時間を売る男
時間をお金に換えられる制度が始まったのは、たしか数年前のことだった。
1年=100万円
若者達は喜び、老い先短い老人たちはその制度を非難し、宗教家は「命の冒涜だ」と叫んだ。
しかし、実際に稼働し始めると制度は簡単に社会に受け入れられた。 遊ぶ金を欲しがる若者は時間を売り、裕福な高齢者はそれを買って、余生を延ばした。
誰もが幸せになれるシステムだと、人々は口を揃えて言った。
私も、最初は1年だった。 騙されて作ってしまった借金のカタがどうしても必要だった。
どうせ無為に過ごすだけの1年だ。そう思った。
その判断は当たりだった。 借金を返し、それどころかあぶく銭で生活は一気に安定した。
だから次は2年。 たった一瞬機械に繋がれるだけで、献血に行くよりも短時間で、痛みもなく札束が積まれた。
シミュレーションで時間を売った後の自分の顔を見て、2年くらいでは何も変わらないと安心してサインした。
同じタイミングで施設に入った隣にいた若い男は、気が付けば自分とそう変わらない外見の大人になっていた。
それでも分厚い札束の山を抱える男のほくほく顔を見て、私はもっと金が欲しくなった。
使い道は明確だった。
結婚資金だ。 プロポーズは成功し、彼女は泣いて喜んでくれた。
それからも、私は時間を売り続けた。
* * *
気付けば私は、30代で60代の体になっていた。
シミュレーションで見る度に、徐々に顔の皺や白髪が混ざっていく。まだツヤとハリのあった肌には染みが浮かぶ。
それでもまだ大丈夫だ、若白髪の人も、老け顔の人もいると自分を納得させて時間を売った結果だ。
ある日、見かねた妻が言った。
「今のあなたは、私の知らない人みたい」
私はずっと見ない様に目を背けていた鏡を見た。
皺だらけの顔をした、自分の親と同じくらいの年齢の老人が映っていた。
どこで間違えたんだろう。 少しの時間と引き換えに、金と成功と幸せを得たはずだった。
得た金と余裕で、まだ妻の胎内にいる我が子と思い出を作る予定だった。
元気な我が子と走り回り、肩車をして色んな所へ連れて行ってあげよう。
そう、思っていたはずなのに、今は歩くだけでも痛む膝と、一定の高さ以上に上がらない腕。
すぐにゼェゼェと切れる息。
これから多くの事を経験し、思い出に変えていく若き尊い時間を、私は自ら売ってしまった。
仕事だって、本来の年齢相応の仕事が割り振られる。嫌味な上司や社長らが、今や若返った姿で日々楽し気に接待ゴルフや宴会を楽しんでいる。
必死に時間を買い戻そうにも、売るのは100万でも買うのは倍以上の1年=300万。
未だ昇進もままならぬ自分の年収で、ようやく2年買えるかどうか。
無論、生活費諸々を考えれば自由に使えるのは微々たるもの故に、時間を買う事は非常に難しい。
今日も、時間交換所には列ができている。
若者達は皆、楽しそうにスマホを見ながら、自分の時間を売る順番を待っている。
そして、元老人達は笑顔でその様子を眺めている。
私は、その列を遠くからただ見つめるだけだった。
後書きまでご覧いただき、ありがとうございます。
ここまでの4つのお話、お楽しみいただけましたでしょうか。
「他の人より幸せになりたい」
「未来が見えれば、もっと良い選択ができる」
「神様が答えをくれるなら、きっと従うのが正解だ」
「時間を売ってお金に変えられれば、人生はもっと楽になる」
そんな風に思うのは、きっと自然なことです。
でも、それが本当に実現した世界では、我々は本当に幸せになれるのでしょうか。
物語の登場人物たちは、少しだけ未来に生きて、少しだけ早くその“答え”に触れてしまったのかもしれません。
「自分ならもっと上手くやれる」そう感じた方もいるかもしれません。
いざ目の前に人間の欲望の結晶が差し出された時、果たしてその誘惑に、あなたは抗えますか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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