死後への貯金
その男、O氏は、人生のすべてを「節約」に捧げてきた。
安い食材を買い込み、趣味も持たず、友人との付き合いも断ち、ひたすら預金通帳の数字が増えていくのを唯一の楽しみにしていた。
「無駄遣いは敵だ。死んでしまえば金なんて持っていけない。だが、生きているうちは一円でも多い方が安心だ」
それが彼の口癖であり、信念だった。
そんなO氏も、ついに寿命を迎えた。
独り身だった彼の遺言には「葬式は最も安く、最低限で済ませろ」と記されていた。
無駄な読経も、豪華な祭壇も、見栄のための花も、彼にとってはドブに金を捨てるようなものだったからだ。
気が付けば、O氏は真っ白な霧の中に立っていた。
目の前には、銀行の窓口のようなカウンターがあり、事務的な顔をした係員が座っている。
「人生お疲れ様でした。それでは現世での清算を行います」
O氏は胸を張った。
「おぉ、ぜひ見てくれたまえ。私は一度も借金をせず、無駄遣いもせず、多額の貯金を残して死んできました。来世ではさぞかし良い待遇が待っているんでしょうな」
係員はニコリともせず、O氏のデータが記録された一枚のカードを端末にかざした。
「ほう、預金額は立派なものですね。ですが『葬儀執行額』が最低ランクのE区分です。直葬、戒名なし、参列者ゼロ。……これは厳しい」
O氏は眉をひそめた。
「葬式なんて死んだ後の話だ。そんなものに金をかけるのは愚か者のすることだ」
係員は、憐れみの混じった目でO氏を見た。
「お客様、大きな勘違いをされていますね。現世で残した貯金は、あちらの世界の通貨には変換できません。しかし、『あなたの死を悼んで、現世の人々がどれだけの対価を支払ったか』……。その総額こそが、死後の世界でのあなたの『信用度』になるのです」
「……何だって?」
「葬式代とは、いわば『死後の世界への送金』なのですよ。豪華な花束は、こちらでは高エネルギーの食料に。高名な僧侶の読経は、こちらでのVIP会員資格に。そして、参列者の涙は、こちらでの清潔な飲み水に変換されます」
係員は淡々と手続きを進めた。
「O様の場合、ご自身の指定により、送金額はほぼゼロ。つまり、あなたは『身元不明の無一文』という扱いになります。住居はなし、配給は週に一度の乾燥パンのみ。保証人もいませんから、次の転生先も選べません。運が良ければ、プランクトンか何かに生まれ変われるでしょう」
O氏は愕然とした。
「そ、そそ……そんな馬鹿な! 私はあんなに苦労して金を貯めたんだ! あの金はどうなるんだ!」
「あなたが残した多額の貯金ですか? 身寄りのないあなたの遺産は、国庫に没収されたあと、役人たちの宴会費用や、公園の銅像を作るための資金になる予定です」
係員は、O氏の背後のドアを指差した。
「あ、それから。一点だけ寄付が届いています。あなたの唯一の親戚である遠い親戚が、一番安いコンビニの線香を一本だけ上げてくれました。そのおかげで、あなたは『マッチ一本』だけ持つことが許されます。おめでとうございます。……では、次の方、どうぞ」
O氏は、震える手で一本のマッチを握りしめた。皮肉にもそれが、彼の人生で初めて使うことになる
唯一の贅沢品となった。
遠くで、現世の役人たちが彼の遺産で乾杯する楽しげな声が、幻聴のように聞こえた気がした。




