振動源
明けましておめでとーごぜえやす。
今年はもうちょっと更新できるように頑張りますわ。(お嬢様風)
上は六メートルほど、前は視界が捉えきれないほど雄大に。
左右には成人男性が三人入ってもまだ余裕があるほどに、通路は広い。
草も生えずに土塊と砂利だけで構成されている広い広い洞窟のような空間にレンは佇み、好奇心に心を踊らせていた。
「ここが……!」
見上げ、天井にぶら下がる無数の鍾乳石を視界に捉えながら嘆息する。
革靴の足裏に砂利を感じ、鼻をくすぐる風に砂煙を感じ、篭手を装備した手に戦意を宿らせ、嘆息する。
「うん。ここがダンジョンだよ」
そんなレンの興奮に言葉を用意したシュウもまた、ダンジョンに挑むために装備を外とは変えていた。
体の関節を最低限守れる装備に身を包み、くすんだ色のマフラーで口元を隠している。そして腰には二本の中剣を携えている。
活発に動けるレンとは対照的な格好だ。
そうして二人並び、ダンジョンを進んでいる状況である。
「今回は一層だからいいけど、ダンジョンに潜るなら大小関係なく目標を決めておかないといけない」
事あるごとに分かれ道のあるダンジョン内をすいすいと手慣れたように歩きながら、シュウはそう教授し始めた。
いつもの解説だと、耳を傾けながらもレンはダンジョンを進む方に意識の割合を割いた。
話によれば、ダンジョンは深さも広さもハッキリとしない故に、何か目標を定めておかなければ引き時がわからなくなるのだそう。
まだいけるまだいけると調子に乗って階層を漁り続け、未知に遭遇して命を落とすこともあり得るという。
その危険性も、深く潜れば潜るほどに高くなる。
「階層が変われば明らかに雰囲気が変わる。出てくる敵もガラッと変わるからこそ、引き時は決めておかないと悲惨なことになるんだ」
右、右、左、右と法則性のわからないままシュウはダンジョンを進んでいく。
「んで、今何してんの?」
「今は、レンに一階層の敵に慣れてもらおうと思って」
一階層なら、どれだけ敵が湧いても『神格』で対応できるからと、怖い笑顔を浮かべるシュウの足取りは止まらない。
流れてくる空気により作られる雰囲気は微小ながらも移り変わっていく。
冒険に心を踊らせる好奇心の溢れる空気から、死地に流れる、命の取り合いだけを生きている証明とする未知の溢れる空気へと。
人ならざる者が集う空間の雰囲気が漂い始める。
いかにダンジョン初心者のレンといえど、警鐘が脳内に鳴り続けるほどだ。
「この角曲がったら……いるよな?」
何がとは言わない。何かもわからない。――ただし、人でないことは確かだ。
だからこそいるかどうかを、言葉でシュウに確認を取ったのだ。
「――うん」
迷いのない、肯定がレンの耳朶を打つ。
視界が届かぬ曲がり角の先に、未知が溢れている。警鐘と好奇心が心に満ち満ちて、この先起こる未来に妄想の花を咲かせる。
――その妄想が現実で花開くかは、これからのレンの戦い次第だ。
世界の全てを知るというこの好奇心を満たす、その第一歩。
その一歩はこの角を曲がることで踏み出したことになる。
震える手は、武者震いか、未知への恐怖か。
それすら、何も知らないレンには判断不能だ。
呼吸を静めて、文字通り一歩を踏み出そうとした刹那。
「――向こうの方から来たみたいだよ」
その一言と同時に、角から影が現れる。
思わず後ろに三メートル程飛び退いたレンは、その視界に、角の先に居た存在を――未知を、視認した。
――その姿はドブ川のように緑。
――その肌はデキモノが素肌を覆うほど多い。
――その手には死者を冒涜するかのように質の悪い刃毀れのした短刀を持っている。
――その口は陰惨に笑っている。
――その顔は見慣れた人間に対しての敵意と戦意を漲らせている。
ドブ川のような緑色の肌をした、レンの腰ほどしかない身長の異形――
「ゴブリン。さ、レン、これが未知の一部だよ」
佇む未知の異形――ゴブリンと、レンは対峙した。
■■■
空気がひりつく。
油断や怠慢をしている者の命は即座に歯牙にかけられるような、鳥肌が否応なしに立つ雰囲気。
それを前にして、レンは――
「……ふ!」
笑い、駆けた。
右腕を引いて、飛び退いて確保した三メートルの距離を一息で埋めるレンは、ただ眼の前の未知を敵と認識して殴りかかっていた。
「――ッ!?」
此方を認識した頃には殴りかかられているゴブリンは、その歪んだ顔を驚きの表情で染める。
一も二も無く殴りかかられれば当然と言えるが、感情らしきものが内包されていることの方がレンには興味深かった。
だがそれは突き出した拳を引く理由にはなり得ない。
引かれ、放たれる拳は付けられた篭手により十全の威力を発揮する。
ゴブリンは咄嗟に短剣を前に突き出すが、付けたてホヤホヤ、新品の篭手と刃毀れでぼろぼろの短剣がぶつかればどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
「すげえ! 全然痛くねえな!」
事実、顔を歪めているのはボロボロと崩れ去る短剣を見るゴブリンであり、レンは篭手の頑丈さに顔を輝かせている。
右腕を突き出し切った状態、ゴブリンの武器は崩れ去った。
ならば右を再び引くよりも、左を突き出す方が早いだろう。
そんな思考が脳から脊髄に流れるレンは――次の瞬間には左の拳をゴブリンの顔面にぶち込んでいた。
「へえ」
ゴブリンを殴り飛ばす様を見て、シュウは感情の揺れる顔を見せた。
大方、異形と言えども生き物を殴り飛ばすのは憚られるという思考が生まれるとでも考えていたのだろう。
「別に気にしねえよ、殴り飛ばす敵が人だろうがなかろうが」
殴り飛ばされたゴブリンは土塊の壁にまで吹き飛び、めり込んでいた。
その姿を見ながら、レンは誰だろうと殴り飛ばせると言い切った。
「いいね、そういう精神は好きだよ」
シュウは腕を組み、にこにこと上機嫌そうに笑った。
――と、その時、ダンジョン内が震えるような音がレンの耳に届いた。
何かを引きずるような――否、これは多くのものが重なり合ってできている音だ。引きずっているのではない。
「でも確かめたいのは殴れるかどうかじゃないんだ」
震える音に慄く様子は一切無く、ただ小さくシュウは呟く。
――音は近づいてくる。震えが大きくなる。
困惑を隠しきれないレンとは対照的に落ち着いたままのシュウは言葉を続けた。
「――どれだけ殴れるか、だよ」
「――」
ぴんと来ない、腑に落ちない、納得がいかない。
軽く理解ができないと形容するにふさわしい気分を味わったレンは気付く。
まるでダンジョン全てを揺らすような響きと、何かが折り重なった音は気づけば、はたと止まっていた。
まるで一糸乱れぬ軍列が、決められた位置で予めしていた練習通りにぴたりと止まるように。
あれほど大きく蠢いていた何かは、それ自体が嘘だったかのように静まり返っていた。
「――」
刹那。
先刻ゴブリンが表れた角の先から、更に一体が、無いに等しいような小さな足音を携えてその姿を表した。
先の一体と同じように、小柄ながらも敵を殺すという意思をしかと持った一個体だ。
そのゴブリンが、もう一体。角の先から姿を見せる。
「――」
更にもう一体。更にもう一体。更にもう一体。更にもう一体。
更に、更に。更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に更に、更に、更に、更に、更に――、
「……まじか」
――無数のゴブリンに囲まれながら、レンは冷や汗を垂らして呟いた。
「さあ頑張ってー、危なくなったら助けるよ」
いつの間にかゴブリンが発生した角とレンから距離を取って『挫けぬ盾』で身を囲っているシュウは、微笑みながら呑気にそう言い放った。
■■■
四方八方。文字通り、全方位。
全方位に意識を巡らして、レンはその身を動かし続ける。理由など単純明快、それをしないと死ぬからだ。
レンを囲むゴブリンは基本的に無手だ。稀にその手に武器を握らせている個体を見るが、せいぜいが十体に一体程度だ。
だが、その低確率個体が問題なのだ。その手に握られる剣が短剣か中剣か長剣か、破損度はどの程度なのか、今の自分からどの程度離れているのか。
その全てを把握する必要があるため、脳のリソースを嫌でも稼がれてしまう。
「クッソ……!」
唸り声を上げて突き出される拳を一歩下がって躱し、下がりながらその勢いを利用してゴブリンの顎を蹴り上げる。
そのままバク転で後退り、着地に使われる脚が後ろに居るゴブリンの脳天を打ち抜き、その顔を地面へめり込ませた。
右の肘鉄で一体を穿ったのち、そのまま前へ放たれる右拳が前方の一体を撃ち抜く。
同時に視界の端に映る、武器を持ったゴブリンの姿を瞬時に警戒して、その個体を視界の中心に置けるよう体を動かす。
「きりが無え……っ!」
――翻り、躱し、下がり、飛び去り、飛び上がり、転がり、滑り込み、只管に。
――穿ち、打ち抜き、殴り飛ばし、膝蹴りし、蹴り飛ばし、受け流し、投げ飛ばし、打ち壊し、一心に。
背後から頬を掠る剣先が視界に入り込み、首を傾げて目だけでその姿を認識する。
血のついた鋼の剣を両手で挟み、上下に捻って叩き壊す。
「お返しィ!」
折って手に入れた剣先を額に突き刺して手のひらで押し込んだレンは、そのまま剣を持ち手のようにして、ゴブリン一個体分の質量を片手で持つ。
引いて狙うは、数が集まっている――、
「――そこぉ!」
投げ飛ばす。
仲間の死体が剣先に刺さって飛んでくる状況に流石に動揺の色を示す集団を、見逃す道理は無い。
未知を既知に。
絶え間なく溢れる好奇心を満たすために。
――この体の熱りの向かうままに。
レンはその頭部を破壊して、四肢を壊して、胴を穿って、ただひたすらに無限の数を減らし続ける。
「――」
減らして、減らして、減らして。
やがて思考は減り、本能がその代打を務める。
減らして、減らして、減らして。
認識するよりも早く姿を脳に理解させる。
――後ろに居る。横に居る。飛びかかってきている。
視認より感覚が勝り、直感的に捉えたい相手の動きが理解できるようになった頃――、
「……わお」
今度こそ、シュウが関心と驚愕の混ざった声を漏らす。
眼の前の光景が築かれるのを一から見ていたが故に、関心の感情が混ざっているのだろう。
この結果だけを常人が見たら、ゴブリンではなく、むしろレンをこそ化物を見る目で見るだろう。
何故なら、
「……ぁ、は、……はぁ……はぁ」
息を上げ、赤黒くなったその身体で死体の山の上に立つ姿をしているのだから。
「ほんとに殺しきれるとは思ってなかった……凄い」
「今度から事前に説明してくれねえかな!」
黒髪を赤黒い血で濡らして、喉が許す限り精一杯にレンはシュウに抗議した。
生き残れたからいいものの、言葉足らずの説明でこんな地獄に巻き込まれては命が何個あっても足りない。
普段いらない所で言葉巧みに詳しく説明してくるのだから、その性格をしっかりと発揮してほしい。
「はあ……疲れた」
急に重くなってきた腕を落として、丁度『挫けぬ盾』を解いたシュウに向かってゆったりとレンは歩く。
軽い頭痛と、目眩もしてきた気がする。
いきなりここまでの地獄を見せるのはいくら鍛えるためでもやりすぎだとレンはため息を付く。
「まあ可愛い子には旅をさせよってことで、許してよ」
「――? 死んだらどうすんだてめぇ」
「――ゴブリン程度に僕の『挫けぬ盾』は破れないよ」
自信と、自覚に満ち満ちた発言だった。
昼と夜が交互に来ることを疑わない事と同じように、シュウは自分の『神格』がゴブリンには破れないことを疑っていない。
「……なら良いけど」
「でしょ? さー、核だけ拾って帰ろう」
「核ぅ?」
またしても知らない単語が飛び出てきたと、単語だけを疑問形をつけて聞き返すと、シュウは少し考え込んで、レンの背後を指さした。
その指差す先に目を向ければ、レンの築いた死体の山が土壁に飲み込まれていく様子が視界に入った。
「あぇ!?」
漏らすつもりの無かった、物凄く間抜けな声が喉から漏れた。
だが、動くことが無いと思い込んでいた固い固い壁が動いている様は驚嘆の声を漏らすに値する現象だろう。
土壁は死体をずぶずぶと飲み込んでいき、その死体の全てを飲み込んで、代わりに死体を飲み込んだ場所から何かを吐き出した。
「――?」
先の体の重さ怠さなど忘れて吐き出された物にレンは駆け寄った。
近寄り、拾い上げて顔の前まで持ってきたそれをレンは凝視する。
ビー玉程の大きさのそれを見てレンが思い浮かべるのは奴隷労働時代の鉱石だ。
形が整っておらず、程良く軽い。少し煌めくそれを、シュウは核と、そう呼んだのだ。
「核……異形の?」
「そう。あいつらが死んでダンジョンに取り込まれると、代わりに核を吐き出すんだよ」
「へえー、なんで?」
「さぁ?」
レンの疑問に、シュウは肩をすくめて首を横に振る。
そうして一通りの会話を済ませれば、今この場は黙々と核を拾う現場へと早変わりだ。
「……これ全部?」
「うん。お金になるから」
――拾う速度が上がった。
■■■
シュウがどこからか取り出した荷物入れが満杯になるまで核を入れ、二人は帰路についた。
「これだけあればウハウハだよ」
「うはうはしてる顔には見えねえけどな」
「生まれつきだからしょーがないの」
出会って数日の仲のシュウを、しかしレンは信用し始めていた。
心を許し、多少の雑談を交わす程度には。
無数のゴブリンと戦闘している際、少々にやにやしてはいたが、それに反していつでも駆けつける事のできる体勢だったことも又事実だ。
――一直線の広い通路を進む。奥に小さく見える光は曲がり角の印であり、既に背後の角は遠く、丁度ここは中間地点くらいだろうか。
「まあ、信用してやるよ」
「何目線……ありがとうって言っとくけどさ」
呆れたようにため息をつかれてしまった。
「だって元々――」
どん。
警戒していた時に表れた人間を即座に信用しろというのは無理な話だと伝えようとして、しかしそれは叶わなかった。
どん。
――だって、再びダンジョンが揺れたのだから。
「――!?」
刹那、警戒を顕にしたのはシュウだった。
次いで、レンが再び死闘を繰り広げる覚悟を決め直す。
「いい加減にしろよ……あの数の大半お前に任せるからな」
未だ姿を見せない振動源のあの数の多さを思い出しながら、レンは軽口をシュウに投げかける。
どん。
「――あの大群じゃない」
「……は?」
しかし、返ってきた返事はレンの思っていたものではなかった。
不可解に思って見てみれば、警戒を顕にするシュウは冷や汗すら浮かべていた。
どん。
未だ揺れ続ける。土埃が天井からぱらぱらと落ちてくる。
今まで見たことのないシュウをの様子を見て、レンの警戒も一気に引き上がった。
「――!」
その場に立ち止まり、背中合わせでお互い警戒を飛ばす二人の耳の奥に、微かな音が届く。
どん。
その音はどんどんと大きくなり、双方、それが音では無く声――加えて人間の声であることを理解。
どん。
同時に大きくなる振動は、振動主が此方に近づいてきていることを嫌でも理解させられる。
「――て!」
シュウの背後、レンの前方。
二人が目指している方ではなく、二人が既に通り過ぎた角から、小さく声が響いた。
「――げて!」
直後、角から表れたのは荷物を何も持たずに此方へ必死に走ってくる少女だ。
遠目故に不正確だが、身長はおそらく百五十ほどだ。その服の大部分を土で汚している。
どん。
未だ少女は必死に叫ぶ。
どうやら同じ言葉を何度も繰り返しているようで、ぶつぎれの音だった大声は数秒で意味のある文章へと変化を遂げる。
「――逃げて!!!」
直後。
どん。と、今までとは比べ物にならない程の大きく揺れて――角の奥から、四足で獲物を追いかける異形が姿を表した。
「二層の異形……!?」
レンの隣に並び、顔を歪めるシュウが、此方に走り迫る少女を追いかける異形をそう呼んだ。
その毛並みは野良獣のように乱雑で、その鼻は長く突き出ている。
口から生える牙はカーブを描いて上へ向かっており、汚らしい茶色の体とは対象的に、その牙だけが白く、白く輝いている。
イノシシを三周り巨大化させたような風貌だが、異形はやはり異形。大地からの寵愛で生まれたイノシシとは異なり、いっそ場違いなほどに白く輝く巨大な牙は四本生えており、中途で細かく枝分かれしている。一本一本が成人男性の身長ほどあるだろうか。
更には顔の側面と一般的な位置に二個ずつ、合計四個の目を抱えている。
そんな巨大な異形の化物が、現在進行系で此方に向かってきているのだ。
レンが戦慄せずして誰がするというのか。
「なんだあれ……」
「――イノコ。この層には絶対に生まれない異形だよ」
冷や汗をかきながら疑問に答えるシュウは、臨戦体勢というより撤退に近い構えを取っている。
逃げてと大声で叫ぶ少女に、自身より明らかに経験豊富なシュウが撤退体勢を選ぶこの状況。
――退くことが最善手であることはレンにだって理解できる。
「……けどよ」
退けばあの少女は異形――イノコに追いつかれて命を落とすだろう。敵を殺す覚悟はあっても、命を見捨てる覚悟はレンにはないし、したくもない。
それに――
「あんな未知、挑まないと損だろうが!!」
「……りょーかい」
――撤退体勢を取っていたシュウが、呆れたように了承をした。
戦闘描写と異形描写苦手ぽ




