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第4話:定まらない距離感


「……特に休む理由は聞いてないが」


 かれこれと放課後という時間を待ち惚けさせられ、栞凪は補習室の施錠を済ませて職員室を訪れていた。流れとして進捗の報告を行うのだが、当の幸羽が来てない。


 その旨を伝えると、昴は不思議そうに目を丸くさせた。


「そうですか」


 昴の反応からして、栞凪に伝え忘れていた様子もない。


 純粋に知らされていない、もしくは――。


(サボったな……)


 あくまで栞凪の憶測でしかないが、可能性としては低くない。


「そうか、なんだか悪かったな」

「いえ、気にしないで下さい」


 決して昴が悪いわけではない。


 だが、申し訳なさそうに後頭部をかきながら謝る。


 栞凪としても謝ってほしいわけでもない。


 むしろ校内の教室や図書室といった、自習室として振り分けられる場所よりも勉強がはかどった。


 それに、まだ1回目だ。


 誰にだって急な用事も入れば、伝え忘れる事だってあるだろう。


 わざわざ目くじらを立てるほどでもないと、栞凪は職員室を後にした。



 それから明けた水曜日。


「……こない?」


 約束の放課後になって、栞凪は少し遅れてから補習室を訪れた。


 補習プリントの受け取りや鍵の施錠の役も担っていたが、幸羽はまだ教室でクラスメイト達と喋っていた姿を目にしている。


 ただでさえクラスでの関りが希薄で、当の本人である幸羽は補習の事を周囲に明かしていない様子。それに加えて授業についていこうと予習は欠かしていないらしく、嫌でもクラスメイトとの会話が耳に入ってくる。


 だから、遅れてくるものだと思っていた。


 放課後に入ってから30分は待ち惚けさせられ、気づけば時計の長針が一周しようとしている。


 本来であれば幸羽が解くはずの補習プリントに目を通し、栞凪なりに教える際の方法を脳内でシミュレーションしていた。


「わざわざ探しに行く必要も……ないよね?」


 少し考えたが、栞凪はそう判断を下した。


 これは幸羽自身が申しでた補習であり、栞凪はその監督役のような立ち位置。頑張るかは当人の行動次第で、強要のしようがなかった。


 かといって、栞凪もただ無駄に時間を過ごすわけにもいかない。


「明日の予習でもしようかな」


 短く息を吐き、栞凪は脇にぶら下げていた鞄から教科書を取りだす。


 それから幸羽が補習室を訪れるのを待つ間、黙々と予習を始めるのだった。



「……今日も来なかったのか?」


 そして放課後を終えて、栞凪は職員室を訪ねた。


「その様子ですと、休む理由を聞かされてないみたいですね」


 幸羽が不参加だった旨を伝えると、昴は驚いた様子で首を傾げた。


「ずっと職員室(ここ)にいたが蓮永さんの姿はみてないな」

「そうですか」


 そうとなれば、幸羽のサボりは確定になる。


 だからといって、栞凪がどうこうできるわけでもない。


「それじゃあ、私は帰ります」


 進捗の報告どころか、その補習が行われていない。


 栞凪は軽く一礼を済ませ、職員室を後にした。


(……このままこないならいいけど)


 内心でほぼ幸羽の勉強をみることを諦めつつ、栞凪は帰路に就いた。



 休日でもない限り、朝になれば起きて学校に行く。


「……」


 いつものように登校した栞凪は、教室前の出入り口でつい立ち止まってしまっていた。


 その理由として――、


「でさぁ~もぉ~大変だったの」

「何やってのさ」

「幸羽っておっちょこちょいだよね」


 朝から元気よくクラスメイト達と話す幸羽の姿があった。


 特に体調が悪い様子もないどころか、むしろ快活とした振る舞いは変わらない。だからその周囲は常に明るい雰囲気があり、それが教室中に蔓延していく。


(……まあ、今日は関係ないか)


 そんな幸羽の姿を目の当たりに、栞凪は静かに席へと着いた。


 そうして、栞凪にとって変わらない1日を過ごしていく。


「……」


 そんな姿を、幸羽は静かに観察していた。



 そして金曜日の放課後。


「それで、今日も蓮永さんの補習をする必要ありますか?」


 1週間の短い期間、決まった時間に職員室を訪れる。それだけでも在校生が多い学校の中、教師からすればちょっとした印象を持たれやすい。


 会話の内容はハッキリしなくとも、薄々と勘づくモノもある。


 それでも栞凪からすれば、必要としていない時間だ。


「それなんだが、当の蓮永さんはやる気があるみたいなんだ」


 単刀直入に投げかけた質問だったが、昴は困ったように頭をかく。


「……はぁ」


 それに返ってきた言葉に、栞凪は釈然としない。


(まあ、普通はそうだろうけど……)


 申し出たのは幸羽の方で、それに昴は応えている。


 だからでもないが、幸羽も意気込む姿勢だけは示しておく必要がある。


 そうしなければ何のための補習なのか。


 もし栞凪が同じ立場であれば似たような行動をとり、胡麻を擂るまででもないが評価を気にする。

それが例え、いちクラスメイトからの評価が下がろうとも。


「そのあれだ、三環さんが面倒だと思うなら今日は無しでもいい」


 昴としてもお願いしておきながら、幸羽のとる行動。


 教師からすれば頭を抱えてしまうだろう。


「わかりました、今日のところは帰ります」

「すまないな三環さん」


 ただ栞凪としても、いい自習室をみつけてしまった。易々と逃すのも惜しかったが、どうにかして幸羽のやる気を奮い立たせるのも一苦労。


 そのためにクラス内での関りが増え、奇異の視線を向けられる。


 利益と立場を天秤にかけると、狭い学校という社会に留まる限りは後者に傾いてしまう。


「失礼しました」


 職員室を後に、栞凪は短く息を吐いた。


(さてと、だったら家に帰ろうかな……)


 元より帰宅部で、放課後という時間を持て余している。


 だから急な暇ができたことに思うことはないが、今日だけはどこか違った気持ちが胸中を支配していた。


「あッ」

「えッ」


 そんな束の間、今にも帰宅しようとしている幸羽と遭遇してしまった。


 珍しいことに周囲にはクラスメイトの姿はなく一人。


(勝手なイメージだったけど、帰る時って1人なんだ)


 休み時間ともなればクラスメイト達を賑やかし、授業との合間を切り替えるような存在である。


 それを意図してかは定かではないが、どこかピリついた空気感を弛緩させてくれていた。


 それは去年までとは違うなと、栞凪も肌で感じている。


 だけど今は――、


「ねえ、今日の補習なんだけど……」


 もし今日に限って幸羽がやる気を出していた場合、補習が中止と決まったばかり。


 とはいえ、二転三転と意見を変えたところで昴がいい顔をしない可能性は低い。教師としては願ってもなければ、休んでいた理由をちょっと訪ねるくらいだろう。


 栞凪にとっても理由が知れれば問題なく、今からでも補習室に行くことだって構わない。


「ごめん!」

「えッ」


 ここで必要なのは幸羽の意志だったが、まさかの逃走。


 しかも何に対しての謝罪なのかもわからない一言を吐き捨て、踵を返すように栞凪へと背中を向けて走り出す。


(え、何あの態度? てか、どうして逃げるの? あれだけ元気なら今日の補習だって……って、教室では静かな方が珍しいか)


 偶然とはいえ職員室前で鉢合わせた事への驚きもあったが、幸羽がクラスメイトの誰かといない光景に目を疑ってしまった。


 他にも、栞凪を目の前に何故逃げだしたのか。


「……」


 校内ともあって短い廊下、あっという間に遠ざかっていく幸羽の背中を見つめる。


 帰宅中なのか、部活動に向かうか定かじゃない生徒も少なからずいた。


「……どうかしたのか」


 幸羽の大きな声は良く響いたのか、職員室から昴を筆頭に数人の教師が顔を覗かせる。


 職員室前で立ち尽くしていた栞凪は、その問いには応えられなかった。


「ちょっと問い質してきます」

「は?」


 ただ気づけば栞凪は走り出していて、昴は目を丸くする。


 周囲の面食らった空気を肌で感じながら、既に見えなくなった幸羽の背中を追う。


(何してるんだろう、私ってば……)


 校則だからではないが、栞凪自身は廊下を走るような性格ではない。むしろそういった生徒は少なく、鉄板のような台詞が飛び交うことがないのだ。


 走ると肩に下げている鞄が不規則に振れ、階段に差しかかるとそれが一層と増す。


(どっちに行った?)


 それを煩わしく感じながらも、栞凪は2階へと到着した。


 だからといって、律儀に幸羽が待っていてくれてるわけでもない。何よりも出遅れているのもあって追いつくどころか、既に見失ってしまった。


 これといって運動が得意でない栞凪は軽く息を切らしながら、周囲を見渡す。


 すると、ここにも驚いて立ち尽くしている生徒がいた。胸もとの帯が1年生だというのはわかるが、面識はない。


 僅かな間が生まれるも、それだけで幸羽の行き先を物語っていた。


「ありがとう」


 急に階段を駆け上がってくる上級生がいて、まるでそれを追いかけるように同じく上級生がきた。

事情は分からずとも、何となく察したように上の階を指し示している。


 それに感謝を告げ、栞凪は呼吸を軽く整えて再び走り出した。


 いつもであればゆっくりと一段ずつだが、今だけは駆け足で一段飛ばし。


 それでも幸羽に追いつけるわけもなく、踊り場に差しかかって次の階に到着しても姿が見当たらない。


 ただそれも、下階での似た現象が起きていた。


「……三環さん?」

「あっと……」


 上階。4月から進級して割り当てられたフロアで、変わり映えもしないが見慣れた場所。


 それもあって、同級生がいて当然。


 しかもそれが同じクラスメイトともなれば、関りは薄くとも顔見知り。


「何か急いでるようだったけど、三環さんもなの?」

「あ~そんな感じ?」


 どう説明しようかと考えたが、栞凪自身もよく分かっていない。


(逃げられたから追いかけてる、なんて説明したらおかしいって思われるよね……)


 こうしてる間にも幸羽が何処かへと逃げてしまう。


 僅かな時間ですらも惜しく、どう切り抜けようかと思考を巡らせる。


「それとも蓮永さんを追ってた? なら、あっちだよ」

「あ、ありがとう」


 指差された方向は栞凪達の教室があった。


 同じクラス、そのクラスメイトともなれば何か察した付いたのかもしれない。


 それとも、クラスでの幸羽が特別な存在として扱われているからなのか……。


 それがふと気になったが、今は気にしない。


 教えてくれたことに感謝だけを告げて、栞凪は足早に幸羽を追いかけた。


(……いた)


 逃げる幸羽の後ろ姿を遠目に、廊下には自然と道ができていた。


 栞凪の急ぐ道すがら助かる配慮だが、意識的に身に付いたモノもある。


(走らない、あくまで走らず急ぎ足……)


 周囲からの視線が気になりながらも、栞凪は幸羽を追いかけ続ける。


 廊下に突き当たり、またも階段に差しかかった。


(今度はどっちだろ?)


 踊り場には幸羽の姿はなく、近くを通りかかる生徒もいなかった。


 だからどっちに幸羽が逃げたのかわからない。


 単純な二者択一だが、間違えた方を選べば時間を無駄にしてしまう。


 かといって熟考している暇もない。


「上」


 ほぼ直感を頼りに、栞凪は普段では足を踏み入れない上階へと進んで行く。階段を一段飛ばしに上り、踊り場までスムーズに駆け抜ける。


「……?」


 あっという間に四階に足を踏み入れると、同じ建物内でもありながら下階とはどこか空気感が違った。


 それを肌で感じながら、栞凪は恐る恐るとフロアを見渡す。


 本来であれば放課後という時間。部活のある生徒もいれば、そのまま帰宅する生徒もいる。中には教室に残ってクラスメイトと談笑するなど、今日という授業を終えて自由に過ごしていい。


 にもかかわらず、このフロアからは微かな息遣い。ペンが紙の上を走る音、それに明らかに生徒とは違う声も聞こえてくる。


(……3年生になるとこの時間にも授業があるんだ)


 栞凪にとっては来年の事だが、知らなかった3年生の特別カリキュラム。


 元もと進学校というのもあって学力面では皆秀でている。


 それは学期末テストの点数をみれば周知で、1年生の事から机に齧りつくように努力する生徒も少なくない。


 だからといって栞凪自身も真似してみようかなと思った時期もあったが、今となっては傍観者のように眺めているだけ。


 あくまで自身がどれだけ頑張りたいかの、目標の高さによって取り組み方が異なる。


 それにまだ2年生に進級したばかり、何となく進学するというだけの考えしか抱いていない。


「って、よく堂々と……」


 どこか不思議な空気感に当てられながらも、目線の先には逃げる幸羽がいた。


 しかも下階とは違って生徒の往来がなく、堂々と廊下の真ん中を走っている。


 ただ、廊下は走ってはいけない。


 教室には教師と生徒がいる。


 いくら授業に集中していたとて、視界の端で廊下を走る生徒がいれば気になってしまう。教壇に立つ教師からすれば、その後ろ姿は目につく。


 もしもではないが、注意する教師がいるだろう。


 少なくとも何事かと気になって顔を覗かせるだろうが、その時点で幸羽の姿はない。後には追いかける栞凪だけ。


 それで事情の説明を求められても困ってしまう。


「ああ、もうッ」


 そんな可能性が脳裏を過り、栞凪はどこか苛立ち気に声を発する。


 そして走りだしていた。


「おいそこの生徒、廊下を走るな」


 案の定、授業を中断して姿をみせた男性教師がいた。


 野太く制止する声を無視して、その脇を一気に走り抜ける。せめてもと素性がバレないように顔を伏せたが、どれだけ効果があるか。


 そのまま幸羽が向かった先を曲がり、またも階段が。


「もお」


 軽い嘆息に怒気が混じり、冷静さをかいていく。


 それも校舎の構造上しかたないのだが、栞凪のいる場所は中央階段いた。両端の階段とは違って、ここだけは特別。


 栞凪としても迷うことでもなかった。


「……いや、冗談でしょ」


 それなのに視線を上へ。


 どこからともなく栞凪の頬をそよ風が撫でる。


 廊下の窓が開いているわけでもなく、一方から吹きおろすような感覚。


 本来であれば生徒の立ち位置が禁止されている、屋上へと通じる階段に視線が向いてしまう。


 転校生という立場上、幸羽がそんなルールを知るわけもない。


 むしろ、栞凪にとっても普段から施錠されているものだと思い込んでいた。


 だが実際は違うのか、誰でも出入りが出来る状況なのか。


 それは栞凪自身の目で直接確かめなければいけないのだが、自然と足が進まない。それも中等部の頃から屋上への立ち入りは禁止だと言い聞かされ、一時は興味を抱いたが足を踏み入れようとしたことはなかった。


 栞凪の根が真面目というのもあったが、数名の男子生徒が怒られた噂を耳にしたことがある。

羽目を外してしまったのか、ちょっとした度胸試しなのかはわからない。


 そんなことで怒られたくない栞凪からすれば、立ち入ってはいけないという認識が植えつけられている。


 それをまさか、破らざる得なくなってしまった。


(……ここで逃がすと闇雲に探さないといけなくなる。だからといってこのまま――)


「2年か? こんなところで何をしている」

「ッ!?」


 不意の声をかけられて振り返ると、ついさっき栞凪に注意を促した男性教師がいた。


 せっかく顔バレしないようにしたはずが、無意味と化してしまう。


 真っ白になる頭の中、栞凪は男性教師を前に背中を向けた。


「あとで怒られます!」

「こら、待ちなさい」


 踵を返して栞凪は駆けだしていた。


 向かうのは上階、生徒が立ち入り禁止とされる方向へと。


 階段を一段飛ばしに、呼び止める男性教師から距離をとる。


(何してるんだろう、私……)


 ちょっとどころか、確実に怒られる事が確定となった。


 しかも顔までバレ、言い逃れのしようがない。


 明らかに内申点に響くだろうが、それも全て幸羽を追いかけてしまったから。意味も理由もわからず、説明もできないときた。


 内心で激しく後悔しながら階段を上ると、屋上へと通じる扉が開いている。


 それを確認した栞凪は、ドアノブを勢いよく掴んで押した。


「蓮永さん!」

「げっ」


 屋上へと駆け込む勢いのままに名前を呼ぶと、幸羽は露骨に表情を険しくさせた。


 だが、今は気にしていられない。


「とりあえず話だけ合わせて頷いて」

「えっ……どういうこと?」


 扉に背中を預けるようにして、栞凪は扉が開けさせまいとする。


 追いかけられていた幸羽からすれば不思議な光景で、ただただ目を丸くさせた。


「こら、屋上は立ち入り禁止だぞ」


 それもすぐ察したように、幸羽は野太い男性の声を耳に首を縦に振った。


(……よし、腹を括れ私)


 ガチャガチャと荒々しくドアノブが回る光景を視界の端に、栞凪は軽く息を整える。


 そして扉から身体をゆっくりと離した。


「こら2年、屋上の立ち入りは――」

「ごめんなさい」


 扉が開くと同時に、栞凪は頭を下げた。


「ご、ごめんなさい」


 それに続いて幸羽も頭を下げた。


「……ど、どういうことだ?」


 男性教師からすれば廊下を走る幸羽の後ろ姿を目に、注意しようと追いかけてきた。その後を栞凪も走り抜け、挙句には立ち入り禁止の屋上に足を踏み入れていく。


 さすがに見過ごせないどころか、注意しなければいけない立場だった。


 にもかかわらず、既に謝罪の姿勢をみせている。


 だから少し考えこむように視線を伏せ、軽く咳払いしてみせた。


「クラスと名前を言いなさい、詳しくは担任の教師に説明しなさい」

「はい」

「……はい」


 この場でのお咎めはなかったが、栞凪と幸羽はそのまま職員室へと連れて行かれた。



「何をやってるんだ……」

「すみません」

「す、すみません」


 栞凪が幸羽を追いかけ始めてから10分と経たず、別の教師に連れられて職員室へと戻ってきた。一切の状況を知らない昴は事情説明をされ、クラス担任という立場もあってとばっちりで怒られる羽目に。


 軽い眩暈でも覚えたように額に手を当てる昴を前に、栞凪と幸羽はただ頭を下げるしかできなかった。


「……」

「……」


 ただ、事の発端である幸羽はいたたまれないのか落ち着きがない。


 その様子は、嫌でも横にいるから栞凪は見受けられた。


「まあ、ちょうどいいタイミングか」

「……というと?」


 短めに嘆息した昴は、年季の入った椅子を軋ませて向かい合う。


 体罰とまでは言わずとも、何かしらの手伝いくらいはさせられる腹積もりでいた栞凪。


 だが、どうやら昴の様子が違うことに眉根を寄せた。


「今後の補習についてだ」


 両腕を組む昴に、栞凪はふと幸羽の方へと視線を向ける。


 当の幸羽は触れられたくなかったのか、驚いたように肩をビクつかせた。


「その、あれだ。三環さんから補習の時間になっても蓮永さんがこないと聞かされてる。俺としても三環さんにお願いしている側だ。こう続くようなら補習自体を毎日とは言わず、限られた曜日と時間にする方針にしようと考えている」

「そ、それは……」


 昴としてもいちクラスメイトの貴重な時間を消費してもらっている。これで成績が下がってしまうようなら元も子もなくなってしまう。


 だからクラス担任として、幸羽に事情の確認を踏まえた上での提案を申しでた。


(……どう返すんだろう)


 そんな被害者とまでは言わないが、自ら補習の手伝いを申しでた栞凪は口を挟まない。


「あの、えっと……」


 幸羽は困ったように視線を栞凪、昴へと往復させる。


 それも時間にして僅かで、項垂れるように頭を下げた。


「すみません、先週にだされた補習プリントがまだ終わってません」

「……先週?」


 昴は何のことかと首を傾げた。


 それと同じく、栞凪も無言で瞬きを繰り返す。


「家に持って帰って少しずつ進めてはいるんですけど、授業の予習復習でそれどころじゃないというか、時間が足りないというか……」


 実際、クラスでは幸羽が授業の予習復習をしてきていることは耳にしていた。その裏では持って帰った補習のプリントもこなしているのだろ思っていたが、そう易々と終わる物量でもない。


 もしそうだったとしても、どこまで理解できているのか。


 ただの付け焼刃であったとしたら、補習の体をとった意味も薄れてくる。


「もう少し、来週までにだったら終わらせ――」

「すまない蓮永さん、頭を上げてもらっていいか」


 早口に事情説明をしようとする幸羽に、昴は抑揚ない声音でストップをかけた。


「……はい」


 おずおずといった様子で頭を上げた幸羽。


 だが、顔を合わせづらいのか頭を俯かせたまま。


「なんか、すまない……」

「え?」


 逆に昴から謝られる事に、幸羽は目を丸くさせた。


「……あのプリント、本当に終わらせなくてよかったんだよ?」


 決して昴を擁護したかったわけでもなかったが、栞凪は真摯に事実を告げる。


「……そうなの?」


 しっかりと補習プリントを終わらせないといけない、そういうものだと真面目に取り組んでいた幸羽。


 3人の間に妙な空気が漂い始める。


「とりあえず2人とも場所を変えようか」


 そんな空気を察してか、昴は椅子から立ち上がる。


 それに促されるように栞凪と幸羽は職員室を後に、補習室へと向かった。

 


「ふむふむ、これを自力で」

「すごいですね」


 それから幸羽の補習プリントの進捗を栞凪と昴は確認し、しっかりと現状の把握を済ませた。


 感心したように頷く昴に、純粋に感心してみせる栞凪。


「けど、ようやく半分だし……」


 委縮したように両肩を窄める幸羽は、ただただ落ち着きがない。


「いや、問題ない。これくらい自力で解く学習能力はあるんだ。今の授業はついていけそうか?」


 手もとのプリントをまとめる昴は、真っすぐと幸羽を見据える。


「正直、いっぱいいっぱいです」


 どこか熱量のある昴の視線に、幸羽は素直に応える。


「けど、授業で当てられても答えられてるような……」


 クラス担任である昴と違って、クラスメイトとして授業の光景を目にしている。度々だが当てられるも、難なく答えらえていた。


 初めての補習に立ち会った翌日だったのもあって、純粋に驚きを隠せなかったのを覚えている。

それ以降からは気にするほどでもなく、授業を真面目に取り組んでいた。


「あれは、予習したからで……内容はからっきしだよ」

「……そんなことある?」


 それは俗にいう、テストで山を張るような感覚に近い。


 それを授業で行う。全クラス、学期ごとに授業の進捗がバラバラというのは期末テストの関係もあって問題が生じてしまう。


 それもあってある程度は範囲として限られるも、担当教科の教師にとって異なる。


 それで栞凪も何度か予習範囲が追いつかず、授業で当てられたこともあった。


(……勉強ができるのか、できないのか。……わからないな)


 にも拘らず、幸羽は運よく? この1週間の授業をこなしてきた。


 同じクラスメイトとはいえ関りは薄く、どういった人柄かは教室での様子しか知らない。


「さてさてどうしたもんか」


 困ったように両腕を組む昴には、幸羽は背筋を正した。


「補習は、続けさせてください」


 幸羽の真っすぐな姿勢と、何かを必死に訴えるような声音。


 渋い表情だった昴は瞳を丸くさせたが、それはすぐに曇っていった。


「それについては俺としては構わない。毎回のように補習プリントの進捗だけはしっかりと教えてほしい。ただ、な」

「そう、ですよね……」


 言葉尻が下がっていく昴に、幸羽は察したように視線を横に移した。


(まあ、そうなるよね)


 こと補習について、自ら必要だと感じてお願いしている幸羽。


 それに対して、教師である昴は応えてあげる。


 だが毎日のように放課後を付きっきりというのも、他の仕事に支障が出てしまう。昴としては応えてあげたいものの、現実問題として希望に沿うことができない。


 そうなってしまうと幸羽自身が自力で取り組んでいくことになってしまうと、補習の意味が薄れていく。


 それでただの悪循環が生まれてしまう。


 そこで栞凪に白羽の矢が立ったのだが、幸羽に対して不信感を抱いてしまった。


「……」

「……」


 注がれる2人からの視線に、栞凪はどこ吹く風といった表情で椅子に腰かけている。

 

 さすがにここまで来て問うのも野暮というもの。


 それでも栞凪は口を閉ざしたまま、2人からの視線を浴び続けた。


(さてさて、どうしたものか)


 補習プリントの半分を受け取っていた栞凪は、考える素振りを見せつつ、手持ち無沙汰のように捲り続ける。


(当の本人は授業で手いっぱい。それなのに補習のプリントも少しずつ続けてきた。けどそれって、補習の時間にこない理由になるのかな? それとも他に問題が……?)


 捲っていた手を止めて、幸羽からの視線に向かい合う。


「補習に来なかった理由は?」

「……それは」


 何よりもそれが一番知りたかった。


 決して幸羽を責めたつもりではなかったが、口調で捉えられてしまったかもしれない。


 何度か言葉を発しようと口を開くも、それを躊躇うのか閉じては顔を俯かせ、それでもと幸羽は顔を上げた。


「アタシが勉強できない事、呆れたり笑ったりしない?」

「……うん、しないけど」


 何の事かと、栞凪は瞳を丸くさせる。


「達宮先生。少し、2人にしてもらえませんか」

「……それはいいが、補習の件は」


 昴としてはそこを解決したかったのだが、幸羽の雰囲気に気圧されたのか追及しづらい。


「じゃあ、補習は続けていくという方向で。……いいかな、蓮永さん」

「お願いします」


 それだけを言い残し、昴は補習室を後にしていった。


(何だろう、わざわざ2人っきりで話したいことって)


 向かい合う2つの机の片方に、補習室の鍵が置かれていた。


 それは安易に昴からの施錠を頼まれたようなもので、栞凪はその意図を察しながらも幸羽と向かい合う。


 昴が立ち去ったことで本題に入るかと思いきや、幸羽はすぐには口を開かない。


 ただジッと出入り口の方をみているだけで、露骨に何かを警戒している様子。


「……もし気になるならみてくれば?」

「……ううん、大丈夫だと思う」


 視線で代わりに行こうかと問う栞凪に、幸羽は首を左右に振った。


 それならと栞凪は席を立つことなく、幸羽が話すタイミングを待つことにする。


(……教師に聞かれたくない話。そうなると、やっぱり補習を続けるのは心証も含めた内心の――)


 どこか栞凪と似た考えを持っているのだと思い込もうとしたが、不意に幸羽が口を開いて、耳を疑った。


「三環さんはクラスでの噂を知ってる?」

「……噂?」


 少しだけ考え込む素振りを見せながら、幸羽が言わんとしていることに察しがついた。


「もしかして、蓮永さん自身についての……」

「まぁ、そんなところ」


 何をとは指摘しなかったが、それが当たっていたように幸羽は苦笑いを浮かべた。


(教師としては知っておくべきだろうけど、それだと蓮永さんの立場が……)


 いつだったかも、似たような話題を幸羽は口にしている。


 あれから栞凪は気にしてこなかったが、知らないところで何かが起きているのか。


 教室での明るくて陽気な雰囲気は全く見られず、自身の口から語ることを拒む様子。


 それでも話が進まないと思ったのか、幸羽は一息ついて顔を上げた。


「最初は仕方ないかなって諦めて弄られてたけど、それが次第に露骨になっていったというか、過激で……それも我慢すればいいかなって思ってたんだ」


 嫌でも数人のクラスメイトが脳裏を過る。


「それがさ、からかう程度の弄りだったら良かったんだ」

「……そうじゃ、なくなっていった事?」


 基本的にクラスでの様子は目にし、会話の声も大きいため耳に入ってくる。特に気になるどころか、普通に楽し気でクラスに馴染んできたのだと思っていた。


 今のところ席が近いクラスメイトとしか会話をしない栞凪とは真逆の順応力。


 だけど違った。


「これもいいキッカケだからと思って達宮先生に補習をお願いしに行った帰りにさ、教室に忘れ物を取りに戻った時に聞いちゃったんだ……」


 幸羽としてはクラスに馴染もうとしていた。


 だから少しくらいは我慢をしよう。


 けど、それだけだといけないと思っての行動をとった。


(……なんだかんだ学力がアドバンテージみたいなところがあるからな)


 栞凪も気にはしていないわけではないが、誰かと比較し、できないからと下に見たことはない。


「それで補習のプリントが――」

「わかった」


 まだ続けようとする幸羽の言葉を遮り、栞凪は盛大に溜息を吐いた。


 その態度に、幸羽は目を丸くさせる。


「最初に言っておくけど、私とそのクラスメイトが同じ考えだって思うのは止めて」

「……うん」


 素直に首を縦に振る幸羽に、栞凪は続けた。


「私が蓮永さんとクラスメイトとの間に何があるのかは知らない。それを達宮先生にいうこともしない」

「……ありがとう」


 栞凪自身、らしくないなと頭の片隅で思ってしまう。


「補習には付き合ってあげる。その代わり無断では休まないで」

「……わかった。……ありがとう」


 少しだけ間の抜けた表情を浮かべたかと思うと、幸羽は満足気に笑ってみせた。


「じゃ、続けていくっていう方向で」


 とはいえ、今から補習に付き合う気分にもならない。


 それもあって昴に状況を説明し、継続の旨を伝えにいこうと席を立つ。


「何かごめん。最初のアタシ、感じ悪かったよね」


 素直に謝罪の姿勢をみせる幸羽に、栞凪は横目だけを向ける。


「そうかもね。だけど、忘れてない?」


 別に栞凪としては謝ってほしいわけではなかった。


 補習に来ないならそれでも良くて、幸羽の成績がどうなろうと気にしない。それでもこの補習を引き受けたことがキッカケで、広い校舎内の隠れた自習室をみつけて気に入ってしまった。


 それを易々と手放したくない欲求と、学校側からの評価。


 二つの旨味が、栞凪にとってはある。


 一部のクラスメイトとは違う、栞凪なりの幸羽という利点。


「蓮永さんの方から『座ってるだけでいい』って言ったんでしょ?」

「……それは」


 これは、ちょっとした栞凪なりのいじわる。


 それに対して幸羽はギョッとした表情を浮かべてみせた。


「じょーだん。……じゃ、次回からよろしくね蓮永さん」

「う、うん。こちらこそよろしく、三環さん」


 微かに口角をあげる栞凪に、幸羽は背凭れに深く寄りかかった。



(……さてと、帰ろっかな)


 補習室に幸羽を残し、職員室にいる昴に事情の説明をし終えた。


 放課後の中途半端な時間とはいえ、基本的に帰宅部である栞凪にとっては関係ない。


 することがなければ真っすぐと帰宅するだけ。


「あ、三環さん」

「……蓮永さん?」


 だけど今日だけは違う。


 いや、とあるクラスメイトの補習を引き受けた日から変わりつつあった。


「帰ったんじゃないの?」

「そうしようとは思ったんだけど、ちょっとだけお願い事」

「……どこかわからないの?」


 さっそくやる気をみせてきたのかと身構える栞凪だったが、幸羽は悪戯っぽく笑みを浮かべる。


「学校案内して」

「……え?」


 幸羽が転校してから既にひと月経った今、まさかの申しでに栞凪は耳を疑ってしまった。


「授業とかで使う教室はわかるんだけど、それ以外の場所って行ったことないんだよね」

「それ以外?」


 どこを指すのかわからず栞凪が首を傾げると、幸羽は気にせず手をとる。


「口で言ってもわからないからさ、案内してよ三環さん」

「ちょ、引っ張らないでよ」


 栞凪の待ったに聞く耳持たず、幸羽はずんずんと進んで行く。


(何なのこの距離感ッ!?)


 教室や補習室でみせた、幸羽の雰囲気とはがらりと違う。


「とりあえずあの建物から!」

「だから、廊下は走らないの!」


 職員室前というのもあったが、栞凪と幸羽のやり取りは放課後の校舎内によく響いた。

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