君も入ろう、友達の輪に
――うなじを、冷や汗と脂汗が混ざって伝う。右腕を失った喪失感と、脳を直接焼くような痛みが全身を包み込んで、しかしルゥシーは不敵に笑った。
今まで経験したことのない痛みは皮膚の下を直接ヤスリにかけるより大きく、たった数合刃を交わしただけで疲労は今にも倒れ込みそうな程溜まってしまった。それでも、笑う。笑みを絶やさない。それは偏に、勝利への布石のためだ。泣き喚いて痛みに悶えてしまえば、一縷の勝利への望みすら絶たれてしまう。
生まれてこの方離れる事のなかった右腕が無い感覚を意識的に無視して、ルゥシーは左手で大斧を掴む。
「……右腕とれてなんで笑ってんだ、怖……だから生きてるやつは嫌いなんだよなあ、死ねよ、早く死ねよお前。あぁああぁぁぁ死ね死ね死ね……!!!! あああぁぁぁ殺す殺す、殺せば全部解決だ」
まるで思春期の子供のように死ねと喚くフードの男の言葉にはそこらの一般人ならば気圧されて自ら死を選ぶほどに圧が込められている。
死ねと連呼する姿はみっともないが、それに反して言葉の重みは字面では言い表せない程。
――だからこそ、鳥肌が止まらない。これが一般人の戯言であれば聞き流せば済むことだが、この男は殺すと言って理由なく人を殺せる。聞き流すわけにはいかない。
――受け止めて、その上で跳ね返す。
「――『累々屍諫』」
男が冷たく、聞き取れぬ言語で再び呟く。おそらく、その言葉が指示になっているのだろう。
――その証拠に、大男たちが動き出す。
未だフードのせいで目すら合わない男が手慣れたように指示を出し、その命令に大男たちはさも当たり前のように従い、動く。
その死人のような顔色は変わらず、しかし驚くような速度で大剣がルゥシーに迫り、
「――そうやって死霊術で人を操って殺すんすか? 悪シュミっすね」
――ピタリと、剣がルゥシーの額に触れる寸前で止まった。風が吹きすさび、ルゥシーの髪が靡く。靡く自分の青髪が視界の端にちらちらと写り込む様を見ながら、その内心はしてやったりで溢れていた。
何故なら
「――は?」
男の、軽蔑の混じった怒りに満ちた声を引きずり出すことができたのだから。
■■■
――死霊術。それはその生命を余すことなく使い果たし、使命を果たした死者を冒涜して弄ぶ、最低最悪の魔法。
それはこの世界の四大国――エルドレッド王国、聖ドールランド王国、戦狼国家ルヴール帝国、古未来国ゲル、そのどこだろうと禁忌とされている。
エルドレッドの未知への探求を第一とする冒険者も。
ドールランドの神と聖女を重んじる信仰者の面々も。
ルヴールの強者こそ尊重されるべきと考える戦士たちも。
ゲルの、技術と努力だけで世界を歩もうとする技術者たちも。
その彼ら彼女ら全員が否定し、遠ざけ、避けようとする。それが禁忌魔法、死霊術だ。
だからこそ、眼の前の男に烙印を押そう。
「アンタ、大犯罪者っすね」
侮蔑と軽蔑の目を持って、ルゥシーは男のことをそう評価付けた。
憤怒に焼かれる男の怒りを更に引き出そうと、ルゥシーは言葉を重ねる。
「アンタに従ってるそいつらはただの死体。侮辱なんてもんじゃないっすよ。この世界にすら、相応しくない」
「……ッ、黙れッ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! コイツラは俺の友達だ! 何をするにも許可を取って、俺の許可無しじゃ絶対に動くことのない、全部俺の許可で動く友達なんだよォ!!」
激情、衝動、義憤が爆発――否、癇癪と何も変わらない。男の態度はまるで駄々をこねる子供のようで。
ブツブツと何か言い訳を並べ立てる男の気はルゥシーから逸れており、その隙にルゥシーは大男たちと距離を取る。
瞬間、男が金切り声を上げる。
「死霊術なんて低俗なものに括るなぁぁあぁぁ!! 俺は神を堕とす為に貰ったこれで友達を増やしてる! 死体じゃない! 友達だ! 嘘つき、嘘つき、嘘つき……死体じゃない死体じゃない、死体じゃない死体じゃない死体じゃない死体じゃない死体じゃない死体じゃない!」
その子供の駄々の金切り声に連動するようにして、大男たちがルゥシーを左右から挟むように移動。躊躇なく大剣を振り下ろす。
世界をすら分断せんと閃く剣は、その輪郭を保たずルゥシーへ肉薄する。
先の受けを見る限り、片腕では到底受けきることなどできるはずもないが――
「受ける気もないっす!」
迫る剣を前に、ルゥシーは笑った。まるで狙い通りとでもいうような――否、実際に狙い通りだ。癇癪を起こさせて、男のパパとママをけしかけさせた。
物事はどこかが増えれば必ずその分、どこかが減る。
今回の場合それは――
「アンタっすよ! 独りよがりの寂しいガキンチョ!」
犬歯を見せて、死地の今際の際で笑うルゥシーは左右から迫る致死の刃を無視して、前へ進んだ。
その目に一切の迷いを持たず、腕のない少女は一心に走る。男の方へ。
躊躇いなく地を蹴って、一歩ごとに加速を重ねるルゥシーに出だしで遅れた大男たちは追いつけない。
拳を握る。全ての意表を突くために大斧は手放し、今ルゥシーの持てる武器はこの拳一つのみ。
だが、たとえ拳一つだろうと人間を殴り飛ばすには十分だ。
その考えと気迫が伝わったのか明らかな動揺を見せる男へルゥシーは距離を詰めて――、
「――禁忌を扱う割に人慣れしてないっすね」
――そして、飛び越えた。
――未知と遭遇した際、冒険者はまず何を最優先にするべきか。好奇心を満たすこと? より多くの情報を得ること? 未知に問答無用で挑むこと? その全てに、否と返そう。
未知に遭遇したときの第一優先は、生き延びること。未知がいたと、仲間へその一言を伝えることだ。
かつてその一言を届けたことで英雄になった傑物がいることが、その歴史が、最優先を物語っている。
故にルゥシーは敵前逃亡を選ぶ。恥も外聞もなく、生き延びるために逃げるのだ。恥など持ち合わせようハズもない。そんなもの、未知へ命を懸けると決めたあの日に全て捨てているのだから。
だからこそ、逃げを選べる。
だからこそ、命を惜しむ。
だからこそ――、
「クソ野郎! 友達を馬鹿にしたんだから死んでけよッ!」
敵の嫌がることができるのだ。
体を迸る痛みを、奥歯を噛み締めて耐えながら、ルゥシーは脚を動かし続ける。失ったのが腕で良かった。
もし脚だったのなら、こうはいかなかったのだから。
曲がり角の突き当たりがぐんぐんと近づく。曲がりきれれば、また1%、生存率が上がる。
何もかも、1%の積み重ねだ。それを怠った瞬間、人は死ぬ。逆に言えば1%を重ねることができない命など生きていても死んだも同然だ。
長年愛用した大斧はあそこへ置き去りになるが、仕方ない。ルゥシーの命の1%を積み重ねるためだ。
「――」
刹那。ルゥシーの背後から風を切る何かの音が耳朶を打つ。振り返ってまじまじとその何かを確認する暇など無い。
――自分が大男たちに追いつかれないのは、立ち止まることなく加速し続けることが前提だからだ。
一瞬でも振り返って加速の体勢を崩せば積み重ねてきた1%があっという間に水の泡だ。
故に、ルゥシーは振り返らず、大きな動きをすることなく、確実に脅威である正体の掴めぬそれを回避しなければならない。
考えろ、頭を回せ、思考しろ。
判断を誤れば即死、回避が叶わなくても即死。
死が転がる世界で、命が懸かった思考に全力を出さない理由は無い。
――出だしで差をつけた以上、大男たちがアレ以上の速度で追いすがってくることはあり得ない。
先程癇癪を起こした男の発言で、死霊術であるにしろ無いにしろ、大男が死体である可能性はほぼ確実だ。ならば最初から見せた異常なまでの速度、あれはリミッターを無理矢理に外して本来その人間には出せぬ速度を無理矢理出したものだと考えられる。ならばあれ以上の速度は出すことができず、追いすがってくる可能性はやはりゼロだ。ならば十中八九投擲物だろう。挙げられるのは、大剣か、もし男が何か持っているとするならばその隠し持っている得物。男が何かを服に隠し持っていたとするならば得物は限りなく小さい。回避は体を少しだけ横にずらすだけで済む、大剣の場合回転方向で回避が――、
「最後はァ!」
今際の際にて頭を回し、脳を焼き尽くして出した結論を裏付ける根拠。それは――、
「――戦士の勘っす!!」
叫ぶルゥシーは体を少し、左へずらす。
本当に、少しだけ。
加速の勢いなど微塵も落ちず、本来ならば回避とも呼べないその行動が、事ここに限ってはとても大きな光を得る。
体を左にずらしたことで背後に迫る音は右へ寄り、近づき、そして通り過ぎる。
――本来、ルゥシーの右腕があった場所を素通りして。
なんともまあ間抜けな話だ。
もし腕を切り落とされて無ければ、腕をしまえば体勢が崩れ、腕に当たれば速度を削がれ、どうなっても大男たちに追いつかれる運命を辿った。
しかし腕が無かったことで、体勢を一切崩すことなく左に半歩動いただけで致死の一撃は虫も殺せぬ脆弱なものに成り果てた。
体中が痛く、叫び出したいぐらい辛く、座り込んでしまいたい程喪失感は大きい。
だが、生きている。生き延びている。しかと両の足を動かし、ルゥシーはその命を絶やすことなく動かしている。
なればこそ――これはルゥシーの勝利だ。
――大剣が視界の端から映り込み、意味のわからないほど速い縦回転でルゥシーを越して突き当たりの壁へ深々と突き刺さる。
鈍い音を立てて剣は壁に深く沈み込み、止まる。
角を曲がる瞬間、ルゥシーはその大剣の腹もすら即席の壁として利用し、更に加速を重ね、角を曲がり切る。
「……急ぐっす、自分」
何かを喚いていた男の姿はもう見えず、ここから先は自分との戦いだ。
――意識が朦朧とし、今にもその命を散らしかねない死に体の自分との。
■■■
「あのクソカス! 友達をバカにして逃げッ、逃げっ!? 舐めやがって!」
癇癪を爆発させる男はただひたすらにルゥシーへの罵倒に言葉を重ねる。
「なあ、やられたらやり返すべきだよな? ――やっぱりそう思うよな、お前らも。だよな」
顔と視線を大男へ向けて、返答も無いのに返答を受け取ったかのように男は会話を進める。
限界を超えた投擲の反動でぐちゃぐちゃになった腕の男と、首をぱっくりと裂かれた男の二人と。
「殺すんだ……ちゃんと、友達になって教えてやらないと。人をバカにするのは良くないって、教えなきゃ、友達になって教えなきゃ……」
まるで使命感に駆られているかのように男はぶつぶつと呟き続け、追いかけるための一歩を踏み出す。
「全員で、行こ――」
「――そこまでにしなさいな、クソボッチ野郎」
刹那、ダンジョンの壁にひび割れが起こる――否、ダンジョンの壁ではない。空気だ。
空気に黒いヒビが入り、男に重なる声はそこから飛んできた。
「チッ、物壊すしか能のねぇ奴が何の用だよ」
ひび割れから手を出し、次いで顔、胴と順に姿を現わしたのは眼帯をした女だった。
その髪を深緑に染めて立つ男の陰惨な笑みたるや。
常人には決して浮かべることのできない笑顔を浮かべて、女は言葉を続ける。
「ラシェンド、貴方のお散歩をお許しになるために今までこそこそ動いてた訳じゃないんですの。だから帰りますわよ、散歩は充分でしょう?」
「死ねクラース。友達を馬鹿にされたんだぞ!? 追わない訳を言えよ! 納得できる、訳を!」
男――ラシェンドが声を荒げる。
それに対して女――クラースの態度は依然として凛としており、変わらない。
「貴方のお友達、一匹逃げ出しているんですの。それがわかったから連れ戻しにきたんですのよ」
「あぁ? 俺の友達が許可なく動くわけ――」
刹那、ラシェンドの脳裏をよぎるのは、偶然手に入れたあの超常の肉体を持つ男。
灰色に汚れた双眸と、それが頭にまで侵食したのかと思えるような灰色の髪をした男だ。
「……チッ」
直前までの激情は何処へやら。ラシェンドは小さく舌打ちをしてクラースの肩へ触れた。
「至急ですわ。クソボッ……貴方の堕格は計画に必須なんですから。――王都を堕とす、そのために」
未知への飽くなき探究心の高さを見出され、天の神からその一助として与えられる神格。
人はそれを崇め、誇り、感謝する。
ならば神に価値を見出されて尚、その身を怠惰に振るわなかった者に神は何を下すか。
――天使は堕ちる。ならば人の子など、それ以上に――
一章の起承転結の結の起にやっと入れます。
何言ってんでしょうね、結の起ってなんですか。
あと今更気付いたんですけどアルドは副隊長じゃなくて副団長ですね。思い出したら直しておきます。




