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第2話:無情すぎる学生生活


 かれこれ新学期が始まり、ひと月が経とうとしていた。


 中等部から在籍する三環(みわ)(かん)()にとっては、変わり映えしない学生生活。毎朝のように登校して、席に着いたら授業が始まる。それが朝から夕方まで、中には進学校ながらも文武を両道する生徒も。


 中等部の頃には部活動というものに興味があった栞凪だが、今となっては勉強ばかり。



 休みの時間ともなれば次の授業範囲を予習して、帰宅すれば復習も忘れない。


 残念なことに、今日まで色恋といった浮いた話が一つとない……。


 だからといって恋愛に興味がないわけではなかった。周りの愚痴に近い惚気を聞きながら、いつかは自分もと空想なんかも。


 それでも訪れる毎日を、ただただ惰性に学生生活を過ごしていた。


 それは、転校生という(はす)()幸羽(こはね)の存在も一部として含めて。



 転校の初日はクラスメイト達の歓迎ムードにチヤホヤとされ、翌日から対応にかなりの動揺がみてとれた。


「おっはよー」


 元気よく挨拶をする幸羽に、視線だけを向けるクラスメイト達。


 だがそれも一瞬で、すぐに興味を失ったように背けていく。


「……あれ?」


 その違和感に気づかない幸羽ではなく、不思議そうに小首を傾げた。


 朝のHRまで時間があるとはいえ、チラホラと座席が埋まっている。その大半が机と向かい合い、手もとには教科書かテキストが開かれていた。


 幸羽に声をかけて歓迎会を行った女生徒も席を移動し、3人でまとまるように声音を潜めて教え合っている。


「ねぇねぇ、昨日はありがとね。ホント~に楽しかったよ」


 それに気づいて感謝を込めて話しかけると――、


「あ~うん。私達も息抜きになったかな」

「それな、あんなに歌ったのいつ以来だろう」

「期末テスト明けじゃない?」


 どこか声音は上の空、抑揚もなくテンションが低い。


「そ、そうなんだ……。だったらまた行こうよ」


 目を白黒させる幸羽は、どうにか興味を引こうとする。


「……それはアリかも」

「ならさ、今度は蓮永さんがみんなに声かけてくれない」

「また今度ねぇ~」


 3人組のクラスメイトは視線を幸羽に向けることなく、それで会話が終わった。


「う、うん。わかった、また今度ね……」


 どうにか張りついた笑顔を繕った幸羽は、そそくさと席に着いた。


 それから視線を教室中に巡らせ、静かに鞄から教科書を取りだす。


 そんな幸羽の後ろ姿を、栞凪はどことなく憐れみを込めた視線を向けていた。


(……こうなるよね)


 短く息を吐き――、


「おはよう」


 栞凪は誰かに告げるわけでもない、挨拶を発して席に着いた。


 昨日(さくじつ)行われた幸羽の歓迎会でクラスメイト達に粗相を、反感を買うようなことをして嫌われたわけじゃない。


 純粋に、転校生を歓迎するというキッカケを息抜きの理由として利用しただけ。


 中等部の頃から勉強に部活と勤しみながらも、根っこは真面目という側面を強い。


 だからでもないが、自分だけが休むという考えを持ち合わせていなかった。周りは頑張っている、少しでも休めば追い抜かれてしまう。


 そうならない為にも、自分も頑張らなければいけない。


 そんな意識が根付いて、今に至る。


 中には部活や恋愛と器用に立ち居振舞う生徒もいるが、各教科や委員会は義務的なモノでしかなかった。


 それは日本という社会が、学校という環境が悪いわけじゃない。


 HRを報せる予鈴が鳴り始め、クラスメイト達は席に着いていく。


 それからしばらくして、クラス担任を務める達宮(たちみや)(すばる)が教室に姿をみせた。


「ホームルームを始める」


 昴は教壇に立つと生徒の出席確認を始め、次に学校側からの事務的な報告。その大半は各教科課題の提出日ばかりで、誰一人として騒ぐことはない。


 時間にして10分程度で終わり、昴は出席簿を閉じた。


 それが合図と言わんばかりに、クラスメイト達は机の脇に退けていた教科書やテキストを手にしていく。


 どこかゆるっとしたHRから、ピリッとした空気感に変わる。


「……どうした、蓮永さん」


 教壇から降りようとする昴は、怪訝そうに眉根を寄せた。


「い、いえ……何でもないです」


 当の幸羽は、小さく首を横に振るだけで視線を伏せた。


「……そうか」


 それに対して昴は関心を向けるようなことはなく、折り畳みの椅子を引っ張りだして腰かける。


「……」


 そのやり取りが、嫌でも目についてしまった栞凪。


 別に気になったからではなく、不本意ながらも一発でジャンケンに買ってしまった故。クラス委員という役職が、栞凪をどこか使命的に意識を根付かせていた。


 対してもう一人のクラス委員の男子は、黙々とテキストを開いている。


(……これ、面倒ごとに巻き込まれたりしないよね)


 どこか落ち着かない気持ちを抱えつつ、栞凪は二年生の新学期を過ごすことに。



 そんな栞凪の予感が、さらにひと月経って巡ってきた。


「それで、用件とは?」


 とある日の放課後、帰りのHRで昴に栞凪だけが呼び出された。何かあればクラス委員というセットの筈が、今回は直接な名指し。


「あ~悪いな、忙しいのに呼びだして」


 口先では謝罪しつつも、昴の素振りかはそう受け取られない。


 職員室にある自身の席に着きながら、乱雑に積まれた書類の山を漁っている。


(……何だろう?)


 いかにも整理整頓が苦手な男性のイメージを体現している昴に、栞凪は静かに思考を巡らせる。


 委員が決まってから、もう一人のクラスメイトと最低限の役割分担をすることにした。


 男子生徒の方には各時間の黒板消し、毎日の日誌を書いてもらう。これには男女の身長差もあり、高い所は栞凪の手では届かない。


 それには必然性もあり、お互いに納得した。


 だから栞凪も何か仕事を引き受けようと考えたが、追い打ちを仕掛ける提案をされたのだ。


 毎日のように授業の日誌を書かないといけない。それに加えて記入者のちょっとした感想も添えるのだが、それを見られることに抵抗があるとの旨。


 今まで考えたこともない栞凪からすれば、ちょっとした後悔の念に駆られる。


 過去に、特に去年の1年生。交換し合うように日誌を書き、見開きというのもあって前日の内容を読むことができた。


 栞凪自身は気にしてこなかったが、指摘されて気づかされる。


 何より、放課後は部活動にも参加するため時間をとれないらしい。


 残されたのが雑務といった、内容が不透明な仕事。栞凪の経験から振り返っても、毎日のようにあるわけでもないという印象がある。


 強いてあるとすれば、学校行事の前後くらい。


 毎日の仕事と、時々ある仕事の双方。


 既に前者を選ばれている一方、断るというのもおかしな話。


 それに、あくまで分担という建前だ。


 必要な時はもちろん協力し合うということで、栞凪は雑務の仕事を引き受けた。


 そんな経緯があって、呼びだされている。


「この前の進路調査票は提出したはずですが?」

「ん? ああ、それは問題なく受け取ったんだが……」


 直近で思い当たった雑務だったが、どうもそうじゃないらしい。


 呼びだされた故に、まったく本題に入られずに立たされている。それは嫌でも周囲の教師から視線を集め、今すぐにでも帰りたい気持ちが勝っていく。


「ああ、これだ」


 そんな栞凪の胸中を知る由もなく、昴は1枚の用紙を引っ張りだした。


 それから近くの席から椅子を引っ張り、座るように促してくる。


「これはクラス委員の仕事とは別なんだが――」

「帰っていいですか?」


 昴の前置きに、栞凪は椅子に座ろうとせずに踵を返す。


「まてまてまて、頼む。話だけでも聞いてくれないか。クラスのためでもあるんだ」

「……クラスのためですか?」


 声音を潜める昴の言葉に、栞凪は眉根を寄せた。


 特に思い入れどころか、また来年になればクラスメイトの顔ぶれは変わる。


 それどころか3年生への進級に卒業、さらには進学も控えているため忙しい。


 元から関わりの薄いクラスメイト達間で、昴は何を懸念しているのだろうか。


 脚を止めた栞凪に、昴は再び座るように促してくる。


「……聞くだけでしたら」


 露骨に溜息を吐きながら、栞凪は椅子に腰かけた。


 酷いことに座ると軋む、老朽化が進んでいる椅子が悲鳴を上げる。


 それに気をとられることもなく、昴が手にしていた用紙に視線を向けた。


「これ、私が目にしてもいいんですか?」


 声音に棘を含ませる栞凪に、昴は険しい表情を浮かべた。


「これがないと話が始まらないからな」


 対して昴も、真剣みを帯びた様子で両腕を組んだ。


(……帰ればよかった)


 もう逃げられないことを察し、栞凪は受け止める姿勢で真顔になる。


 それをみて、昴は嬉々と頬を緩めた。


「さすがにクラスメイトの事だから知らないわけじゃないだろうが、蓮永さんの学力についてだ」


 用紙にはこれまで数回と行われた、小テストの点数が記載されていた。


 どれも1桁に等しく、正答したのも偶然か。


「……名前の記入ミスですか?」

「意外だな、そんな冗談を言えるのか」

「本当に帰りますよ」


 驚いたように目を丸くさせた昴に、栞凪は表情を顰めた。


「すまない、本当に悪気があるわけじゃないんだ」

「……はぁ」


 そこからさらに姿勢を低く謝罪してくる昴に、毒気を抜かれたように息を吐く。


「達宮先生の用件は、私に蓮永さん勉強をみてほしいと?」

「……話が早くて助かるよ、三環さん」


 普通に考えれば、それは教師である昴の仕事だ。


 それをどうして一生徒である、栞凪がみないといけないのだろうか。


 理由を訪ねようとする栞凪だったが、昴は先回りをしていく。


「当人からは前の学校では習ってない範囲らしくてな。こちら側としても1人の生徒に合わせるのも、他に迷惑をかけてしまう」

「へぇ~」


 他校を知らない栞凪からすれば、ちょっとした驚きの事実。


「でしたら、蓮永さんだけ補習を行えば?」


 だからでもないが、学校側の学力救済制度を存分に振るえばいい。


 話を聞く限り、各学期末テストで赤点をとってしまった生徒に対して行われている。その辺は進学校だからではなく、他校でも同様らしい。


 ただ、栞凪の通う学校は特殊とのこと。


 各学年、各教科の総合平均点。別に各クラスの平均点という、2種類が存在する。どちらか片方であれば課題提出状況や小テストを加味され、赤点を免れられるシステム。


 栞凪自身も学年の総合平均点に届かなかったことが何度かある。


 その度、学校側からの救済で補習は免れてきた。


(……ただ、これは)


 それすらも意味をなさない、幸羽の小テストは悲惨的な状況だった。


 むしろ、学期末テストを受ける必要もない。


 教師からは頭痛の種であろうが、それは栞凪もだ。


「もうムリでは?」

「そこまでキッパリか……」


 目頭を揉む昴に、栞凪は再び視線を手もとの用紙へと向けた。


(そういうことか……)


 幸羽が転校してきた翌日からの今日まで、ほんの些細な点のような違和感が一本の線となって繋がった。



 転校してきた当日、幸羽は明らかに能天気で元気だけが取り柄の女生徒という印象。


 それは実際にそうで、しばらくの間は教科書やテキストを開くクラスメイト達を前にしても声をかけていた。


 最初は気兼ねなく接していたクラスメイト達。


「ねえねえ、昨日のドラマ観た?」

「あ、そういえばここの学食って何がおススメなの?」

「え、学生寮? 何それ、行ってみたいんだけど!」


 クラスメイト達はまるで図ったように代わるがわる、幸羽の相手をしていた。


 だがそれは長続きすることはなく、クラスメイト達は幸羽を意識的に避けていく。


 それに気づいた幸羽は、1週間と経たずに孤立。


 するかと思いきや、掌を返したように勉強へと取り組む姿勢をみせてきた。


「あの、勉強を教えてほしいんだけど……」


 その変化に、栞凪もだがクラスメイト達が気づかないわけじゃなかった。


 幸羽が声をかけたグループは、転校初日に歓迎会を開いてくれた3人組のグループ。一番に幸羽を避けた相手であり、今では我関せずという姿勢を貫いてきた。


 そこへと踏み込んでいく幸羽の姿勢。


「……別にいいけど」

 

 バツが悪そうにグループの一人が口を開いた。


 それが皮切りとなったのか、幸羽の口数は増えていく。


「とりあえず、今日の授業範囲かな」


 そんな一言が爆弾として落とされる。


 絶句する3人組に、幸羽は恥ずかし気に笑ってみせた。


 

 そこから幸羽の勉強ムーブは、今も続いている。


(ただ、ここまでとは……)


 だからでもないが、栞凪も幸羽が勉強を苦手としているのは知っていた。


 こうして教師である第三者、昴から他人の現実を突きつけられて言葉を失う。


「ちなみにだが、補習はすでに蓮永さんから申しでられている」

「……じゃあ」


 ここで栞凪が引き受ける理由がわからない。


「どうもなぁ~教えてはいるんだが……」


 乱雑に髪をかく昴の様子から、何となく状況が芳しくない。


 それどころか、まったくの進展がみられないのか。


 これ以上踏み込んだ質問を避けようと、栞凪はあえて口を開かなかった。


「学校側からしても生徒の頑張りには堪えたいんだが、ほぼ毎日ともなるとあまり時間がとれないだ。そこで――」

「クラス委員の役目と?」


 昴の言葉を遮るように、栞凪の疑問が喉もとを過ぎた。


 これまで、そんな役目を受けたことがない。


 元より、それほど学力に困っている生徒がいないと思っていた。


 ある程度であれば補填で加味されて、赤点は免れるのだ。


 ただ、問題が1つある。


「私よりも、他のクラスメイトはダメなんですか?」

「それなんだが……」


 困ったように片頬をかく昴の様子から、嫌でも察しがついてしまう。


「であれば私よりも学力のある生徒なんかもいますよね」


 胸を張ることではないが、栞凪自身もそれは自負している。


 それを毎回のように学年末、廊下に個人の点数を張りだされるのだ。各学年、全10クラスはある生徒数を鑑みれば、上位100位に入れば誇っていい。

 

 だが残念なことに、栞凪の学生生活でそんなことは一度もないのだ。ちょっとした好奇心から頑張ってみたものの、結果は振るわなかった。


 今では些細な順位の変化しかなく、通信簿に記載される順位で把握するくらい。


 上を目指そうという気は、まったくといっていいほどなかった。


「それは一理ある。……ただな」

「この際です、ハッキリ言ってください」


 さっきからダラダラと話を先延ばしにしている節がある。


 特に帰ってからすることのない栞凪だが、長時間も職員室にいる状況がいい噂を生むことはない。


 それくらい、教師であればわかってほしいモノだ。


 さすがに痺れを切らした栞凪の声音に、昴はハッとした様子で周囲を見渡す。


 すると身を低くして、頭を下げてきた。


「頼む、蓮永さんの勉強をみてくれ」

「だ、だから、何で私なんですか!?」


 教師が生徒に頭を下げる光景は、恥を忍ぶどころの話ではない。誰かに見られようものなら誤解を生み、小さな学校という社会ではあっという間に広がるだろう。


 それを顧みない、昴の言動。


 慌てる栞凪は昴の両肩を揺すり、顔を上げさせる。


 するとどこか迫力実のある、年も近く異性という相手がみせていい真剣さが滲んでいた。


(先生……)


 普段から教壇に立つ姿どころか、この会話中ですらみせない表情。


 その様子に、栞凪は自然と姿勢を正していた。


「実はな、どうにもよくない噂を耳にするんだ」

「よくない噂?」

「俺も詳細まではわからないんだが、蓮永さんの行動をどうもよく思っていないクラスメイトがいるようなんだ」

「……そうなんですか」


 何となく誰を指したのか想像できてしまった。


 だからといって、昴と同様に確証が持てるわけじゃない。


 そうだったとしても、栞凪がどうする問題でないことは変わらなかった。


 人間関係。


 特に同性同士ともなれば、色々とあるだろう。


 何よりも誰とでも仲良くなれたら、人種的な差別だって無くなる。そうならないから争いごとは止まず、今もどこかで起こっているのだ。


「クラスの全員が、そういうわけじゃないんですよね」

「……ああ。そう、願いたい」


 力なく頷いてみせた昴に、栞凪は自身が呼ばれた理由を察した。


 クラス委員という役柄。その名目上、担任である昴から頼まれたから仕方なく勉強をみてあげている。


 そんな構図が出来上がっていく。


 それでは幸羽という存在が、クラスの厄介者としてみられてしまわないだろうか?


 それが広まってしまえば、学校にだって居辛くなってしまわないか?


 それくらい、わからない教師ではないと願いたかった。


「すみません、私では力になれそうにないです」


 気づけば栞凪は立ち上がっていて、呼び止めようとする昴に断りもなく職員室を後にしていた。


 帰りのHRが終わってから、それほど時間も経っていない。


 周りからは生徒達の声が絶えず、既に部活動を始めているのか活気も伝わってくる。


 だけど栞凪の心は、何一つとして関心を示さない。


 真っすぐと教室へと向かい、机の脇にかけていた鞄に手を伸ばす。チラホラと帰り支度をしながら談笑するクラスメイト達の中には、幸羽の姿はどこにもなかった。


 あれだけ転校初日から驚かせ、めげるどころか環境に順応しようとしている。


 もしかしたら今もどこか、一人で勉強をしているかもしれない。


 クラスメイト達に迷惑をかけてしまっていることを知りながら……。


 それでも休み時間になれば声をかけ、授業の復習する姿勢を取り続けている。


 どことない教室の光景を目の当たりに――、


「バカばっかり……」


 それは栞凪自身も含めたクラスメイト達に対して告げた一言。


 生憎と聞かれた様子もなく、談笑にかき消されてしまう程の囁き。


 栞凪は意識的にゆっくりと瞼を閉じて、開いた。


「……帰ろう」


 それが何を意味したのかは、栞凪自身もわからない。


 だけど、どこか表情に覇気がみてとれる。


 迷いない足取りで栞凪は帰路に就き、いつものように自室で授業の予習復習をこなしていくのだった。



 一日の授業が全て終わり、迎える放課後という時間。栞凪にとって特別な時間ではなく、用もなければ真っすぐと帰路に就くだけ。


 時々だが数人といる友人から遊びのお誘いもあるが、今はぱったりとない。


 薄情というわけでもなく、そういった間柄の友人だから。


 だから、暇を持て余していた。


「……学校にこんなところがあったんですね」


 そんな放課後、昴に呼びだされた昨日の今日。


 高等部の校舎に通い始めてから1年と経つが、案内された一室は見慣れなかった。


 学年ごとに割り振られている下駄箱、生徒数も多いこともあり横に縦と広い。隣接するように職員室、それと保健室がある。


 その保健室脇にある、閉ざされた扉の一室。


「本来は物置として、体育祭や文化祭の用具なんかを保管している。だから生徒会に所属する生徒くらいしか知らない」

「……本当ですね」


 案内する昴の説明に、部屋の片隅に積まれた段ボールから中身が覗かせていた。それに壁には手製のアーチが立てかけられ、近くで見ると年季も経っている。


 何度も使い回し、文字の部分だけを変えて使用しているのだろう。


「それにしても三環さん、どういった心境の変化なんだ?」


 不意に投げかけられた昴からの質問に、栞凪はどこか硬い表情で答える。


「……別に、深い意味はないです」


 少しだけ考える素振りをみせた栞凪だったが、教師である昴を前に本音はいえない。


「そうか」


 だが昴は気にした様子もなく、栞凪に1本の鍵を手渡した。


「ここの鍵だ、帰る時は施錠して職員室に持ってきてくれ」

「わかりました」


 そういって、栞凪は鍵を受けとった。


 それで満足した様子の昴は一室を後にしようとしたが、待ったがかかる。


「それで、当の蓮永さんは?」

「……そういえば、そうだな」


 遠くから、下校する生徒達の賑やかな話し声が聞こえてくる。


 それは扉を一枚隔てただけで一層と遠くに感じ、栞凪と昴の会話だけがハッキリとしていた。


「いつもだったら職員室に立ち寄ってくるから、そっちにいるかもしれないな」


 鍵の施錠を鑑みれば、妥当な行動だろう。


 しかも、自ら補習を願い出ている。


 腕時計を確認する昴を横目に、栞凪はポツンと置かれている2組の机と椅子を見つめた。


「じゃあ、待っていれば自然と――」

「あれ、開いてる」


 すると、ゆっくりと扉がスライドしていく。


 タイミング的に職員室へと戻る昴に呼んでもらおうと、この場で待機しようとしていた栞凪だった。


 そうする必要もなく、当の幸羽が姿をみせる。


「達宮先生、……それと」


 入り口前に立っていた昴にはすぐ気づいたのだろうが、栞凪がいることに幸羽は無言で瞬きを繰り返す。


 同じクラスメイトでありながらも、栞凪の名前がでてこなかったのか。


 それとも、純粋に驚いての沈黙か。


(まあ、そうだよね)


 何となくだが、幸羽の心情が手に取れてしまった栞凪。


「同じクラスメイトの三環栞凪。一応――」

「クラス委員の……」


 栞凪からの自己紹介に、名前と顔が一致したのだろう。


 幸羽の表情から、更なる感情が露わになっていく。


「そのクラス委員さんが、どうしてここに?」


 最もの質問に、栞凪ではなく昴が口を開いた。


「今日から蓮永さんの補習を面倒みてくれる」

「え?」


 驚く幸羽を置き去りに、昴は説明を続ける。


「教師として不甲斐ないが、どうしても蓮永さんの要望に応えられる時間を多くは取れない。だからクラス委員である三環さんにお願いしてみたんだ、最初は――」

「達宮先生、そこまで詳細な説明いりますか?」


 真面目にも昴が事細かに話そうとするのを察し、栞凪は待ったをかけた。


 それに怪訝そうな表情を浮かべた昴だったが、何かを思いだしたように慌て始める。


「じゃあお願いするよ、三環さん。これから職員会議があるんだ」


 そういって、昴は足早にその場を後にしていく。


 残された栞凪は昴の後ろ姿を見送り、扉が閉まると幸羽へと視線を向けた。


「……何が目的?」


 栞凪を睨むような、警戒した様子の幸羽からの険がある声音。


 昴からの説明を遮られ、幸羽としては状況が呑みこめないだろう。


(こんな表情もするんだ)


 教室でみかける、どこかバカっぽさの抜けない明るい様子。


 それを最初の頃、クラスメイト達は迎え入れる素振りがあった。


 だけど今では、どこか腫物のように嫌煙している。


 理由としては明らかで、学校という環境がクラスメイト達の意識を縛ってしまった。

だからといって、栞凪がどうこうできるわけでもない。


 実際に先々の事を考えると、幸羽の存在に足を引っ張られてしまう。


「内申点のためだけど?」


 半ば押しつけられる形とはいえ、クラス委員というだけで教師から良く書かれる。それに加えて幸羽の勉強をみることで、学力の向上を手助けした。そうすることでクラス全体の授業進行を妨げることなく、担任である昴に貸しを作ることができる。


 ただ、そんなことを意識したわけではない。


「知ってるの? アタシが周りからどう思われてるか」


 警戒心を緩めようとしない幸羽に、栞凪は真っすぐと向かい合う。


「別に正義感とか優等生を演じたいわけじゃないの。……クラス委員としてよ」

「……クラス委員として」


 それでも納得しないのか、幸羽は栞凪に対して態度を変えない。


 だが、栞凪としてはどうでもよかった。


「ほら座って、達宮先生からはある程度の事情は聞かされてるから」


 やることは1つ。


 しかも、栞凪自身から改めて申しでた身。


 決して幸羽の成績をあげられる自信があるからというわけではなく、本当にただの気まぐれのようなモノ。


 それは転校初日、自由気ままさを振舞った幸羽のように。


 持ち上げるだけで放置する、クラスメイト達の対応をみた故の。


 誰かに褒められたいわけでもなく、栞凪としても言葉として表現できない。


 ただいちクラスメイトとして振り回されたから、やり返すように昴へと申しでた。


「……どうして、アタシの勉強をみてくれるの」


 席に着く栞凪に対して、ボソッと呟いた幸羽。


 2人っきりの一室もあって聞き逃すことはなかったが、栞凪は答えることをしなかった。昴から渡されていたプリントを机に置き、範囲を確認するように教科書を開く。


(この辺からか……)


 あえて入り口前に立ち尽くし、こちらの様子を窺ったままの幸羽を無視し続ける。


 幸羽は自ら学力の差を感じて補習を申しでているのだ。


 だから、栞凪の方からは強要しない。


 しばらくそうしていると、幸羽の方に動きがあった。


「……三環さんの内申点稼ぎ、手伝ってあげる」


 足音を忍ばせるように幸羽は椅子を引き、栞凪と顔を合わせることなく腰をおろした。


 そして鞄から筆記用具の一式を取りだす。


「そう、ありがとう」


 そんな幸羽に、栞凪は素っ気なく感謝の言葉を返すのだった。

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