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星が夜を連れてきた。輝くために暗闇を運んできた。浮かぶ月も夜空の色に溶けていった。
奏芽はカーテンを閉めて、ベッドに置きっぱなしだった読みかけの小説を本棚にしまう。
しばらくして部屋の扉が開いた。
「あがったよー」
お風呂上がりの吹雪がパジャマ姿で部屋に入ってきた。
「あぁ……」
珍しく微妙な沈黙が二人の間に落ちてくる。奏芽と吹雪は長い夜の端くれにいた。
「じゃ、じゃあ俺もお風呂入ってくる……」
「う、うん! わかった……!」
奏芽は着替えを持ってから少し慌てるようにして部屋を出た。
夜に同じ部屋にいることなら最近にだってあったし、泊まっていったことだって別に無いわけではない。けれど、大体は吹雪が寝落ちして仕方なくだったり、その場の成り行きが殆だった。だから一緒に寝ると最初から確定しているのが、そんなつもりは無いのに嫌でも意識はしてしまう燃料となってしまっている。やはり二人とも純粋無垢な子供の時代はとっくに過去なのだ。
「こんなんで一緒に寝るとか、ちゃんと眠れるのかな、俺」
そう独り言をこぼして奏芽は風呂場に向かった。
入浴を済ませた奏芽は自室の前に立ってから深呼吸をしてドアノブに手を伸ばした。部屋に入ると吹雪はベッドに腰掛けてスマホをいじっていた。
「おかえり!」
「あぁ、ただいま」
吹雪は先程の気まずさが嘘のような笑顔で迎えてくれた。
「さて奏芽、何しようか?」
「なにするかぁー」
時刻は20時半。まだ就寝までは時間がたっぷりあった。
学校の課題は帰ってきてすぐに二人で済ませたので、寝るまでは自由だ。
「映画でも見る?」
「いいね、見る!」
「吹雪の見たいの選んでいいよ」
言いながら奏芽はテレビで月額の映画配信アプリを開きリモコンを吹雪に渡す。
「うーん」
長いこと悩んでいた吹雪は「これっ!」と言って映画を選択した。
「おっけー」
奏芽がクッションに座ると吹雪は二人の肌が触れるほど近くに腰を下ろした。
「近くね? もっと遠くに居れよ」
「お断る!」
奏芽の照れ隠しはあっさり拒否された。
「……なら、近くに居れ」
「うん近くにおる〜」
久々のお泊り会にテンションがあがっているのか、吹雪はご機嫌な様子だ。そんな吹雪を見て奏芽もいつもの調子を取り戻しつつある。
「準備は大丈夫? トイレとか」
「だ、大丈夫だしっ!」
吹雪はちょっぴり赤面して、軽く奏芽の肩を叩いた。
「冗談だよ。じゃ、再生するぞ」
「おう!」
再生ボタンを押し、二人は画面に視線を向けた。
視聴した映画はあまり面白くなかった。
エンドロールが流れる頃には二人して瞼を重くしてお互いもたれ合っていた。
「眠い……」
「私も……」
2時間半の映画だったので今は23時過ぎ。いつもの寝る時間よりは早いが二人とも既に限界だった。
「寝るか」
「うん」
頷くやいなや吹雪はベッドに横になって毛布の中に入った。奏芽は自分のベッドで横になる幼馴染をみて、眠気が少しだけ引っ込んだ。
顔の半分まで毛布をかけている吹雪の寝顔を見ながら奏芽は考える。こんなにそばにいて、いつも一緒にいてくれて、眠いとはいえ躊躇いもなく自分の毛布に包まる幼馴染に、もし自らの想いを伝えたらどうなるだろうかと。
奏芽は吹雪のことが好きだ。そして、おそらくそれは恋心だ。数少ない幼馴染への秘密。もしそれを告白したら吹雪は受け入れてくれるだろうか。吹雪は多分受け入れてくれるだろうという予感は微かにある。しかし、それが確信ではないため、今までその想いを伝える事を奏芽は先送りにしてきた。
加えて、ずっと一人の女の子だけを好きで居続けたが故に恋愛経験というものに乏しく、そういったものに発生する恋の駆け引きとやらの仕方もわからない。だから僅かな一歩すら踏み出せずにいるのだ。
「……これでフラれることってあんのかな…………」
奏芽は小さく呟いた。
幼馴染とはいえ異性の部屋で寝息をたてる吹雪。恋人でなくてもこれだけ近くにいるからこそ、それに甘えてしまっているのだろう。
しっかり想いは伝えなくちゃいけないよなと思いつつ、今はその時では無い気がして首を振る。そして奏芽もベッドに横になり、静かに毛布の中に入った。
吹雪から伝わる熱に、いつも以上に自分たちが密着していることを自覚させられた。
奏芽は暗い森を走っていた。息を切らしながらも、足を止めることなく走る。足が重くて動きが鈍くなっても、喉に氷柱が突き刺さったかのように痛んでも、ただひたすら走った。
なぜ自分は走っているのだろう。突然そんな疑問が浮かぶ。走る意味など無いのではないか。こんなに辛い思いをしなくちゃいけない理由は? そんな疑問が次から次へと頭に浮かんでくるが、足を止めることはなかった。
やがて暗い森に月明かりが差し始めて、少しだけ当たりを視認できるようになる。視界が届く場所に一人佇む人影を発見した。
そして、奏芽は自分ががむしゃらに走り続けていた理由を思い出す。
──そうだ、俺は吹雪を……。
自分は吹雪を助けるために走っていたのだ。ここがどこかはいまだにわからない。だけど吹雪を助けなくてならないということだけは、はっきりとしていた。
奏芽は走る。視界に見える人影に向かって駆けていく。きっとあれは吹雪だ。自分は間に合ったんだ。そう心の中で安堵する。
どんどんと吹雪に近づいてゆく。
それは後ろ姿だったけれど、間違いなく吹雪だ。
「吹雪……!」
だから呼びかけた。乱れる呼吸の隙をついてその名前を呼んだ。けれども彼女は振り返らない。
しばらくして奏芽は吹雪の背後までたどり着く。
「吹雪……?」
吹雪は応えない。
「なぁ……」
何の反応も示さないその肩に、奏芽は手をのばす。その瞬間、吹雪は崩れるように横向きで地面に倒れた。
そして奏芽が見たのは光を失った翡翠色の瞳と胸に突き刺さったナイフから滲む血だった。
「吹雪っ!」
奏芽は飛び起きた。
呼吸は乱れ、額には汗が滲んでいる。
見渡すとそこは自室のベッドだった。今の光景は夢だったようだ。
酷い悪夢だったと呼吸を整えながら奏芽は思った。
視線を落とし横を見ると、可愛く寝息をたてる幼馴染がいた。
「よかった……」
奏芽は安堵のため息をついて横になる。
寝ている吹雪の方を向いて、彼女の髪を梳いてみた。
吹雪は最近怖い夢を見ると言っていた。こういうのって伝染するのだろうかと考えて、奏芽は馬鹿馬鹿しいと首を振る。
そして奏芽は吹雪を起こさない程度に抱き寄せた。それは何の下心も無い純粋な抱擁だった。
「本当によかった……」
あれが夢であったことを心からもう一度安堵して奏芽は眠りについた。
「なんか、すごく好きな匂いがする……」
微睡の中、そんな声が耳に届いた気がした。
「……って、えぇぇっ!」
次に聞こえた叫び声は奏芽の意識を覚醒させるのに十分なものだった。
「ど、どうした?」
悲鳴にもにた声の発生源に視線を向けると、
「こ、これどういう状況でしょうか、奏芽くん……」
しどろもどろに敬語で話す吹雪が上目遣いで困惑の視線を送ってきていた。
奏芽は今の自分たちの体勢に気づいて曖昧な表情を浮かべる。吹雪を自分の胸に抱いていたのだ。そして、同時に昨夜の記憶も甦った。
「これは……」
訳を説明よしようとした奏芽だったが、
「ちょっと腕どけて……もたない……」
と吹雪が真っ赤な顔と震える声で呟いたので弁明は出来なかった。
「ごめん」
腕をどかし、自由になった吹雪はふわふわとした面持ちで身体を起こした。




