の人間。
唯一の人。