Ghost 1
「笑顔ちゃん、ごーすとって知ってる?」
教室の間取り図でいうなら左下の角に席を持つ私は、右頬が染み込むくらいに窓側に向く頭を机の上に置きっ放しでこう答えた。
「幽霊でしょ?英語は専門外だけどそれくらいわかるよ」
すると果実はほんの少し自慢げに薄い胸を張り、天を仰いで微笑み混じりの鼻息を一つ。
「ちがうよぉ。都市伝説!また最近はやってきたらしいよぉ?知らないの笑顔ちゃぁん?」
まったりと締まりのないしゃべり方。彼女の人格そのものを調子に現した風だ。
春も終わり、夏へのスタートダッシュを切り出した季節。
教室の温度計の赤い液体は、まだ6月末だというのに30の辺りを上下運動している。
その熱気に、血のめぐりの音が聞こえてきそうなほどの循環器系の滞りと、汗の滴りを感じ取りながら、この子の声もいっそうゆっくりに聴こえるなと思ったりしていた。
ふと横目に見上げる。
得意げな態度で腕組みをしてこちらをちらちらと見下ろす天然無添加な果実の瞳になんと言葉を返したものかと迷う。
そして、体外と体内からこみ上げる気だるさに頭蓋骨が数倍の感度で重力を感じているのだからしょうがない、うん、しょうがないしょうがない、という結論に至るのだ。
「ねぇねぇきいてるの笑顔ちゃん?」
「うん」
自分の声が年齢不相応、下手すれば性別不相応に思え不快だった。
頭上につらつらと怠惰を許す意見を陳列するが、身の振りかたをわきまえないのは女性としていかがなものか、という往生際の悪いプライドに動かされて重い頭を上げる。
髪が煩わしく張りつく。
「うん」
言い直してみた。
ハスキーな声は惨めに響かない。
「それでさ、今日一緒に探しに行こうよ!ごーすと捕まえたら人気者なんだよ!」
お伽の国にて宝物を探す具合で戯けたことをぬかす我が親友、有明果実。
私はその穢れのない言葉を何度か反芻させ、返答をそのまま唖然の表情で返すことになる。
傾げっぱなしの首をひねり、前触れのない勧誘をかわすように返した。
「そのさ、ゴーストってのはいったいなんなわけ?どういう都市伝説なのよ?」
髪を払いながら横目で尋ねる。
すると待っていましたと言わんばかりの満面の笑みで果実は答えた。
「正体不明の未確認な生き物だよ」
軽い口調に苦い笑いを拭き出してしまったじゃないか。
「未確認なら生き物かわかんないんじゃ?つか、名前からして既に息を引き取ってそうなんだけど」
そうなの、と他人事のように訊き返す果実。
その表情には同じ空間にいるとは思えない快活さが見て取れる。
おそらくだが、感情が先走りする彼女のことだ、自分が言った言葉の細かい意味をよくわかってないのだ。
その年中無休の能天気さは見習いたい。
「聞いたところによるとですねぇ」
もったいぶって説明口調に切り替える果実。
「夜な夜な人気のない場所に出没しては出会い頭に悪夢を見せて去っていくらしいのです」
人差し指を私の方へ立てて本人なりの神妙な表情をドアップで見せつける。
しかしながら取ってつけたような果実の真顔は物事への真剣さを七割がた削ぐ。
私は無反応のまま脳内に思考を走らせることにした。
そういえば最近突然学校を休む生徒が増えている。
それも決まって無断欠席で数日間。
夏の始まるこの時期故に、教師たちは夏バテということで済ませているようだ。
常識的に考えれば妥当な考えではある。
ただ、復帰した生徒は現在もあまり元気がなく、欠席の理由については親しい間柄にもあまり話したがらないそうだ。それも故意に隠しているというよりは、本人も上手く説明できないといった風らしい。
そのせいか友人関係の親睦が乱れて孤立する生徒が増えたり、いまいち盛り上がりが悪かったりとぎくしゃくしてる感が見てとれなくもない。常に孤立気味な私の目から見ても。
うちのクラスにもそんな光景がちらほら見え始めている。
まぁしかし、夏バテと言いきったところで不足は感じられない。
そもそも都市伝説自体が夏の風物詩的な要素を醸しているので、振り返ってみると毎年こんなんだった気がしないでもない。
「ぶふぅ」
果実がひとりでに笑いを拭き出して先ほどの人差し指で私の頬を突いてくる。
自分のつくったつっこみ待ちの風景に耐えられなくて自爆したらしい。
うりうりぃとか言って笑い混じりに頬をつんつんしてくる様には、才能というか、馬鹿と天才の紙一重加減を実感させられる。
私もこんな感じになれたら男子側からの評価も少しは上がるのだろうか、などと戯言を胸の奥で握りつぶして疲労感にいっそうの拍車をかけた。
もてなくていい、とはいわないでおこうかな・・・。
もっとも、果実の場合はそれが自然体故の実績だろう。
本人はまるでその気がないのには私も安心というか、理不尽な妬みを覚えなくて済むとうか、不本意に安堵していたりする。
「ねぇねぇ?来てくれるよねぇ?」
私の不意を突くように教室中に響くあどけないソプラノ。
気だるい温室では薄い話し声と婚活に必死な蝉の喉自慢大会がBGMとして流れる。
頭一つ分飛び出した元気な果実の声が、電撃をまくように目の死んだ男子たちをびくつかせて一瞬の注目をかき集めた。
私は何故か顔をこわばらせ、わかったわかったと急かすように突いてくる果実のかほそい手を握って顔を伏せたのだ。
「やったぁ!じゃあ今日の放課後ね!」
不思議なくらいに熱い私の顔と、想像以上に冷たい果実の手が、先々への不安よりも何か別の不満の泉を湧かしそうだった。