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一縷の望みをこそ貴方に  作者: みけたろー
一章:感謝と慈しみを貴方に。
1/12

星空瞬く満天の空

ドサリとまた一人、人が倒れる。

首についた鉄製の首輪と、そこから両手首の腕輪に繋がる鎖がこすれてジャラジャラと金属音を響かせる。


――名前も知らない人間だ。毎日のように人が死に、そしてどこから来ているのか毎日死んだ以上の人が追加される。

倒れた人間が少年に手を伸ばす。まだ生きたいと、まだみっともなく生にしがみつきたいと必死に目で訴えていた。


「……」


その目をみて、少年は辺りを見渡し、その泥と潰れた血豆だらけの手を伸ばした。


監視人に見つかれば手首と体は泣き別れ。だからこそ、手を貸すという行動そのものにも注意を払わなければならない。


ここは石炭の鉱山だ。周りを鉄製の柵で囲まれた鉱山。

寝床などなく、石炭を手押し車に溢れるほど乗せては炉に放り込む。その繰り返し。


熱耐性が少しだけある長ズボンと半袖の服がワンセットだけ提供され、生涯着れる服はそれのみだ。


そしてそんな薄汚れた服を着ている少年こそ、この物語の主人公である。

碌に食事すら与えられていないこの環境で、軽く筋肉をつけた体型を保つ、黒髪黒瞳の少年だ。

いつから奴隷なのかは覚えていない。

ただ、物心ついたときから自分たちを見下し監視する相手がこちらを慮る気が毛ほどもないことは理解していた。


――少年は、世界がここだけでないことを理解していた。

――少年は、世界が広く、雄大であることを理解していた。

――少年は、世界のその果てを、この目で見たいとずっと思っていた。


なればこそ、少年――レンが外の世界に憧れるのは当然といえば当然のことだった。



日が登り始める頃、労働が終わる。ここからの自由時間は一時間程度だ。

一時間後にはまた労働開始だ。


「お父さん! 体はどう?」

「上々だよ。元気いっぱいって感じだ」


一時間の休憩時間。それをレンはいつもお父さんと話すことに費やす。

中年を過ぎた目の前の男は、この場所の奴隷の皆からお父さんと呼ばれている。

どうやらストレスで髭が生えてこなくなったらしいことと、筋骨隆々な体は元々外の世界で培ったことで得た武器であること。

――その灰色に汚れた双眸は、世界のなにも移していないこと。

それ以上の情報を、レンは持たない。それに、それ以上を知る気もなかった。


「なら良かった! 今日は涼しい日で、作業しやすくて助かるね!」


レンは自身の黒瞳を、灰色の瞳をもつお父さんと交錯させる。向こうは目があってることすらわかっていないだろうが。


毎日毎日、掘って寝るという繰り返し。雨が振ろうと、炎天下の中であろうと、周りに倒れた仲間がいようと、そんなことはお構い無しに毎日労働をしなければならない。


それは、外を感じるレンには苦痛で、苦行で、耐え難い。

諦めたような目で笑顔の浮かばない団欒をする仲間たちとは違う。

死んだような目で空を見上げる仲間たちとは違う。

未だレンは、生きる気力を失ってなどいないからこそ――


「……俺、ここから脱獄する」

「――!? 本気、か?」


刹那、お父さんの声音が一瞬で小さくなる。眼前にいるレンですら聞き耳を立てないと聞こえない程に。


「そらまた急に……なんでだ?」

「今日はなんか、朝から首輪の調子が悪いんだ」


今レンたちの周りにいる人々は、諦めたような、死んだような目で空を見上げている。


空を見上げることは好きだ。世界の広さをひしひしと感じることができるから。けれど、それを現実逃避の手段にはしたくない。なればこそ、今は空などには目もくれず、手に掴めるかもしれない未来のために現実をしかとみつめるべきだろう。


「調子が悪いってーと?」

「首輪の重さが()()()()。なにかおかしい」


些細な違いだ。いつもと違い、重さがほんの少し右に偏っている、ような気がする。


無論この奴隷場にぶち込まれて脱獄を考えなかった人間がいないわけがない。


だがその度に、管理人の指が軽く動かされ、そしてその直後には人間が死んでいる。


手首に繋がれた鎖が両手を切り飛ばし、首輪からは即効性の毒物が注入され、死に至る。

生まれたときからここで生活をしていた少年は、それがオートではなく管理人の操作によって発動しているものだと理解していた。


だからこそ、なにかしらの不具合がレンの首輪に起こっている可能性のあるこの()()、命を賭けるに十分値する。


「どう、出るつもりだ」

「この場所、入口の真反対は警戒が薄いんだ。だから、そこまでいって、あとは気合」


正気を疑う顔をされた。とはいえ仕方のないことなのだ。降って湧いたチャンス、綿密に立てている計画があるわけでもない。

だが、正気を疑うような顔から、お父さんの表情は段々と眉間のしわのよった考え込む顔へと変化していった。片手だけを動かせない関係上、両手を顎に当ててお父さんは思案する。


「……うん、まあ、なんとかなんだろ」


顔が晴れたと同時に出てきた言葉はそれだった。

お父さんは手をレンの頭へと伸ばし、ろくに洗えてもないゴワゴワの黒髪を無造作になでつける。


「逃げたあとにここのやつらの心配をする必要はねえぞ! 性根の腐ってる奴らばっかだ、おれも含めてな」


レンの頭を撫でながら、そう言ったのは、きっと逃げ出したレンに仲間を置いていったという負い目を感じさせないためだろう。その配慮が、レンの脱獄を本気で応援しているように感じられて、無性に嬉しくなった。


「俺、やるよ」


今一度、声に出して決意を固める。

チャンスは休憩時間明けの、自分の担当が入口の真反対になる僅かな時間だけ。

決して、失敗はしない。



掘る、掘る、掘る。

打ち付けて、削って、拾って、放って。

また、掘る、掘る、掘る。


いつもと同じ動きの繰り返し。

けれど胸に満ちるこの羨望と緊張感はいつもとは違うものだ。


掘る、掘る、掘る。

少し進んで、掘る。掘って、掘って、進んで、そうして、監視人の目に入らない、入口の真反対のエリアに入った瞬間に――、


「……ッ!」


レンは走り出していた。壁にわざとぶつかり、首輪と腕輪の内部から、なにかが決定的に壊れる音がレンの耳朶を打つ。

あたりの奴隷仲間は、本気でやるのかとこちらに目線を投げ、しかし声には出さない。仲間が逃げ切るためにできる最大限の配慮がそれだけだからだ。

毎日つるはしと鉱石のぶつかり合う音が鳴り響いているのだ。今更小さな聞き慣れない音がしようとて、監視人は気にしない。

あとは自由でないこの腕で、どう壁を登り切るか。

大の大人が三人縦に積まれたように高いこの壁を、どう乗り切るか。


「あれ」


なにか使えるものがないか、辺りを見渡していたときに、レンは気付く。

高い高い壁。その一角の足場に小さな穴が空いている。

丁度、成人男性より少し小さなレンならば通れるくらいの穴が。


「――!」


考える暇も無い。すぐに体をねじ込んで、捻って動いて、みっともなく穴を進んでいく。

爪先まで穴に入り込んで尚、頭が壁の向こう側に到達しない。

捻って、畝って、進んで、暗闇をただひたすらに進んで、そうして――、


――頭が、冷たい空気を浴びた。

必死に這いずって、頭、肩、と、順々に体を穴から出していく。

頬を撫でる夜風が冷たい。上は半袖一枚なのだ。少し着込めば凌げる寒さも、今のレンには防げない。

穴から出た先には、森が広がっていた。壁と森。人工物と、自然物。

道は森にしか、続いていない。


穴から出て、更にレンは走り出す。

見つかっては元も子もない。足を動かして、脚を動かして、先へ先へ。

前へ、前へ。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げて――!


炭で汚れた四肢を必死に動かして、森の最奥へと入っていく。

頬を枝で裂き、腕にも血が滲み、それでも動かす足を止めない。


踏みしめる土と、擦り傷を舐める冷たい風。周りに満ちる全てが、レンに嫌でも伝えてくれる。


君は自由だと。

君は世界をこの目で見ているのだと。

君は、自分の生を謳歌できる存在なのだと。


「はぁ……はぁ……」


息が切れてくる。

足がもつれて、レンは森の柔らかな土に仰向けで倒れ込んだ。


ここまでくれば追手がいたとておいつけまい。もう、奴隷として扱われなくて済む。自由なのだ。

その感慨を胸に、背中と後頭部に土の感触をめいいっぱいに感じるレンは目を開く。


「……自由だって言ってるやつ、もういっこあったな」


――星空が瞬く、満天の夜空。

奴隷の時だって見ていたそれが、今はどうしようもなく広く感じられる。

その夜、その存在が、レンの自由を一番大きく感じさせてくれた。


■■■


「――ん?」


森林に誰かが入り込んだ。気配でそれを理解した。

今までが外れだったし、今回も同様だろう。

けれど人間とは、一縷の望みでもあればそれに可能性を感じて動いてしまう生き物なのだ。

だからこそ、またしても確認しにいく。


そして見に行った先に倒れていた人間を、見つける。


この出会いが運命だったのだ。

この出会いこそが世界を変える分かれ道。


――ここから物語は始まるのである。

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