プロローグ:新たなる門出
都内の某所。
3月という、新緑の芽吹きをどこか感じつつ。
学生は進級や進学があったり、新社会人の仲間入りを果たして就職をしたりと、どこか新たな始まりを控えている。
そんな昼時のマンションを、数人の引っ越し業者が慌ただしく往復していた。
「それはあっちで、これはここでお願いします」
その業者に対して、三環栞凪は指示を出していた。
もう少しで肩甲骨辺りまで届きそうな黒髪に、気が強そうな印象を与えるつり目。人前ではあるがどこか化粧っ気はなく、素凝り襟もとがよれた長袖Tシャツに空色のパンツ姿。
特に引っ越し業者のリーダーだからというわけではなく、依頼した側として。
人生で初めての引っ越しに手間取りながらも、今日を迎えていた。
「……手慣れてますね」
指示を出す栞凪の脇で、源元望亜は感心していた。
垢抜けた茶色の髪を後ろで小さく結び、おっとりと垂れた目じり。空色のカラコンが右に左と忙しなく動き回る。薄手の白いブラウスに、クリーム色のカーディガン。パンツも色合いは黒だが、ダメージの横線が無数に入っている。
動きやすさよりも、どこか外行きの洒落た感じ。
「そんなことないよ」
望亜の反応に、栞凪は苦笑いを浮かべてしまう。
次々と運ばれて、積まれていくダンボールの箱。
それが1箱や2箱であれば大したことないだろう。
今年から社会人1年目の栞凪、同じく今年から大学1年生として通う望亜の2人分。
特に女性ともなれば、自然とダンボールの数は多い。
「荷物はこれ以上になりますかね、確認お願いします」
「あ、はい」
業者から手渡されたバインダーに挟まれた用紙と、ダンボールの数を確認していく。
これから2人で住むには少し手狭な2DK、すでに家具などは搬入されている。
ただそれも未開封のモノが多い。
「大丈夫です」
「ではこちらにサインをお願いします」
そう言われて、栞凪はボールペンを走らせた。
それからすぐに引っ越し業者は手慣れた様子で、壁や床のフローリングを傷つけないようにしていた養生シートなどを回収していく。
最後に作業終了の挨拶を元気よく済ませ、まるで嵐の如く去っていった。
閉められた玄関の扉を見やりつつ、栞凪は一息つく。
「さて、やりますか」
だがあまり、休んでいられない。
気合を入れるように腕まくりをする栞凪に、望亜は項垂れ――、
「ねえ、栞凪さん。少しは休みましょうよ」
どこか疲れ切った。
「そうは言うけど、明日どころか今日はどうするの? このまま寝るのも……」
「それは……そうですけど……」
リビングに積まれたダンボールを前に、望亜の表情はさらに険しくなっていく。
その様子に、栞凪は捲っていた袖を下ろした。
「けどそうだね、そろそろお昼だし。朝からバタバタしててお腹空いたね」
「今からどこか……ていう体力も」
「もぉ」
嘆息する栞凪に、望亜は動きたくないとフローリングに座り込む。
仕方ないと栞凪はスマホを取りだし、望亜の前に見せる。
「普段はあまり使う機会がないからだけど、デリバリーアプリの割引クーポンが届いてたんだ。私の分も注文しといて」
「栞凪さん、タイミング良すぎ」
嬉々として栞凪のスマホを受けとった望亜は、まるで自分のかのように画面上を人差し指でスクロールしていく。
そんな様子に、栞凪は頬を緩めた。
(不思議な感覚だな……)
これまで三環家の一人娘として育てられた。今後、弟や妹ができるような兆しはなく、だからといって不満を抱くこともない。
こうして、4つ下という血の繋がらない相手との生活。
知り合ったのも中学2年生の時、親友の義妹として5年前なのだ。
「ねえねえ、栞凪さん。ドリンク何にします」
「何があるの~」
座り込む望亜の隣に、栞凪も肩を並べてスマホの画面を覗く。
それから届いたデリバリーをお昼ご飯に、他愛もない話をしながら食べる。空腹が満たされると少しだけ眠気に襲われるが、栞凪達はダラダラと引っ越しの荷物を解いていく。
とりあえずお互いが私室として使う、部屋の荷物が詰められたダンボールを運び込む。
目印としてダンボールに貼られたシールを頼りに、栞凪は衣類をクローゼットに片づけていく。
(……意外と壁薄いのかな?)
壁を一枚挟んだ向こう側から、望亜の悲鳴染みた声が聞こえてくる。
内覧をした時は気にしていなかったが、今後は望亜も含めた近隣住人にも配慮をした方が良いだろうか。
そんな事を怪訝に思いながら、荷解きを進めていく。
「ねぇ、栞凪さ~ん」
「どうしたの」
荷解きを始めて1時間が経っただろうか。
どこか甘えたような、疲れ切った望亜が栞凪の部屋を訪ねてきた。
何事かと座って作業をしていた手を止めた栞凪は、膝を突き合わせてきた望亜に怪訝そうに眉根を寄せる。
「どれをどれに入れたかわかんなくなって、開けたら色々と出てくるし、疲れたぁ~」
「それは……」
入居日が決まってから、少しずつ荷物を種類ごとに纏めていた栞凪。
元もと同じ家に住んでいたわけでないので、望亜がどれくらい前から荷物を纏めていたかを知らない。今日に限っても、偶然同じ日に引っ越し業者を抑えることができたのだ。もし日付けが違えば手伝えただろうが、栞凪も自分の荷解きで手いっぱい。
望亜の様子からして、引っ越しの日取りが近づいてきたことから慌てたのだろう。
「って、栞凪さん。もうほとんど終わってるじゃないですか」
反応の困る栞凪をよそに、望亜は視線を巡らせる。
不要になったダンボールは解体して壁に立てかけている。それでもまだダンボールが数箱積まれ、手を付けた痕跡はない。
「そんなことはないよ。別に明日でも良さそうなのは後にして、とりあえず必要そうな分だけかな」
「なるほど、その方法が……」
首を小さく縦に振る望亜は、すぐさまに行動しようと立ち上がる。
「……それ」
そこでふと、望亜の視線が栞凪の片付けようとしてたダンボールに向いた。
「ん? ああ、これね」
それに気づいた栞凪は、どこか照れたようにはにかむ。
「高校に大学のアルバムとか、色々とね。……実家に置いておくのも良かったんだけど、勝手に片付けられてみられるのも恥ずかしいから」
「それはそうかも」
同じ立場になって考えたのか、望亜は少し真面目な表情を浮かべる。
栞凪は懐かしむようにアルバムを手にすると、1台のスマホが姿をみせた。
「……栞凪さん、そういうのも残しておくタイプなの?」
今どき、撮った写真はクラウドに保存ができる。アカウントを引継ぐことで、古い機種から新しい方で見返すことも、印刷だって可能だ。
ただ、ちょっとした引継ぎミスで連絡先が消えたりもしてしまう。
「まぁ、高校の頃に使ってたヤツなんだけど……」
「……高校の。……そっか」
息を呑む望亜に、栞凪は笑顔を向ける。
「別にアレだよ。変な意味があるわけじゃないけど、これだけはどうしても……」
起動させようとボタンを押しても、かれこれ長年充電をしていない。
だから、うんともすんともしないのは当たり前。
どこかしんみりとした空気が漂いだすも、望亜は両頬を軽く叩いた。
「片付けに戻るね」
「……うん」
望亜の様子に、栞凪は手にしていたスマホに視線を落とした。
(なに感傷に浸ってるんだろう……)
短く息を吐きながら、ちょっとした興味から充電ケーブルを探した。




