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東雲が流れることをやめて

ごぼ。ばしゃん。もがくように水面に浮かび上がった。


「っげほ……!!」


無我夢中で桟橋の足場の柱を掴み、そこから体を引きずりあげる。

げほげほと咳き込み、肺に入った海水を吐き出す。鼻に滲みて最悪だ。まったく、コガイはこんなものでようやく生の実感を得ているのか。悔しいことによくわかる。生きててよかった。死ななくてよかった。この一瞬だけは、死にたいという言葉は浮かばなかった。


「っは……はぁ……は、ふぅ…………」


必死に深呼吸を繰り返す。たっぷりと深呼吸して、しばらくしてようやく落ち着いた。

ぽたり、と水滴が髪から滴る。絞ることもせず、シノノメは立ち上がった。こんなところで咳き込んでないで、決意の結果に得たものを示しに行かなければ。

濡れた服を着替えに小屋にも立ち寄らない。そのままの格好で、集落の中央の小屋へと足を向けた。


***


「姫さん」


入るぞ、と室内に足を踏み入れてきた姿にナギサは瞠目した。


「シノノメ……!?」


どうして。思わずそんな言葉が口をついて出た。

このところ不自然なくらいに避けていた彼がどうしてか小屋に訪れたことにも驚いたが、それ以上にナギサを驚愕に陥れたのはその気配だ。


「どうして、いさなさまに……!!」


シノノメから感じる鯨神の気配が濃い。その理由について、一目で理解してしまった。

彼は眷属になっている。『ナギサの』眷属ではない。『鯨神の』眷属だ。鯨神、ナギサ、我らが一族と続くその上下関係からシノノメは一段繰り上がってしまった。ナギサと同じものになってしまった。


どうして。その意味を知っているナギサは血の気が引いた。

自分と同じものになってしまった。それはただの上下関係の話ではない。鯨神の眷属になるため、シノノメは鯨神の血肉を喰ったのだ。かつての自分と同じく、原罪を背負ってしまった。『最も罪深い者』の2人目になってしまった。

そして、そうなったということは。『最も罪深い者』として役目を果たさねばならない。不老不死という釣り餌として祝祭に臨むのだ。欲深い人間どもの欲望に晒され、無惨に引き裂かれる運命が待っている。自分と同じものになるというのはそういうことだ。


そんなこと、どうして。どうしてそんな選択を。

涙さえ滲ませているナギサへ、シノノメはどこか晴れやかな声で告げた。


「決めたからさ」


覚悟を決めた。選択することを決めた。自分の進退を決めた。運命を決めた。末路を決めた。

好きな女を愛することを決めた。寄り添うことを決めた。そのために苦痛を受け入れることを決めた。

だから鯨神の眷属になったのだ。奴の血肉を喰った。堕ちることを決めたから。


「姫さんの苦痛は代わってやれない。だけど、せめて隣で同じ痛みを受けたいんだ」


鯨神に申し出たのは、眷属になることだ。ナギサのではなく、鯨神の。『最も罪深い者』2人目として、ナギサと同じく釣り餌になることを申し出た。

鯨神もまたそれを了承し、血肉を分け与える形で力を譲渡してくれた。色褪せて瓶覗などになることはなく、留紺よりも濃い真黒に染まることを承諾した。

釣り餌が増えれば釣られる人間も増え、結果として喰える餌の量も増える。そんな算段だろう。だからこそ穢らわしい人間ごときの頼みを聞いたのだ。


あぁ上等だ。好いた女に寄り添えるなら地獄も悪くない。欲深い人間どもの口に俺の肉を詰めさせてやる。

これは覚悟の形なのだ。一緒に堕ちて何が悪い。


「だから」


だから。あの時、口を噤んでしまった言葉の続きを言わせてほしい。差し出せなかった手を伸ばさせてほしい。

守ることも代わることもできない。だが、同じ苦痛を一緒に受けることはできる。どこまでも寄り添うことが、自分がナギサにできることだ。


そっと、ナギサの華奢な肩を抱く。振り払われなかったのでそのまま抱き寄せた。

こんなに小さかったのだと噛み締めながら腕を回す。それなのにあんな目に。だけど、もうその寂しさと恐怖は終わりだ。


「もう離さない、独りにしない」


同じ地獄で生きていこう。どこまでも。

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